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4話 素直な友達

 水の流れる音と食器と食器が擦れる音だけが響いている。この日、私はアルバイト先でいつもの皿洗いをしていた。私がアルバイトしている店は個人経営のレストランで、店自体はそれほど広くはない。しかし隠れた名店と地元では少し名が通っており、常連客もよく見かける。

 この店には大学生活の四年間ずっと世話になっている。オーナーのお爺さんとお婆さんの気前がよく、給料も儲かっているのかそこそこ良い。あまり人と関わることを好まない私にはぴったりの場所だった。


「何か、最近凛ちゃん楽しそうだね」

 いつものように皿を洗い続ける単純作業をしていると、後方から高めの可愛い声がした。声の主は私と同じアルバイトとして雇われている篠原穂乃香(しのはらほのか)だった。飲食店ということもあって、長い黒髪はポニーテールで纏めてある。一五〇センチメートルあるかないかくらいの小柄な体躯で、目のぱっちりした可愛らしい女の子である。ちなみに穂乃香は私と同じ大学に通い、同学年の同い年である。唯一違うのは学部だけだ。腹が立つのは、私と違って胸が大きいことくらいだ。

 しかし、楽しそう? そんなに表に出ていたのかな。


「何か良いことでもあったの?」

 時刻は午後二時頃とあって、ピークが過ぎた後だったために洗わなければならない皿も大量にあった。穂乃香は私の隣の流しの前に立ち、大量の皿の山から一枚一枚丁寧に取って汚れを洗っていく。

「まあ、ちょっとね」

「もったいぶっちゃってさ。凛ちゃんが嬉しそう顔するなんて滅多にないから聞いてみたいな」

「別に大したことじゃないんだけどね。……本好きの友達ができたというか」

「やっぱり本のことか。その子とは話が合うの?」

「合わない」

「ん? どういうこと?」

 一瞬、穂乃香は手を止めてやや上方を見た。それから数秒後、また皿洗いに戻る。


「私の意見とは違うことを言ってくる」

「それって楽しいの?」

「楽しいよ。私が考えていなかったことをあっさり吐き出されるんだよ? 世界が広がると思わない?」

 そう、私が最近楽しい理由――美奈子との話は、合わないからこそ楽しい。共感する箇所が全くないというわけではない。ここは感想が一致していない。その部分が発生するときが、美奈子といて楽しいを感じる瞬間だ。

 私には本仲間というものが二十二年生きてきていなかった。小学生の頃はみんな運動かゲームが好きだったし、中学生になればもうほとんどの人は色恋沙汰にしか興味がない。もちろん恋愛に興味のない例外の人もいるが、ずっと休み時間に本を読んでいた私と接しようと思った人などいなかった。たまに声をかけられても「何て言う本を読んでいるの?」という質問からの「面白い?」で、面白いか面白くないかを伝えて終了だ。そこから踏み込んで来ようとする人はいなかったし、来てもらわなくても良かった。


 だから、美奈子に感じた何かは私の中で凄く特別だ。自分から不思議とこの子となら話せる。それどころか話したいとさえ思っている。こんなこと、今までの私にはありえないことだった。

「凛ちゃんがそこまで言うってことは、かなり魅力的な人なんだね~。同じ学部の人?」

「いや、大学の生徒ではない」

「へ~、社会人?」

「たぶん、高校生」

「高校生か~。これまた随分意外なところに……。てか、たぶんって何よ」

 それはたぶんだから仕方なかった。美奈子はずっと病院で生活している。かなり痩せ細った体形であるため、高校生と言うには小柄すぎにも見えるが、さすがにあれで中学生だったら早熟すぎる気がする。制服姿も見たことないし、本人に聞いたこともない以上、たぶんを付けざるを得ない。


「まあ、私たちより四つ以上は年下だと思うけど、穂乃香より随分と頭の良い子だよ」

「えー、何か悔しい!」

「悔しかったら私の部屋にある本を全部読破しなされ」

「あんな量無理だよ……。凛ちゃんの家は本と林檎で溢れかえってるんだから。林檎全部食する! とかなら喜んで行くけどね」

「お腹壊すだろうから許可しない」

「ケチ! でも優しい!」


 初めて穂乃香とこのバイトで会ったころ、趣味が読書だと伝えたら本を紹介してほしいと言われたことがあった。その時は私が一番気に入っていた井沢聖子の本を渡したのだが、数日後にあっさり断念して返却してきた。本が読めないという人は珍しくないし、別に腹が立つことはなかった。ただ、本には面白い世界が広がっているのにもったいないなという気持ちが芽生えたことはよく覚えている。


 大量の皿を洗い終わると、休憩室の方から次の時間に働く人が出てきた。それが私たちの仕事が終わる合図だ。

 オーナーに一声かけて私は休憩室へ入った。エプロンを取り、乱雑に丸めて鞄に詰め込む。このとき、私は一刻も早く帰って、明日美奈子と話し合う本の内容を整理しようと思っていた。すぐに鞄を肩にかけ、店を後にしようとしたとき、穂乃香が力強く私の肩を押えた。


「どうしたの?」

「私、再チャレンジしてみる」

「と、言いますと?」

「もう一回、凛ちゃんのオススメの本を読んでみる!」

 天真爛漫な笑顔を浮かべて胸の位置でグッと拳を握る。ダメな人ほどそうやって根拠もなく再挑戦するものだが、本人が読むというのなら私は断るつもりはなかった。

 鞄の中からエプロンの奥に沈む文庫本を一冊取り出す。タイトルは『惹かれ合う人』。私が井沢聖子の作品の中でも最高傑作だと思うものだ。本当は明日、美奈子と話し合うために忘れないよう入れていたものだが、なくても話はできる。

 穂乃香は両手で大事そうに受け取り、そっと鞄の中にしまった。


「読めたら感想言うね!」

「まあ、あまり期待しないで待ってるよ」

 あまりに裏表のない笑顔で言うものだから、この穂乃香という人は憎めない。おそらく、本人は心の底から今は読みたいと思っている。悪く言えば気分屋だが、ただ素直な人だ。

 だから本当は穂乃香の感想も聞いてみたい。私とは性格も考え方も違う彼女が、一体どのような感想をこの本に対して抱くのか。

 期待しないとは言ったけど、心は嘘をつけずに期待していた。




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