14話 落ちる林檎と待つ大地
私は田舎の風景が支配する高速道路で軽トラックを走らせていた。走っても走っても景色は山ばかり。ずっと同じところを何周もしているんじゃないかと不安になってくる。
世間は夏を迎え、今はちょうど盆の時期だ。何度訪れるのかと不思議に思う歴史的猛暑は今年も健在だった。今でこそ車内は冷房で涼しいが、外に出たら数秒で汗が噴き出してくるような暑さだ。
私が大学を卒業してから、ちょうど七年が経った。私はあれから内定の決まっていた会社に就職した後、そこで稼いで貯蓄したお金で大学に入り直した。そこで農学を履修し、今は実家の農家を継いでいる。父も健在ではあるが、フットワークの軽さを重視して全面的に私が動いている。
今こうして実家に帰っているのは、大学生のときの私からは考えられないことだ。元々、あの環境が嫌だったから東京に出たのに、結局は父の理想を実現してしまっている。まあ、自分で選んだ道だから後悔など一切ないけど、それでも不思議な感覚は残ったままだ。
――それもこれも、あの日から変わったんだ。
「ねえ~、まだ着かないの?」
あの頃をしみじみと思い出していると、助手席に座ってスマホを操作している穂乃香が不満げに言った。
「遠いって最初から言ってるじゃんか」
「にしてもだよ! 何時間走ってると思ってるの!? 七時間だよ!?」
「全く。これだから近代の便利な乗り物に慣れているやつは……」
「ちょっと前まで凛ちゃんもそうだったじゃん!」
「まあ、あと少しだから我慢しなさい」
そう、かれこれ私は七時間車を走らせている。さすがに途中休憩は挟んでいるが、それでも思っていた以上に遠い距離だ。
私たちが向かっているのは青森県だ。長野県から青森県なのでそれなりに距離はある。
なぜ青森県に向かっているかというと、そこに美奈子の墓があるというからだ。
美奈子がこの世を去って以降も彼女のことを忘れたことはなかった。でも墓参りにはこれまで一度も行けていなかったのだ。会社の休みを上手く取れず、二回目の大学生活でもゼミや課題で時間が取れなかった。こうして実家に戻ってきた今、やっと融通の利く一年を迎えることができ、ずっと行きたかった美奈子の墓に参ることが実現したのだ。
立石先生から美奈子が青森出身ということを聞いたときは驚いたものだ。てっきり東京だと思っていたから。出身地まで林檎好きだった。
そしてその墓参りに何故一回目の大学時代の同期である穂乃香がついてきているかというと……アポなしで長野の実家に遊びに来たからである。相変わらずスマートフォンという近代文明を効率的に使わない人だ。
穂乃香には井沢聖子にゴーストライターがいたことは伝えていない。だが、墓参りに行くときに「あの時の井沢聖子の墓参り」と言ったら嬉しそうについてきて今に至る。あまり考えはしない性格は大学生の時から変わっていない。青森なんて一時間くらいで着くでしょ! と嘘みたいに舐めていた彼女の姿は微塵もなくなっていた。
しかし、この車に揺られるだけの時間も、もうすぐ終わりだ。やっと高速道路から降りて一般道へと出た。立石先生に教えてもらったルートによれば、高速道路を降りてからは間もない場所にあった。
墓が近くにあるということもあって、私の実家とも遜色ない田舎だった。ここであの天才、小出美奈子は産まれたのか。自分が尊敬していた人物の聖地を訪れるのは何だか興奮するものだ。
それから車を走らせること数分。目的の墓地に到着した。長時間座っていたため、身体を伸ばすと一気に血が流れた。
「ふわー! やっと着いたー!」
穂乃香が大きな声で山に向かって叫ぶ。墓の前とか気にしないのがいかにも穂乃香らしい。だが不謹慎ではある。
「さてと」
私は荷台に積んでいた林檎の入ったケースを取り出した。美奈子の墓を参るのだから、お供え物は美奈子の大好きな林檎! と思っていたのだが――。
「――よく考えたら、腐るな」
まあいいか。花も持って来ていることだし、それを生けてちょっとだけでも林檎を置いておこう。そしてちゃんと美奈子に挨拶をしたら持って帰ろう。
複数の墓が並んだ地を歩き、坂道を上って奥の方まで進むと『小出家之墓』と書かれた墓が視界に入ってきた。花は一本も飾られていなかったが、妙に墓石には手入れが行き届いていて綺麗だった。
穂乃香と一緒に花瓶に花を挿して石に水をかけて回る。あとは線香を立てて終わり……なのだが。
「あれ? 線香どこやったっけ?」
「車に忘れてきたとか?」
「そうかもしれない」
「じゃあ私が取ってくるよ」
「いいの?」
「運転で疲れている凛ちゃんを動かせるわけにはいかないぜ!」
穂乃香はグッと親指を立てて坂道を下って行った。こういう時の穂乃香の行動力は言い方は悪いが便利だ。
私は穂乃香がいなくなって静かになった空間に流されるように美奈子の墓に目線を戻した。あれからもう七年か……。そんなに経つとはにわかに信じがたいけど、私が送ってきた人生を考えたら七年過ぎたことは納得だ。美奈子に会ったから、当初の人生計画からは随分と道は変わったけど、こんなに心に負荷がなく生きていられるのだろう。
「美奈子が正しかったよ。美奈子の言う通りに動いて正解だった」
あの時、君が背中を押してくれたからこうしていられる。君がいなかったら、私の家族はそれぞれが死ぬまで分裂したままだっただろう。
墓石の前で目を閉じて合掌していると、側で砂利を踏む音が聞こえた。穂乃香が線香を見つけて持って来てくれたのだろう。
しかし、その私の予想とは違って、そこにはスーパーの袋を提げた男性が立っていた。ひどく不健康に痩せた男性だ。袋の中には線香などが入っていて、彼もまた墓参りに来た人なのだろう。でも、彼は明らかに美奈子の墓を見ている。
「あの、あなたは……?」
その男性は不安そうに私に問いかけた。私に怯えているのか、声が震えていたし、若干手も震えている。
「私は……美奈子さんの友人です」
「え……!?」
その私の返事に男性はやけに驚いた。不安そうに私を伺う目も一変して剥き、空いていた左手で口を覆い隠していた。
「美奈子の……お友達さん……」
自分で確かめるように口にすると、男性の目から静かに涙が出てきた。これまでずっと泣けなかった分が溢れ出したように、ポロポロと何粒も頬を伝う。
その想定外の光景に驚いた私は気の利いた言葉が何も思い浮かばず、ただ男性の様子を見ていた。すると男性は涙を流しながら表情を崩し、墓石をしっかり見て柔和な笑顔を浮かべた。
「そうか……美奈子、お友達ができたんだ……」
その言葉で私の頭に衝撃が走った。目の焦点が合っていなかった最初の物憂げな様子。美奈子の前で号泣する男性。でも美奈子に友達がいたことに嬉しそうにしている様子。
そうか。この人は美奈子の――。
男性の正体を悟った私はケースから林檎を取り出した。赤くて艶のある塚田家自慢の林檎だ。
「あの、良かったらこれ、食べてください」
差し出した林檎を男性は宝物を見るようにキラキラした目で受け取った。
「えっと……『自信作! 凛ちゃんの林檎だ!』……って、美奈子さんにお伝えください」
「……っはは」
男性は涙を拭いながら笑った。そして私の林檎を墓の前に持って行って、ちゃんと美奈子にも見えるように精一杯腕を伸ばした。
「お友達が美奈子の大好きな林檎をくれたよ。美味しそうだね。自信作の凛ちゃんの林檎だって。可愛い名前だね」
夏の強い日差しが林檎と男性の涙を輝かす。それによって男性の目にも光が宿ったように見えた。
私はその光景を見て、何だか満足した。自分のことで精一杯で美奈子のことしか見えていない男性に一礼して、私は墓を後にした。たぶん、今は邪魔してはいけない時だろう。
坂道を下りようとすると、線香を取りに行っていた穂乃香とちょうど会った。
「あれ? 線香立てないの?」
「うん。もう十分お参りしてきたよ」
「え~。でも線香立てなくていいのかな?」
「私は従来の形式を打ち破る、自分なりの思いで参ったから良いのさ」
「何それかっこいい! じゃあいいや!」
こんな訳の分からない発言で納得した穂乃香は嬉しそうに私に続いて坂道を下りた。どんどんと美奈子が遠くなっていくのが、背中越しでも分かる。
美奈子の言っていることが分かったよ。確かに、美奈子は何回人生をやり直しても、あの両親から産まれるんだろうね。
そして私も、何回人生をやり直しても不器用な頑固親父と揉めない平和主義な母親から産まれると思う。全く持って、美奈子の言う通りだ。
でも、一つだけ違うと思うことがある。
美奈子は今の両親から産まれていなかったら、私と出会っていなかったかもしれないと言ったね。
でも、絶対に会ってたよ。たとえお互いが違う両親から産まれていたとしても、お互いが地球の正反対の場所で産まれていたとしても、引き寄せられるように、絶対に会っていた。落ちた林檎と待っていた大地のように。
私はケースからもう一個林檎を取り出して齧った。甘くて、ほのかな酸味のある自慢の林檎を。
――美奈子。ありがとう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
この作品は長期休みに短期連載用として書いたものでした。時間がかかって長期休暇からは随分離れた時期の投稿にはなりましたが。
人間の複雑な心理描写を中心としたため、至らない点があったかと思います。またこの作品を通して経験したことを、次に活かせるようにやっていきたいと思います。
改めまして、「凛ちゃんの林檎」を読んでくださり、ありがとうございました!