第1章の2 : おわらせることからはじめよう
「それじゃ、まずはこの店をたたむ準備から始めようか」
再起を誓い合い、久方ぶりにぐっすりと眠れた翌朝。朝の仕込にもまだ余裕のある食卓に爆弾が投下される。
「「・・・は?」」
まったく理解のできない私たちは当然そろってそう返した。いやはや、飲み物を含んでいるタイミングでなくてほんとうに良かった。
「いや、だからね。再出発をするにあたって、まずはこのお店の整理から始めなきゃでしょう? 幸い今ならまだ致命的な負債もないんだし、動き出すなら早いほうが良い」
「ちょっと! 出雲さん、それどういうこと。この店を立て直すんじゃないの!?」
寝不足で頭が熱いんだと紙の束でパタパタと顔を仰いでいる彼に、長年一緒にいた私ですら見たことのない剣幕で彼女が詰め寄る。私も出遅れた感があるが、腰掛けた椅子からおしりが浮いている。
「出雲さん。きちんと説明してもらえませんか? 私もてっきり立て直すための秘策か何かがあるんだと思っていたのですけど」
「まいったな、春日さんもか。―――わかった、それじゃあ順だてて話そうか」
彼は私たちを席に促し、テーブルの向こうに座った。そんなことをした経験なんてないのだけれど、どうしてか面接と言う単語が頭をよぎる。
私たちが落ち着いた頃を見計らって、彼は手にしていた紙束をテーブルの上に置く。さっきまで顔に風を送るのに使われていたと言うのに、テーブルに広げられたそれからはどうしてか乱暴に扱われていると言う印象は受けなかった。
置かれた紙の束は、2人でこまめにつけていたこの店の帳簿だ。お互い高等教育の入り口までは受けていた身分だ。お店をやる以上こういった記録が大切なのだと言うことくらいは知っていた。もちろん書式や体裁は自己流だし情報としての過不足は否めないだろうけれど、できるだけ後からでも確認できるようにと思い続けてきたのだ。
そんな紙上に記された私たちの2年間を指でたどりながら、彼は話し始める。
「この2年間の帳簿、見させてもらったよ。
正直よくがんばったと思う。仕入れも勉強したみたいだね、原価率だってそれほど悪くない」
仕入れと売価の設定をしたのは私だから、ちょっとだけ嬉しい。思わず口元が緩んでしまった私に、横合いから肘が飛んでくる。わかってるよ、調子になんか乗ってないって。
「営業努力が足りてないのかなとも思ってたんだけど、そんなことはなかった。お客様へのPRだってちゃんとやってたみたいだし。店のウリになるような取り組みもアレコレしてたみたいだからね」
さっきの私同様に鼻の穴を膨らませている彼女には聞こえなかったようだが、ぼそっと「方向性はちょっとあれだけど」と続けたのが耳に入る。
いや、誤解されたくないのだけれど、あのヒラッヒラの制服なんかは私の趣味じゃないし一度だって人前で袖を通したことはない。そりゃ自分の部屋でこっそり着たことはあるけど、せっかく作ってもらったのに一度も着てあげないのも可哀相だからってだけなんだ。そう、慈悲の心だ。
思わず妙なところに考えが行ってしまったが、今はそんな場合じゃない。頭を振って気持ちを引き締める。
冷静になれ。それが私の一番のとりえのはずだ。
「それでも結局今はこの状態です」
「そうだね、君たちで考えられる努力はしてきたんだと思う。そして、私にこれ以外に何かアイディアがないのかと言われれば・・・」
「あるの!?」
「無い―――ことも、無い」
「どっちよ!」
平素の大きさに鼻の穴を戻した彼女が突っ込む。彼はいつもの困ったような表情を崩さない。
「日吉さん、落ち着いて?
正直に言うと無くはないんだ。君たちは元居た世界で見たことのあったアイディアをいろいろ試したみたいだけど、私は更にココに書かれていない売り方をいくつか思いつく。その中にはすぐに始められるものもあるし、この世界でも受け入れられるアイディアもあるんじゃないかとは思う。
けどね、そこに即効性があるかといわれれば疑問符をつけざるを得ない」
視線を落とす彼に目をやりつつ、私は自分を恥じた。
颯爽と現れた彼が、私達では思いもつかなかった画期的なアイディアで現状を打開してくれる。魔法使いがパッと杖を振るったかのように、明日からお客が舞い戻ってくる。そんな御伽噺の中のようなことを想像してしまっていたんだ。
そんなに都合の良い話なんて、あるわけが無いじゃないのに。
「収入をすぐに増やせないなら、支出を削って凌ぐことも考えた。
でも、これも君たちだって考えたことだよね? 経費で削れるところはあらかた削ってある。普通こういう時に一番大きく削減できるのは人件費だけど、今のところ従業員が君たち二人の分だけなんだから削りようがないってのも大きい。」
「開店当初は人を雇ってましたけど、お客が減ってしまったからお給料が・・・」
「そうだね。そこは真っ先に削りがちなところだし、しょうがなかったと思うよ。というか、ここ半年くらいは君たち二人もまともに給料取ってないんじゃないかな?」
「だって私たちの店なんだもん。売り上げないのに贅沢できないわよ。」
彼女がもらしたとおりだ。このところ私たちは、店に必要なものや最低限生活に必要なもの以外ほとんど買い物らしい買い物をしていない。逆に英雄として祭りあげられていたときにもらった服飾品は当の昔に質に入っている。日々の食事だって、幸か不幸か毎日それなりに排出される店の残り物を食べて凌いでいる始末だった。
「切り詰めるところは切り詰めてある。それどころか自分たちの生活も犠牲にして店を続けている。従業員を雇う余裕もないから人件費のかからない身内で何とか切り盛りしている現状だ。
日本にいたころにもこういう状況の店舗を見ることがあったんだけど、いわゆる上手くいっていない家族経営の店舗なんかで良くある形だね。土地建物が自分持ちで長く続いているお店だったら、それでもやっていけなくはないんだけど。
君たちの場合はちょっと厳しい。」
こんな状況をよくある事だなんて言われても、正直なんの慰めにもなりはしない。
それどころか改めて現状を直視させられて、いよいよもって絶望しか沸いてこなかった。私はとなりに座る、目じりに涙を浮かべた彼女の肩を抱き寄せた。
『よく頑張りましたね。でも、駄目でしたね』そんな風に言われているような気がした。
これがたとえば文化祭の模擬店なんかだったら、頑張ったと言う過程だけで満足することもできたんだろう。みんなで一つの物事をやりきることに意義があるソレなら、充実感で結果から目を逸らしてしてしまうこともできるのだ。
でも、私たちが今生きているのはそんなぬるま湯のような世界じゃない。結果が出なければ落ち続けていき、最後には死ぬだけの世界だ。
私の拙い想像力ですら思い描けてしまった悲惨な未来たちが、瞼の裏に容赦なく流れてくる。
泣いている彼女の身をこちらに寄せたのは、きっと慰めるためだけじゃなかった。
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