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長い道

作者: quiet



「おまえだーーーっ!!」

「うおわっ!!」

 突然、とんでもなくでかい声を背中にぶつけられてのけぞった。

「な、なんだあ?」

 テレワークの最中のことだった。

 木曜、午前十一時。パートナーの諒子は、どうしても外せない用事で出勤している。

 つまり、家の中には、俺と息子の晴翔のふたりしかいない。

 だから、犯人を当てるのは簡単だった。

「えへへ」

「……きみねえ」

「びっくりした?」

 そりゃびっくりしたさ、とパソコンの作業画面を暗くしてから、椅子を立つ。部屋の中にいつの間にか入ってきていた晴翔は、いたずら大成功、と言わんばかりにピースサインをしていた。

「なんだなんだ。そんなに暇か。もうすぐお昼だから、ちょっと待っててくれ」

「どのくらい?」

「一時間」

「えー」

「悪いなあ。お父さん、働いてないとお金もらえなくなっちゃうんだ」

「貯金でくらせばいいのに」

「いい言葉覚えたな。お父さんもそうしたいよ」

 小学校はずっと休みが続いている。

 いつ始まるかもわからない。勉強をしなくていいということにはちょっとした喜びを見せた息子だったが、外に出てはいけなくて、しかも友達にも会えないとなっては、遊びたい盛り、エネルギーを有り余らせることは当然と言えた。

 毎晩毎晩、たたかいごっこをねだられるのは正直体力的に厳しいものもあるが……。俺だって家から出ない分、いい運動といえばいい運動なのかもしれない。

「ほら、ヒーローのDVD渡しただろ。あれ、全部見ちゃったのか?」

「見るの、つかれた」

「まあ、そりゃそうだよなあ……」

 いくら子どもの集中力がすさまじいとはいえ、一日中そればっかり見ていれば、疲れもする。

 そのうえこの年で眼精疲労なんかになっても心配だし、むしろ途中で切り上げてくれたのは安心することでもある。

「それに、テレビばっかり見てるとじょーそー教育に悪いんだよ」

「嫌な言葉を覚えてきたな、きみ……」

「おばあちゃんが言ってた」

 しかし一理あることではある。貴重な少年時代、ひたすら特撮だけを見せていていいものだろうか。

 いや、もちろん特撮がいいものだということは理解している。俺だって子どものころは齧りついて見ていたし、今だって毎週日曜朝、晴翔と一緒になって見ている。それに、そういうのを生業にしている製作サイドの人たちには、尊敬の念すら抱いているつもりだ。

 しかしまあ、本人までそれに疲れているのに、そればっかり見ていろというのも健全ではないだろう。

「なんかやりたいことあるか?」

「外に出たい」

「それ以外で」

「えー」

 今、感染症の大流行で世界中がパニックに陥っている。

 不要不急の外出自粛、というのはこの二週間で千回は聞いた言葉だ。

 もっと昔の若いころだったら、そんなことを言われてもちょっとくらいは出かけていただろう。あのころ、命は自分だけのものだった。

 しかし家庭を持って、子どもにまで感染リスクがあるとなると、そうもいかない。自分の命は自分だけのものではなくなったし、その上、もうひとり分の命を預かっているのだ。俺の場合、諒子とふたりで支えるようにして。

 ……俺も諒子も、ときどきは出社する羽目にはなっているが。どうしても、生活だけは止められない。短期と長期の生活目標が食い違って、ダメージの比較をしなくてはならない場面もある。

「ダメ?」

 甘えられても、心を鬼にして首を横に振るしかない。ときには嫌われる覚悟というのも必要である。家から一歩も出ない生活……、昔の自分だったら耐えきれただろうか、なんてことを考えて、同情するのもよくない。

「でもお散歩くらいはいいって言ってたよ」

「誰が」

「テレビ」

 え、と驚くと、

「テレビずっと見てたら、ニュースで言ってたよ。散歩くらいはしてもいいって」

 ニュースなんて見るような年になったか、という感動はまずあったけれど。

 スマホで確認してみる。『散歩 自粛』を検索ワードに。

 すると、確かに晴翔の言うとおりだった。ウイルスは、密閉・密集・密接の三要素を避ければ感染リスクが低いらしい。むしろ、大人数でぞろぞろとやらない限りは、散歩は健康維持のために有効だそうだ。

 正直に言うと、情けない話だが、最近は何が何やらわからない。

 情報が錯綜しているし、専門家の言うことだって食い違っているように見える場面もある。ついこの間ニュースで見た情報が、後からあれは間違いだったと訂正されていることもあるし……。

 これだって信じていいものか。

 腕組みして悩み出す前に、することがあった。

「本当だな。すまん、お父さんが間違ってたよ。晴翔みたいにちゃんと調べもしないで、ダメなんて言っちゃいけなかったな」

 子どもの頼みを、裏取りもせずに頭からはねつけたことだ。

 間違ったことをした方が謝る。たとえ世間ではそうなっていなかったとしても、家族の間でくらいそうしたい。子どもが生まれるとき、諒子と話し合って決めたルールのひとつでもあった。

 いいよ、と言って晴翔は許してくれる。謝られたら許す。これもルールのひとつ。……ただし、よっぽど許せないことじゃない限りは。

「でもお父さん、それでも心配なんだよなあ」

「えー」

 本音では、そうかそうか、と連れていってやりたい。行政や専門家の言うことなんだから本当なんだろう、と頭から信じ込んで。

 でも、そんな調子で生きていける世の中じゃないな、ということも、わかっている。

「心配性でなあ……。お母さんにも相談してみるよ」

「お母さんがいいって言ったら、散歩に行ってもいい?」

「どちらかと言うと、お父さんがお母さんに説得されたらかな」

「がんこオヤジ」

「こらっ」

 身を屈めて叱ってやると、晴翔は笑って、ぴゅーっと部屋を出ていった。



「寒い~~~」

「もう四月なのになあ」

 結局、散歩に出ることにした。

 いつまでこの状態も続くかわからない。ときにはこういう風にして外に出なければ、いずれ立ちいかなくなってしまうだろう、というのが諒子と話し合って出た結論だった。

 案外と、人は出歩いていた。

 若者だけではなく、感染リスクが高いと言われる高齢者も多く見かける。俺たちみたいな親子連れも多く、ベビーカーを押す姿を見かけたときは、おいおい、と思ったが、しかしニュースで「問題ない」と太鼓判を押されているのだ。むしろ、俺みたいに細かく気にしている方が少数派なのかもしれない。

「あんまり走るなよ」

「はーい」

 晴翔が楽しそうに、坂道を駆け下りる。

 昔はああいう動きをしたら絶対に転んでいたものだけど、気付くとこんなに大きくなっていた。足取りはしっかりして、少しずつ背が伸びて、頭ばかりが重くはなくなってきている。

 久しぶりに出た外の空気は、冷たかった。

 もう春が来ているはずなのに、最近妙に手足が冷えると思っていたが、気のせいでもないらしい。三月の終わりには桜に雪が降っていたくらいだから、ひょっとすると、まだ冬と春の入り混じる季節が続いているのかもしれない。

 橋の上で、晴翔は待っていた。

「お父さん、あれ見て」

「ん?」

「花」

 晴翔が指さす、浅い春の川を見て、ああ、と

「花筏だな」

「はないかだ?」

「散った花がさ、ああやって川を渡る筏みたいに見えるだろう」

「イカダって何?」

「え、」

 ときどき、子どもと話しているとこういうことがある。

「筏って、テレビで見たことないか? ほら、木をくくって、ボートみたいにするやつだよ」

「ボートとはちがうの?」

「木でできてるのが筏かな」

「じゃあ、ボートが木でできてたら、イカダ?」

「う、うーん……」

 自分が子どものころも、こんな質問をして親を困らせていたんだろうか。

 子どもは、言葉を多くは知らない。そして、上手くイメージで物を捉えることもできていなかったりする。もっとも後者については、大人とはちがったやり方をしているだけなのかもしれないけれど……。

「帰ったら調べてみるよ」

 降参、と手を挙げると、晴翔はにっ、と笑って、

「ううん。ぼくが調べて、お父さんに教えてあげる」

「おっ、頼もしいな」

「ひまだもん」

 その言葉で、ふっと思い出した。

「晴翔、さっきお父さんの部屋に入ってきたときに言ってた『おまえだー』って、なんのことだ?」

「こわい呪文」

「呪文?」

「前にタカキくんから教えてもらったんだ。『おまえだー』っていうのが、いちばん怖いんだって」

 何の話だろう、とちょっと考えて、思い至る。

 昔に聞いた怖い話だ。何か主人公が悪いことをする。そのあと、主人公に『自分は酷い目にあった』ということを言う人間が現れる。主人公が同情して話を聞く。『誰にやられたんですか』と聞くと、その人は豹変して『おまえだー!』と叫ぶ。

 そんな怪談話が、昔に流行ったことがある。

「どう、お父さん、怖かった?」

「はは」

「?」

「晴翔。その話、全部聞いてこなかったろ」

「ぜんぶ?」

「そのセリフ、本当はずっと長い話の先にあるんだよ。最終回みたいなもんだ」

「そうなの?」

「そうなの。……夜になったら話してやろうか。怖くて眠れなくなるぞ~」

 やだ、と笑って晴翔が走り出す。

 橋の向こうには、まだ桜が咲いている。まだ冬の雰囲気を残す白い空気の中で、晴翔が駆け出す姿に、いくらかの花びらが降り散った。

 日の光の眩しさに目を細めながら、俺は思った。

 だれでもいいから。

 だれでもいいから、この子の日々を。

 この子の最終回までの日々を、長い長い、途方もないくらいに幸せなものにしてくれないか。

 そのだれかが、だれなのかなんて、わかっていたとしても。

 小路には花の匂いが立ち込めている。

 待て、と言って俺は、冷たい光の向こうの、晴翔の小さな背中を追いかけた。



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