2.家に行ったからってイイ訳ではありません
「その通り。あの女は二十三にもなって制服を着るただの痛い女だ」
疲れが混じった葵介君の言葉に、やはり僕の勘は間違っていなかったんだと確信する。
結局。血をせがんできた彼女は、葵介君の激しい右手チョップを頭に受けて阻止された。その後、二人がグダグダ言い争っている中、僕は一心不乱にその場を逃げ出したのである。放心状態のまま授業を受け、いつの間にかやってきた昼休みに、葵介君が僕のクラスを訪ねて来たのだった。
どうせならと一緒にお昼を食べることにし、食堂へと足を運んだのだが、噂通りの大食らいにぶったまげてしまう。唐揚げ定食大盛にハンバーグ定食大盛に魚定食大盛である。僕はと言えばラーメン普通盛り一杯だ。
そして僕は真っ先に『緋緒里さんは年齢詐称してるよね?』と問い質してしまった。『最初にそこ突っ込むのかよ!』と呆れられたが、気になったのものは気になったのだから仕方ない。
そして冒頭の返答になったのである。
向かいの席で改めて彼を見るが、これまた噂通り顔がかなり青白い。それにガーゼが貼り付けられている首筋が痛々しい。
大食らいなのも顔がいつも青白いのも、原因は緋緒里さんが関係してるのだということはわかるけれども、そこを問い質す勇気は僕にはなかった。
「おーい、晴人!」
そこに僕のクラスメイトの調子乗りな矢吹が話し掛けてきた。
「って、蓮見もいるじゃん! ほおー、噂通り運動部でもねーのに、すげえ食うな。つか、珍しい組み合わせじゃね?」
「あれ、葵介君って何部なの?」
「入ってねーよ」
「なーんだ、僕と同じかあ」
「っておーい。おれのこと無視して会話しないでくんない?」
寂しそうに佇む矢吹になんの用だと聞いてやると「忘れちった!」と舌を出されてぶん殴りたい衝動に駆られたが、
「あれー、晴人があの蓮見と飯食ってるー!」
「うお、マジだ!」
「あの一匹狼が!?」
よくつるんでいるクラスメイトが三人、わらわらとやってきた。
それを見て慌てた葵介君が「ちょっと追っ払ってくれよ」と僕に耳打ちしてくる。
「なあなあ晴人、なんで蓮見といんのー?」
「誰も相手にしない一匹狼になにをした!?」
「矢吹は知ってんのか?」
「いや、おれも今来たとこでよー」
居心地悪そうな葵介君が可哀想になってきた。
「ちょっとちょっとみんな。葵介君は恥ずかしがり屋なんだから、散って散って」
「ええ!? あの一匹狼が!?」
「すげーな、晴人には心開いたのか」
「つか蓮見、ホントにすげー食ってんな!」
「ま、そういうことなら二人きりにしてあげましょーか。行こーぜ、お前ら」
最後に矢吹がそう言ってニヤニヤしながら、まだ言い足りなさそうな他三人を引き連れて行く。
ようやく静かになったところで、僕はひたすら感心していた。
「いやー、あんなに驚かれるほど、葵介君って一人ぼっちだったんだねー」
「悪かったな、ほっとけ!」
素直な感想だったのだが、怒られた。
「とにかく! 学校じゃあんま話せねえことだから放課後ちょっと付き合え!」
「僕的にはなかったことにしたいんだけど」
「させねーよ!?」
何故か威圧的な態度にそれ以上は拒否できず、僕はやむなく従うのだった。
辿り着いた先は、ドラキュラの館でした。
「俺の家だよ!!」
僕の一人言を耳ざとく聞き取った葵介君に突っ込まれる。
「いやでもさっきまで晴天だったのに急に雷ゴロゴロ鳴ってるし」
目の前には映画にでも出てきそうな立派な洋館が佇んでいる。ドラキュラの館でなければ、殺人事件が起きるのではないだろうか。
「ま、完全なハズレでもねーけど……」
「えーっと、葵介君ってボンボンだったんだね」
隣でゴニョゴニョと不穏なことを呟く葵介君を無理矢理スルーした僕に「無駄話はいいから、さっさと入れ」と鉄製の門を開く。雑草が伸び、あまり手入れがされていない庭を通過して、大きな扉に向かう。
メイドさんでも出てくるのかと期待するが、普通に鍵を取り出して扉を開いた。ギギギ――と嫌な音を立てて開かれた奥は暗闇でなにも見えない。
「なんだ、誰もいねーのか? 真っ暗じゃねーか」
文句を垂れる葵介君の背中に隠れながら不気味な館へと足を踏み入れた瞬間、トントンと太腿辺りを叩かれる。
ギョッとして見下ろすと、そこにはこの世のものとは思えないしわくちゃの顔が、暗闇の中ではっきりと浮かび上がって――
「ぎゃー! バケモノー!?」
「は!? どうした!?」
思わず葵介君の背中にしがみ付くと、急に電気がついたらしく、パッと周りが明るくなった。
「葵介さまー!! ばあやは感激ですー!!」
ピョーンと葵介君に飛び付いたのは、僕の腰くらいの背しかない小柄な老女だった。黒い服に白いエプロンを付けている。暗闇に現れたしわくちゃの顔は彼女のものであろう。手には懐中電灯を持っているので、それで顔を照らしたに違いない。
「だー! 離れろ、乙美!!」
「離れませぬ! 葵介さまがお生まれになってはや十七年! 初めてお友達を連れて来て下さったのですからー!」
生まれた時からのぼっちだったのか。
乙美さんと呼ばれた老女の熱い抱擁に葵介君がもがいている様子を眺めていると、
「あら! 晴人くんじゃない! アタシに会いに来てくれたの!?」
廊下の向こうから、青いミニスカワンピースを身に付けた緋緒里さんが嬉しそうに走り寄って来てくれた。
なるほど、制服を脱いでしまえばやはりフツーに大人のお姉さんである。色気は尋常ではないが。
「葵介君にお呼ばれしまして」
「ごめんねー。うるさいでしょ、あの二人」
緋緒里さんは未だ叫び暴れ回る二人をチラリと見ながら、僕にまた顔をぐいっと近付ける。息が掛かるほどの距離だ。
もちろん血は拭き取られているのだが、白い肌に赤い紅を付けた唇はいやに妖艶に映る。
「ここに来てくれたってことは、イイってことよね?」
「へ?」
怪しく微笑む彼女に、僕は間抜けな返答しかできなかった。
彼女は僕の首元を撫で回すように白い手で触り、ゾクゾクと背筋に悪寒が走る。
「あ、あの……!」
「ふふ、大丈夫。怖くないわ」
緋緒里さんは赤い唇を大きく歪め、その頬はほんのりと赤く染まっていた。まるで僕に魅入られているかのように「――美味しそう」と吐息交じりに耳打ちしてきたかと思えば、
がぷりっ。
あれ、首筋に痛みが――
「い、いだあ!?」
「つ、弦巻!?」
僕の叫びに、葵介君と彼にしがみついたままの乙美さんがこちらを振り向く。
首筋から聞こえるじゅるじゅるとなにかをすする音を聞いて、今朝の葵介君と緋緒里さんを思い出す。
ああ、僕は今、彼女に血を吸われているのか――
一瞬、夢ごこちな気分になったのも束の間、噛まれている痛みが半端ない。
「いでででででっ!」
叫ばずにはいられず、しかし緋緒里さんは僕の体を解放してくれる様子もない。
「こんのクソ姉貴があ!!」
乙美さんを振り払った葵介君が、彼女の頭にズビシッと激しいチョップを与えたことで彼女の力が弱まった。
「イッターイ!」
首筋から彼女が離れた瞬間、ぐらっと視界が歪む。
緋緒里さんの唇が真っ赤に染まったその血を見て、僕の血ってキレイだったんだなーと見惚れながら、記憶が途切れたのだった――