夜は未だ明けず、されど星は輝く6
サンドラが瞬の料理を運ぶようになって二日が経った。
あれから毎回飽きることなく、サンドラが食事を持ってきては毒味をする。ここまでされて食べないのも負けた気がして、もはや意地の張り合いとかした。
今日もまた部屋の扉が叩かれる。
食事と睡眠以外は全て思い出の場所で過ごしている瞬だが、今日は何か胸騒ぎがして部屋で待機していた。
「いつもより早いな」
大体同じ時間帯にくるサンドラだが、今回はいつもよりずっと早い。瞬が待機していなければすれ違いになっていただろう。
少し不信に思いながら扉を開けようと手を伸ばすと、瞬よりも早く部屋の前に立つ人物が扉を開ける。
「お前は……」
部屋の前に立っていたのは、見たことがないメイドだった。
長い金髪に完璧なプロポーション。整った顔には笑みが浮かんでいる。男なら誰もが見惚れる彼女に、瞬は最大限の警戒を持つ。
見たこともあったこともない、名前さえ知らないメイドだが、瞬は彼女を知っている。知識ではなく、記憶でもなく、魂が彼女を覚えている。
「久しいな、勇者」
「なんでお前がここにいる。魔王」
二百年前に打ち倒した魔王ダリエラが、そこにいた。
「そう警戒するな」
臨戦体勢をとる瞬に、魔王ダリエラは笑いながら瞬を押しのけ部屋の中に入る。
部屋の机に持っていた料理を置き、適当な椅子に座ると笑みを浮かべながら話しかけてくる。
「そんな怖い顔をするでない。見ての通り、料理を持ってきただけじゃ」
椅子に座り寛ぐ様子は、確かに荒事をするようには見えない。魔王ダリエラがなんの目的でここに来たのかは知らないが、警戒は解いてもよさそうだと瞬もベッドに座り込む。
「もう一度聞く。なんでお前がここにいる」
「変な事を聞くのう。見ての通り、仕事じゃよ」
からかう様に答えるが、回答自体は間違っておらず、彼女が着ているメイド服は正真正銘この城に仕えるメイド達と全く同じものだった。
「はっ、魔王ともあろう者がメイドとはな」
「それはこちらのセリフよ。かつて儂を討った勇者が随分と落ちぶれたものじゃ」
かつて全力の殺し合いをした者同士、遠慮を知らない舌戦が繰り広げられる。
「報復にでもしにきたか?」
二百年前に命を奪った相手が力を失った状態で座っている。今ならば赤子の手を捻るように簡単に殺せるだろう。
「カカッ、儂を見くびる出ない。魔王ダリエラは全てを賭けて闘い、そして負けた。それだけの話よ」
過去は過去。魔王ダリエラとしての生は敗北で終了したが、それを今の生にまで引きずるつもりは毛頭なく、今は今として彼女は生きている。
「なにより今は人として生まれたのだ。わざわざ魔族の味方をするつもりもない」
もし魔族としてもう一度生き返ったなら、魔王に返り咲くのもまた一興かもしれないが、今回の肉体は人間。魔族に味方する義理はなく、今生は人として自由気ままに生きていくと決めている。
「強いな、お前は」
「そなたと違い悔いなく死ねただけよ」
仲間に裏切られ死んだ瞬と違い、一対一の決闘で全てを出し切り死んだダリエラは後悔なく死んでいった。
「そなたこそ、儂を恨んでないのか?」
「直接殺した相手にこれ以上何を恨めってんだ」
恨みがあるとすれば二百年前に晴らしている。直接この手で殺したのだから、それ以外に何を望めというのか。
「変わっておるの」
「お前に言われたくない」
魔王を前にして恨みがないと語る元勇者に、人間に生まれ変わりメイドをしている元魔王。どちらも変わり者としては同じだ。
「カカッ、儂はそろそろ行くかの。まだ仕事が残っておるし」
かつての立場を超えた邂逅は酷く平和的に終わった。二百年前に殺し合った相手と会話するというのは考えもつかなかったが、この世界に自分を知ってくれている人がいたのは少しだけ安心する。それがたとえ元魔王であっても。
「そうじゃ、言うのを忘れておった」
部屋を出ようとしたダリエラが止まり、振り返る。
「あまり猶予はないぞ?」
「……なんのことだ」
「最初から知っておろうに」
彼女が語る猶予が何かは既に知っている。知っている上ではぐらかす瞬にダリエラは不器用じゃな、と笑みを浮かべる。
「そなたの状態は魔方陣を改造した不具合ではなく、そなたの心が拒んでいるところが多い」
何故瞬だけ力を持っていないのか。それは簡単なことだ。
この世界で力を手に入れるプロセスを簡単に例えると、地球にいる人達を空のコップとする。彼らは器こそ大きいが中に何も入っていない。その彼らをこの世界に呼び、空っぽの器の中に魔力を詰め込んだ結果が二百年前の瞬であり、そこに魔力以外に才能などを詰め込んだのが他の生徒達だ。
ならばなぜ瞬には中身を注がれなかったか?それは既に入るはずの中身が存在していたからであり、瞬が戻ってくる力を拒んだ結果が今の状態だ。
「だが、あれはそなたの一部。拒んだ程度で捨てられる代物ではない」
ダリエラの言う通り、徐々にだが魔力が増えてきている。
「近いうちに必ずタイムリミットがくる。その時にどうするかを考えておくといい」
彼女は笑みを浮かべ宣告する。元ライバルにして宿命の敵がどのような選択をするのか、それを見届けるつもりだ。
「ああそれと、過去の亡霊はそなたと儂だけじゃ。無駄な期待はしない方がいいぞ」
部屋から出ながら残した言葉が、瞬の胸に重くのしかかる。
「知ってるよくそが」
本当は期待していた。瞬にダリエラ、この二人がいるのだからアリエルもこの時代で生きているのではと思ったが、そんな希望は元魔王によって折られた。
彼女がないといえばないのだろう。かつての敵だが、一度も彼女は嘘を付いたことがない。信用も信頼もしていないが、理解はしている。お互いにたった一人の同格だからこそ、二人は相手に対して本心を偽らない。
「あぁ……」
理解しているからこそ、彼女の言葉は重くのしかかる。
決断の時は近い。
***
元魔王と邂逅してから更に数日が経った。
一日のほとんどを思い出の場所で過ごす瞬だが、今日は珍しく王城の廊下を歩いていた。
「ねぇ、あれ」
「聞こえちゃうよ!」
基本部屋か思いでの場所にいるが、トイレの時だけは部屋の外に出る。
当然廊下を歩いていれば他の人とすれ違うが、近くにいる人のほとんどが瞬を見て声を潜める。
「……」
詳しく聞こえないが、どんな内容かは分かる。どうせ他の生徒と比べて影口を叩いているのだろう。
この国を救うために頑張って訓練に励む生徒達と、一人部屋に引きこもる瞬。どっちが悪くとられるかなど一目瞭然だ。
「早く戻るか」
悪口だろうが気にしてないが、突き刺さる視線が少しうざいと感じて歩く速度を速める。
視線から逃れるために急いで曲がり角を曲がると、非常に面倒な連中とかち合った。
「おっと、君は」
先頭に立つ義人を中心とした生徒グループが、さっきまでの人達と同じ視線を瞬にぶつける。
「あれあれ?臆病者の星谷君じゃん」
「やめてやれよ。あいつは俺達と違って力がないんだから」
持つものの優越感と、強者故の傲慢が瞬を下に見る。
「皆やめるんだ」
ここから更にエスカレートして面倒になるぞと瞬が思った時、先頭に立つ義人が瞬を笑う生徒達を窘める。
「すまない。嫌な気分にさせたね」
下をいびるより、上の立場にいる義人に嫌われることを避け、かなり渋々の様子でやめた生徒達を見た後、義人は改めて瞬に謝罪をする。
「もしよかったらだけど、星谷君も訓練に参加しないかい?体を動かすだけでも気分が変わるよ」
クラスのリーダーとして、全員に仲良くなってほしいと願う義人は、前にサンドラがした提案と全く同じものを提示する。当然瞬の答えも決まっており、
「断る。お前達だけで勝手にしてろ」
強い拒絶の言葉を吐き捨て、その場を去るために歩き出す。
「せっかく義人が誘ったのにその態度はなんだ!」
「そうよそうよ!」
「まあまあ、みんな落ち着いて」
「そうだよ、義人君もこう言ってるし」
下に見ている存在が高圧的に拒絶する姿を見て、瞬を馬鹿にしていなかった生徒達も怒りを見せる。それを関係ないと歩いていく瞬に罵詈雑言を投げ始め、義人とハルが何とか抑えようと悪戦苦闘する。
二人が生徒達を落ち着けた頃には、瞬の姿はどこにも見えなかった。
「星谷君……」
この世界に来てどこか変わったように見える同級生を心配するハル。彼女が外を見ると、輝く星を遮る雲がじわじわと近寄ってきていた。確かな不安がハルを襲うが、その不安を警告する相手はもうここに居ない。
零した呟きは、誰にも聞こえず消えていく。
生徒達と別れた瞬は、部屋に戻るといつもの場所に転移する。
「ただいま」
ティムルの木に挨拶し、幹に背中を預け座り込む。
僅かに吹く風が花の香を運び、瞬に届ける。唯一安心して眠れるこの場所にくると、いつも眠気が襲ってくる。
今日も今日とて眠気に襲われ、どんどん瞼が落ちていくことを感じながら、抵抗らしい抵抗もせず眠りに落ちる。せめて夢の中では彼女と共に、と願いながら。
違和感を感じたのは、眠りに落ちてから一時間ほど経った頃だ。静かなこの場所に物が壊れるような音が遠くから聞こえてくる。
「なんだ?」
大きなあくびをして、眠気を吹き飛ばして辺りを見渡す。一面に広がる花畑と一本のティムルの木が見え、どこにも変わった所はない。
ならこの音はいったいどこから?と疑問に思い立ち上がった所で、ソレは目に入る。
「これは」
アリエルと見下ろしていた王都が大きく形を変えている。建物が幾つも崩れ、空に立ち上る煙が何本も見えた。
明らかな異常事態が王都で起こっている。
「はは、俺を裏切るからだ」
王都の異常事態を、瞬はここから鑑賞することを選ぶ。ここは特殊な場所で、指輪がなければ来ることができない。存在する指輪は瞬がつけているものと、ティムルの木の下で眠るアリエルがつけている物だけ。
この安全地帯から、王国の崩壊を見届けようと腰を下ろす。
「これですっきりする」
誰が起こしたか、何が起こったか分からないが、瞬の代わりに王国を滅ぼそうとしてくれたことに感謝の念さえ抱きながら、王都を見下ろす。
「すっきり、するはずなのに」
憎いはずだ。恨んでいたはずだ。それなのに、胸のもやもやは増えるばかり。
この気持ちは何だと考えた瞬間、大切な記憶がリフレインする。
『私は好きだよ。この国』
『――この世界を恨まないであげて』
愛する彼女の言葉が、脳内を駆け巡る。
「ちくしょう、ちくしょう!!」
知っている。こんなこと彼女が喜ぶはずがないことくらい、悲しませることこらい。
それでも、この胸に燃える憎悪に身を委ねると決めたはずが、気が付いたら指輪に魔力を込めていた。
「アウェイク」
起動の言葉と共に、視界が切り替わる。
いつもの部屋に着くと、急いで部屋をでて王城を駆け回るが、どこにも人の姿が見当たらない。
「すでに逃げた後か」
ならば王都に出ようと一直線に外を目指し、門を潜り外に出る。
そこから少し走り、住宅街に差し掛かると、阿鼻叫喚の絵が広がっていた。
「がふっ!」
逃げ惑う住民達、一人、また一人と凶牙に倒れる兵士や騎士達。
この光景を作っている正体に視線を向け、低くうなる。
「魔物か……!」
魔物。この世界特有の生物で、人と同じく体内に魔力を持つ生物を総称し魔物と呼ぶ。
魔物は凶暴な種が多く、魔族と相して人類の敵と位置付けられ、凶悪な魔物が出現すると国が軍を動かすこともあるほどに脅威だ。
「グルルルルルル!」
また一人、兵士の喉元を食いちぎった魔物が瞬に狙いを付ける。
「ブラッドウルフ」
近くに倒れている兵士の剣を借り受け、目の前の狼に構える。
この狼型の魔物の名前はブラッドウルフと呼ばれ、ワインレッドの体毛が特徴的だが、何よりも語られる内容はその嗅覚だ。普通の狼よりも鋭い嗅覚を持ち、中でも血の匂いをかぎ分けるのに優れている。
「ふー」
息を吐き、意識を集中する。
魔力の有無はかなり大きい。普通の狼と同じ大きさだからといって甘く見ていると、一瞬で持っていかれる。
「グルァ!!」
狼が動き出す。鮮血に染まった牙を剥きだしにして一直線に飛び掛かる。
「くっ!」
「グルルル!!」
牙を剥き、大きな口を開けて飛び込んでくる狼に、瞬は手にもつ剣を両手で水平に構え、狼の口に押し込むことでガードする。西洋で見られるような少し肉厚の両刃剣を咥えこんだ狼だったが、力を抜くどころか逆に入れることで瞬を押し倒し、マウントをとる。
「この!」
何とか押し返そうとするも、今の瞬では力不足。じりじりと近寄ってくる狼の顔に抵抗するので精一杯だ。
「グラァ!!」
マウントはとったものの、咥えた剣が邪魔過ぎて獲物を噛み殺せないと考えた狼は牙ではなく爪で瞬の命を狩ろうと右足を振り上げる。
体制が変化し、僅かに力が緩んだこの隙に剣を支えていた左手を離し、狼の腹部に添える。
「くらえ!!」
「ギャア!?」
右足が振り下ろされるよりも速く左手に魔力が集まり、形成された夜から輝く星々が光弾となり狼の腹部に着弾。至近距離で起こった爆発に左手がダメージを負ったが、狼を少しだけ上空に吹き飛ばすことに成功した。
「はぁ!!」
上半身を起こした瞬は、タイミングを合わせて落ちてくる狼の首めがけて剣を振るう。
「っ!!」
振り回すように振られた剣が狼の首にめり込み、そのまま勢いを殺さず、むしろ勢いに乗せて狼ごと剣を地面に叩き落とす。
「はぁはぁ、これで一匹か……」
地面に叩きつけられた狼は首の骨が折れ、絶命している。
狼の死亡を確認し、剣を杖代わりにして立ち上がり自分の力の無さを改めて実感する。たった一匹の魔物を倒すだけでこの様では生き残れるかどうかさえ怪しい。