第2章の7 : きえない火
「月子ちゃんが楽しそうだし、私も文句があるわけじゃないんだけどさ」
原型がなくなるまで実験に付き合ってくれたポタテスを、丸めて煮込んだスープが今夜のメインである。ちなみに昨夜もコレだった。まぁ、味付けは少し変えてあるし腹持ちだってすこぶる付きで良いのだから勘弁して欲しい。
ポタテス団子から出たとろみがスープにねっとりとした変化をくわえてなかなか美味しい。ここ数日で飽きるほど食べてなければ文句ナシな夕食をとりながら、彼女はこの場にいる唯一の男性に話しかける。
「正直ここまできっちり研究しなきゃならないものなの?
そりゃ、味の調整ってのにこういう地道な下地が必要だってのはわかったんだけどさ。今やることなのかなぁと」
「私も春日さんがここまで根をつめてやるとは思ってなかったんだけどね。でもまぁ、本格的に商売を始めてからではできない作業ではあるよ。自分の土台を作っているようなものだからね」
「日本にいたころだったらここまでの作業は必要なかったのですけど。触れば触るほど新しい発見がありまして、なんと言うか止まらなくなっちゃって・・・」
そう、日本にいたころなら。ジャガイモだったなら。コレまで料理をしていた経験だったり、図書館にでも行けば豊富にある資料のおかげで何とでもなった。
もっといえば、この2年の間にきちんと下準備さえしていれば、今こんなに時間をかけることもなかったのである。本当に、なにをしてたんだろうなぁ、私は。
「まぁなんにせよ、もう少ししたら新しく商売を始めても良い頃合だとも思うからね。今のうちに気が済むまで研究すると良いよ」
「えっ! ほんと!? どこにお店出すの? まさかもうできてるとか言わないわよね」
「言わない言わない。何にも決まってないよ。それに、ちゃんとした店舗を構えるのはまだまだ先の話だ。先ずは、そこに至るまでの商売を積み重ねていかないとね」
私の知らないところで、タイムリミットは近づいていたようである。そりゃあいつまでもひたすら料理の勉強を続けている日々を続けられるとは思っていない。いろんな物を処分したお金があるので、現状生活に困ってはいない。けれどそれには限りがあるのだから、どこかで動き出さなければジリ貧なのだ。
「そうですよね。早く、何とかしないと・・・」
私はいまだに、この世界に即した満足のいく料理を作れていない。いや、味付けの面だけ見れば、おおよそ問題ないだろうという見極めができるようにはなってきた。けれどそれを自分で食べて美味しいと思えるかといわれれば疑問符が付く。毎回試食をしてくれる彼女だって、どこかしらで満足していないのはわかる。
気は急くばかりだけれど、今一歩が踏み出せない。その原因が何かもわからない。
彼らは疑いもなく私の料理に期待してくれている。私はその信頼に応えることができるんだろうか。一度大きな失敗をしてしまった私なんかに。
これからの商売のことを話している二人の声が、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
その日の夜。私は彼女と使っている部屋をこっそりと抜け出した。
一度寝入ってしまえばなかなか目覚めない彼女だが、大きな音を立てれば起こしてしまうかもしれない。私の勝手な行動で睡眠を邪魔するわけには行かないので、つとめてゆっくりと部屋を出た。
ミシミシと楽しくない音を立てる階段を登り、上階の共同キッチンに来る。
キッチンが上の階にあるのは、万が一火災が起きたとき逃げ場を無くさぬようにという優しさと、煙を逃がす配管を建物の中に設置する費用を浮かせるという実利からなのだそうだ。どちらが本音で、どちらが建前なのだろう。私にはわからない。
キッチンの隅に置いていたプタテスを1つつかみ上げ、手の中で転がしてみる。流通にあがる際に洗浄などされない野菜から、払い落としきれていない土の香りがする。
コンロ代わりの暖炉の中で、灰の下でくすぶっていた火種が弾ける音がする。このまま何もしなければ明日の朝には消えてなくなるのだろう。
月明かりだけを頼りにぼぅっとしていたら、「眠れないんですか?」と、声をかけられた。
いつの間にか、彼が上がってきていたようだ。私は少し、頭をたれる。
何か気の利いたことの1つも言えればよいのだが、生憎私の言語中枢はお休み中だ。
見るとはなしに見ていたら、汲み置きの水をカップに注いでいる。空のカップを手に私に首を傾げてきたので、小さくかぶりを振る。
彼は一口水を飲むと、そのまま椅子に座り、天窓の向こうを見ていた。しばらくのあいだ、同じ月を見ていた。
「不安?」
答える必要なんてないだろう。答えはきっと彼も知っている。
「自分のせいで店を潰してしまったから?」
他に何があるというんだ。
「もう一度料理で失敗するんじゃないかって思ってる?」
私は返事を返さない。きっと求められてない。
「少し話がそれるけどね。日本にラーメン屋さんが何件くらいあるか知ってるかな」
いやいや、返事をしなかった私も悪いけれど、いきなりそんな雑談に付き合える心境でもないのだ。私はあえて彼の方を見ずにかぶりを振るった。
「日本国内のラーメン屋の数は4万件近い。そして、その中で万人が食べておいしいと感じられるラーメンを提供しているのは果たしてどれくらいあると思う?」
「いったい何の話なのですか!? 知りませんよそんな事」
思わず声を荒げてしまうが、悪いとは思わない。普段なら聞いてみたいと思えたかもしれない話だけれど、今はそんな気分じゃない。それくらい察してくれても良いじゃないか。
「まぁまぁ。
・・・とある調査によると、約8割のお店が普通に食べておいしいと思えるラーメンを出しているらしいんだ。まぁ、わざわざまずい料理を出す店はないんだから、例外扱いの2割だって万人には認められにくいだけなんだとは思うけどね。
でだ、そうなると美味しいと思えるラーメンを出す店は実に3万件以上になるんだけれど。じゃあ行列ができるほどに繁盛している店はどれくらいあるのかって言うと、これが1%にも満たない。
この違いって、なんなんだろうね」
「わかりませんけど。それはやっぱり、それだけ美味しいモノを出しているってことじゃないのですか?」
「確かに中にはそういう店もあるだろう。でも、ラーメンと言う料理の相場観から考えてそこまでの違いはあり得ない。素材にかけるコストが一定以上にならない時点で、同じ値段帯でそこまで大きな味の格差は出来ないよ」
彼は立ち上がり、火の気のない暖炉に向かう。立てかけられていた鉄の棒で灰をかき分ける。
「では、行列のできる店。できない店の違いは何なのか。私はそれが味以外の何かだと確信してる。
ある店舗では、ラーメンどんぶりの下に皿を置いてスープがテーブルにこぼれるのを防ぐというアイディアを始めて集客が倍増した。逆にある繁盛店では、客席の数を増やした結果来客数が激減してしまった。こういう小さな違いで店の経営状況が変わった話は枚挙にいとまがない」
「料理は飲食店の顔だ。それは間違いない。でもそれが集客の決定的な違いには絶対にならない。美味しいが理由でその店が選ばれることはあっても、料理そのものが美味しくないから来なくなるなんてことは滅多に起こるものじゃない。
お客様がその店をマズイ店だと判断する時、その評価を下させる理由は、おおよそ料理以外の何かだよ」
「君たちの店が、残念なことにお客を引き止め続けることができなかった理由は、君の料理が不味かったせいでも、君の腕が未熟だったからでもない。
君たちはあまりにもこの街にそぐわない店を、経営を、接客を、サーヴィスを行っていた。それが原因だ」
私は何も言えない。ただ、私に向けられる彼の瞳が、月明かりに光る様を見つめていた。
「今はまだ、私の言葉を納得できないと思う。でもこれだけは言わせてほしい。
君の料理は美味しい。
君はこれからも美味しいごはんを作り続けられる人だ。だから、自信をもって欲しい。君の中にある、美味しいものを届けたいって気持ちはこの世界でも通用する。君の中にある知識と経験と想いは、必ず美味しい料理を作れるんだ」
ふと気づくと、彼はその場から去っていた。私はずっと、彼の言葉を繰り返していた。
今すぐには、自信なんて持てない。でも私の中にある、美味しいごはんを届けたいと思い続けてきた事を信じたいとは思った。
あのお城の中で彼女に料理店をやろうと誘われたその時からずっと、私の中にあり続けた気持ちを信じようと思った。
暖炉の火は、やっぱり消えたまま。
それでも、私には温かかった。
これにて第2章が終了です
ここまでお読みいただきありがとうございました。
自分でも思っていた以上に動きのない話で申し訳がないです。
次の章から、やっとこさ商売を始められると思います。
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