櫻之風
未だ桜が散りきらぬ季節、あの子が消えるのを見たのは私だけだった。
ほんの少し、気まぐれに涼もうと散歩をしていた夜。桜の木の下に彼女がいるのがベランダの柵越しに見えた。
見慣れない服装、見慣れない顔つき。
決心のついた様な顔でいて、不安そう。
「何してるの、そんな所で」
そう聞こうと、私は寮の階段をおりる。まだ四月、寝間着にあたる夜風は少し冷たい。
はたして————彼女の姿は、もう見当たらなかった。
第一章「櫻之風」
学年一の魔術師と噂されている草凪由紀が失踪したと知ったのは、僕がこの世界に転生してから十七年がたったある日のことだった。
「その話、本当なんですか?」
そう僕が詰め寄ると、司書である純也先生は困ったようにうなった。
「んーまだ確証はないけど、実際今日、学園には来てないし、寮室にはいない。船は来週まで来ないし、おまけに昨晩その現場をみた生徒がいる。こりゃ確定だろうって話だ。・・・・・・早く見つかるといいんだけどな」
なにしろ前例が前例だ———と肺に吸い込んだ煙を吐いた。
「たしか十人目でしたよね、これで」
「正しくは十一人目だな。前までは一か月に一人のペースだったのが、今学期に入ってから一週間に一人のペースだ。おかげで今日も職員会議だよ。お前も一緒にどうだ?」
「嫌ですよ、だいたい純也先生は『ちょっとトイレに・・・』とか言って、途中で抜けるタイプじゃないですか」
「・・・・・・よくわかったな」
いたずらがばれた子供みたいな顔をする。笑った顔は妹の響にそっくりだ。
失踪事件。
僕の通う濡烏学園で起きている事件。その話題は年明けから騒がれ続けていた。
学年、性別に関係なく唐突に消滅するその事件が最初に起きたのが一月の中旬。それから現在まで続いている失踪事件に学園もどう対処したらいいのかと、悩んでいるらしい。
この事件の最大の特徴は「消滅」するのが人物だけではないこと。
その人がいたという「痕跡」すら消えてしまうのだ。
消失した人物の所有していた物品が無くなるまで三日、関係者の記憶から消えるまで一週間もかからない。
もっとも幸運なのは、名前だけは消えないことだろう。だが何故名前だけは消えないのか、まだ明らかになっていない。
「と———いうわけで今日はもう閉館だ。何か用があるなら、また明日きてくれ。あとこれ」
「なんですか?これ」
「近所の古本屋で見つけたんだ。いい装丁だろ?こういうの好きだろ、お前。まあ、中身は読んでからのお楽しみってことで」
そう言って蝶の絵が施された本を押し付けると、純也先生は図書館から僕を追い出したのだった。