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第1章の6 : もういくつねると





 ひとたび店を閉めると決まっても、では今日で終わりと言うわけにはいかなかった。



 いや本当のことを言えば、私は今日明日にも閉店してしまうものだと思っていたのだ。うっかりそれを口もらしてしまった後で「貯蔵庫の食材どうするつもりだったのよ」と呆れられてしまった。残った食材なんて、本気出せば食べきれない量じゃないのになぁ。




 なんにせよ区切りは必要なわけで、私たちは半月後を閉店の日と決めた。


 ちなみにだが、この世界の暦は元にいた世界のソレとあんまり変わらない。一年は360日で、一月は30日。ただし週とい言う概念はなく、一月を10日ごとに分けて上旬中旬下旬とだけ呼ばれていた。多分、夜空の星の関係なんだろうと思う。この世界に美少女戦士は存在できないのである。




 調理担当の私は、これまでのお客の入りから考えて仕入れを絞っていき、最終日にできる限りの食材や調味料を使いきれるようにする役目を与えられた。


 当然の帰結として出入りの業者に閉店の旨を伝える役も私が担うことになる。非常に気の重い仕事ではあるのだけれど、


「こういう時にどんな対応をするかで、次に店を持つ時の対応が変わってくるんだからしっかりね」


 こんな風に念を押されてしまった以上、頑張らねばなるまい。




「そうですか―――仕方ないですけど、残念ですね」


 私が閉店することを告げると、野菜の卸業者から来ていた男は本当に残念そうだった。


 それまで月締めの支払日が迫ってくるたび、私はどこかでこの男の影におびえてしまっていた。厳しい状況の中で容赦なく金を取っていく者。そんな風に無自覚ながら敵として見てしまっていた相手の言葉に慰められていることに気がついて、なぜか少しだけほっとしてしまう。あぁ、私はこんなにも余裕がなかったんだな。



 少しだけ胸襟を開けた私は、この男が頻繁に客として利用してくれていたわけでもないのに本気で残念に思っているように見えた理由を問いただしてみる。


 何のことはない、男の勤め先では捌きにくいけれど一定量は仕入れないわけにはいかない類の食材を、まとめて扱っていたのがウチくらいだったということだ。



 確かに私たちの店のメニューは、この街の人たちの食卓にはなかなか上がらない材料をよく利用していたので、そういった一般的ではない商品の卸し先としてありがたかったのだろう。


 少し拍子抜けしてしまった感はある。だが考えてみればこれが商売上の関係と言うものであり、そうやって成り立つ絆が必ずしも冷たいものだと言うことにはならないと思う。



「もしもまたこの街で店を開くことがあれば声をかけてください」そう言って男は辞していった。社交辞令の類なのかもしれないし、実際そうなのだろうけれど、次につなげると言う言葉の意味が少しだけわかった気がした。




 店舗自体の売却も、恙無く進んでいた。商業組合に声をかけてすぐに買取の打診があったのだ。


 彼が予想したとおり、内装を少し整えて貴族向けに転用していくらしい。専任の調理人を抱えることも少なくはない貴族階級なら、一般住宅より広めの厨房を有する造りであっても問題にはならないのだという。



 提示された金額は私たちが購入したときとは比べ物にならないくらいの安価ではあったが、中古の物件としては破格に近い高値で買い取ってくれることが決まった。


 築年数の新しさや2階建てというという以上に、私たちが家を傷ませずに使っていたことが高評価に繋がったらしい。どうしても劣化が激しくなる厨房部分さえなければもっと高値をつけられたのにと、内見に来た組合員は残念そうに笑っていた。



 お客を通す部分はもとより、私たちの生活スペースの保全にまで気を使ってくれていたのは主に一緒に暮らしていた彼女の方なので、その日の夕食はあの娘の好きなロールシチューにしてあげた。すこぶる喜んでくれたので、足の速い葉物を消費したかったと言う台所事情は言わないでおくことにする。




 とても少なくなってしまったとはいえ、それでも通ってくれるお客が居ないわけではない。


 閉店までの数日間に来てくれたお客のうち何人かに、彼女は閉店する事実を告げていた。すべてのお客に言っているわけではないのは、一見のお客にはあえて言わずに済ませたからなのだろう。



 私のように常日頃から精神的孤高であることを集団生活の中で己に強いていたタイプの修験者からすれば本当に恐るべきことに、彼女は一度来店してくれたお客の殆どを記憶しているのだ。


 別段嫌がらせをしてきたとか石を投げてきたとかでもない他人に対しそれほどまでに大脳皮質を酷使させているというのは、恐らくなんらかの脅迫的心理作用の帰結なのではないかと疑いをかけざるをえない。そう心配したあまり以前マジメに話してみたのだが、逆に哀れんだような瞳を向けられた。ここ、こ、コミュ障ちゃうわ! あれはもっと深刻な人たちに向けられるナニガシかだ。




 程よく身長の低い彼女がくるくると店内を歩き回る様は、私のようなガサツな女からすれば非常に好ましく映るものだ。お客の中には同じような感性を持った者も少なからずいたようで、店がなくなることによってそんな彼女を眺める機会がなくなること嘆いていた。


「ほんと? ホントにこの店閉めちゃうの? そうなったらオレ、次からどこで晩飯食ったら良いんだよ」


 軽薄そうな声が、ディナータイムの一皿を出し終え、残った食材であと何食提供できるかを概算している私の耳に聞こえてきた。


 その言葉通りウチ以外に夕食の当てが無いというのなら、コイツは今頃確実に飢え死にしているだろう。何故そうならぬためにもっと頻繁に通ってくれなかったのかと問い詰めたくなる。



「ん~。私も残念なんですけど、閉めるって決めちゃいましたから。あ、でもそのうちまたどこかで食べ物屋さん始めると思いますから、そのときはきっと通ってくださいね?」


「いくいく行っちゃう。ヒヨシさんのお店なら絶対通っちゃうよオレ」


 いよいよもってこの男は、己の言動の不一致と言うものについて鑑みるべきである。そもそも彼女と懇意にしたいと言う気持ちが本気なら、この店に通いつめるのが一番の近道であったろうに。



 とはいえ、そういう下心があった上でもこれくらいの来店頻度に収まってしまっていたと言うのが、私たちの店自体に魅力が足りなかったなによりの証拠なのだ。これ以上を求めるのは、やっぱり間違っているのだろう。



 だいいち彼女の個人的魅力だけで集客がまかなえてしまうとしたら、それはそれで私としても面白くないのだ。

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