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第1章の3 : おしまいだけどおしまいじゃなく





 窓の外からは早朝の柔らかな日差しが差し込んでくるのに、この部屋の温度はちっとも上がっていかないように感じていた。



 少しだけ口を閉ざしていた彼が口を開く。


「あえて、はっきりと言うよ?

 このまま続ければ、そう遠くないうちに君たちは破綻する。資金がつき、続いて体力が、そして最後に気力が底を尽いて、二度と立ち上がれなくなってしまう。だから―――」


「だから、お店を潰すしかない。そうなんですね。」


 決定的な言葉を聴きたくなかった。だからかぶせるようにそうつぶやいた私に、彼はゆっくりとうなづいた。




 あぁ、だめだ。こんなところで泣きそうになっている場合じゃない。



 日ごろから感情豊かな彼女が腕の中で肩を震わせている。気持ちを出すのが苦手な私でも、彼女が笑ったり怒ったりしてくれたから今までやってこれたんだ。いつも私の分まで声を上げてくれていたから頑張ってこれたんだ。


 それなのに、私まで泣いちゃ、だめなのに。




「私たち、もうおしまいなのね」


 どれくらいそうしていただろうか。知らず握り締めていた手のひらの感覚が無くなっている事に気がついた頃、私の分まで頬をぬらしたまま彼女がつぶやいた。




 その瞬間、私たちの目の前に乾いた音が響く。反射的に顔を上げると、拍手を打ったように手のひらを合わせた彼の顔が視界に入った。


「それは違う。君たちは、決しておしまいなんかじゃない」


「でもっ! お店は閉めなきゃいけないんでしょっ!」


「それはその通りだ。

 ―――けどそれがイコールで君たちの商売も終わりだってことにはならない。むしろ、終わりにさせないためにこの店をたたむんだよ」



 言葉の意味がわからない。酸素が頭にまわらない。


 私たちが曲がりなりにも営んできた商売はこのお店なわけで、それをやめると言うことはつまり私たちの商売もおしまいだってことなんじゃないのか?



「良いかい? このお店は確かに上手くいかなかった。

 上手くいかなかったのにはいろんな理由があるし、最終的には運だって絡んでくる。いくつかの理由が原因で、このお店自体はたたんだ方が良い状態に追い込まれた。そこは間違いない事実だ」


 語気を強めて彼は言う。


「けれど一つの店を閉めると言うことが、必ずしもその人たちの再起不能をあらわすわけじゃない。もちろんそうなってしまう不幸な状況はあるだろうけど、君たちは違う。まだ十分やり直せる範疇だ」


「店を始める前と今とを比べてみれば、そりゃあ確かに財産は減ってしまっている。

 つまり君たちは損をした。

 でも、何も残っていないわけじゃあない。君たち自身は立派に五体満足でここに居るし、お金だって全部なくなってしまったわけじゃない。

 そして今からの動き次第では、今見えている損をもっと少なくすることだってできる。それはつまり、見えていなかった資産を増やすことでもある。


 ―――これからの働きで君たちは、より良い条件で次に進めるってことなんだよ」




 体にまとわりついていた冷たい流れが、彼の言葉につれて温度を得ていくようだった。


 私の視界に映るこの世界で今だ出会ったことのない黒い髪と黒い瞳が、すこしずつすこしずつ輪郭を失っていく。


 『終わりじゃない』『次に進める』・・・ずっと誰かに言って欲しかった言葉が、私の強固な涙腺をガシガシと削っていく。こんなの、卑怯だ。




「次が、あるんですか・・・?」


「当然ある」



「諦めなくて、良いんですか?」


「諦めさせるのなら昨夜のうちに言ってるよ」



「私たち―――私たち、まだおしまいなんかじゃないんですね!」


「終わらせないよ。そのために協力するって言ったろう?

 それにさっきも言ったじゃないか。『まずは』店をたたむところからはじめようって」





 それからしばらく、私たちは子どものように抱き合って泣いた。こんなにも涙を流したのはこの世界に来て初めてだったかもしれない。帰れないとわかった時だってここまで感情を出したか怪しいものだ。



 私たちはずっと泣きたかったのかもしれない。上手くいっていたときも、厳しくなってからはもちろん。毎晩不安で不安でたまらなくて、枕を噛み締めながら眠れない夜をすごしていた。やせ我慢をする私を見て、一緒に居てくれた彼女は空元気を振りまいてくれていた。



 絶えずぐらぐらする足場に寄り添いながらも必死でしがみついてた私たちは、ようやく地に足をつけることができたような気がした。


 涙やら鼻水やらで近年まれに見るほど不細工になった私たちは、互いの顔を見合わせてこらえきれずに噴き出した。そして抱き合って、また少し泣いて、また笑った。




 彼はそんな私たちをずっと見守ってくれていた。二人でもみくちゃになっていた最中一度だけ、頭をなでられたような感触があったように思う。


 そういえばずっと一緒に旅をしていたけれど、彼に触れられたのはこれがはじめてかもだなんて思った。いやはや、柄にもないことを考えてしまった。

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