第1章の4 : 懐かしい香りと賃貸事情
この2年間私たちは、店舗の2階部分を住居として生活してきた。3部屋ある個室のうち、奥まった日当たりの良い部屋は私の寝室。手前の広めの部屋が彼女。
そしてそれとは別に階段近くの部屋は共有のリビングとして使っていて、基本的には2人ともそこに居るのが私たちのライフスタイルだった。
食事は1階の店舗部分で取っていたけれど、無理やり引っ張ってきた水周りとお湯を沸かす程度には困らないキッチンもあるので、自由な時間の大部分はここでボーっとしたりお茶を飲んだりしていた。
ちなみにそれ以外の設備は洗面所くらいで、トイレなんかは一階の店舗に据え置きしてあるものを使っている。ついでに言うと風呂はない。
建築様式の違いなのか階段周りは秋口ぐらいから夜になると肌寒い日が続き、夜中に諸事情あってトイレに用事ができたときなどは難儀したものだ。
このあたり彼女は「女同士ぢゃん」とか言って結構あけすけなのだが、私は設備チェックをしにいくのだと言い張っている。衛生施設の保全は重要なことだし突如として湧き上がった使命感に駆られたが故の行動なので何も不自然はない。ないったらない。
普段は簡単に身だしなみを整える時などに利用している2階の洗面所を交互に使いリビングに戻ってくると、彼は私たちのためにお茶を淹れてくれていた。
この街でよく飲まれている薄紅色のお茶ではなくどこか焦げっぽい匂いのする琥珀色のお茶で、なんとなくコーヒーに似ているような気がした。
聞けば、北の方ではどこそこで自生している多年草の根っこを乾燥させたものらしい。『タンポポもどきコーヒー』と言っていたので、やはりコーヒーなんだろう。豆じゃないタイプのコーヒーもあったとは驚きである。
「地球と似たような環境の世界だから、似たような植物はきっとあるって思って探してみたんだ」
感心する私たちに彼は少しだけ得意げにそう言う。『世界を見てみたい』と旅をしていたのは、そういうモノを探すことも目的に含まれていたのだろうか。
時間があれば、彼がこの2年で見てきたものの話をもっと聞いてみたいと思った。
「さて、落ち着いたようだし、これからのことを話そう」
私たちはうなづく。さっきまで胸を占めていた悲壮感は、ずいぶんと薄れている。
これなら、大丈夫。私は私をやれる。
「今の状況は確かに良くないものだし、閉店はやむないとは思う。だけど店を閉めることを前提で考えれば、君たちの状況は必ずしも悪くないんだ。むしろかなり状況は良いとさえ言える」
「それは、大きな負債がないと言っていたことに繋がりますか?」
この話を始める前に、確かそんなことを言っていたなと思い出しながら言う。
現状私たちに大きな借金はない。月締めで請求の来る食材の支払いは確かにあるが、それもそこまで大きな額ではない。このところのお客の入りのせいもあり仕入れを大幅に減らして在庫を抱えないようにしていたのが良かったのだろう。
いや、根本的なところでは何にも良くはないのだけれど。
「それももちろんあるけれど、君たちがこの店を開くときに大博打をしてくれていたのが今回はありがたかったんだ。店を閉めようって提案したのも、これがあったからって言うのが一番かな」
「ギャンブルなんてしてないわよ? そんな余裕あるわけないじゃない」
「いや、博打って言うのはちょっと語弊があったね。そうじゃなくて、ん―――、この店舗って土地はともかくとして賃貸じゃないでしょう?」
確かにそのとおりである。この店舗は私たちの所持物件であり、誰かから借りているわけではない。
不動産関係の基本的なところをかいつまんで言う。
まず前提として、この城下街では土地のすべては領主である国王のもので、そこから住宅地として割り当てられている場所の権利を借り受けるのが基本だ。その場合の土地代と言うものは最初の登録料だけ。あとは土地面積や区画ごとに定められた金額を毎年支払う。これがいわゆる住民税とみなされる。
とはいえ誰の手も付いていないまっさらな土地など滅多にあるわけはなく、殆どの場所は大きな商家や各種職業組合が借り受けている。例外は一般人の頚木から離れた貴族の土地くらいのものだ。
そしてその民間人が使用できる土地には既に何がしかの建物が建っているのだが、これも土地の権利者の持ち物だったりする。
では実際に普通の住民が家を探す場合どうしているかと言うと、まず、土地と物件の権利を持っているものが、その場所の住民税に割り増しした金額を年いくらの家賃という形で提示する。
借りる側はその金額を月割りしたものを実際の家賃として支払い、大家はそこから店子の分の住民税を国に納める。
これにより、国は何もしなくとも税金を取りっぱぐれることのないシステムが出来上がる。
納税の代行者となる大家の権利は強めに保障されていて、万が一家賃の滞納などが発生した場合は容赦なく追い出すことが認められている。なにせ店子がいようと居まいと大家は一定額を納める必要があるのだから、そこに手心が加えられることはない。
その代わりと言うわけではないのだろうが、税の分を除いたときの純粋な家賃自体は基本的に安い。住む人間が居ないと困るのは大家のほうなので、そのあたりの兼ね合いなのだろう。
いろいろ歪だとは思うけれど、いちいち戸籍を管理しているわけでもないこの世界の税制度ではこれが理にかなっているのかもしれない。
で、だ。このやり方が一般的なこの国で、そのしわ寄せは建物に如実に現れる。
なにせ大家はガワさえあればあとは誰かに借りさせられればそれで良いわけだし、店子も不満があったら別の場所に引っ越せばそれで済む。狭い土地に多くの店子を詰め込むことができればそれだけ大家の収入は上がるのだから、建物自体は自然と上に上に伸びる。出来上がるのは耐震性なんて言葉に真っ向から喧嘩を売った縦長アパートばかりだ。
おおよそ新築なんてのは前に建っていた物件が耐久限界を通り越してデストロった時に作られるものであり、増築はすなわち上にもう一つ階層を増やすこと。家の修理やメンテナンスは建物に歴史があることがステータスになるお貴族様のみで行われるイベントなのだ。
実際私たちも店を構えるに当たりいくつか見て廻ったのだけれど、どれも正直ボロッちく、気に入る建物は皆無だった。なによりあの脆そうな物件に店を構えることの恐怖が先立ってしまったのだ
「そうですね。たしかに賃貸じゃないです。ここは元あった建物の権利を買い上げて、取り壊して更地にしてから新しく建てなおしました」
「そう。つまりこの建物はたかだが築2年。そこらの築10年20年が当たり前の中で、これはもう新築に近い優良物件なんだ。
内装が一般的な住居と違うのは少しマイナスだけど、立地だって悪くない。売りに出せば結構な値がつくのは想像に難くないよ」
「この店を、売るんですか・・・」
少しだけ盛り上がっていた気持ちがまた沈んでいくのを感じる。
―――私たちが築いたこのお店を、手放さなければならないのか。
説明多め。こういう部分をすんなり終わらせられるようになりたいです
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