ストイケイアスの白き魔王
――灰色の街の一角に、屋敷がある。他の国にある屋敷に比べればさほど大きくない屋敷だが、それでもこの街の中では大きな屋敷である。恐らくこの街でも有数の実力者か商人が、ここに住んでいるのだろう。
その屋敷の門を開けて、アーセニックとトーラス、そしてアーセニックの腕の中の女―最も、名前不明の女は気絶しているのだが―の三人が、すたすたと入っていった。当然だ。この屋敷――トーラスのものなのだ。
「……何でこんなに拾い物ばかりしてくるんですか」
門から玄関まで行く間、数10mの道。その道中、堪りかねたアーセニックが口を開いた。
トーラスが物を拾ってくるのは今に始まった事ではない。以前には子猫を5匹ほど拾って来た。どうもこの街にいた野良猫の子供らしく、母猫が死んだようだったので拾って来たらしい。
猫の餌代を節約するほど切羽詰まった生活はしていない。金は唸るほどある。しかしそれが問題なのではない。可愛いからいいじゃないかともトーラスに言われた。現に屋敷の使用人の一部は子猫の可愛さに歓喜していた。いやしかしそれも問題なのではない。
「いいじゃねぇかよ。猫も面倒見てやってるんだろ? その女だって、怪我が回復するまでウチで預かってやりゃいいんだ」
「そ・う・じゃ・な・く・て・で・す・ねー……」
がっくりと肩を落とし、アーセニックは溜息と共に嘆きの声を上げた。問題は彼女の仕事が増える、ということなのだ。彼女だって忙しい。トーラスに命じられた本来の仕事の他にもやらなければならないことだってある。
――しかし。その抗議を聞いても、トーラスは平然とした様子でいた。
「何だ。そんなことかよ」
しかもそんな言葉まで付け加えられて。
「アレだろ? いつもの街の巡回と、俺の警護だろ? なら俺の警護はひと段落つくまでしなくてもいいぜ?」
おまけに信じられない発言まで飛び出してきた。アーセニックは眼を丸くし、声を荒らげた。トーラスがとっさに耳をふさいだが、それもお構いなしだ。
「そんなこと許されませんよ!! 旦那様、自分の命の重さが分かってるんですか!?」
「だー。分かってる分かってる」
「分かってないからそう仰るんでしょうが!! 一体全体そもそもなんで私が雇われてるか分かってます!?」
アーセニックの言葉に、トーラスは少しの間黙った。言い返せないからではない。何かを考えているからだ。
そして、一言。
「ウチの店で働く為じゃなかったっけか?」
「ああ。そうでしたね……」
アーセニックはトーラスの言葉に落胆を隠せず、本日既に何度目か分からぬ溜め息と共に呟いた。
――果たして、この拾い物好きの男が、灰色の街を実質支配しているのだとは誰が思おうか。
何かある度に、アーセニックはそう感じている。経歴さえ聞けば、この街で有力な地位にいることは十分頷けるのだ。
トーラスは、帝国の辺境の農村である富豪の妾の子供として生を受けた。帝国では実力者が正妻の他にそういう女性を持つことは珍しくはない。大抵、正妻は貴族や政界、財界の実力者の娘で、惚れた女を愛人に貰う。正妻もそれは知っている。そういう構造だった。美人に生まれさえすれば、女は身分の貴賤を問わず経済力のある夫の援助を受けて不自由なく暮らせる。逆に、どこで生まれようとそういう生き方しか、女にはなかった。トーラスの母親というのもその例に漏れなかったそうだ。しかし何かの不幸があって、彼女は早くに病死。一人天涯孤独の身で投げ出された彼は――薬問屋で住み込みで働いたそうだ。そのうちに商売の才を店主に認められ、独立し、財を成した。
しかし話はそこでは終わらない。
出る杭は妬まれ、疎まれ、そして打たれる。薬を取り扱う商売には危険も多い。材料の中には魔獣と呼ばれる凶暴な生き物からしか採取できないものも多く、その為に荒くれ者と関わる事も多い。それ故、彼も狙われた。ある日、彼は銃の乱射を受け、瀕死の重傷を負ったのだ。左目もその時に失ったらしい。誰が自分を殺そうとしたのかは分からないし、心当たりもたくさんあったらしい。
彼は生と死の間を彷徨ったが、奇跡的に復活した。その後もその危険にひるむことなく、彼は商売を続け――現在の地位にいるわけだ。彼が薬を取り扱う商人だからこそ、アーセニックも彼のもとで働いている。というより、そもそものキッカケは、彼の方から自分を拾ってくれたことなのだが。
まあ他にもいろいろと伝説的なことがこれまたまことしやかに語られているが、アーセニックは他者の口から語られる、彼の「武勇伝」を話半分に聞いている。実際にこうやって彼の側近として働いていると、確かに型破りな人物ではあるが、かと言ってそこまで驚きに満ちた人でもないな、と思ってしまうからだ。……自分が彼の行動に慣れてしまった、という点は否めないが。
「……とにかく」
声に苛立ちを滲ませながら、アーセニックはトーラスを見て言葉をつづけた。目の前には玄関が。屋敷の主が帰宅したことを知り、次々と使用人たちがやってきた。
「まずはとりあえず、彼女の手当てをします。それから色々考えましょう」
「……考えるほどのことじゃあないだろう」
アーセニックの小言じみた口調に、トーラスがどこか辟易した様子でぼそりと一言つぶやく。それを聞いた彼女はその黒い目でトーラスをぎろりと睨み付けた。
「おお怖っ」
そう言いながら怯えた"フリ"をする彼の様子は――彼女を恐れているようには全く見えなかった。
―――――――
客人用の部屋に女を運んだアーセニックは、女をベッドへと寝かせ、さっそく手当に取り掛かることになった。幸いにも女の傷は浅かった。これなら肌にも跡が残らなさそうだ。アーセニックはその事実に安堵しながら、少しずつ服を脱がせ、処置をしていった。
――それにしても、気になることが一つある。
それは彼女の服装と、傷のことだった。
服装は恐らく帝国や王国でも上級の軍人の細君にはふさわしい代物だ。しかし、そんな女性がこんなボロボロ――具体的に言うと打撲による傷やかすり傷だらけという状況であった。傷付くことが無縁であるはずの女性が、何をどうしたらこんな傷を。アーセニックは手当をしている間、そんなことで終始首を傾げていた。
――これ、旦那様は事情、知ってるんだろうか――
手当を終えたアーセニックが包帯や傷薬を片付けながらそう思っていたその時。ドアをノックする音が聞こえた。
「……はい、どうぞ?」
一体誰が。そう思ったアーセニックが返事したその瞬間、そのドアが勢いよく開き――そして彼女は誰がここに来たのかを、悟った。
「ごっしゅじーーーーん!!」
そのドアから姿を現したのは、一人の少女だった。黒のロングヘアに、釣り目がちな緑色の瞳が印象的な少女だ。身長は150cmも行っていない。恐らく12歳ぐらいの年齢だろう。アーセニックはその少女が叫ぶなり彼女の元へと向かい、その口を手でふさいだ。
「クロム! 静かに!! 今怪我人が眠ってるの!!」
「むー!! むー!!」
少女――クロムがアーセニックに口を塞がれ、腕の中でじたばた動くのを見て、アーセニックは小さく溜息を吐いてその手を口から放した。
クロムは、アーセニックの部下のような存在だ。何故「ような」という言葉が付くのかといえば、クロムは時に自分の部下として機能しないことがよくあるからだ。
――たとえば、今のようにドアから叫んで入ってくるとか。しかし、トーラスが拾ってきた子猫の面倒見はしっかりきちんとやっているので、本人の適性に合った仕事をさせねばとアーセニックは思っている。
「……全く」
「だって! ご主人が帰って来たから……!」
「だからしーっ!!」
今度はアーセニックがベッドの上の女性を指さすと、ようやくクロムは分かった様子で目を丸くし、驚いた。……どうやらようやく理解したらしい。しかし今度はその女性に興味を示したらしく、彼女はベッドの前に立つと、その緑の大きな眼でじっと女を見つめた。
「綺麗な女の人だね」
そう言いながら好奇の目で見ているクロム。先程のようにうるさくしないだけマシかと思いながら、アーセニックは静かにうなずいた。
「……そうだね。珍しく綺麗な金髪」
「何でご主人がこの人の手当てしてるの?」
「旦那様が拾ってきたんだって」
「大旦那様、猫以外にも拾ってくるんだ……」
猫以外にも。その言葉にアーセニックは眉根を寄せた。遂にクロムにまでトーラスは『猫を拾ってくる人』としか認識されなくなってしまった。流石にこれはゆゆしき事態なんじゃないか。アーセニックは本日何度目か分からぬため息を吐き、そして改めて女の顔を見た。
確かに美人だ。そして、綺麗な色の肌と髪。目の色はよく分からないが、何色であってもその容貌を引き立てることは間違いなしだろう。
「で、この女の人、誰なの?」
しばらく女の眠り顔を見ていたアーセニックだが、クロムのその問いに彼女は眉根を寄せた。
「……分からない」
「大旦那様の『二号』さん?」
「いや、旦那様には一号さえいないし。……って、そもそもクロム、何処でそんな言葉を――」
「どっかで聞いた」
――今に始まったことではないが、子供に聞かせるにはよろしくない言葉が飛び交う街だ。アーセニックは眉間に寄せたシワを更に深く寄せた。
しかし。クロムの疑問ももっともだ。何故あのトーラスが、ボロボロになった女を拾ってきたのか。そして二人の関係は。全く予測が付かない。生き別れた娘と父親、という可能性もあるかもしれない。だが、それはおかしいと彼女は思った。化粧で上手く隠してはあるが、女は恐らく30は過ぎている。まだクロムの『二号さん』という考え方の方が素直だ。
「……まあ、そう言うのはさ、この人の眼が覚めたら分かることなんじゃないかな?」
アーセニックはそう言いながら、棚の上に置いていた女性用の寝巻き―都合が付かなかったので、彼女用のものである―を取り出すと、ゆっくりと女の身体を持ち上げ、着せ始めた。
所詮、自分は使用人の立場だ。主人が行ったことに、必要以上に立ち入るべきではないだろう。それに、本当に必要なことであればトーラスが教えてくれるはずだ。とにかく今大切なことは、女の身元を調べることよりも、女の手当てをすること。
「ホラ、クロム、折角来たんだから手伝って」
「はーい」
おそらく一部の事実は数日の間にわかるはずだ。アーセニックはクロムに声を掛け、クロムが入ってきたことで中断していた作業を引き続き、続けることにしたのであった。