10.疑心暗鬼
「じゃあソフィさんを殺したのは、私達の中の誰かってこと?」
「侵入者がいなかったんだ。必然的にそうなるだろ」
何故か私の部屋までついて来た彼はそう言って、我が物顔でベッドに寝そべった。二人きりの室内、もう疑うも警戒するもない状況だ。
当然のように土足のまま両足を投げ出した彼を前に、密かに肩を落とし嘆息してしまう。せっかく草木さんが整えてくれたシーツが見るも無惨に台無しだ。
私はシュウの、こういった振る舞いが好きではない。マイペースという点では佑お兄ちゃんにもそんな傾向があったけれど、種類が違う。大いに違う。
「捜査にはジジイと栞さん、翠川たちも協力してくれてる。じきに各部屋を巡って目玉の捜索もしないとな」
「め、めだっ……」
「それが一番手っ取り早いだろ。持ってるヤツが犯人、とは言わないけど他にも証拠が見つかるかもしれないし」
それはそうだけれど。想像するとゾッとする。
残虐な手口で人の命を奪った犯人が、私達の中に紛れている。自分と同じように怯えたふりをして、次の獲物に狙いを定めている……。
「香月も何か疑問に思うことがあったら調べてみてくれよ」
「……え、私が?」
「そうはっきり言ってるじゃねえか」
もちろんはっきり聞こえていた。しかし出来れば目立たず騒がず、じっとしていたいのが本音だ。危険なことには関わりたくない。手足を措くところなし、とはまさにこのことか。
「しゅ、シュウはいつもこんなことに関わってるの?」
「年に数回は」
「は、嘘でしょ」
「マジ。とりあえず状況を整理するか」
シュウは部屋に備え付けの小さなメモ帳に、胸ポケットから取り出したブルーブラックのボールペンを走らせる。綺麗とは言い難い、暗号のような文字でそれは綴られた。
◎ 屋敷内略図・二階
<東> 廊下 <西>
ステンドグラス
桃:空室 白:香月
緑:ユーヤ 赤:伊倉
青:栞さん 橙:畠
紫:ソフィ 黄:ジジイ
黒:オレ 茶:志津木
螺旋階段
◎ 一階〃
<東> 廊下 <西>
翠川個室 草木個室
診察室 厨房
診察室2 食堂
玄関
螺旋階段
「こんな感じか」
うつぶせたり、仰向けたり、シュウは絶え間なくアクティブに寝返りを打ってくれる。劇的にしわくちゃになったベッドを見つめ、自分の部屋で寝ればいいのに、と頭の中だけで愚痴を零して諦めるよりほかなかった。
「それと、ひもだな。事件発覚直後の全員の繋がりをメモっておこう」
「全員の繋がり?」
「ああ。全て記憶してる」
「うそっ」
「だからマジだってば。おまえ、そればっかりだな」
予想外の一言を放ってふたたび体を返し、シュウはメモ帳をめくる。
「一人ずつ書き出すとこうか」
●香月
ひもあり:栞さん・翠川・草木・伊倉
●ジジイ
ひもあり:ソフィ・栞さん・翠川・草木・ユーヤ・伊倉・志津木
●栞さん
ひもあり:香月・ジジイ・ソフィ・翠川・草木・伊倉・畠・志津木
●翠川
ひもあり:香月・ジジイ・ソフィ・栞さん・草木・ユーヤ・伊倉・畠・志津木
●草木
ひもあり:香月・ジジイ・ソフィ・栞さん・翠川・ユーヤ・伊倉・畠
●ユーヤ
ひもあり:ジジイ・ソフィ・翠川・草木・伊倉
●伊倉
ひもあり:香月・ジジイ・ソフィ・栞さん・翠川・草木・ユーヤ・畠・志津木
●志津木
ひもあり:ジジイ・ソフィ・栞さん・翠川・伊倉
●ソフィ
ひもあり:ジジイ・栞さん・翠川・草木・ユーヤ・伊倉・志津木
●畠
ひもあり:栞さん・翠川・草木・伊倉
●オレ
全員ひもなし
「やっぱり事件があったとなるとひもも多いな。普通はこんなにねえんだけど」
敬称があったりなかったり、本名だったりそうでなかったりするのは、彼自身の呼び方が反映されているからだろうか。
いや、そうとも言い切れない部分がある。要するにいい加減なのだ。
「あれ?」
「なんだ、間違いでもあったか」
首を傾げた私を見上げ、シュウは残念そうに眉尻を下げる。
「シュウってどうして誰とも繋がりがないの?」
「……そういう人種だから」
返された答えは何故だか声が固くて、まずいことを聞いてしまったのかなと不安になってしまう。気まずい沈黙が流れ始めて、私は慌てて話題を変えた。
「あ、あの、ひもっていっぺんに沢山見えるんでしょ? そんなに簡単に見分けられるものなの? 印がついてるとか?」
いいや、とシュウは仰向けの体勢で両手を後頭部にあてる。
「いや、見ようとしなければ見えねえよ。気合いっつうか、よし見るぞ! てな具合に」
どんな具合だ。
「それに、知覚できるのは三〜四メートルの長さまでが限度だしな。ひもはある意味ゴムひもみたいなモンでさ、お互いが遠ざかれば細くなるし、それだけ見えにくくなるんだ」
「へえ、伸びるんだ」
「ああ。で、ひもの種類を見分けるのは……単なる普通の可視には不可能だろうな。そりゃ、辿れるほど近くにいればどれが誰に繋がってるかは一目瞭然だけど」
「ふうん」
普通、ということはそうではない場合もあるということなのだろうか。私の疑問に先回りして答えるように、シュウは言う。
「オレは特殊なんだ。必要性にかられて、っつうか半分は生まれつきだけど……ひも自体の性質が読める」
「性質って……色とか?」
「色はねえよ。ひもは無色透明。オレが読んでるのはもっと精密な—— 例えるなら指紋とか、DNAみたいな部分」
思わず両目をぱちくりさせてしまった。
「凄い」
それで犯罪捜査のような役割を得ることになったのだろうか。
情報をおおまかに整理すると、ひもは通常の可視でも種類までは見分けられなくて、見ようとしなければ見えなくて、さらにシュウの目はとんでもない精度を持っている、ということになる。正直よくわからない。
「あとは時間ごとに遡ってアリバイでも……」
彼がそう呟いた時、コンコンと軽いノック音が二度繰り返し室内に響いた。
「捺南ちゃん、いる?」
「はい!」
慌てて駆け寄りドアを開くと、室内を覗き込むようにしてひょいと右手を挙げたのはユーヤさんだった。
「よ、ちょっといい?」
良いわけがない。
とっさに背伸びをして背後を隠そうとするも完全に後手で、直後、彼の眉間には見事な皺ができた。その視線の先、ベッドでごろりと寝返ったシュウが「あぁ?」不機嫌そうな声を上げる。
「は!? やっぱりそういうことかよ」
「いえっ、ちがいま、あの、これは」
いくら否定しても、状況が彼の誤解を肯定してしまう。
ふたりきりでいるというだけで怪しいのに、シュウの馬鹿、どうしてベッドになんて。今更だけれど彼の無神経さに腹が立った。
「そういうことなら早く言えよ。期待しちまったじゃねえか」
させた覚えはない。その割にソフィや栞さんに対しても鼻の下を伸ばしていたような気がするのは私だけだろうか。
「加賀見さんもなんだかんだ言っておきながら昨日栞さんとよろしくやってたみたいだしさあ」
「え?」
「いや、こっちの話。まあいいよ。ボディーガードがついてるなら安心だし」
ユーヤさんは片眉を下げてばつの悪そうな顔をする。意外な一言だった。
「もしかして、心配して下さったんですか」
「当たり前じゃん。か弱い女の子は護ってあげなきゃだろ? それに俺、ちょっと気になることが――」
彼はそこで言葉を飲み込み、表情を曇らせる。
「気になる? 事件のことか」
そう言い返したシュウはすでに私のすぐ後ろに立っていた。
気怠そうに片肘を扉につきユーヤさんを見下ろす、若干色気漂う姿は雑誌で目にする彼そのものだ。思わず目線を逸らしてしまった。
「ああ。下で皆、加賀見さんから話を聞かれてて……それで気付いたんだけど」
「わかった、入れよ。詳しく教えてくれ」
ここは私の部屋なのに、と反論する隙はなかった。ゆったりとベッドサイドに腰を下ろした彼らに対し、私はひとり何故かぽつりと堅い椅子に座った。
「で、何に気付いたって」
「あ、ああ。加賀見さんの話、扉がないからある意味筒抜けでさ」
「マジかよ……あの野郎、バレたらどうしてくれるんだ」
「バレる?」
「いや、なんでもねえ。で、なんだって?」
「あのさ、俺、あの志津木とかいうオッサンが怪しいんじゃねえかと思って」
「志津木さんが? なんで」
「うん、夕食時、いや、庭の散策以降、誰もソフィを見てないだろ。そして紫の部屋は浴室どころじゃなくトイレすら一度も使用した形跡がないんだよな?」
草木さんが密かに教えてくれた事実も、いつの間にか露呈してしまったようだ。シュウは「あのクソジジイ何でもぺらぺら喋り過ぎだ」とますます不機嫌そうに眉をひそめた。
「おかしくねえ? 夜中に殺害されるまで、一度もトイレに行かねえなんて」
「ああ、確かに。オレもそれは引っ掛かってた」
「だからさ、部屋に入る以前に、すでに捕われて別の場所にいたんじゃないかと思って」
「だろうな」
シュウは腕組みをして、ふうと息を吐く。
「殺される直前まで別の場所に監禁されていたか、殺されてから運ばれたか、どちらかだと思う」
「だろ? となると、彼女を捕えるチャンスは一度しかなかったんじゃねえかな。……部屋に、入る前だ」
「ああ、その可能性は高い」
「ソフィは庭で鍵を受け取ってた。なあ捺南ちゃん、君も見てただろ。それで、彼女はひとりで先に室内へ戻ったんだ。俺は、そのときが犯行時刻だったんじゃないかと思ってる」
突如会話を振られて、思わず背筋が伸びた。記憶の糸を辿りつつ、頷く。彼の言う通りだ。
「でもあの時間、みんな庭にいただろ。だから捕えたっていうより―――― 誘い込んだんじゃねえかなって」
昨日の朝食後、畠さん以外のメンバーは全員で屋敷の外へ出た。天気もよかったことだし、庭をぐるりと見て回ったのだ。
シュウは、屋外に出るなり芝生の上で寝転んで眠ってしまったけれど。
その時にソフィが『紫』のプレートがついた鍵を受け取っていたのを、私は確かにこの目で見ている。
言葉が通じない彼女に対し、草木さんと栞さんが困り顔で部屋の色を伝えていたことも覚えている。ルージュだとかヴィオレだとか、ふたりで相談し合いながら片言のフランス語も喋っていたように思う。
つまり、初めて病室へ入ったのはそのあとだ。
「誘い込んだ? 犯人が自分の部屋に、ってことか」
「ああ。志津木さんは俺やソフィと違って、前日から宿泊してただろ。だからいろいろと細工をする時間もあったと思うんだ」
「細工? 鍵にか」
「いや、逆だよ。タイルのほうに、だ」
ユーヤさんは膝の上で両手を握り合わせる。
「あのひと、印刷所の工員だろ。インクとか詳しいんじゃねえかと思って。タイルの表面でも弾かないような特殊なインクを茶色のタイルの上から塗って、紫色に見せかけたとかさ」
なるほど。
部屋を識別するものが数字であったなら部屋の並びが不自然になってしまうけれど、色なのだから入れ替えをしたところで一見不自然には見えないだろう。
ううん、とシュウは難しそうに唸る。
「でもあれ、表面が少し透き通るような感じで色がついてるだろ。そこだけ不透明にがっつり塗り替えてあったら目立たねえ?」
「いや、でもプロなら塗料には詳しいだろ。多分だけど」
「塗装ねえ……、それを言ったらフィルムとかシールみたいなものを使ったほうが簡単に細工出来るじゃねえか。それも翠川や草木さんに見られれば速攻でバレるぜ。鍵だって別物なら開かねえだろうが」
ユーヤさんは気付いたようにぽかんと口を開く。シュウの言葉はどれもが的確に的を射ていて、私が口を挟むまでもなかった。
あのタイルは壁に埋めこまれているし、それ自体を交換することはできない。だから細工をするならあの上から何か手をくわえるしかないのだ。
しかし塗料などの手段を使えば、被害者以外の人間にもそれを目撃される可能性がある。
「でもさ、ソフィが殺された時も庭を探そうって言い出したのはあの人だったし……微妙に怪しいっつうか」
「あのなあ、疑わしきは罰せずっていうだろ。じゃあひとつ聞くけど、ソフィのすぐ後に部屋へ戻ったのは誰だ」
「俺と伊倉」
「その時点でおかしいだろ。犯人なら他のメンバーより先に証拠隠滅へ向かうはずだ。でなきゃトリックがバレちまう」
ううん、とユーヤさんが唸る。まだ納得のいかない様子だ。
「その順番だけ見れば、細工をした可能性が高いのはおまえと伊倉ってことになるぞ」
「俺!? ないない、絶対に俺じゃない」
「口ではみんなそう言うんだ」
なんにせよ参考にさせてもらうよ、とシュウは言って立ち上がる。出て行け、という無言の主張だろうなと思った。
ユーヤさんはしぶしぶ立ち上がり、何故かじいっと食い入るようにシュウの顔を見つめる。
「なんだよ、気持ち悪い」
「いや、どこかで見たことがあるような顔だなと」
「メンズ・ゼロじゃねえの」
「ああ! そうか、おまえ、モデルの小泉厨! サインくれよ、サイン」
「やだ。どうせヤフオクで売るだろ」
ここまで気付かなかったなんて奇跡だ。いや、でも案外そんなものかもしれないとも思う。シュウのだらしないふるまいが見るものの目を攪乱させている可能性も高い。
「そりゃまあ。ん? でも、それだけじゃなくて、どこかで……、いや、気のせいか」
どうにも腑に落ちない様子でぶつぶつと呟きながら、ユーヤさんは部屋のドアを開く。
「じゃ、気を付けろよ捺南ちゃん」
「ありがとうございます」
小さく下げた頭を、彼は意外なほどそっと撫でてくれた。
「俺、もう……ああいうの、ごめんだからさ。人の死、とか」
私だって、誰かがあんな姿になるのは二度とごめんだ。すると彼はぽつりと言った。
「実は俺、妹が」
「ユーヤさん、妹さんがいらっしゃるんですか?」
「―――― うん」
微笑む顔は悲しそうで、苦しそうでもある。私を妹さんと重ねて見、心配してくれているのかもしれないと思った。
「おまえこそ気を付けろよ」
「ああ」
斜め向かいの部屋へ戻って行く彼を見送った、そのときだった。
「シュウくん!」
またも螺旋階段のほうからかけてくる人影。見覚えのある光景だ。しかし今回はその人の胸元に揺れる小山がふたつ。ついつい自分の体を見下ろして、歴然たる差に打ちひしがれる。この先もまだ数年、成長が止まらないでいてくれたらいいのだけれど。
「これ、頼まれてた資料よ」
紙の束をシュウに差し出す栞さんの息は、すっかり上がっている。
「おう、悪いな。そっちはどうだ? 眼球は見つかったのか?」
「いいえ、まだ。編集長は食堂で皆から話を聞いてるわ」
「……ああ、筒抜けのやつな。ユーヤに聞いたよ。ジジイ、尋ねるより講釈する回数のほうが多いだろ」
「ふふ。いつものことだけどね。終わったら、情報は直接伝えに来るそうよ」
捜索作業のために着込んでいるのか、不似合いなかっぽう着を翻して彼女はさっそうと下階へ戻って行った。
手渡された紙を指差し「何それ」と尋ねる。シュウは得意げに口角を上げた。
「ここにいるメンバーの略歴やら家族関係やら。役割上、オレは協会にある情報をほぼすべて閲覧できるんだ。すげえだろ」
「え!」
「ま、もちろんお偉いさんには秘匿の権利があるけどさ」
それをパラパラと捲りながら、シュウは棒高跳びのように体をひねって背中からベッドに着地を決めた。立ち尽くしたまま、その姿を見つめる。
―――― 情報を知ることが出来る。シュウが?
奇跡だ、と思った。こんな好都合はない。彼が求めれば、三年前のお兄ちゃんの身に起こったことも分かるかもしれない。
「あの、シュウ! お願いがあるの」
「サインならやらねえぞ」
「そうじゃなくて、その、情報のこと」
こうして私は、シュウに全てを語るに至った。
お兄ちゃんと私のこと、彼の身に起きていたこと、生前のことは覚えている限りほぼ全部だ。
シュウは意外にも紳士的だった。無駄な横やりは入れずに黙って最後まで聞いてくれ、涙ぐんだ時には見ないふりをしてくれたのだ。
「沖永佑、か。わかった。とりあえずソフィの事件が解決したら、協会にかけあってやるよ」
「本当に!?」
「ああ。ただし、おまえがちゃんと事件解決に貢献したらな」