2
そんなこんなで、翌日。よかんてきちゅう、だ。
「椀子、尻尾か今日は」
さすがに、昨日の一件があれば、驚きも半減するようだ。尚も倒置法で問うたのは、若干の動揺の表れか。
解っていたはずなんだけどな。
椀子は少し照れ臭そうに返事をしてきた。
「うん、そうだよ」
……尻尾を軽快に揺らして。ご丁寧にも、昨日の犬耳をしっかりと生やし、人間としての耳も残っている。そして尻尾のふわふわ度は一目瞭然だった。
いやいや、それよりも突っ込むべきところは他にあるか。
尻尾が生えてきたというのに、選りに選ってスカートで来るとは何事だ。スパッツは穿いているみたいだから大丈夫……とかそういう問題じゃない。女子としてどうなんだ? そもそも、そんな状態で尻尾をどうやって生やしている。スパッツに穴を開けてないなら、物理法則をどうしているのか問いたい。
以上、俺が誰かに代弁を願いたかった、声にならない心の叫びの数々だ……。
「どうしたの?」
「何でもない」
椀子の尻尾が左右に揺れる度、スカートからスパッツが覗かせるように見え隠れする。それは、何とも言えない魅力を醸し出ていた。
もうこの際、部屋にいる限りは、そういうことを気にしない方向で行こう。
椀子はパピヨンぬいぐるみを大事そうに抱えている。それが唯一の救いだ。大いに喜んでくれているみたいだな。
俺は明後日の方向に目線を逸らして、たぶん……ぶっきら棒な態度で訊いた。
「それで、今日も元に戻るまで一緒にいればいいのか?」
「うん」
椀子は嬉々として答えてきた。
そう無垢な様子で言われると、俺の一挙手一投足は何もかも痛々しい事この上ないぞ。
さっき変な気分になった自分が恥ずかしいな……。まあ、いつ戻るのか分からない以上は油断禁物か。
予想外の展開が起こる可能性はある。だが何もしないで時を過ごすのも不毛だ。
「ただずっと立っているのも疲れるよな」
俺は話題を考えつつ机の椅子を指差した。
「椅子にでも――座ってはいられないか。最初の内は尻尾もくすぐったいんだろ?」
「尻尾は平気みたい。だから、今日もスカートで来れたの」
だからじゃなくて、それならスカートで来るんじゃない。
そんな俺の本音は、置いとくとして……。
「それじゃあ、ふかふかなベッドの方に座らせてもらうね」
尻尾をはためかせて、椀子がステップを踏むようにベッドの傍へ移動していく。自分の尻尾もふわふわそうなのに――。
「椀子」
椀子がベッド前に到着したところで、俺は制止した。
「やっぱりまだ座らない方がいい」
振り返った椀子があどけない表情で、首を捻ってくる。
「どうして?」
「どうしてもだ」
「ダメなの?」
「ダメだ。思い出してみろ。昨日も話してる間に戻っただろ? 頭の犬耳なら座ってても関係無いが、尻尾だとそうはいかないんじゃないか?」
「あ、そうだね」
椀子は俺の助言を何の疑いもなく聞き入れてくれた。俺の下にリターンしてくる。
「ああ、そうさ。ああ――」
っぶねえ。
そう考えているのがバレそうな空笑いを、今の俺はしているはずだ。あと顔も引き攣らせていると思う。
尻尾が有る状態で、いつものように座ったりはできないはずだ。どんな感じが普通かは判らないけどな。尻尾が余計になりそうなことくらいは分かる。
危なかったと思っている俺の目つきは、十分面妖そうだ。そして二人揃って何かするわけでもなく佇むのも、結構異様かもしれない。
椀子は尻尾を、左から右に、右から左に、往復させながら呟いた。
「早く、戻らないかな」
「そうだな……」
俺は気力を振り絞って生返事した。気持ちの余裕なんて、本当は無かったけどな。重たい空気が今以上に漂ってほしくなかったから、相槌してみたが……。
そろそろ限界みたいだ。
限界値が低いとか言わないでくれると助かる。
「あ」
そんな中、椀子の尻尾は空気を読んでくれたらしい。
椀子の尻尾が引っ込んでいく。スカートの中にすっと消えていくのが横目で見えた。無論、実際に中を確認はしていない。
その瞬間ばかりはくすぐったかったらしく、椀子はパピヨンぬいぐるみを抱き締めていた。
「戻ったよ」
「そうらしいな……」
俺は一向に乾いた笑みを崩せそうになかった。何故なら、椀子が尻尾を生やす実演を、昨日と同様にやらかすかもしれないからだ。
……また落ち込まれるかもしれないけどな。心を鬼にして、念の為言っておく。
「尻尾、出さなくていいからな?」
「うん」
納得してくれたらしい椀子はそう答えた後、そのまま黙り込んだ。
今日のところは帰るのか、俺は訊けそうになかった。
「…………」
椀子が次にどんな変化をしてくるのか、俺に知る由も無い。
明日は、犬のヒゲでも構えてやってくるんだろうか。
椀子がパピヨンぬいぐるみを、ちょっと力を強めたように抱き締めた。口を真一文字にして疲れた顔になっていそうな俺に、真摯な目を向けてくる。
そして小さな声で――。
「明日も、来ていい?」
声のトーンが落ちた椀子の一言は、さながら母犬に甘える子犬のようだった。
……断れるわけがない。
俺がお人好しなのか、それとも椀子の頼みだから嫌と言えないのか。どっちなんだろうな。どちらにせよ、答えは一つか。
どのみち最初から決まっているなら、俺はその答えを伝えるまでだ。
「……ああ」
「うん、明日も来るね」
微笑んだ椀子がやっぱり尻尾を出して振るだろうか、と心配するには至らなかった。
椀子に晴れやかな笑顔を向けられて、俺も自然と口許を緩ませていたからな。結局何だかんだで、最後まで面倒を見る破目になるんだろう。
「また、明日ね」
椀子が左手を振って、部屋を出て行く。
手は振り返さずに、俺は椀子を見送った。それから、いつかは訪れるはずの絶対叶わぬ願いをしてみる。
明日、椀子が犬そのままの姿でやってこないといいな。
そんな祈りを――。