第2章の1 : あたらしいあさがきた
2章の始まりです。
この章はこんな感じで進んでいく予定です
‐追記‐
2章終了の時点でもほとんど動きがなく終わってしまいました。
スローな展開が無理な方は、
3章の頭にあらすじがありますので、そちらまで飛ばして頂いければと思います
ようやっと見慣れてきた、壁紙など張っていない板壁に囲われた室内で私は目覚める。
申し訳程度に置かれた小さなテーブルと、ガラスなど望むべくも無い木窓。そして部屋の6割を占める2段ベッド。雨の心配は無さそうだったのでうす開きにしていた窓から、たったそれだけで説明の終わる薄暗い部屋の中に、まだまだ主張が強い晩夏の朝日が差し込む。
明度の違いで意識を揺り起こされたのか、2段ベッドの上の段からくぐもった声が聞こえる。私の耳に届く頃には意味消失しているので何を言っているのかわからないが、口に出した本人も何を言ったかなんてわかっちゃいないだろう。
ベッドの枠をノックして同居人の覚醒を促し、中途半端に開いていた窓を全開にする。
身を乗り出せば、どこか埃っぽい風が鼻先をくすぐった。
あぁ、今日も良い一日になりますように。
店を閉めてから、既に10日が経った。
あの建物に置いていたモノは店の備品や私物も含めて殆どを売り払い、私たちも彼の紹介してくれた賃貸住宅に移り住んでいる。さすがに全てに買い手を見つけることはできなかったし、どうしても残しておきたいモノもいくつかあったため着替えや生活必需品以外は貸し倉庫に纏めて置いてある。
ここは街の繁華街から距離のある外壁近くの物件で、かろうじて部屋に鍵がかかりますといったランクの低所得者向け賃貸である。だが共有部のキッチンがそこそこ大きく更に現在の住民で利用する者がいないという、私たちにとっては好条件の建物なので贅沢はいえない。洗面所や洗濯場が外で、風呂なんて当然のごとくついていなくても我慢するのだ。
朝に弱くいまだに頭をふらふらさせている彼女が着替え終わるのを待ち、隣の部屋にいる彼のところを訪ねる。
いつもの笑顔でおはようといってくる彼は、既に3人分の朝食を用意してくれていた。
通りを抜けたところにあるパン屋で売っている、丸く焼いたパンに切れ目を入れ、酢で和えた刻み野菜を挟んだだけのお手軽惣菜パンだ。パン自体はそこそこ硬いが、刻み野菜から出たすっぱい汁が良い塩梅にパンをふやかしている。これと少しぬるめのお茶があれば、この世界では十分に贅沢な朝の一品になる。
ありがたくいただきますし、ごちそうさまろう。
しっかし、またしても彼に食事の世話をやかれてしまった。ここに居を移してからの勝率は2勝5敗。曲がりなりにも調理担当であった身として忸怩たる思いである。
さすがにここの設備と今の備蓄でイングリッシュブレックファストをと言うわけにはいかないが、パンとハムエッグくらいならば何とかなる。いや、むしろパンではなく貸し倉庫に放り込んであるとっておきの米を炊いて、ジャパニーズトラディショナルなザ・朝ごはんを演出して度肝を抜くと言うのもアリではなかろうか?
などと考えていると、とっくに食後のお茶タイムに突入していた彼に話しかけられていた。
「―――と言うわけなんだけど、春日さんもそれで良いかな?」
「はい。私は目玉焼きにはソースでもお醤油でも、そのときの気分で変えれば良いと思います」
「はぃい? ちょっと月子ちゃんなに言ってるのよ」
「ん? 七実ちゃんってどっちかじゃなきゃダメってタイプ? こだわりを持つのは良いことですが、固執して新たな発見の機会を狭めてしまうのはもったいないですよ。伊勢さんもそう思いません?」
「私は七味マヨネーズなんかも好きですよ。って、いやいやそういうことではなくてですね・・・」
「なるほど、ソレもまたアリですね。さすがです」
「だーかーらっ! 目玉焼きから離れなさい。今後の予定の話してるのよ」
なんだ、そっちの話だったか。彼女に怒られるのはイヤなので、私はまじめな顔を作り話を促す。
「ええと、確認のためにもう一度言いますね。とりあえず前の店舗の始末は書類上の処理含めてあらかた終わりました。まだ買い手のついていない家具などもいくつかありますけど、さしあたり喫緊で処分しなければならないワケでもありませんからね」
「できれば、早いとこ広い部屋に移って使ってあげたいんだけどねぇ」
おそらく彼女が思い描いているのは2階のリビングに置いていたソファーのとこだろう。
正直なところ売ろうと思えば値がついたのだろうが、あそこに寝そべるのがお気に入りであったために売り渋っていたのだ。せっかくのクッションが夜露でやられてしまう前に、倉庫から出してあげたいものである。
「ここは治安も良いとは言えないエリアですから、できる限り早くとは思います。ですが、あのソファーを置けるような部屋となると予算がね」
「状況は身にしみてますから。贅沢言う気はないですよ」
私たちはうなづく。
とはいえ私たちと彼とで2部屋確保するから足が出るのであって、3人で1つの部屋を使えばあのソファーを置けるくらいの場所に住むことはできるのだ。この提案は賛成多数であったにもかかわらず強固な反対派によって棄却されてしまった。私と彼女で総票数の3分の2を獲得しても勝てぬとは、げに民主主義とは脆弱なものである。
「なんにせよ、今はそんな状況です。で、これからは再起のために準備を始めようと思うのですが、とりあえず後数日待ってもらえませんか?
すぐにまた色々と動いてもらうことになりますし、お二人には今のうちにゆっくり休養を取ってもらいたくもあるんです」
「そう言ってもらえるのありがたいですからお言葉に甘えます。でも、私たちが手伝えることがあったら遠慮なく言ってくださいね?」
「そうよ! わたしもあんまり長くじっとしてると、次、フロアに出る時ちゃんと動けなくなっちゃうもん」
彼女の言うとおり、あまり長く体を遊ばせているのは怖い。
そもそも私たちはじっとしているより何かしら動いていたほうが気が休まる性質の人間なのだ。のんびりさせてもらえるのは嬉しいけれど、そういうのはずっとじゃないからありがたいのだと思う。
「さしあたり、私にみんなのご飯を作るくらいはさせてくださいね。伊勢さんに毎回準備してもらうのも気が引けますから」
「それじゃ、わたしはどうしよ。―――う~ん、料理できれば月子ちゃんと一緒にやるんだけどなぁ」
拗ねたように言うが料理は私の領分なのだ。譲らぬよ、ふふふ。
「そういえば旅の最中にも、日吉さんが料理をしているところは見たことありませんでしたね」
「わたしは覚えたいんだけどねぇ。これに関しちゃ先生が頼りにならないのよ」
「あぁ。自分で作るのと、人に教えるのはちがいますものね」
「いやいや、私はちゃんと教えようとしたんですよ?」
私はあわてて否定する。日本にいたときもこっちに来てからも、何度か彼女に料理を仕込もうとしたのだ。なのに毎回匙を投げるのはあちらなので、この件に関しては彼女の引責事項であろう。・・・私は悪くぬぇ。
「それは月子ちゃんがちゃんと教えてくれないからじゃない。聞いてよ伊勢さん。この子ったらわたしがキチンとメモ取るからレシピ教えてって言ってるのに、手順しか教えてくれないのよ?
わたしは月子ちゃんみたいにカンで全部できるタイプじゃないんだって、何度言ってもわかってくれないんだもん」
「そんなこと言われたって、料理って塩が何グラムで~とか考えてやるものじゃあないでしょう。理科の実験じゃないんですから」
「でも月子ちゃんだって、お菓子作るときはちゃんと量り使ってたじゃん」
「あれはそういうものだからでしょう?」
「だ、か、ら。その違いが意味不明なんだってば。 もぅ、これだから感性で生きてる人間は」
そんなやり取りを彼の前で披露してしまう。うっかりエキサイトしてしまった私たちを彼がドウドウと宥める。私らは馬か。
彼は困ったように笑っているが、実際これは今まで料理を教える教えないの話が出るたびに繰り返してきたコトなのである。天才肌の人間のように言われるのは心外なのだが、結局は毎回そういう結論で落ち着いてしまう。本当に、なんだかなぁと思わざるを得ない。
だがまぁ、基本的に口論が続くことの少ない彼女との付き合いの仲で、こういったじゃれあいが楽しくないわけではないのだ。
なんだかえらく子どもじみてしまったなと思わなくも無いが、その日の朝はそんな風に、ちょっと楽しく姦しい時間を過すごしたのであった。
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