12話 美奈子の手紙②
この手紙が凛さんに届いているということは、私の真実にお気づきになったんですね。
すぐに気づいてくれたのか、ちょっと時間がかかったのか、はたまた何年も経ったのか。それは分かりませんが、とにかくこうして凛さんにお伝えできることを嬉しく思います。
さて、単刀直入に申しますと、私の正体は井沢聖子のゴーストライターです。
凛さんは井沢聖子のファンなので驚かれたと思います。そして言えずに申し訳ありません。憧れの人物が表面上の姿であって、本当は私。そんなこと言うと、おこがましいですし、何より凛さんの夢を壊しそうでどうしても言えませんでした。
さて、少し長くはなりますが、どうしてゴーストライターとなったのか。私の人生を辿りながらお話します。
私が初めて小説を書き始めたのは中学生のときです。もちろん、小さな頃から本が大好きだったので遊び半分ではよく書いていましたが、本格的にやり始めたのは中学生のときでした。
子どもながらに夢は小説家になることで、時には勉強をサボって小説を書いていました。
そして中学二年生の終わり頃、初めて出版社主催の新人賞に応募しました。
結果は惨敗でした。一次選考も通りませんでした。
初めて現実を見せられた気がして落ち込む日々を送っていましたが、ある日、私の家にその出版社の職員さんがやってきました。職員さんは私に仕事を持ち掛けてきたのです。「小説を書かないか」と。
嬉しくてたまりませんでした。でも、実態は私が思っていたようなものではなかったのです。
その内容こそ、井沢聖子のゴーストライターになるというものでした。どうやら、私が新人賞に応募した作品は、文句なしで大賞のレベルだったらしいのです。しかし、敢えてそこを落選させてゴーストライターとして採用する。
もちろん、私は小出美奈子として小説家になるのが夢だったので断りたかったです。でも私の母親は私に意見を聞くこともせず話を決めてしまったのです。
その理由は、莫大な報酬でした。
母親はお金に目がない人です。今も昔も変わらず、お金が中心となって動いている人です。それが原因で父はうつ病となり、私が小学校低学年のときに離婚しました。それ以降、父親とは会っていません。
父親がいなくなって収入源がなくなっていた母親に、ゴーストライターとして働くことへの報酬は夢のような話でした。
そうして私は母親の奴隷のような偽りの小説家になり、裏の井沢聖子となったのです。
当たり前ですが、その小説が成功するなんて保障は私にはなかったので、一応高校くらいは行っておこうと進学しました。なので、学業と小説家の両立の生活が始まったのです。
ただ、小説の出版ペースはあまりにも早い設定でした。かなり限界のところで生み出していったのが、皆さんの手元に渡ったものです。
小説以外にも雑誌やテレビのインタビューの文も、全て私が考えました。文だけを起こしてもらう。そういう次元ではなく、完全なゴーストライターとなったのです。
有難いことに小説は世間に評価していただき、井沢聖子の名は全国に広まりました。
でも、やはり寂しかったです。小出美奈子が書いているのに、井沢聖子として売れていく書籍たち。何だか、我が子が遠くに行ってしまう感覚でした。
その仕事のペースについに身体がついて行けなくなり、私は過労で入院しました。でも、その間も小説を書き続けました。医師の方が止めてくれるときもあったのですが、私は機械のように書き続けていました。もう楽しいも苦しいも忘れて、ただ小説を生み出すマシンとなっていました。
そんなとき、私の人生が急に変わる出来事が起きます。
それが、凛さんとの出会いでした。
凛さんは井沢聖子の世界に好感を持ってくれた読者さんでした。でも、私はやはり寂しかった。この人も小出美奈子ではなくて、井沢聖子に魅了されたことになっているんだと思ったからです。
すると、面白いことに、凛さんは井沢聖子の世界に飲まれすぎなかったのです。
ただ共感するんじゃなくて、自分の意見をしっかり言った。それが『猫の生き様』の話をしたときです。その時、何故だか分からないけど、凛さんは井沢聖子じゃなくて小出美奈子と話してくれている感じがしたんです。
嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
そして凛さんがある人物に似ていたんです。『惹かれ合う人』の主人公です。ご両親との確執で東京に出てきた凛さん。そんな凛さんが私をどんどん楽しい世界に、たった一日話しただけで導いてくれた。
私の作り出した世界が具現化したようで、本当に嬉しかったんです。そして、不思議な出会いって本当にあるんだとわくわくしました。
それから会うたびに凛さんという人物に惹かれていって、気がつけば凛さんと会うことは日々の楽しみになっていました。こんなに楽しいと心から思えることは、本当に久しぶりです。
だから、何だか急に生きたいって感情が芽生えてきてしまったんです。これまでは死んだ方が楽だと思っていました。死んでしまえば、こんな風に何も考えず、ただ思うがまま、好きなようにできるんじゃないかなと。
もしも、もっと私が生きられたらどんな人生になっていたのだろう。ずっと表の井沢聖子が亡くなるまでゴーストのままなのかな。もしかしたらその環境から脱却して、井沢聖子の名前なんてあっという間に抜いてしまう大作家になっていたかもしれないな。凛さんともっとお話して、楽しい人生になるかもしれないな。
そんな風に考え始めるとキリがありません。でも、こういうことを考えられるようになったのは、間違いなく凛さんという人がいてくれたからです。
図々しいお願いかもしれませんが、「そんな奴もいたなあ」くらいでいいので、凛さんの中のどこかに私を置いてくれたら嬉しいです。
あと一つ、どうしても気になっていることがあるので書いておきます。
凛さんはお父さんのことを嫌いとおっしゃっていました。もしかしたら凛さんは、お父さんは凛さんのことを嫌っていると思っているかもしれません。
でも私はそんなことはないと思います。本当に凛さんを嫌って応援しない人ならば、あんなに美味しくて優しい味のする林檎は作れないと思いますし、それを娘に送り続けることもしないでしょう。
以前、もしも自分が親を選べたらって話をしましたよね? 私もそう思います。私は金を得るための道具として私を扱う母親が嫌いでした。選べるなら、もっと優しくて、純粋に私の小説家への道を応援してくれるようなお母さんの元に産まれたかったです。
でも、私は人生を何回繰り返してもあの母親から産まれるのだと思います。
実際、あの人から産まれていなかったら入院もせず普通の学生だったでしょうから、凛さんと会うこともなかったかもしれません。それにもっと生きていたら、何かが分かって、母親を好きになれる瞬間があったかもしれません。
しつこいですが、私は母が嫌いです。そして嫌いなまま死ぬことになりそうです。
だから凛さんには、そうなって欲しくないんです。
余計なお世話だと思いますが、私のためにも動いてみてはもらえませんか? 凛さんの心が晴れない日が続くのなら、一番の理由はそこにあると思います。
大丈夫です。私は何人もの思想を本の中で作り上げてきました。その私が保障します。凛さんのご両親は、ずっと凛さんの背中を押してくれていた人たちであると。
長くなってしまってすみません。
最後に、凛さんと出会えたことは、短い人生でしたが私の誇りです。本当にありがとうございました。
またお話しましょうね。
☆ ☆ ☆
読み終わった手紙をテーブルの上に置いた。何だか切ない気持ちになる。美奈子がいなくなってしまったことを改めて実感したわけではない。実感するには十分な時間が私にはあったから。
これを死が近づいてくる中、書いたと思うと美奈子は凄い人物だと感心する。だって自分の人生が終わるっていうのに、私のことを書いているんだから。
私は父親とは険悪なムードのまま別れた。でもそれはあくまで現状として残っている。それすら美奈子にはもうないんだ。
本当は美奈子も酷い仕打ちをする母親をどこかで信じたくて。でも信じられないまま命が終わって。
それがどれだけ苦しいのか、今の私には分からない。父親を信じようなんて思ったことないからだ。
それもそのはずか。美奈子はお父さんがいなくなって、残っている身近な人はお母さんだけだったんだ。信じたくなるのも無理はない。お母さんを信じないと、本当の独りぼっちだから。
でも、そんな美奈子が私を見つけてくれた。あの日、白い少女がベンチに来なければ、あの子は変わらなかった。
――そして、私も変われないままの人生になったんだろう。
私は鞄の中から携帯電話を出した。電話帳を開き、約四年ぶりにその名前を見る。
コールボタンをタップして回線を繋げた。数回のコール音の後、「もしもし」という柔らかい母親の声が聞こえてきた。私は溢れ出しそうな涙をぐっとこらえて言葉を絞り出した。
「年末、家に帰っていい?」