第2章の3 : チキン南蛮に学ぶ郷土料理のアレコレ
突然何を言い出すのだ?
チキン南蛮と言うとあれだろう。鶏肉を揚げてから甘酢にくぐらせ、タルタルソースをつけて食べる九州の郷土料理。鶏のジューシーさに甘酢の酸味が程よく口の中を締め食欲を誘う一品だ。かくいう私も嫌いじゃない。
それが今の話に、どんな関係があるのだろう。
「そりゃあ最近じゃ・・・ってもわたしがこの世界に来る前までの記憶だけど、コンビ二でも売ってたくらいメジャーだしもちろん知ってるわよ。でも、それがどうしたの?」
「そう。最近じゃ特に珍しい扱いはされなくなった料理だね。でも知ってるかな? 都内で食べられる『チキン南蛮』の殆どは、出身地であるM県M市の人たちからすれば満足できる品じゃないらしいんだよ」
「えっと、それってちゃんとしたトコで食べるものとは手間のかけ方が違うとかってことなんじゃないの。ホンモノを知ってるから二流品じゃ満足できないみたいな」
「いや、そういうことじゃない。もちろん普通のから揚げを甘酢にくぐらせただけのような、作り方の根底から間違っている『チキン南蛮風』の物であればそういう評価になるのも無理はないけれど。ちゃんとした飲食店、いやちゃんとしている店であるほど物足りなさを感じてしまうんだそうだ」
ちゃんとした店と言うことは、料理に関してもきちんと研究をしている店ということだろう。であれば調理手順や素材もある程度の吟味はしているということ。さらに、まともな調理師ならば先人の作り出した料理には一定の敬意を払うものだ。発祥地の人間に満足されない物をむざむざ出すようなマネをあえてするのだろうか?
「私の知人にM市出身の人物がいてね、彼が話していたんだ。こっちで食べるチキン南蛮は旨い事は旨いけどどうしても物足りないからあまり食べない、って。
不思議に思って実際に作ってもらったんだけど、都内で食べられるソレに比べて格段に甘いんだ。よく聞けば使いっている砂糖の量が圧倒的に多い。甘酢はもちろん、肉の下味、タルタルソースに至るまで満遍なく砂糖を入れてた。砂糖だけに飽き足らず、蜂蜜みたいな甘い調味料も惜しげもなく使ってたね」
「それは、どうだったのですか? 美味しかったですか?」
「美味しいか美味しくないかで言えば美味しかった。彼が別物といった理由も良くわかったよ。
ただ、やはり私には重すぎたと言うか、好んで食べたいと思う味付けではなかったかな」
「それってさ、ただその人の実家ではそういう作り方だった。とかってオチじゃないの? いわゆるご家庭の味的な」
「まぁそういう一面もあるだろうね。友人曰く『チキン南蛮の好みは同じM市民でも大きく違う。特に胸肉派とモモ肉派の間には決して分かり合えない溝がある』らしいし。
でも実際にM市で食べられているものが・・・程度の多少はあれど、概ね甘みが強いと言うことは間違いなかったよ。行って食べ比べてみたんだ」
わざわざそのために九州まで行ったのかこの人は。
その探究心には頭が下がるが、なんというか、暇だったんだろうなぁ。隣を見れば、彼女も呆れを隠せないようである。
「それじゃどうして都内で出されるチキン南蛮は甘みを抑えてあるのか。
答えは、本来の味付けだと都内の人の口に合わないからなんだよ。考えなしにそのままそっくりの手法で提供したとすると、一部の人からは本格的だってありがたがられるかもしれない。けど、やはりクドすぎる、重すぎると批評されてしまう結果になると思う。
あの味付けは、M市の気候・風土で生活をしていて初めて美味しいと感じることができるという類の物だろうからね」
「そういった料理は他にもたくさんあるんだ。特に郷土性の強い料理では顕著にね。東北の料理、O県の苦瓜を使った料理などなど、あげていけばきりがない。そのどれもが、都市部で提供されるときには本来の発祥地で食べられている物と少しずつ味付けを変化させられている物なんだ。
―――その土地の人たちに、受け入れてもらうために」
それはたとえば、味噌汁の味が家庭ごとに違うという話の延長線上なのだろう。
料理に慣れれば慣れるほど、食べる人間に合わせて作るようになる。自分が食べる物なら自分の好みに、家族に向けてならば家族の好みにそれぞれ合うよう、細かな調整をしていく。だってその方が美味しいって言ってもらえるのだから。
そうか、そういうことか。
「私たちがこの異世界の人たちに受け入れてもらえる料理を作るためには、まず、ここの人たちがどんな味付けを好むのか、どんな物を食べているのかを知らなければならなかったんですね」
私たちはこの世界の食事をあまり美味しいと思わなかった。それは技術や技法の問題も確かにあるが、そもそもこことは別の世界・文化で生きてきた人間だからなのだ。中には好む味付けがあったとしても、根本的なところでの差異を感じてしまう。
そんな私たちが、自分たちにとって美味しい元の世界の料理を出していたのだ。逆の立場であるここのお客たちは当然のごとくに違和感を覚えてしまっていただろう。たとえ中には美味しいと思った人がいたとしても、根っこのところで馴染みの無い味だ。毎日食べたいなどと思われるはずが無い。
「味覚が感覚である以上、絶対的な基準で判別することは難しいよ。私が最高に美味しいと思うモノと春日さんが一番に美味しいと思う味をイコールで結ばせるのは困難だ。
同じ世界で生きていた私たちですらそうなんだから、別の文化、別の歴史、そして別の世界で生きていた人たちとの壁は、思っている以上に高くて分厚い物だよ」
その差異を埋めるのは、生半なことではないだろう。そもそも私は、自分の口に合う料理を作れるようになるまでだってそこそこの時間が必要だったのだ。
だというのに、文化的根幹を同じにしていない人たちを満足させることなど、はたしてこの私の未熟な料理の腕で叶うことなのだろうか。
「でも、さ。いくらここの人たちの口に合わないからって、自分たちが美味しいと思えないモノを売りたくなんか無いわよ。月子ちゃんだってそんな料理を毎日作り続けるのなんて辛いに決まってる。
そんなお店なら、わたしはやりたくないわ」
前途の多難さに顔を青ざめていると、こういうときにいつも私を支えてくれている彼女が声を上げた。その言葉はありがたいし、確かにそんな日々を続けるのは辛かろう。
でも、それがこの世界で成功する術なら・・・。
しかし、彼は不満げに口を尖らせる彼女に向かってかぶりを振る。
「そんな苦行を強いるつもりは私にも無いよ。そもそも今までに出していたメニュー自体が悪かったってわけでもない。
要は調整ができれば良いんだよ。メニュー自体は同じだとしても、今までの自分たちだけが美味しいと思う味付けだった物を、美味しいと思うそのままここの人たちにも好まれる味付けにずらす。
難しいことを言っているように聞こえるかもしれないけれど、作る相手に合わせて味の調整をするのは今までもやってきたことでしょう? 春日さんならできると思ってる。
必要なのは、ここの人たちの好む味付け。その指標と方向性を知ることなんだから」
「できるでしょうか。私に」
「できる。春日さんなら。
そりゃ完璧を目指せば一朝一夕に成るほど安易な話でもないけど、そもそも目の前の人の好みに完璧に合わせるなんて長い修行の先でようやっとできるようになるかもしれないという程の極みだよ。
いずれそこを目指すというならすばらしいことだけど、少なくとも今必要とされているのはそこまでのレベルじゃない。大雑把な調整ができるようになればそれで良いんだ」
「なるほどねぇ・・・その方向性? を知るためにここで普通に食べられてる料理を知る必要があって、だから孤児院に行って来いってコトなのね。
でもソレ、私がやって良いの? 月子ちゃんが自分で食べたほうが味の違いとかわかりやすいんじゃない」
「それもそうなんだけど、2人の場合は日吉さんの感性に合わせるほうがうまくいきそうなので。春日さんは誰かに食べてもらって、意見をもらう形のほうが作りやすいと思うしね」
「なんだかわかんないけど、そうした方が良いならそれで。
オッケー。それじゃわたし、明日っからその孤児院の味をしっかり覚えてくるわ。たくさん食べてくるから期待してなさいねっ」
こぶしを握って意気込みを見せる彼女に、彼は「いやいや孤児院の仕事をしつつだよ。向こうはこっちの事情なんか知らないんだから」と慌てている。その後2人は明日以降の予定や、孤児院での仕事内容について話していた。
私は、今になってようやく、自分の作っていた料理に問題があったことに気づいた。いや、具体的な料理にではなく、料理を出すと言うことに対する認識の甘さに気づいたと言うのが正しいだろう。
彼は私なら大丈夫だと言ってくれたが、本当にこの私に、この世界で受け入れられる料理を作ることなんてできるのだろうか?
窓の外を見ていると、夏影の夕やけは少しずつ夜の闇に飲まれていった。
地方出身者が、意図せずおふくろの味ですとか地元の味を求めてしまう理由の多くはコレに原因があるそうです
如何に食が生活や風土に根ざした物であるかと言うことに頭の下がる思いがします
続きは明日に。
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