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Arsenic  作者: 浦辺 京
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『砒素』という名の女

 灰色の街。どんよりとした灰色の雲。辺りの建物に使われているのは、灰色の煉瓦。石畳も灰色。どこもかしこも灰色だらけのその街の中を、一人の女が歩いていた。

 燃え盛る炎のような赤の、背中まで伸ばした長い髪。黒檀の様な黒の眼は切れ長で、鋭い眼差しを湛えている。その黒い瞳とは対照的に、透き通った白い肌の女だ。歳は恐らく20歳ぐらいだろう。

 一見すると美人の部類に入るのだろうが、170cm近くあるそのすらりとした体躯を、真っ黒なスーツで包むという極めて中性的で(この国では)珍しい格好をしているのが、この辺りの男の気を惹かないようだった。

 彼女は、鋭いその眼を更に鋭くして、キョロキョロと辺りを見回していた。どうやら、誰かを探している様子だった。かなり焦っている。

 無理もない。ここは――ストイケイアス自治区。通称、灰色の街。トルイジン王国とダイアジノス帝国――二つの強国に挟まれ、しかし君主を持たないこの地域は、まさに灰色の街だからだ。

 シロではなく、クロでもない。だからハイイロの街。二国に挟まれたこの街では、ありとあらゆるものが取引されているのだ。現皇帝の批判ばかりを書き連ねてある為に帝国では発売禁止とされている本。あるいはかなり希少で、裏取引されるような動物の角。はたまた――人の精神を髄まで破壊する麻薬や、人の命そのものまで。世界中から多くの人達がこの街にやってくる。この街で取引されないものは恐らく無いとまで言われる程だ。

 だが、それ故に。もめ事も多い。用心棒として雇われる荒くれ者、“仕事”を探しにやってくる傭兵崩れの殺し屋。闇市を渡り歩く商人。化け物や妖怪がうじゃうじゃいる様なものだ。一応自警団は存在するが、実際の所の治安はあまりよくない。それ故、自分の身は自分で守るのが鉄則である。

 早くあの人を探さねば。そう女が焦るのも、道理であった。


 ――現に。

「…………」

 女は無言のまま、足を止めた。彼女の視線の先には、三人の男が。彼等は道を占拠する様に横一列に並び、こちらに向かってきている。見るからにガタイがいい。そして、どう見てもゴロツキの類いにしか見えない。三人ともボロボロの服を身に纏い、武器を担いでいる。一人は斧、一人は両手剣。もう一人は槍だ。

 何か嫌な予感がして、女が男達にぶつからない様に歩こうとした――その時だった。

 どん、と。嫌な音。すれ違い様、女がかわそうとした所を男がわざとぶつかったのだ。

「よう。姉ちゃん」

 男の一人――斧を持った輩が、女に話しかけてくる。女は男たちに顔を合わせずに、立ち止まった。まずい。どうやら絡まれたらしい。女はわざとらしく深くため息を吐くと、嫌そうに彼等を見た。

「何でしょう」

「俺達にぶつかるとは、なかなかいい度胸してるじゃねぇか」

「お褒めに預かり光栄ですね」

 淡々とした、女の言葉。男たちはまさかそう返されるとは思わず、互いに顔を見合わせた。

「褒められたついでに通してもらえると嬉しいんですけど。通行の邪魔なので」

 淡々と言ったついでに、女は男たちを見上げ――そしてそう言い放つ。しかし男たちが動く様子はなかった。

「おっと。そうはいかねぇよ。ぶつかった分の詫びを貰わねぇと」

 両手剣を持った男が剣を構えようとし、槍を持った男もその手に力を入れているのが、女の眼にははっきり見えた。

 ――今日は、厄日だ。自分の主が行方をくらませて途方に暮れている上に、しかもこんなゴロツキに遭うなんて。しかしこの状態では、逃げようにも逃げられないだろう。そうなると、選択肢は一つしかない。

「詫び、とは」

「金に決まってるだろ? 姉ちゃん見るからに金持ってそうだしよ。俺達にちょっとばかりくれよ」

 女は更に溜息を吐いた。確かに女がまとっている服は、上物の布で出来ていて、この辺りでは結構な値段で取引されている。これだから高級品は嫌なのだ。女はそう思いながら、男たちが次々武器を構えているのを見て、今回三度目の溜息を。

「……断れば?」

 そう女が言った瞬間の眼は。ひどく汚いものを見るような、軽蔑を大量に含んだ眼差しで。

「そんなもん、強引にでもアンタごと奪うに決まっているだろうがよ!」

 だが、男たちはそれを気にすることもなく――女に向かって武器の柄で殴りかかろうとしたのである。

 しかし、次の瞬間。その背の高い女の姿は、男たちの目の前からフッと消えた。それとほぼ同時。槍を持った男の鳩尾に、拳の鋭い一撃が。男の身体が、あり得ないほど遠くに吹っ飛んで、近くの建物の壁に派手にぶつかった。

 一般的に、パンチの威力は身体の重さに比例して重くなる。それを受ける側も、身体が重ければ重いほど吹き飛びにくい。しかしこの女は―いくらこの女自身、170cm程度の背の高さとは言え、その体重などたかが知れている―この筋肉の塊のような巨大な男を、たった拳一つで数メートル先まで吹き飛ばしたのである。尋常ではない。

 ほとんど戦意を失った、残り二人の男であったが――それを彼女が見逃す事はなかった。斧を持った男が呆然とする隙を狙って、顔面に回し蹴りが入った。今度は遠くまで吹き飛びはしなかったものの、その一撃で男は昏倒してしまった。

 ――何なんだこいつは。呆気にとられる、最後の一人。女は地面を蹴り、残りの男に瞬時に近寄った。男はそれに恐怖を覚え、そしてむやみに剣を振り回したものの、女はその間を縫うように刃を避け、そして剣を持っている手を狙い、殴り飛ばす。

「なっ!!」

 甲高い音を立て、剣が容易く地面に落ちる。その剣を拾おうと、男が屈んだその瞬間。ばきり、と音を立てて、女の蹴りが男の顔面を直撃した。どうやら、鼻の骨が折れたようだった。

 かろうじて顔面を手で覆い、鼻血をぬぐう、さっきまで剣を持っていた男。その首筋を狙って、銀色の刃が彼の首筋に突き付けられた。

「いい度胸ですね。私に喧嘩吹っかけようなんて」

 女が鼻を折られた男を見る目は、ひどく冷めていて。男がどうなろうと―死んでしまおうとも―どうでもいいと言わんばかりの表情だった。

「その度胸を評価して、貴方は私が直々に殺して差し上げましょう」

 女がそう言い放った次の瞬間。彼女は剣を大きく振り、そして、男の首を斬り落とそうとして――

 その瞬間、彼はあまりのショックにどたりと後ろに倒れてしまった。一方、それとほぼ同時。甲高い音を立てて、剣が石畳の地面に落ちる音が辺りに響いた。女が男の首を斬ると見せかけて、剣を落としたのである。

 本気で首を斬る筈がない。脅しのつもりだったのだが――まさかこの程度で気絶されるとは思いもしなかった。

「……どうしようかな。これ」

 本日四度目の溜息。ぽつねんと立つ女の周りに――巨大な男達が倒れているという、壮絶な光景。

 そんな時、がやがやと周囲が騒がしくなってきた。どうやら、騒ぎを聞きつけて人が来たらしい。

「おい! この街で何喧嘩なんぞやっとる!!」

 その中から、これまた一際大きな筋肉質の男―大体40半ばぐらいで、浅黒い肌の男だ―が人の群れを押しのけて、やって来た。先程女に喧嘩を吹っかけてきた男たちと同じぐらいの大きさだ。どうやらその中年の男はこの街の警備に当たっているようで、騒ぎを聞いて駆けつけて来たらしい。鋭い目を更に鋭くして、威圧的な雰囲気を醸し出している。

 しかし、その中年の男は、女の姿を見るなり眼を見開いて、素っ頓狂な声を上げた。

「何やっとるんだ。アーセニック」

 女――アーセニックは中年の男にそう聞かれ、頷きを返した。

「ご無沙汰しております。ナフトールさん」

「お、おう……」

 あまりにごく普通に挨拶をされてしまった為、中年の男――ナフトールは戸惑いを隠しきれず、ただ返事をするばかり。どうやらこのアーセニックとナフトールは互いに面識があるようだ。

「って、そうじゃあない」

 しかしナフトールは彼女のペースに巻き込まれる前に、首を横に振ってから話題を元に戻そうとした。

「何なんだ。これは? 喧嘩でもあったのか?」

 ナフトールの問いに、彼女はその黒い眼を逸らすこともなく、即答した。

「危うくカツアゲに遭うところだったもんで。逆に返り討ちにしました」

「………………」

 彼女の答えに、ナフトールは黙るしかなかった。基本的に物事を率直に言う女だとは思ってはいたものの――まさか、ここまではっきり言われようとは。

「そうか」

 思わずナフトールはそう返すだけ。一方でアーセニックは彼の姿を見て、ふと思った。

「そう言えば私、旦那様を探していたのですが、どこかで見ませんでしたか?」

「お、おう……トーラスか?」

「ええ。今朝、気が付いたらいつも通り行方をくらませまして」

 どうやらアーセニックの主の名は、トーラスという名前らしい。その名を聞いて、ナフトールは腕を組んで僅かに考えた。

「大体の場所は探したんだよな?」

「ええ。そりゃあ」

「俺もよく知らんが。じゃあ、ひょっとしたら娼館街じゃあないか? 女のお前に伝えるのも気が引けるだろう」

「……ああ。なるほど」

 娼館街。それを聞いて、アーセニックは頷きを返した。確かにそこの可能性は考えず、行かなかった。探してみる価値はあるかもしれない。彼女はナフトールに頭を深々と下げて。

「ご意見ありがとうございます。……それでは、私はこれで」

 そして、すぐに踵を返し――早足で娼館街の方角へと向かって行ってしまったのである。

「って、おい!!」

 しかも、ナフトールの制止も聞かずに。最も、ナフトールも彼女をそこまで積極的に止めようとは思わなかっただろうが。

 何せ、彼女――アーセニックの主は、この街で一番恐れられている人物なのだから。彼女を引き留めでもして、後々彼女の主の怒りを買いでもしたら困る。


 ――ストイケイアス自治区の南西部。そこに、娼館街がある。唯一無二の絶対神を崇める星辰教会の信者が多数派を占める―というか国教なのだが―帝国や王国では、原則的に娼婦の存在は禁止とされている。否、厳密にいえば、黙認されているが――その締め付けは極めて厳しい。一方、ストイケイアス自治区では、まず宗教の自由を保証し、むしろ星辰教会の干渉を拒絶する立場を取っている。それ故、そう言った娼婦のような商売もやりやすくなっているのだ。

 娼館が立ち並ぶ街の一角。そこに足を踏み入れたアーセニックは、思わず眉根を寄せた。

 ――なんというか、異世界だ。そういう感覚を受けたのだ。余りの異様さに僅かに迷ったものの、アーセニックは意を決し、そして歩を進めた。


「おにーさん、ちょっといかがー? 上玉がいっぱいいるわよー」

「今なら350モラーで楽しませてあげるわよー」

「さ、旦那旦那、如何です? いい女の子いっぱいですよ」

 一歩一歩。アーセニックが歩を進めるごとに、何だか。免疫の出来ていない言葉が。耳に、突き刺さって、来る。女であるおかげで客引きの餌食にならなかっただけ、マシかもしれない。

 しかしここで引き返すわけにもいかない。アーセニックは歩くたびに耳の辺りが熱くなっていく感覚を覚えたが、彼女はそれを何とか無視しようとして、突破をかけた。

 きょろきょろと辺りを見回し――その度に、なんか信じられないものを見た気もするが、それをあえて無視して。彼女はようやく。

 ある娼館と娼館の間の路地。そこでアーセニックは足を止めた。彼女はその視線の先に、見覚えのある白髪を見た気がしたからだ。

「旦那様!」

 アーセニックは思わず声を上げ、“彼”へと近寄った。

 そこには背の高い―恐らく180cm程度だろう―やせ形の男が、うずくまっていたのだ。真っ白な髪。真っ白な肌。そして、その白さ以上に目を引くのが――左目を覆う、黒い眼帯。隻眼だ。しかしその左目への印象を奪ってしまうほど、青の右目は突き刺すような鋭さを持っていた。恐らく年齢は40代程度だろう。

 これが彼女の仕える主――トーラス・クラインだ。彼――トーラスは彼女に気付くなり、おうと朗らかに答えた。その鋭い右目の印象を失わせるほどの、フランクさで。

「アーセ。丁度いいとこに来た。お前を待っていたんだよ。ちょっと両腕出せ」

 彼はそう答えるなり立ち上がると、両腕を出したアーセニックに“それ”を渡した。彼女はその重さに思わずよろけたものの――しかしそれを落とさぬように必死に踏ん張って、そして見て。遂には眉根を寄せた。

「……何ですか。これ」

 彼女の腕の中には、一人の女が。身なりは酷くぼろぼろだ。服自体はそこそこいいものだが、酷く傷ついている。髪もきれいなブロンドヘアーで、きれいな顔立ちだ。しかし気を失っているようで、彼女の腕の中でもピクリとしなかった。いや、しかし問題はそこではない。

「何ですか。これ」

 アーセニックは同じ質問をトーラスにした。しかしあえて空気を読まずに、トーラスはすっぱりと返したのだ。

「拾った。ウチで手当てして、当分面倒見るから。連れて帰るぞ」

「……はい?」

「だから。連れて、帰るぞ、って」

 アーセニックは、呆気にとられるしかなかった。何の断りもなく、何の前触れもなく。いつもの事ではあるが――しかし。どうしてこうも彼はいつもいつも、自分の予想の斜め上を飛んで行って、驚かすのか。しかしかと言って逆らうことも出来ず、本日五度目の溜息を吐いて、歩き出した。

 今日も、退屈しない―悪く言えば、あわただしさに苦しめられる―毎日が来たのか。アーセニックはそのことに頭を抱える事も出来ず、大人しく女を運ぶことにしたのであった。

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