6.思春期でも節度は守りましょう
「さ、さむい……ねむい……」
「寝るな、弦巻! マジで死んじまうぞ!」
意識が朦朧とする中、なにやら葵介君が懸命に叫んでいる。
ああ、神様。僕の人生ってここまでなんですね――
すでに雪は腰まで積もっており、絶対絶命のピンチ。這い上がろうと何度か挑戦したのだが、高過ぎてすぐ落ちてしまい、ただ手を傷付けるだけであった。
体の震えが止まらず、雪山で遭難するとこんな感じなんだなと、僕が死を覚悟した時ーー
「ちょっと二人とも! 大丈夫!?」
聞き覚えのある声が上空から聞こえた。
見上げれば、制服姿の緋緒里さんがこちらを心配そうに見下ろしている。そしてもう一人、クラスメイトの矢吹もいた。
「今ロープ下ろすから、それで登って来い!」
た、助かった――
僕と葵介君は、なんとかロープを掴んで落とし穴から脱出することができた。
「なんで姉貴がいるんだ」
「こんなこともあろうかと、心配で様子を見に来たのよ!」
緋緒里さんはドンッと胸を叩いて得意気に言った。
「しっかし、蓮見! お前こんな美人のお姉さまがいるならもっと早く教えてくれよー!」
矢吹はデレデレしながら、緋緒里さんをジロジロと眺める。
どうやら心配で学校に来た緋緒里さんは、白梅ちゃんと鉢合わせ、僕達が落とし穴に落ちたことを知ったらしい。そこにたまたまいた矢吹に手伝いをお願いし、今に至るという訳だ。
「というかうちの制服ってことは、お姉さまは先輩だったんですか? こんな美人いたら知らない訳ないのになー」
「やーね、矢吹くんったら! 上手いんだから!」
「えっへへー」
なんか、矢吹がムカつく。
葵介君は面倒そうに、
「いや、どう見ても年増にしか――」
「あら、葵介? そう言えばアタシ、お腹も空いてるのよねー?」
「いだだだだ!?」
緋緒里さんの足が葵介君の爪先をグリグリ踏み潰す。
「まったく、葵介ったら情けないんだから! 白梅にしてやられるなんて。しかも晴人くんまで巻き込んで!」
「し、しょーがねーだろ! まさか白梅までいるとは思わねーし!」
二人が言い合っていると、矢吹がこっそりと僕に耳打ちしてくる。
「ちなみに、言われるがままお前ら助けたけど、おれまったく状況掴めてねーんだよな。お前らなんで落とし穴なんか落ちてたんだ?」
「あー、あはは」
つまりは兄弟喧嘩に巻き込まれた。それだけの話なのだが、まさかこの雪も葵介君のお兄さんのせいなどとは言うこともできず。
テキトーに話を流そうとしたところで、なにやら大勢の雪を踏む足音が聞こえてきた。どうやらこちらに近付いているようだ。
緋緒里さんと葵介君も言い合いを止めて、足音のする方角へ視線を向ける。
現れたのは数十人の男子生徒。
「お、お前らどうしたんだ?」
その異様な雰囲気に気圧され、矢吹が彼らに問うと、男子生徒の一人が「わ! 本当にいた!」と緋緒里さんを驚きながら指差した。
「……なによ?」
ざわめく彼らに、緋緒里さんは不審がる。
「よし、全員彼女を捕まえろー!」
「よっしゃ、秘蔵写真ゲットだぜ!」
「さ、触っていいんだよな!?」
なんてことだ。男子全員、色めき立っている!
「ひ、緋緒里さん! 逃げて――」
「――なるほど、白梅ね」
慌てる僕に、しかし緋緒里さんは余裕の表情で「矢吹くん、ちょっといいかしら」と妖艶な笑みで、矢吹へと歩み寄る。
「は、はい!?」
矢吹は彼女の色香に惑わされ、直立不動になる。
「ふふ、あなたも美味しそう」
ま、まさか――
「おい! 姉貴!」
葵介君も気付いたのか、慌てて彼女を止めようとするのだが、
がぷりっ。
時すでに遅く、見事に矢吹の首筋にかぶりついたのだった。
全員が呆然とする中、ぢゅー、という血を吸う音だけが辺りに響き渡る。
矢吹は苦しそうに呻きながらみるみる真っ青な顔色になり――
ついにはどさり、と雪の上に倒れ伏す。
「――ああ、美味しかった」
緋緒里さんは口許を真っ赤にさせて、ギラギラした瞳を男子生徒達へ向ける。
その艶かしい様子に僕は思わず見惚れてしまうが、男子生徒達は恐怖に染まった顔で、
「バ、バケモノー!?」
と叫び、彼らは背中を向けて散り散りに逃げ出した。
緋緒里さんはペロリと唇を舐めとり、
「失礼ね。半分だけよ」
そう言って、にこりと微笑んだ。
それにしても、今の男子生徒達は一体なにをあんなに色めき立っていたのか。
「秘蔵写真がどうとか言ってたけど」
ちらりと葵介君を見やると「白梅のやりそうなことだな」と呟き、彼も察しがついているようだった。
「姉貴を捕まえりゃ、下らん写真集を褒美でやるとでも言って釣ったんだろ」
「下らないとは失礼ね。思春期真っ只中の彼らなら、仕方のないことよ」
なるほど、確かに緋緒里さんの写真集ならば、僕も釣られてしまう可能性は非常に高い。
とはいえ、この大雪の中をわざわざみんなで捕まえに来ようとするなんて随分と欲望に忠実な生徒達である。
「いやー、だけど穏便に済んでよかったよ。緋緒里さんにもしものことがあったら大変だもの」
「うふふ、ありがとう晴人くん」
僕と緋緒里さんが和やかに談笑してると、葵介君がなにかに気付いたかのように倒れた矢吹に視線を移す。
「って、そーだった! 全然穏便に済んでねーだろ! おい矢吹、生きてるか!?」
葵介君が気を失った矢吹の肩を取って揺さぶる最中、緋緒里さんはスカートのポッケからなにかを取り出した。
「とにもかくにも、白梅にはお仕置きが必要ね」
取り出したものは、一枚の油揚げ。
――え、油揚げ?
「おい、その前に矢吹を保健室に連れてくぞ!」
「必要な犠牲だったよ。矢吹、アーメン」
「お前はそれでも友達か!?」
「えっ、友達のいない葵介君に諭されるなんて……!」
「葵介、あんた友達に夢抱き過ぎなのよ」
「お前らなあ……!」
そんなこんなで仕方ないので僕達は、失神した矢吹を保健室へと連れて行くのだった。