第1話 侯爵令嬢とハイエナの逢瀬
わぁ、二日連続ぅ。
よろしくどうぞっ☆
わたくしの婚約者であったギルバート……いいえ、グライツ公爵家は不祥事を起こした。
ギルバート本人は辺境伯のご令嬢との肉体関係の問題。
公爵家自体は国庫横領。
そして、わたくしの家もそれに巻き込もうとしていたわ。
だけど、シエラ様に会ったことでグライツ公爵家の悪事が公となり……取り潰しと相成った。
捕縛に関しては国が行ったけれど、わたくしも不正を暴いた一人として報奨金を与えられたわ。
令嬢の身でありながら勇気あると見られた反面、自分の婚約者を売った女と罵られることもあった。
でも、ギルバートは女遊びが激しかったから……悪意に晒されることには慣れていたの。
だから、わたくしは罵られようとも立っていることができた。
それにね?
わたくしには……彼がいたから、大丈夫だったの。
「お待たせしてすみませんでした、ネッサ様」
軍部の拠点である黒水晶宮の中庭にあるベンチに座って待っていたわたくしの元に、駆け寄って来たのは栗色の髪にオリーブ色の瞳を持つ柔らかな雰囲気の青年。
荒い呼吸と僅かな汗の匂い、ふわりと香るほろ苦いコーヒーの匂い。
わたくしは待ち合わせに遅れて慌ててやって来た彼……トイズ・フェンネル様に微笑みかけたわ。
「いいえ、大丈夫よ。最初の頃のことを思い出していたから」
「…………最初の?」
キョトンとするトイズ様は、歳上だけれど少し可愛らしい。
わたくしはクスクスと笑いながら……少しだけ遠い目をして、かつての記憶を思い出す。
「えぇ。ギルバートとの仲が最悪で……でも、シエラ様と会ったことで、不正とか、暗殺騒ぎとか、貴方に会ったこととかを思い出していたのよ」
ピクリッ。
元婚約者の名前が出たことでトイズ様の顔にほんの一瞬だけ剣呑な雰囲気が滲むが……直ぐに笑顔の仮面を張り付ける。
そして、誤魔化すように言葉を紡いだ。
「…………あぁ、なるほど。エクリュ夫妻は中々に個性的ですからね」
「いや、貴方も中々に個性が強いですわよ?ハイエナ様?」
「あははっ、僕はただ補佐官ですよ?」
…………トイズ様が〝ただ〟の補佐官なら、他の方はどうなると思ってるのかしら。
軍部では少尉であるけれど、男爵位も持っていて。
それどころか三大危険人物の一人……ハイエナとも呼ばれている。
彼が補佐を務めているのはこの国で最強であるドラゴンスレイヤーであるルイン・エクリュ侯爵。
これだけ目立つ理由があるのに、ただの補佐官な訳ないじゃない。
ジト目で見つめたからか、トイズ様はわたくしの言いたいことを察したように薄く笑う。
そして、胸に手を当てて言い訳をしたわ。
「エクリュ中佐に比べたら僕なんて霞んでしまいますよ」
「安心なさい。貴方の名前を聞くだけで絶叫する人がいるんだから、霞すらしないわ」
エグい策略を巡らせるハイエナ。
彼の手によって酷い目に遭わされた人は、少なくない。
まぁ、それでも不正とか悪いことをしていた人が対象らしいけれど……敵味方関係なしに精神的ダメージを与える策略家である彼が霞むようなことは………シエラ様とエクリュ侯爵の二人が揃ってる時ぐらいだと思うわ。
「……ふぅ……取り敢えず、お隣に座ってよろしいですか?」
「よろしくってよ」
「ありがとうございます」
サァァァア………。
強い風が吹いて、わたくしの水色の髪を揺らす。
かつては巻き髪であった髪は、今ではハーフアップ……普通の髪型へと変わった。
物語で読んだ強い女性に憧れて真似をしていた虚勢の象徴。
でも、もうわたくしに必要ないもの。
「少し風が強かったですね。応接室で待ってもらえば良かったです。風邪を引いてしまう」
トイズ様がほんの少し乱れた髪を指先で整えて、わたくしの耳にかけてくれる。
僅かに触れる指先と耳。
それだけで、肌が熱くなる。
わたくしは少しだけ視線を逸らしながら、頬の熱さを誤魔化すように告げた。
「構わないわ。ここで貴方を待つ時間も、楽しいもの」
「…………そう、ですか」
「えぇ」
ギルバートが婚約者であった時でも、彼を待つようなことはなかったし……それどころか、彼と会う時間がいつでも憂鬱だったわ。
妻となる者として、彼を正さねばならないと思っていた。
だけど、幼稚なギルバートはいつもわたくしの注意を疎んで、果てには暴力まで振ってきて。
今だから言えるけれど、最悪の一言でしかないわ。
だけど、トイズ様は違う。
トイズ様はわたくしに優しくしてくれる。
まだ問題が残っているから言葉にはしてくれていないけれど……その視線が、その指先が、わたくしに彼の気持ちを伝えてくれる。
彼を待つ時間は本当に心地よくて、ほんの少しだけ緊張して……だけど、とても待ち遠しい。
「きっと、待つ人が貴方だから……そう思えるの」
「っ‼︎」
ふわりと微笑みながら彼の方を見れば……トイズ様は驚くぐらいに顔を赤くしていて。
視線を彷徨わせながら、動揺したように片手で口元を覆い隠す。
「…………あぁ、もう……なんていう殺し文句だ……」
「……………殺し文句……?」
「えぇ、えぇ。そうです。殺し文句ですよ、ネッサ様‼︎」
トイズ様はわたくしの両頬をその熱い両手で挟むと、熱を孕んだ瞳で見つめてくる。
ドクドクと高鳴る鼓動、至近距離で絡まる視線。
彼の瞳に映ったわたくしの頬が……どんどん赤くなっていく。
「…………そんな可愛いことを言われたら、問題なんか放り投げて今すぐ襲いたくなるだろう?あまり、可愛いことを言ってオレを惑わしてくれるな」
「っっっ⁉︎」
肉食獣のような飢えた声で告げられた直情的すぎる言葉に、わたくしは言葉を失ってしまう。
な、なっ……なんてことを言うの‼︎
「……………って。貴女に手を出せないのは、問題を早々に片付けられない僕が悪いんですけどね」
わたくしを動揺させるだけ動揺させて、トイズ様はパッと手を離しながら獣のような本性を直ぐに覆い隠す。
その変わり身の速さに若干、恨めしさを覚えてしまうけれど……わたくしは心を落ち着かせるために、ふぅと息を吐く。
そして……スッと目を細めながら、彼に問うた。
「貴方自身の問題に手を出せないのは仕方ないのではなくて?ここ最近、軍部はお忙しいと聞いているもの」
「流石ネッサ様。情報が早い」
ここ最近、国内を騒がす事件が起きている。
それは〝行方不明事件〟。
女性ばかりが、ふとした瞬間にいなくなってしまうらしい。
誘拐事件の可能性もあるが、何故か手がかりが掴めず。
行方不明になった女性の身内や恋人、夫などが軍部に駆け込んでいると聞いているわ。
今のところは平民の女性ばかりらしいけれど……貴族には外聞があるため、行方不明になったこと自体を隠している可能性もある。
わたくしも注意するようにお父様に言われるくらいだもの。
軍部はかなり忙しいんでしょうね。
「いつどこでどんな風に消えたかが分かればいいのですが……なんの手がかりもないのが、現状です」
「エクリュ侯爵のお力では分からないの?」
「……微妙、ですね」
「微妙?」
「どうやら今回の犯人は〝魔族〟のようですから」
魔族ーー。
その種族は相性が悪い所為で精霊術が使えず(代わりに魔術という独自の文化を築いている)……精霊術が効きづらいと聞くわ。
「そうなのね。魔族は精霊術と相性が悪いから……精霊術を用いた探査にかからないってことね?」
「えぇ。だから精霊術で情報を集めることができず……逆に精霊術で情報が集めづらい関連の情報を集めてます」
「なるほど……」
「でも、エクリュ中佐に頼ることにならずに良かったとも思うんです。エクリュ中佐にも精霊にも頼りすぎてしまえば……軍部は脆くなりますし、我々も堕落してしまう」
大きな力に頼りすぎると、人は堕落する。
エクリュ侯爵のお力は、それはもう魅力的でしょうね。
精霊術は莫大な精霊力を持つ者ほど、様々なことができるようになる。
だからこそ、エクリュ侯爵はほぼ万能と言っても過言ではない。
だけど、それに頼ってしまえば……他の人達は仕事をしなくなるでしょうし。
それどころか、たった一人に頼ってしまえば他の人材は育たなくなり……エクリュ侯爵が抜けただけで、軍部は崩れ落ちてしまうでしょう。
………エクリュ侯爵は諸刃の剣という訳ね。
「…………流石のわたくしも行方不明事件関連では手を貸せませんわ。この情報を聞いてよかったのかも分かりませんし」
「分かってますよ、事件の解決は軍部の仕事です。それに、この情報は数日後には公開されるので、ネッサ様が知っても問題ありません」
「そうなのね。なら……こうして、わたくしを呼んだということは……。ただ、わたくしに会いたかったの?」
「ふふっ、そうですよ。貴方に会いたいから呼んでしまったんです」
トイズ様はそう言って、わたくしの身体を強く抱き締める。
ギシッ……と骨が軋むほどの強い力。
どれだけわたくしに会いたかったのかを、語るようなその腕の温もりに……わたくしは思わず〝うっとり〟としてしまう。
「本当はこちらからお伺いした方が良かったのでしょうけど……情報は刻一刻と変わるので。あまり軍部を離れたくないんです。だから、呼び出すことになって、申し訳ありません」
「ふふっ……大丈夫よ。今も忙しいのでしょう?」
「えぇ。後少ししたらまた戻らなくてはなりません。だけどそれまでは……」
〝貴女を抱き締めて、充電させてください〟
柔らかく耳朶に囁かれた言葉に、わたくしはその背中に腕を回すことで応えた。




