9.シュウ
「ここで起こったことは全て、私の威信をかけて解決せねばならない。殺人とて例外ではない。協力して貰えるか、諸君」
加賀見さんがそう切り出すと、皆神妙な面持ちで頷いた。協力、とは具体的にどういう意味なのだろう。しかし黙って従うことが古くからの決まり事のように感じられて、遅れて私も小さく頷いた。
とんでもないことになってしまった。今更になって後悔が押し寄せてくる。
歴史やら戦争やら、普段の自分には縁遠い話だ。よもやこんな組織が地球上に存在していたなんて、まさか自分がその一員になろうだなんて、予想もしていなかった。
でも――――。
組織の一員として留まり続けなければならないのなら、調べることができるかもしれない。お兄ちゃんが三年前、協会と接触した時のことを。
「では、私から連絡があるまで各自部屋で待機したまえ」
こうして、加賀見さんの一声により場は解散されるに至った。自己を防衛するように、などと注意の喚起らしきこともあったような気がするけれどあまり覚えてはいない。冷静に、誰かの言葉に耳を傾けられる精神状態ではなかった。
もたもたと最後に席を立った私は皆について行きそびれ、結果、不審な行動を目撃する羽目になってしまったのだった。
「……いつものように頼む」
難しい顔をした加賀見さんが、シュウの耳元でそう低く囁く。応えて、シュウは黙ったまま彼の胸元に拳をとんと軽く当てた。了解した、という合図のようにも見えた。
―――― いつものように?
何にせよ用心しておくに越したことはないだろう。なにしろ殺人が起きてもおかしくない場所なのだから。
見なかったふりをして、部屋へ戻るためにそそくさと廊下へ出たときだった。
「香月、ちょっといいか」
肩を掴まれ、再び食堂へと引っ張りこまれる。抵抗する暇はなかった。
「な、何、あの」
さっそく餌食にされるのだろうか。
身構えつつ問うと、彼は低くぼそぼそと聞きづらい声で小さく言った。
「事件の情報収集、つきあえよ」
「え、それって、さ、殺人事件の?」
「もちろん。他に何があるんだよ」
当たり前のように言われても困る。情報収集―――― 何故私が、というよりシュウが? 私は目を泳がせながら六回連続のまばたきをした。
先程の『頼む』はもしやこのことだったのだろうか。事件の情報収集を『いつものように頼』んだ? ということはシュウはいつもこんなことを?
しかしいくら警察が入り込めないからといって未成年に殺人事件の捜査を頼むなんて不用心すぎると思う。
そんなことを考えていると、シュウはむっとした様子で下唇だけを尖らせた。
「露骨に嫌そうな顔すんなっつうの」
したつもりは無いし、どちらかというと困惑していたのだけれど、嬉しいか嫌かと聞かれたら断然嫌に決まっている。
「オレだって面倒臭えんだよ。けど、仕方ねえだろ。こういう厄介事を片付けるのがオレの仕事なんだから」
「仕事?」
「そう。協会内での、俺の役割ってとこ」
彼はわざとらしくため息を吐いて、ついでに私の顔のすぐ右に片手をついた。凄い威圧感だ。脅しかけられている気分になる。
いや、脅し、とだけ思っていられればまだ良かったのかもしれない。とっさにその顔を見上げた私はすぐに後悔させられてしまった。
「……ど、どうしてそんなこと、シュウが」
尋ねながらさりげなくうつむく。心臓が早鐘を打っている。相手が悪い。シュウは長身痩躯、眉目秀麗で何拍子も揃った美男子なのだ。
「平たく言えば、オレにしかできないからだ。日本の、リール協会においては。な、手伝えよ、香月」
「で、でも」
自分の仕事なら、自分ひとりで片付ければいい。薄情かもしれないけれどそう思った。
私はあんな残虐な事件にはもう関わりたくない。渋る私を焦れったそうに見下ろし、シュウは口を開いた。
「はっきり言うぜ。今、オレは香月以外の全員を疑ってる。侵入者の存在だけじゃなくて、内部の人間もな」
「え」
「殺し殺される間柄にも繋がりは―― ひもは存在する。オレが見たところ、内部でそれがないのはおまえだけだ」
「私だけ?」
「そう。つまり加害者ではありえない。逆に考えれば、おまえは今後被害者にもなりうるってことだな」
「ひ、被害者って」
眼球を抜かれる、殺されるということだろうか。冗談じゃない。
「だからなるべくひとりにならないほうが身のためなんだよ」
結局うまく言いくるめられたような気がしないでもないけれど、私はやはり断りきれなかった。
これまで幾度も彼に庇われていたことに気付いた所為もある。得体が知れない、信用できないと思っていたけれど、私は始めからずっと気遣われ続けて来た。
恐らく、編集部に連れて行かれたあのときから。
「まずは、畠ってガキの顔を見ておくか」
行くぞ、と彼は私の手を引く。いつも気怠そうにしているシュウとは、まるで別人のようだ。
「ああ、そういえば」
らせん階段の三段目に足を掛けたところで、彼は気付いたようにこちらを振り返った。ただでさえ長身なのに、一段高いところから見下ろさないで欲しい。
「気付いてるか?」
「何に」
「あれが―――― 密室殺人だってことに」
まさか。そんな言葉、ドラマや小説でしか聞いたことがない。
「ソフィの部屋に乗り込んだとき、鍵は彼女の手の中にあった。おまえも見ただろ」
「……見た、けど」
先程目撃してしまった凄惨な光景が瞼の裏に映し出されて、私は激しい不快感に眉をひそめた。確かに、ソフィは部屋の鍵を握っていたと記憶している。
「あの部屋の鍵は閉まってたはずだ。オレも確認した」
違いない。だからドアを蹴破ったのだし。
「こんな不自然はない」
「そう、かな」
「よく考えてみろよ。ソフィを殺した犯人は、鍵なしで部屋の外から施錠したってことになるんだぞ。スペアキーはないのに」
「でも、窓から出入りしたってことも」
「ここの窓は全部はめ殺しだ」
となると、これはやはり―― 密室殺人、ということになるのか。
彼は階段を昇りきると、迷いなく橙色の部屋の前へ向かい気怠そうに足先でドアをノックした。
「おい畠。いるんだろ」
返答はなかった。
「三十秒でいい。緊急事態なんだ。話ができないか」
やはり反応はない。人間不信と聞いたけれど、こういうことだったのか。
シュウはしつこくノックを繰り返す。「おい、開けろよ」態度が悪いものだから、借金取りのようにも見える。
そうして数分粘り、半ば諦めかけたときだった。がちゃり、小さな音を立ててわずかに扉が押し開かれた。
「……うるさいよ」
現れたのは小柄な少年だった。
彼はシュウと同じく黒い学生服のまま、伸びきった前髪の隙間からぎょろりとこちらを睨む。白目の部分は充血し、不自然なほどの赤みを帯びていた。
「夕べ、紫の部屋で殺人事件が起きた」
「女の人に聞いたよ。だから外で捜索してる様子も、窓から見てた。……知らせに来たの、アンタじゃなかったの?」
私を不審そうに見上げて問う声は音程が一定で、感情が欠落しているような口調。こういうタイプを前にすると、私の親の世代の人間は「無感動でいけない」などとこぞって説教をしたがる。
「ううん、違う」
女の人、というとメイドの草木さんか栞さんだろう。
シュウはかすかに目を細め、彼を凝視している。近視の人間が遠くを見る時にするような顔だ。
「……疑ってるの。僕じゃないよ」
「ああ、見たところ、おまえには被害者との縁がないな」
「ならもういいだろ。放っておいてよ」
怯えることも驚くこともなく、少年は無表情のまま我関せずといった様子で部屋を閉ざそうとする。シュウはその隙間に爪先を突っ込み、いともたやすく彼の行動を阻止してしまった。
「ひとつだけ訊かせてくれ。死亡推定時刻の0時から二時の間、不審な物音を聞かなかったか」
「聞いてない」
「それは間違いないな?」
「……疑いたきゃ疑いなよ。でもその時間は本当に、足音ひとつ聞いてない。ここの廊下はタイル張りだし、足音を立てずに歩くのは相当困難だと思うよ」
少年は内側からシュウの足を蹴り、直後、バタンと扉を閉めてしまったのだった。
「ふん、まあいい。今のクソガキの証言、まんざら嘘でもねえだろうからな」
「どうしてわかるの」
「目が赤かった。寝てたんじゃねえの。じゃなきゃ寝不足だ。つうことは夜中まで起きてたってことだ」
思わず目をしばたたいた。
「なるほど」
基本だろ、と彼は得意げに言う。よくある少年探偵ものの主人公のように見える、と言ったら褒め過ぎだろうか。
「で、あいつの証言を信用したとするととんでもないことがわかる。―― 犯人には実体がない」
「なにそれ」
「犯行時刻、誰も廊下を行き来していない。じゃあどうやって、犯人は彼女の部屋に現れて殺人を犯し、姿を消したんだ?」
「……それは」
確かに物理的にはありえないことだ。
「意味不明すぎてムカつくぜ。ちくしょう」
シュウはあからさまに嫌な顔をして、耳の上をがりがりと引っ掻く。誌面を眺めて彼を素敵だと騒いでいる女子達に見せてあげたいと思うほど親父臭い行為だ。
そのとき螺旋階段の方角から、転げるようにして駆けてくる人がいた。メイドの草木さんだ。
「こ、小泉さま」
酷く焦った様子で何かを言い出そうとして、こちらへ気まずそうに視線を投げる。私がいたらまずいとでも言いたげだ。
「彼女は大丈夫だ。オレの助手をしてもらってる」
いつの間に手伝いから昇格したのだろう。
「ええ、じゃあ、あの……申し上げます。加賀見さまから、お伝えするようにと仰せつかったのですが」
草木さんは荒い息を整えながら声をひそめる。
「屋敷外部の監視カメラを調べたのですが、不審な影が映り込んでいたということはありませんでした」
つまり、ここには侵入者など存在しないということ。
シュウの眉間に皺が連なる。
「それと、ソフィ様は昨日ご夕食を召し上がっていません」
「姿を見なかったってことか」
「はい。洗ったプレートの数も、一枚少なかったと記憶しています。翠川先生によると、胃の内容物も空だったとかで。あと……私が確認した範囲では、紫の部屋にはほとんど使った様子がありませんでした。トイレにも使用した形跡がないんです」
「わかった。ジジイにそう伝えてくれ」
「承知しました」
ごくり、喉が鳴ってしまう。まるで刑事ドラマのワンシーンだ。厳しい目をして方向転換をした彼は、ぼそりと低い声で独語を漏らしたのだった。
「……犯人は屋敷内の人間に絞られたか」