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第1章の8 : いつもどおりのふつうのひ





 私たちの店で最も頻繁に頼まれていたのは、『ほんじつの日替わり』と名づけていたお任せメニューである。


 手書きではあるがイラストまでつけて調理法や使っている素材を丁寧に説明したほかのメニューよりも、日替わりを頼まれる頻度のほうがはるかに多かった。



 こちらとしては正直なところダブった在庫の処分でしかなかったのだけれど、慣れているお客ほどメニューも開かずに「日替わりで」の一言で注文を済ますのだった。




「いつもどおりのもので良いよ」


 そう声をかけられたのは、日替わりの内容を書き出していた立て看板を前にしてうんうん唸っていた時だった。


 その時、私は日替わりの内容で迷っていた。なにか特別で記念になるような品目にしなければと考えていたのだ。



 あわてて振り返ると、今日は一日店に居ると言っていた彼が掃き掃除用の箒を手に立っていた。



「いつもどおりにした方が良いんですか?」


「そうしたほうが良いっていうか、それで良いんだよってこと。変に肩肘張ったものを出してもしょうがないからね」


 店の前に落ちていたごみを拾いながら続けられた。確かに、ここで考え込んでいても仕方ないのかもしれない。


 結局私は、定番となっているメニューを出すことに決めた。




 加熱するとホクホクして少しだけもっちりする「プタテス」の実を茹で潰し、そこにこのあたりの主食であるパンの元である「ベーテ」の粉を混ぜ、粉っぽさが取れるまで練りこむ。きっとプタテスはジャガイモでベーテは小麦だと思うのに、パンはパンなのが面白い。


 硬くならないように練った生地を細長く伸ばし、芋虫くらいのサイズに切ったところでもう一度茹で上げる。丸太の形だとホントに虫みたいでイヤなので、いつも真ん中をへこませて平べったくにしている。ぐらぐらのお湯の中から浮き上がってきたら掬い上げ水で絞めてやれば、生パスタの一種であるニョッキの出来上がりだ。


 本当は麺状のパスタを使いたいのだが、ベーテの粉をどう弄繰り回してもパスタ麺にならなかったので諦めたのだ。うどんちっくなモノならできたので、きっと何かが違っていたのだろう。



 脂身たっぷりな「グリス」という動物のわき腹肉を短冊状に切ったものに下味をつけてフライパンに投入すると、じゅわじゅわと油がにじみ出てくる。そのまま遠火で炙ってやれば、外はサックリ中はジューシーな厚切りベーコンもどきの出来上がりだ。


 余分な油を捨ててバターで軽く炒め、野菜の根っこから取った出汁を少し加えてから濃い目の塩味に調整。十分に準備が整ったら火から下ろしてニョッキを投入する。


 フライパンを振ってニョッキに熱を吸わせ、満遍なく油が廻ったところで用意していたソースを加える。この時に温度が高ければソースが固まりぼそぼそになるし、逆に低すぎてもべしゃべしゃして美味しくない。安定した火力を出せるガスコンロが、如何に料理の質の向上に寄与していたかを痛感する瞬間である。



 ソースの中身は「キリング」という鳥の卵黄、グリスとともに代表的な家畜である「コラー」の乳、さらに削ったチーズを泡立て器で混ぜたものだ。


 コラーの乳からはチーズやバターも、名称は違えど豊富に作られている。さきほどフライパンにヒト欠け投げ込んだのもそれだったりする。



 指先と目でソースへの熱の加わり具合を確かめつつ、皿に移す。本当はこれに胡椒を粗挽きにして思いっきり振りたいのだが、あいにく未だにあの黒い粒は発見できていない。


 仕方が無いので噛むと少し刺激のある「シャッテ」という香草を刻んで振りかける。白いソースに薄い緑色がアクセントになり見た目も良くなるので、これはこれでと納得している。



 この皿をメインにパンを付け、先ほども使った出汁に柔らかく煮た根菜を入れたものをスープに仕立てて添えれば、「ほんじつの日替わり」ニョッキのカルボナーラソースが出来上がりだ。月に2~3回は出しているメニューだし、そんなに手の込んだ一品と言うわけでもない。


 だからだろう、「いつものメニュー」と彼に言われて真っ先に思い浮かんだのがこれだった。




 カルボナーラのパスタは、私が母に始めて教わった料理だった。


 母がこれを真っ先に教えてくれたのは、パスタ麺を電子レンジで茹で、具も冷蔵庫の中の適当な物でありあわせてしまえば一切火を使わずに作ることのできるメニューだったからだろう。ソースへの加熱がパスタを茹でた時の熱のみになってしまうので当然そこまで美味しくはないが、抜こうと思えば全力で手を抜けるというのもポイントが高い。


 後にガスコンロを使う許可が下りてからはフライパンで具材をいためるところから始めてはいたが、腹をすかせたときにサックリ作れるお手軽さ加減から重宝したものだ。




 結局その日、昼の来客はゼロ。夜に二皿このメニューを作っただけで、営業終了の時間になった。


 フロアに出ていた彼女が、


「意外と旨かったよ」


 と、帰りしなのお客に声をかけられているのが厨房の中まで聞こえた。少しだけ救われた気がした。



 それが、私たちの店が閉店を迎えた日の全てであった。




 何も特別なことなど無く、いつものように店を開け、いつものようにお客を迎え、いつものように店を閉めた。


 思っていたような激しい感情に襲われることも無く、どこか「こんなものかな」なんて思った。




 厨房の掃除を終わらせた後、表に出て下げ看板を閉店に変えてきた彼女に声をかけ、二度とお客を迎えることの無いテーブルに腰掛けた。


 二人してどんな顔をして良いのかわからずに困っていると、彼がいつものコーヒーもどきを淹れてきてくれる。


「終わっちゃったわね」


「終わったねぇ」


「―――そうだね」


 それだけ言って、後はひたすらお茶を飲んだ。おかげでみんな何回もトイレに立った。




 彼が「今日は良いよ」と言ってくれたので、今夜はもう何もせずに眠ることにする。


 自室に戻ってしばらくしたら彼女がやってきたので、狭い私のベッドに二人で丸まって眠った。


 お互い、特に会話はしなかった。



 瞼を閉じきる前に口ずさむ。


 明日から、頑張ろう。

1章終了です

スカッとさわやか展開の真逆を行く流れにもかかわらず

ここまで読んでいただきありがとうございました。



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