第2章の6 : おいしいゴハンを作るには そのさん
身近な野菜は? と聞かれた時、思い浮かぶのは何だろう。
野菜を扱う店ならばまず置いてあるじゃが芋・人参・玉葱のいずれかだと言う人もいるだろう。葉物の覇者と名高いキャベツだという人も居よう。根菜界の名バイプレイヤーであり、いざとなれば主役を張る力量を持つ大根という声もある。そのまま食べれば乙女の瑞々しさを熱を加えれば熟女の深みを見せるトマトも。鍋物との相性が随一の白菜も、油との親和性が随一な茄子もその有力な候補足りえるだろう。
獲得票数の多少はあれど、人それぞれに思い入れのある野菜があげられることは想像に難くない。
「―――子ちゃ~ん」
しかしてこの世界である。流通技術の最先端が荷馬車であるここでは、現代日本ほど多彩な生産物が蔓延しているわけがない。
常温保存で10日でダメになる作物の輸送限界は自動的に10日未満となる。中には長期保存可能な作物もあるのだが、それだって長距離を輸送する必然性でもなければ持ってくる者は少ない。たとえこの街がこの国の中枢であり物資の集中する場所だとしても、そこに集まる農作物の数など知れた物だ。
それゆえこの街で主に食べられている野菜と言えば、つまりはこの街周辺で作られている野菜に他ならない。そして同じ環境で作られる作物にそこまでの幅があるわけもなく、種類に目をやると更に限定される。
なので、先の質問をこの街の人々に投げかければ、そりゃもう大多数の人物が同じ答えを返してくるのだ。野菜と言えば、『プタテス』だろう、と。
「―――ねぇ、月子ちゃんってば」
そう、プタテスである。
私の知る野菜ではジャガイモに非常に良く似ているこの野菜は、植物としての特徴も似通っている。
地下茎で実るプタテスは地理的な必然性と植物的性質から、比較的気温の低いこの地方での栽培に適している。2ヶ月から3か月で収穫可能でかつ作付けの7~10倍の収穫が見込めるという高い生産性もあり、国がその育成を奨励している程である。
「お~い、聞こえてる?」
「だめだね。今はほっといたほうが・・・」
この国のプタテスとの付き合いは長く、建国間もない400年ほど前から生産されているらしい。ジャガイモと似た性質を持つ以上連作障害という壁もあるのだろうが、少なくとも私がここにいる間に大きな不作を耳にしたことはない。恐らくだが長い歴史の中で何らかの対処が生み出されているのだろう。この世界の人々は、決して愚かではないのだ。
生産が安定していると言うことは、すなわち価格のぶれが少ないと言うことである。また、冷所であれば越冬させることも可能なため、この街の人々のプタテスに対する依存度は更にあがる。
正直、伝染病でもくればかなりやばい事になるんじゃなかろうかと危惧しなくもないが、その辺りは私が考える話でもないだろう。実際できることなんてないんだし。
「そんなこと言ってたらいつまでも続けてるわよこの子」
「まぁ、確かにそうかも・・・」
そんなこの街の人々の胃袋を支えるプタテスだが、食材としてみるとどうだろう。
1つの大きさが小さくても大人の男の握りこぶし以上。見れば偏球型でごつごつした印象を受ける。果実をなでるとデンプン質のねばりが強いので、性質はメークイン種に近いのかもしれない。当然芽の部分には毒性があるが、しっかりと皮を剥き芽をのぞけばそうそう恐れる物じゃない。
基本的に茹でるか煮るかで食べられており、モッチリとした食感を味わうのが良いとされているようである。
そして今私は、このプタテスの新たなる可能性に―――
「こらっ! いい加減こっち向きなさい」
って、なんですか大声で。
「あ、やっとこっち向いた」
「向きましたけれど、何か用ですか? お昼ごはんはもう済みましたよね」
プタテスの真価を見出すため一人キッチンに向かい作業を続けていた私であったが、後方からの呼び声に集中を乱される。まったく、今良いところだったと言うのに。
憮然とした私の前で彼女はクイクイっと窓の外を指す。
「何がお昼よ。とっくに日が落ちてるわ。今はもう晩御飯の時間よ」
「えっ、うそ。だってそんなに・・・あれ?」
「いやもぅ、ヤバイ目つきになってたわよ。アンタどれだけ集中してたのよ。見てるこっちが怖かったわ」
うぅむ。体感的には1時間くらいしか経っていなかったのだが。いつの間にこんなに時間が経っていたのか。恐ろしい物である。
「ごめんなさい。ちょっと入れ込みすぎていたみたいです。すぐに夕食を用意しますね?」
「あぁ、それは嬉しいんだけど。・・・また?」
「はい。申し訳ないのですが」
「しょうがないよ。春日さんにはプタテスの研究が必要なんだし、使った食材を無駄にするのももったいないし」
だよねぇ、と言いながら苦笑いを浮かべている。彼女の浮かない顔の原因は、ここ数日の食事が3食全て同じ素材の料理だからだ。
そう、私はここ数日、一日中この野菜の勉強を行っている。
孤児院での調査のおかげで、この世界の料理に対して一応の方向性をつかむことはできた。だが、それを自分の料理にすぐに適応させることは難しい。
単なる手抜き料理ではなく、美味しいと思える料理に昇華するために必要な準備として、私は食材への研究を申し入れたのだ。
私の頼みを聞いた彼は「それなら先ずは」と、このプタテスを触ってみることを提案してきた。この街でもっとも一般的で消費量の高いこの野菜を、自分の思うとおりに扱えるようにする。それが叶えば、おのずと料理自体へのブレイクスルーにもなるのではないかと言う事だ。
当然、私に異論はなかった。
いくらジャガイモと似た食材と言えど、まったく同じと言うわけではない。そもそも地球世界のジャガイモだって、大まかなところで「男爵」や「きたあかり」などと種類がある。生産地ごとの品種まで見れば更に数多の違いが存在する。当然この世界のプタテスにだって、食材としての特徴がある。
しかも現代日本で品種改良されたそれらのように、生産者たちがその特徴を熟知しているわけじゃない。当然、農作物の調理上の性質について纏められた文献があるワケでもない。
諸先輩調理師の方々に聞くことができれば話が早いのだが、弟子でもない人間にそんなコトを時間をかけて教えてくれる世界じゃない。自分で調べて確かめる以外に、勉強する方法などないのだ。
だから私は、山盛りで買ってきたポタテスを触り倒す。
茹でるという事1つとっても、湯で時間ごとによる変化はどうなるのか。そのものの変化もだが、煮出した出汁に違いがないかをひとつひとつ確かめる。では煮たときはどうだ? 焼いたときは?
形状が変わるとどうだろう。ひとくち大に切るとしても、刃の入れ方で違いはないのか。小口に切ったらどうなる。短冊に、拍子木に切ったらそれぞれどうなる。
原形を残さない食べ方もある。ならばすり潰す、摩り下ろす、叩き潰す。それぞれの味への影響はどうなるんだ?
手を加え、味見して、更に形状と調理法を組み合わせて確かめる。
思いつく限りの方法でこの丸っこい野菜をいじりまわし、その性質を自分の物にしていく作業である。いやはや、脳汁が出てるんじゃないかと思うくらい楽しい。
ただまぁ、その代償として私がこねくり回したこの野菜の処理を、毎回の食事に回さざるを得ないのは申し訳ない。
だって食べ物なんだ。食べずに捨てるなんてもったいないじゃないか。
続きは23時ごろに
もしかすると遅れるかもしれません
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