物語を紡ぐということ。
今年──二〇一六年も早いもので、もう九月に差し掛かろうとしています。
一年の三分の二、年度で考えれば半分近くが過ぎ去ることになる、九月という季節。皆さんにとってこの季節は、どのような意味合いを持つものなのでしょうか。或いは台風の季節、或いは運動会の季節、或いは果物狩りの季節なのかもしれませんね。
読書の秋、なんていう言葉もあります。小説家になろうのユーザーの皆さんは、本や小説、読んでいますか? 書いていますか? 僕は最近は読んでばかりで、あまりパソコンのキーボードへと手が伸びてくれません。
それでもこの季節になると、何かを書きたくてたまらないという目に見えない衝動が、身体の奥底からうずうずと湧き上がってくるような感覚があります。
三年前の九月二十三日。僕はこの『小説家になろう』で、ネット作家としての初めての活動を開始しました。ですから、九月という季節は僕にとって、不特定多数の読み手の方々へと自分の作品を公開するという趣味を始めた記念の月に当たります。
三年の月日の流れゆく間に、このサイトに掲載してきた作品の数は73。たくさんの方と出会い、たくさんのイベントや企画に参加して、気付けば僕のユーザーIDは最近の方のそれの半分にも満たないようになってしまいました。知名度も低く作品の人気もなく、いわゆる「底辺ユーザー」の一人ではありますが、今日までこのサイトで楽しくやってこられていることを僕は本当に幸運に思っています。
他所の方の作品を楽しむこともできました。他所の方と交流する楽しさもありました。──けれどやはり、一番に楽しかったのは他ならぬ執筆そのものでした。
このエッセイを覗いてくださった、あなた。
せっかくですから少し、僕──蒼旗悠の昔話に付き合ってくれませんか。
僕がいつ、物語を自分で考えるようになったのか。正直なところ厳密には分かりません。
記憶に残っている限りもっとも古いものは、幼稚園の年長くらいの頃でしょうか。当時、おもちゃの動物を動かして遊ぶのに、僕は毎回必ず彼らに「キャラクター」を与えていました。そして、そのキャラクターが織りなす物語に従って、動物や人形たちを動かして遊んでいました。
家もありました。家族もありました。家具や自動車もあったように思います。おもちゃの動物にはたいてい主人公がいて、その主人公を中心に物語は廻っていました。今にして思えば、往時の僕にとっておもちゃの動物で遊ぶということは、その世界観の中での生活を疑似体験するようなものだったのかもしれません。それはもう夢中になって、夕食時になって母に呼ばれるまで時を忘れて没頭していたのを覚えています。
小学校低学年になるにつれて、キャラクターたちを構成する設定はどんどん複雑に、そして高度になってゆきました。さすがに中学年くらいになると、以前のような「おもちゃのキャラクターを動かす」という遊び方はしなくなっていましたが、その代わりとして僕が選んだのは「お話」でした。僕には兄弟があり、その兄弟と夜な夜な布団にもぐりながら、享有していた設定をもとに色々なストーリーを考えて、それを語り合うという遊び方に切り替えたのです。お互いに小学生ですから、多少なりとも荒唐無稽だったり矛盾にあふれてはいましたが、おもちゃという現実のモノに空想の幅を狭められることのない「お話」の自由度の高さは、そうでなくとも膨らむ一方であった物語の世界をさらに拡大させていったのです。
空想だから、何でもできる。何をしたって許されるし、どんな理想も追求できる。
あの頃の僕を引き付けていたのは、虚構の持つそんな魅力でした。
そしてそれは裏返せば、僕自身が自分の日常に「虚しさ」を感じていたことの顕れであったのかもしれません。
僕は昔からずっと、人付き合いが苦手な人間でした。どんなに親しい間柄の人に対しても、心のどこかで警戒心を抱いてしまう。言うなれば怖がりなのです。そしてそのことを僕は、早い段階から自認してきました。僕は自分が、嫌いでした。
そんな僕にとって物語とは、好き勝手に語られるストーリーの主人公に自分自身を重ねることで、自分が絶対になることのできない理想の自分を、虚構という別世界の中で自由に動かすという意味合いを持つものだったのだと思います。
もともとアニメや絵本が大好きで、読みすぎで目を悪くしたこともあっただけに、僕たちの構築する世界は様々な影響を受けてどんどん拡大していきます。中学年の時には図工の授業で絵本を描き、初めて自分の手で物語を完結させました。高学年になると友人たちと漫画を描くようになり、クラス内でそれなりの人気を集めるようになりました。友人との共同であったとは言え、自分の創り出したものが誰かを魅了するということの楽しさに、この頃になってようやく気付きました。
そう。物語とは、創り出す自分には「虚構の中で好きなことができる自由」を与えてくれ、そして読み手には楽しさを与えることのできるもの。読み手と書き手の両方を経験したことで、物語という娯楽の双方向性を僕は身をもって知ったのです。そのことが僕の心の中で、物語を紡ぐという趣味への没入の決定的なきっかけになったことは、恐らく間違いないと思います。
その後、中学一年生の折から学校で多くのレポート課題を課せられたことで、「書く」という行為そのものに慣れてきた僕は、二年生の時に勇気を出して学校の文芸部の門を叩きます。同学年の友達がひとりとして共感してくれなかった物書きという趣味に、部活の先輩方は率先して励んでいました。本物の「書き手」に触れ、薫陶を受けながら手探りで物書きを始めて一年。三年生になる頃には、通学電車の車内で携帯電話を使って執筆するという現在のスタイルがおおむね形成されたように思います。
思春期という時期は、子供の自己顕示欲を高める時期でもあります。学校の文芸部誌での作品発表は、どうしても読者の範囲が狭くなりがちです。それを憂えた僕は、高校一年になって「新人賞を狙う」という道を選びます。しかし完成させた作品は字数が多すぎ、応募要項の規定に沿うことができませんでした。そこで僕は、さらに新たな道を選びました。それが、不特定多数の読者の目に触れることのできる、この「小説投稿サイトでの公開」でした。
かくして僕は、今に至ります。
幼い頃、兄弟と紡ぎあげた膨大な設定、そして物語。
小学生だった自分の描いた、絵本や漫画。
そして、中学から高校、大学生の今に至るまでに僕が書き溜めてきた、何百万もの文字と何十もの小説。
時折、懐かしくなって眺めることがあります。するとその紙面には、物語を生み出した当時の自分が何に悩み、何に苦しみ、何を思ってきたのかが、まるで染みのように浮かび上がってきます。
僕にとって自分の紡ぐ物語は、自分の理想を閉じ込めておく場所でした。ですから物語は繋がっているのです。そこに滲む「理想」を思い描いて憧れた、かつての自分の記憶に。
『小説家になろう』で活動をしていると、どうしても他人に下された評価や、他所の方の作品の評価が気になってしまいます。より人気のあるものを書こう、より読まれるものを書こうという意識も、否応なしに浮かんできてしまいます。それでも僕にとって、小説が「自分の理想を叶える場」であることは、今も昔も揺るぎはしません。
他の人に受け入れられる物語を書けることは、誰からも認められる立派な才能です。そうした作家になることを夢見て日々執筆に励む人を、僕はたくさん知っていますし、応援してあげたいと感じます。しかし──いえ、だからこそ。一方で僕は、僕なりの物語の紡ぎ方を忘れないようにしたいと、強く思うのです。
何かに急かされ、心から書きたいものを書くことができない僕を見れば、昔の僕はきっと悲しむと思うから。
せっかくインターネットの海に残すことのできた足跡が誰のモノか分からないのでは、寂しいじゃないかと思ってしまうから。
三年という月日を経て、僕の中で伸びたものはたくさんあったと思います。語彙も増えたでしょう。作法も定着してきたでしょう。『こんな作品が書きたい!』という憧れの対象も、触れる世界が広がったことで昔よりさらに増えてしまいました。
そしてその変化の事実は、僕自身の考え方や思いにも変化が生じていることを示しているのかもしれません。
次の一年後、その次の一年後と、これからも少しずつ技量を伸ばしながら、きっと僕は自分でも気づかないくらいの速度で変わってゆくのでしょう。そこで、三年の節目を間もなく迎えるにあたって、備忘録のような形で自分の考えていたことを残せないか。そう思ったのが、このエッセイの執筆のきっかけでした。
このエッセイを読んでくださっているあなたは、物語を読む側でしょうか。それとも書く側でしょうか。あなたにとってその行為は、楽しいですか?
どうかそれが楽しいものでありますように。せっかく余暇を潰してまで行う「芸術活動」なのですから、つまらないのではもったいありませんよね。
自分の想いを整理するため。それを誰かに伝えるため。賞を通過することで、文壇の先人たちに認めてもらうため。人が物語を紡ぐ理由は、人によりけりです。けれどある意味それは、「達成することでその人を幸せにする」という言い方に置き換えてしまえば、たった一つの理由に収斂されてしまうとも言えます。そして、自分の気持ちに正直になったその瞬間、その「理由」は簡単にあなたの目の前に浮かび上がってくるのです。
もしも苦しみで執筆や読書が進まなくなった時、筆を折ってしまいそうになった時。その「理由」はきっと、あなたを支えてくれるでしょう。間違いないはずです。誰でもない僕自身が、それによって何度も救われてきました。
はじめて物語に出会った時のこと、あなたは覚えていますか。
秋の夜は長く、涼しいです。文字を追うことに疲れたのなら、少し手を止めて、目を閉じてみてはいかがですか。
自分にとって、物語とは何なのか。ほんの少しでいいのです、考えてみませんか。
物語は何も言わず、あなたがその答えにたどり着いて来るのを待っていてくれるはずですから。
お読みいただき、ありがとうございました。
本作を読んで感じられたことがあれば、ぜひ教えてください。感想でもメッセージでも、蒼旗悠はいつでもお返事をするつもりです。
蒼旗悠
2016/08/29