獣鳴く夜空にて7
怒りが、湧く。
「俺には、ない」
頭が茹る。
この場に他の誰かがいる事が許容できない。ここはシュンと、アリエルだけの聖域のはずだ。
ここだけは、ここだけがシュンの安心できる場所の筈だった。
「私にはあるのです」
ギリッと歯が軋む。
これ以上会話を続けていられない。一刻も早くこの場から彼女達を追い出さなければ。これ以上、ここを汚すわけにはいかない。
こんなくだらない会話を、アリエルに聞かせるわけにはいかない。
「一刻も早く出て行け。じゃないと」
聖剣に手をかける。
ほんの少し力を込めれば、サンドラの首を落とせる距離。例え魔王が近くにいようとも、今度はあの時のようにはいかない。
「出来ません」
「っ……!」
ドス黒い殺意を向けている。戦場ですらすくむ圧力を受けても、サンドラは怯まずまっすぐな視線を向けてくる。
まっすぐで澄んだ瞳。
「殺すか?妾達を」
サンドラの横に魔王が並ぶ。
「お主の聖域に足を踏み入れたのじゃ。まあ殺されても仕方ないじゃろう。儂も此奴もそのくらいは覚悟しておる」
一歩、大地を蹴る。
銀閃が煌めき、旋風が花吹雪を攫う。
抜かれた聖剣がサンドラの首を捉える。
刃が薄皮を裂き、一筋の血が垂れた。ほんの少し、本当に少し力をいれるだけでサンドラは死ぬ。
だが、サンドラは引かない。
「この場所を血で汚してよいのでしたら、どうぞ斬り捨ててください。抵抗はしません」
「……っぁ!!!!」
聖剣を力一杯振るう。
サンドラの首は宙を舞う、事は叶わず。持て余した力を吐き出すために空白を出鱈目に切り裂く。
できる筈がない。アリエルが眠っているこの場所で、罪のないサンドラを斬り捨てる事なんて。
彼女が眠る地を血で濡らす事なんて、できる筈がない。
「シュン様」
「帰れよ…帰ってくれよ……!頼むから……」
聖剣を鞘に戻し、フラフラと弱々しい足取りで木のふもとまで歩くと、今にも泣き出すかのように蹲った。
サンドラは初めて、ここまで弱ったシュンを見た。
出会った時から孤高で、誰よりも現実を見ていて、おそらく世界で1番強い彼が力無く蹲っている。
シュンの思い出を踏み躙っている。本音を言えば、今すぐにでもここを離れたい。
(それは、できせん)
だから、サンドラは話をする。これからの全てを賭けて。
「お話があります」
シュンの返答は待たない。
「どうか、エルフの森を、貴方の同郷の仲間達を救っていただけませんか」
この後に及んで、そんな事を頼むのかとシュンのはらわたが煮えくりかえる。
救う?救うだと?あの忌々しい裏切り者のエルフを?
「誰が、誰があんなやつを……!」
「救うのは彼女ではありません。なんの罪もないエルフの方々とご同友です」
「一緒だろッ!!!!」
「違うのです!!」
シュンの言葉を、サンドラは否定する。
たった1人の罪人の為に、他の命を見捨てる事は道義に反する。酷く残酷で正しい正論で、力ある者が行なっていい行動ではない。
だが、サンドラは正論や責務を叩きつける為にここにいるのではなく、
「違うのです、シュン様。違う事を、貴方が一番よくわかっているのではないですか」
「なにを、いっている」
「だって、だってそうでしょう。あの日の貴方は酷く苦しそうでした。貴方が一番、見捨てられる辛さを知っている。貴方が誰よりも、失う痛みを覚えている」
誰よりも失った痛みを知るシュンを、大切な人を悪行によって奪われた元勇者を、これ以上失わせない為に。
「仲が良い人ばかりではないでしょう。悪い方すらいらっしゃるかもしれません」
「そうだ、所詮は同郷なだけの他人だ」
「だとしても、失ってしまえば貴方は後悔してしまう。私は、これ以上貴方に失ってほしくないのです」
「だから、俺に救えと言うのか」
「助けられるのなら、私達で助けたい。でも、私にもこの国にも、彼等を救える力はない」
失わせたくないから、本人に救ってくれと頼み込む。なんて暴論。
「俺は世界を救った」
「はい」
「なのに、お前達は裏切った」
「はい」
「勝手に連れてきて、戦わせて、裏切って、アリエルを殺した」
「……はい」
「なのに、お前達は、まだ救えと言うのか。世界を救った褒賞もなく、裏切った贖罪もせずに……!」
裏切ったのはサンドラではない。300年の時が過ぎた今、この国に罪がある人間などいない。
なら、なら、シュンの胸の中にあるドス黒い衝動はどうすればいいのか。
戦って、奪われて、また戦えと言うのか。
「この国に払える物は、ありません」
酷く弱った国だ。立て直すのにどれだけの年月がかかるだろう。国民を守るのすらやっとだ。
余裕など、あるはずがない。
「だから、また裏切るんだろ?救った後に払える物がないんだから」
サンドラが、一歩前に出る。
月光が彼女を照らす。
花弁の舞うステージに、彼女は立つ。目の前のたった1人の客に全てをぶつける。
今この瞬間、ここだけはサンドラただ1人の独壇場。
「私の全てを捧げます」
「……は?」
サンドラが何を言っているのか、シュンには分からない。
「私の肉体を、私個人が持つ全てを、私がこれから得る未来を貴方に捧げます」
「何を言って」
「だから、私にください。貴方の持つ憎しみを、恨みを、この国が持つ罪を」
冗談ではない。彼女の表情が物語る。この滑稽な話を真剣に語っている。
「貴方が望むなら、拷問だろうが辱めだろう全てを受け入れます。これが私の贖罪であり、貴方に渡せる報酬です」
「なら、俺が死ねと言えば死ぬのか」
「いいえ、それだけはできません」
「あ?」
全てを捧げると言ったのに、命は捨てないと言う。
話が違うどころではない。ただの臆病者、渡す前から裏切る事が確定しているではないか。
「私の手で貴方を傷つける事はできません。私の死でも、貴方は傷ついてしまうから」
本気で彼女は、シュンの抱える全てを受け入れようとしている。出来るはずがない、分かっていて尚サンドラの人生で償おうとしている。
「なんで、そこまでしようとする」
「これが貴方をこの世界に呼んだ責務であり、この国の王女としての義務だからです」
なんて眩しいのだろう。
本気で理想を語る姿が、もし、もし、あの時いたらなら。
「なんで、なんであの時にお前がいなかった……!」
彼女は死なずに済んだんじゃないか。
「どうして……今なんだ……!どうしてだよ……!!」
こんなもの意味のない質問だ。理不尽で、サンドラにだって答えられない。
でも、言わずにはいられない。堰き止めていたモノが流れ出す。
「あの時あんたがいれば、あいつは……!アリエルは死なずに済んだんじゃないのか……!」
「……」
「なんでだよ……!なんで今なんだ!なんで、なんでアイツが死ななきゃいけなかった!!なんで、生きてるのが俺なんだ……」
何もない両手を見る。
刀しか握れない手だ。血に汚れた手だ。命は簡単に奪えるくせに、一番大切なモノは守れない穢れた手。
許せないのは、裏切られた事じゃない。殺された事でもない。
許せないのはただ一つ。アリエルを殺した事。どうして、優しくて誰かを癒せる彼女が死んで、殺す事しかできない役立たずが生きているんだ。
「決まっているだろう。お主が愛されておったからじゃ」
初めて、ダリエラが口を開く。
「なに、を言って」
「お主が生きているのは彼奴のおかげと言う事だ」
ダリエラが語る。何故、勇者が生き残り、魔王が産まれ直したのかを。
「人を癒す聖女。あの時代においてただ1人、彼奴のみがお主を元の世界に返す事を諦めていなかった」
愛故に。
「魔王と戦う直前に、彼奴はある魔法を完成させた。魂を保護する魔法を」
「それは……!」
サンドラが驚く。当たり前だ、魂に干渉する魔法など神の領域に等しい。
「決戦後、彼奴はこっそりと魔王の魂を保護し協力を求めてきた。魂に記憶を保持したまま生まれ変わる事を条件にな。魔王も面白半分で協力し、2人の知識を使って指輪にある機能を追加した」
指輪と聞いて、視線を手に落とす。
アリエルとシュンしか持っていない、思い出の場所に転移する指輪。
「最も縁のある場所に転移させる魔法。無理矢理な改造故一度使えば壊れてしまうが、彼奴としてもそれでよかったのじゃろう」
勇者召喚とは、元の世界から魂のみを召喚して肉体を再構築する術式。
ならば、元の世界には魂の抜けた体があり、もしなんらかの方法で魂を肉体の近くに転移させる事ができたとしたら。
「なら、なんでアリエルは……」
「一度に保護できる魂は一つだけ。じゃから彼奴は自分にではなくお主に魔法を使った」
魔王の魂を輪廻に帰した後、勇者の魂を元の世界に帰した。
「お主が生きておる理由はただ一つ。お主よりも、ほんの少しだけ彼奴の愛が勝っていた」
シュンがアリエルを深く深く愛していたように、アリエルもシュンを深く深く愛していたのだ。
愛の大きさに優劣はないが、あの時、あの一瞬だけはアリエルの愛がシュンを超えていた。
シュンの命はまさしく、アリエルが愛していた証なのだ。




