4.バケモノキラーを見習ってはいけません
「言いたくないが、あれは俺達の親父だ」
ため息をつきながら言い放つ葵介君に、それは失礼なことを思ったなあと反省する。
整った口ひげに、ワイン色の高級そうなスーツを着こなす彼は、かなりダンディな人物と言えよう。出てきた言葉はアレだが、身なりだけを見ればご婦人から絶大な人気を得そうなおじ様である。
「おおおー! 葵介! 相変わらず可愛い耳と尻尾だなあ!」
キラキラの笑顔で葵介君に駆け寄ったかと思えば、ぐいっと顔を近付けスリスリと頬擦りし始める。
「ぎゃー!! やめろおおお!!」
「ぐはあ!?」
全力で拒否する葵介君のグーパンチが親父さんの顎に直撃する。
そして床へとノックダウンしてしまった。
「……ふっ、葵介、いいパンチだ……」
倒れながらもうれしそうに呟く彼に、父親の鏡だなあと感心する。そんな彼のもとへ乙美さんがせっせと介抱しに行く。
「ちなみに、葵介の腕力は成人男性の平均の三倍よ。しかも変化してる今は更にその三倍!」
緋緒里さんは、まるでお得なセールでもしてるかのような台詞を述べる。
しかしそれが本当なら、それに耐えられる親父さんは最強かもしれない。
「葵介君、運動部入ればよかったのに」
「そんなことしたら、俺は世界中で有名になって絶対に狼男(半分)だってのがバレる! 体育の時間とかいつも力を抑えるのに苦労してんだからな!」
僕の提案はまさかの世界規模となって真剣な表情で否定されてしまった。
「そういえば、親父さんはなにかのバケモノなの?」
二人が人間とのハーフだということは、親父さんか母親のどちらかが完全なバケモノということだろう。
「パパは普通の人間よ。アタシ達は異母きょうだいなの」
なんてことないように言ってくれる緋緒里さんだが、親父さんは二人のバケモノを見事に落とし、子供まで作ったということだ。
マダムキラーならぬ、バケモノキラーではないか。恐ろしい人間である。
僕の心情を読み取ったのか、彼女は「バケモノに好かれる体質なのよ」と補足した。
「その体質のおかげなのか、パパはバケモノの類いが大好きでね。職業もバケモノ研究家なのよ」
「バ、バケモノ研究家ですか……」
呆然と答えれば、緋緒里さんは肩を竦める。
「まあ、本当にバケモノが存在するなんてバレれば、私達もただでは済まないでしょうからね、もちろん秘密よ」
そう言ってソファーに座る僕の肩に手を置いて、耳元に顔を寄せてくる。
甘い香りがふわりと漂い、ドキリと心臓が跳ねる。
「晴人くんも、この秘密――守ってくれるわよね?」
甘い声音に、僕は思わず興奮してしまい首を縦にブンブンと振る。
「ふふっ、ありがとー、晴人くん!」
ぎゅっと柔らかい胸の中へと抱き締められれば、僕の理性もそろそろ限界を迎えてしまう。その前によくよく感触を確かめながらも、そっと彼女の腕を押し返す。
「いいか、弦巻! もう一度言うがマジでバラすなよ!! バラしたらまた姉貴の吸血の刑だからな!!」
悪くない刑だ。そう思ってしまいつつも、バラせば本当に大変なことになりかねない。それは僕としても本意ではないので約束はもちろん守るつもりだ。
「大丈夫、約束は守るよ」
そう答えると、ノックダウンされた親父さんが「くふふ……」と不気味な笑い声を漏らした。
「……いい友を持ったな、葵介」
ゆっくりと立ち上がり、彼は赤く腫れた顎をさすりながら一筋の涙を流す。
乙美さんももらい泣きしているのだが、葵介君は無言で冷たい視線を二人に向けている。
すると突然、乙美さんは涙をピタリと止めて、「あ、旦那さま。隼翠さまのことをお忘れではありませんか」と真顔で告げた。
その途端、穏やかだった親父さんの表情がみるみる内に青ざめてゆき――
「そ、そうだったあー!!」
突如、叫び出した。
「うるせーんだよ、親父! 一体なんだ!?」
「マイスイートチルドレン! それと葵介の心の友と書いて心友君も聞いてくれ!」
僕のことだろうか。
「頼むから名前で呼んでやってくれ」
いたたまれなさそうな葵介君の言葉も届かないのか、親父さんは構わず説明し始める。
「私のマイスイートチルドレンの一人、隼翠が、隼翠が、隼翠があー!!」
「あ、隼翠っていうのは、アタシ達の兄さんよ」
正気を失って泣き叫ぶ親父さんに代わり、にこりと笑顔で説明してくれる緋緒里さん。
「え! まさかそのお兄さんも――」
「こちらをご覧下さい。隼翠さまの書き置きでございます」
僕が質問しようとしたところに、乙美さんがスッとメモ用紙を差し出してきた。
緋緒里さんと葵介君と三人でそのメモ用紙を覗き見れば、
――この世に絶望した。ちょっと世界征服してくる。
そんな内容だった。
「アホ兄貴だな」
「わかってたことよ」
呆れる葵介君と緋緒里さん。
「絶望したって、お兄さんはメンタルの弱い人なの?」
「相変わらずお前の食いつくとこおかしいよな」
僕に対しても呆れた視線を向ける葵介君。
いや、確かに世界征服も問題だと思うけど。
すると親父さんが泣き崩れる。
「隼翠は、ナイーブでデリケートな子なんだあー!」
「パパ、もう兄さんも三十のいいおっさんなんだから」
「子供はいつまで経っても子供なんだよおー!」
緋緒里さんの冷静な突っ込みも親父さんには届かない。
「それに――隼翠を侮ってはいけない!」
途端に、真面目な表情に変わる親父さん。
「はっ、本当に世界征服するとでも?」
吐き捨てるような葵介君に、しかし親父さんは真面目な表情のままで言った。
「雪男の恐ろしさ、お前も知らない訳ではないだろう!」
「あ、もちろん半分ね」
補足してくれる緋緒里さんに感謝しつつ、今度は雪男かと感心する。母親は雪女と言ったところか。
「あ、まだもう一枚書き置きがございました」
乙美さんはその紙をみんなに見せびらかすようにヒラヒラと振る。
一体なにが書いてあるのか、全員で興味半分に覗き見ると、
――まずは葵介の高校から征服しようと思う。
そんな内容だった。
「なんでだよ!? つか規模小っせえ!?」
葵介君の突っ込みに、その場の全員が同意するのだった。