5.きょうだい喧嘩に他人を巻き込んではいけません
隼翠さんのごくごく小さな規模の世界征服宣言から翌日。
僕は葵介君をお昼に誘って食堂に行った。
今日は緋緒里さんは学校に来なかったのだが、彼は相変わらずの大食漢で、カツ丼天丼親子丼のトリプル大盛りどんぶりだ。僕はと言えば、カレー普通盛り一杯である。
「兄貴は昔から卑屈で根暗な奴なんだよ。特にこの時期はな」
「……もしかして、夏だから?」
隼翠さんは確か雪男だったはずである。夏には弱いのではなかろうか。
葵介君はカツ丼をたいらげながら大きく頷いた。
「そうだ。それで頭がいつも以上にイカれるんだ。何故だかわからんが、俺と姉貴に喧嘩吹っ掛けてくるんだよな」
「仲悪いの?」
「俺はそんなつもりねえよ。兄貴にズケズケ言う姉貴は嫌われてるだろうけどな」
だからと言ってどうして世界征服に繋がるのか。まあ実際はこの学校が標的なのだが。
「本当に来るのかなあ」
カレーを頬張り僕が問うと、天丼をたいらげながら葵介君が唸った。
「さあな。普段は家に引きこもってるからな。兄貴が外に出ることはほぼねえ。今までだって家の中で喧嘩してただけだしよ」
そう言ってから、最後の親子丼に取り掛かる。
「ただのハッタリじゃねえかと思うけどな」
「ふ~ん」
それならそれでいいのだろうが、僕としては実は雪男を見たかったという野次馬心もあったので、少しなりとも期待してしまう。
カレーをもう一口頬張ったところ、テラス側の席の生徒達がなにやらざわついているのに気付く。
なんだろうかと視線を向ければ、女子生徒が「雪が降ってるよ!」と楽しそうに騒いでいた。その周りの友人だろう生徒達も「本当だ!」「嘘でしょ!?」と驚きを隠せないようだった。
そりゃそうである。今は七月、普通なら雪など降るはずがないのだ。
「まさか……」
親子丼をたいらげた葵介君の顔は少し引きつっている。
外を眺めれば、確かに雪らしき白いものがチラチラと空から降ってきているようだった。
「雪――もしかして、隼翠さんが関係あるのかな?」
思わずワクワクしながら問い掛けると、葵介君はすごく恨めしそうな顔をする。
「……なんでそんな楽しそうなんだよ?」
「あ、つい」
ポロっと本音をこぼせば、大きなため息をつかれた。
「まあ実際、兄貴なら雪降らすなんて朝飯前のことだからな。多分そうだろ」
さすが雪女の子供である。
感心しているとなにやら建物の至るところからドカドカと大きな音が響いてくる。
「ね、ねえ! なんか雪の量やばくない!?」
「外が真っ白でなんも見えねえ!」
「すごい音だし! 潰れないよね、この学校!?」
「やだー! 怖いこと言わないで!」
ざわめく生徒達を眺め、無言で葵介君に視線を移せば「楽しいんだろ」とジト目で嫌味を放たれる。
「生き埋めなんて嫌に決まってるじゃない。よくわかんないけど、お兄さんに謝ろう!」
「いや切り替え早えなお前」
現実的な話をしているのだ。
しかし葵介君はフンッと鼻を鳴らして不敵に笑う。
「悪ぃが、俺はこの喧嘩買わせてもらうぜ。いい加減あの兄貴を更正してやりてえんだよ」
なにも今回でなくとも。
「勝算はあるの?」
自然の力に対抗するには、葵介君の〈成人男性の平均の三倍の更に三倍の強い力〉だけでは心許ないのではなかろうか。
「真正面から対決すりゃ、余裕で俺の勝ちだ」
それはそうなのだろう。しかし聞きたいのは、この雪に対抗できるのかということだったのだが。
「ちなみにこれまではどんな感じでお兄さんに喧嘩吹っ掛けられてたの?」
「ただの言い合いの喧嘩だな。毎回姉貴が当然のように言い負かしてた」
さすが緋緒里さんである。
つまりは彼女よりも勝てそうな葵介君に、狙いを定めたということだろうか。
「なにはともあれ、隼翠さんを引き摺り出さないことには葵介君に勝ち目はないよね」
「うっ……はっきり言いやがったな、お前」
現実主義なだけである。
葵介君もどうしたものかと悩み始めた時、男子生徒が一人、食堂に駆け込んできた。
「な、なんか外に真っ白い人間がいた!!」
どんな人間だ。
「兄貴だ!」
「ええっ?」
しかし葵介君はすぐに反応し、その男子生徒を押し退けて、一人で食堂を出て行ってしまった。
思わず呆然と見送ってしまったが、とりあえず第一発見者の男子生徒に詳細を聞こうと立ち上がる。だが彼もすでにどこかへ消えてしまったようで見当たらない。
みんながざわざわする中、僕も向かおうか悩んでいると、何故だかすぐに葵介君は戻ってきた。
「葵介君! どうし――」
「おい、お前もちょっと来てくれ!」
「へ!?」
質問もできず腕を引っ張られ、食堂を出る。彼は無言のまま迷いなくズンズンと下駄箱のほうへと向かって行く。
「ほ、本当にお兄さんなのかな?」
腕を引っ張られたまま問うが、葵介君は変な笑みを浮かべながらなにも答えない。
なんか様子がおかしいような――
下駄箱へ着けば、靴を履き替えさせてももらえず、上履きのまま大雪の中へと飛び出した。
「ひゃー、寒い!」
とても七月とは思えない。校庭はすでに雪が沢山積もっており、校内に避難したのか、一人の生徒もいなかった。
辺りをキョロキョロと見回すが、真っ白い人間は見当たらない。いや、いたとしてもこの吹雪の中見つけることは難しいのでは――
「こっちだ!」
葵介君は僕の腕を引っ張ったまま、ズンズンと進んで行く。
すでに雪は膝下まで積もっている。しかも上履きだ。これはキツい。
しかしお構い無しな葵介君は止まることなく、ついには校舎裏へと連れて来られた。
ぜぇぜぇと息を切らした僕の腕を離すと、今度は背中をドンッと押された。
「な!?」
足下の雪が崩れ、僕の体はあっという間に穴の中へと落ちてゆく。
落とし穴――
「い、いだあ!」
ドスンッと硬い土の地面に思い切り尻をついた。
お尻をさすりながら見上げれば、そこにいたのは葵介君ではなかった。
大きな瞳に、狐色の短い髪。
まさか隼翠さんかとも思ったのだが、明らかに年齢が違う。十歳ちょっとくらいの少年だろうか。しかも真っ白い人間にも見えない。寧ろ小麦肌である。
「やーい、引っ掛かったー! じゃっあねー!」
「ちょ、ちょっと待って!」
僕の制止の言葉も虚しく、彼の姿が消えてしまう。
五メートルはあるだろうか。自力で登るには少し厳しい。
薄暗い中、雪がドカドカと積もり始める。このままでは凍え死んでしまう。
身震いした瞬間、穴の外から誰かが歩いて来る音が聞こえた。
「おい、弦巻。どこに兄貴が――」
葵介君だ。僕が助けを呼ぼうとしたその時。
「どわあ!?」
まさかの葵介君の転落。背中から落ちて来た彼を僕の腹の上で受け止め、ぶっ倒れた。
「ぐえ!」
吐きそうになるのを懸命に堪えて、葵介君を横にどかす。そしてなんとか上半身だけ起き上がった。
「いって~!」
葵介君もなんとか起き上がり、背中を痛そうに擦る。
僕に気付くと、「弦巻!?」と僕の名を呼んで驚きの表情を浮かべた。そしてすぐに上を向いたので、僕もつられて上を向くと、なんとニコニコ笑顔の僕が顔を覗かせていた。
「え!? 僕!?」
まさかのドッペルゲンガーかと恐れおののくのだが。
「お前、白梅だな!? 弦巻に化けやがって!」
「ば、化ける……?」
葵介君の言葉を繰り返すと、上にいる僕がケラケラと笑い出す。そしてボワンッと白い煙が上がり、彼の姿が見えなくなる。煙が消える頃には僕の姿はなく、先程の狐色の髪を持つ少年だった。
「も、もしかして、さっきの葵介君も……?」
「せーいかーい! 白梅だよん!」
可愛らしくウインクする彼とその声から、女の子にも思えてきた。
「あの子って女の子?」
「はあ? ……まあ一応、な」
また着眼点がおかしいと言わんばかりに呆れる葵介君。
もちろん化けたことには驚いているのだが、気になったのだから仕方ない。
「言っておくけど、僕はロリコンでも変態でもない健全な男子高校生だよ」
「いや誰もそこまで言ってねえよ」
冷静な返しは置いといて、やはり女の子であったかと満足した。
「えーっと、あの子は――」
「妹の白梅。妖狐だ。もちろん半分だけ、な」
お次は妖狐と来たもんだ。
「じゃあまたね! きーくんとそのお友達!」
きーくんとは葵介君のことか。僕もあんな可愛い子から愛称で呼ばれてみたいものである。
「ま、待て、白梅!」
葵介君の叫びも虚しく、白梅ちゃんは鼻歌を歌いながら去ってしまった。
「クソッ、白梅の奴、兄貴についてるってことか!」
「まさか妹までいるとは思わなかったよ、うらやましいなあ」
「他人だからそう言えるんだ! つか、んなこと言ってる場合か! 早くこの穴から出ねえと!」
「……出られなかったら?」
「凍え死ぬ」
「誰か助けてー!!」
葵介君の冷たい言葉に、僕は助けを呼ぶ為、精一杯叫びまくったのだった。