3. 商談
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天文十四年(1545) 八月 山城国葛野郡 近衛邸
「姫様にはお初にお目にかかります。某、慶永屋主人、小西次郎兵衛尉と申します。」
「面を上げなされ。」
「ははっ。」
小西次郎兵衛尉ー二十代後半、堺の商人では比較的若い方だ。
自身は大店の三男であったため、店を継げずに独立し、今では中規模程度の慶永屋を営んでいる。
本人の才覚で成り上がった、新進気鋭の商人と言えるだろう。
孝子は、小西のような商人が、今までにない新たなものを売り出すには適任だと思った。
日ノ本一の商業都市、堺で成り上がるために、貪欲に商売のタネを求めている。
魑魅魍魎渦巻く堺の商人等を押しのけて成り上がるには、並大抵のことをやっていてはダメだ。
多少の危険を伴っても、孝子の話に乗るだろうと思った。
慶永屋を大きくしてきた手腕からも、ものを見る目はあるのだろう。
そうでなければ、孝子の提案する、この時代にない新たな商品についていけないだろう。
長く協力関係を築いていける商人、小西はその人物足り得るだろうか。
孝子は自身が見定められるのではない、こちらが見定めてやるのだ、そう思って緊張に震えそうな身体を押さえつけた。
「本日は、南蛮より仕入れた絹織物をお持ちいたしました。
ご覧ください、この流れるような光沢。
こちらで織り上げた反物は、さぞや美しく姫様に映えるでしょう。」
「そちらの絹織物にも関係するが、本日は話があるのだ。
なに、小西にも益のある話じゃ。期待してたもれ。」
孝子は、幼い身を侮られないよう、未だ慣れない公家言葉で喋った。
小西は、笑顔を崩しはしないものの、些か拍子抜けしたようであった。
さもありなん。三歳の幼児が、商談を持ちかけようとしているのだ。俄かには信じられないだろう。
「その絹織物や綿織物で身体を覆うほどの大きさの袋のようなものを作り、その中に鳥の羽を入れる。
それを夜着の代わりに使うのじゃ。
今までの硬さとは違う、ふわふわとした触り心地の布に包まれて眠るのじゃ。
さぞよく眠れるじゃろう。」
「前例のない新たな挑戦なれど、姫様のご注文とあらば、作るのは吝かではございません。
しかし、姫様に合わせた最高級品となると、絹織物に水鳥の羽を使用いたします。
些かお値段が張るかと…。」
小西がこのように言う背景には、この時代の公家の困窮具合があった。
いかに名門五摂家の近衛家と言えども、客に見えない部分は屋敷の修繕を後回しにする程、困窮していた。
「何を言うのじゃ、小西。
勿論妾の分も作ってもらうが、これは商談ぞ。利益はきっちり半分ずつ。
寝具の概念を覆す新たな商品じゃ。飛ぶように売れるじゃろう。
その販売を独占させてやろうと言っているのじゃ。嬉しかろう。」
「しかし、姫様。確かに目新しい品ですが、売れるかどうかは全く検討もつきませぬ。
それで利益の半分を渡せとは、些か無理が過ぎるかと…。」
「この商品、布団と名付けたが、まず目新しいもの好きの商人や豪商に売れるだろう。
最初に完成した最高級品の布団は、畏れ多くも帝に献上する。きっと気に入ってくださるはずじゃ。
帝御愛用の品じゃぞ。裕福なものは、皆使いたくてたまらなくなる。最初は少数を高く売るのじゃ。
その後、話題が続くうちに、綿や安価な鳥の羽で作った廉価版の布団を広く販売するのじゃ。
二つの方法で利益を独占する。どうじゃ、明るい未来がすぐそこに見えるわ。」
小西は度肝を抜かれたようであった。
いかに抜け目ない商人と言えども、三歳の女児がここまで理路整然と儲け話を持ちかけてくるとは、想像だにしなかったのだろう。
「恐れ入りましてございまする。誠に姫様は三歳であらせられますか。まるで海千山千の商人のような…。
いやはや、失礼致しました。近衛家の姫様に何と言う事を…。」
この時代、商人の地位は低かった。畏れ多くも摂家の姫に言うことではなかったと、小西は戦々恐々とした。
「いや、良い。そこまで小西に評価してもらえるとはの。嬉しい限りじゃ。
それでどうかの、この話、受けてもらえるかの。」
「はっ、姫様の懐の深さ、先見の明に、この小西、感服致しました。
必ずや、成功してみせまする。今後ともよしなにお願いいたしまする。」
ひとまず、この商談は勝った。孝子は、この成果に満足した。
布団であれば、他の未来知識よりも、簡易に成功できそうだ。
孝子は前世はOLだったため、農業の経験がなかった。そのため、農業改革には不安があったのだ。
まずは布団で金を稼ぐ。近衛家の貧しさを改善しなければならない。
その金で農業改革をし、食糧事情を改善する。
まずは日々の生活を豊かにしよう。夢が広がるばかりだ。
何より孝子は生活事情を前世の水準に近づけたかった。
美味しいご飯に、ふかふかの布団。
布団に包まれて、ゴロゴロしたい。
孝子は、決意を新たにした。