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 人は、夏のある日の正午に幼馴染が何かを生やして来た時……。春や秋や冬だろうが、朝か夜だろうと、いつだっていい。どんな対応をするか。

 俺は自分の部屋にやってきた隣人であり幼馴染の月見(つきみ)椀子(わんこ)に、たぶん仏頂面で言い放った。

「椀子、何だソレは」

 長年の付き合いである相手に、その態度は酷いと自分でも思う。だが別に、普通の状況下で邪険に突っ放したわけじゃない。

 椀子はか細い声でぽつりと答えてきた。

「犬耳だよ、匠くん」

 椀子は茶髪の頭の天辺に、柴犬らしき茶色い毛並の犬耳を付――生やしていた。時折動くその耳が本物じゃないとは到底思えない。

 そんな尋常じゃない事態……。いや、俺には色々と思うところもあって動揺していた。

 八月一日。今日は椀子の十六歳の誕生日だ。そして犬好きな椀子の誕生日プレゼントに浮かんだ案は、何故か久々に対面したような気がするパピヨンのぬいぐるみだった。

 準備したぬいぐるみは押入れの中に隠してある。

 購入時は、女性店員に意味深な笑みを浮かべられつつ袋に包んでもらった。あの時に向けられた女性店員の表情がまだ印象に残っている。

 転寝していて、誕生日プレゼントを出し損ねた。まあ、カッコはつかないが、すぐに引っ張り出せるか。

 後は、渡すだけでいい。それなのに、リアルな犬耳を生やして来られると、何だか立つ瀬が無い。冷静にモノを考えようとしても仕方ないだろ?

 椀子の犬耳が小刻みに動いている。

 ……あの犬耳を端から気にしない奴なんているんだろうか。存在するなら、ある種の勇者か目が節穴か、あるいはネジが数本飛んでいるような人種に違いない。だが月見家の面々は世間一般から見ても変人が多いからな。限りなく本物そっくりな犬耳を贈れる酔狂な奴はいない。……そう断言できないのも事実なんだよな。

 椀子の風変わりも例外無い。こいつ自身もどこか普通じゃない雰囲気を漂わせている。

「匠くん?」

「ああ、あー、あー……」

 何とか話を進めたい。だが言葉を選ぼうと思考を巡らせる度に唸るしかなかった。

 椀子が左右に小首をかしげてくる。顎先までの鬢が小さく揺れ、ポニーテールにしたセミロングの後ろ髪も、本当の尻尾みたいに揺れた。

「匠くん、どうしたの?」

 おかげで、俺は少し我に返った。

 犬耳が生えている事以外、椀子におかしな点は無いようだ。本来あるべき人耳もしゃんとある。椀子も突然の事に落ち着かないんだろうな。

 これ以上、椀子を不安にさせても意味が無いか。

 俺は頭を掻きながら、いつも通りの俺らしく振る舞うつもりで訊いてみた。

「椀子、どうしてそんなことになってるのか説明できるか?」

「うん。たぶん、簡単に説明できるよ」

 素直に返答してくれた椀子に、少し安心した……のも束の間だった。

「椀子の一族は十六歳になったら、犬に変化できるようになるんだって。その前兆が出てくるのは、個人差があるの。あたしは、ついさっきだよ」

 椀子の話は続かない。それで説明終了らしい。

「……そうか」

 本当に、簡単だった。

 原因が何か、いつのことか、何故生えてきたのが犬耳なのか。全部明らかになった。なったが、すんなり事実を受け入れるのは無理だ。ツワモノなら、「分かり易い説明をありがとう」と言えるかもしれないけどな。

 転寝中に視た夢は、幼少時代の記憶が今頃蘇った予知夢なんだろうか。言われてみれば、犬耳や尻尾を生やした椀子とその親戚に見覚えがあるような気がしないでも……。

「いや、待った。お前、昔は犬耳以外に尻尾も無かったか?」

「うん。産まれた時は両方とも有る状態なんだって。三歳くらいになったら、一度消えるの。これから、また出せるようになるよ」

 疑問、あっさりと解決。

「…………そうか。まあ、原因不明の症状よりはマシか」

 俺はそう呟いて、無理やり納得することにした。それで順応できるのは何だかんだ言いつつも、月見一族の認識が為せる業だな。

 そうして、次の疑問が沸いてきた。

「……つーことは、椀子に犬耳が生えたのは自然なことなんだよな?」

「そうだよ?」

「椀子。俺に何かできることがあると思って訊く。俺は何をすればいいんだ?」

 椀子は再び左右に首を傾げた。質問者であるはずの俺に聞き返すような反応だ。

 こっちが知りたい。

 そんな本音を呑み込んだ。代わりに額を押さえて、俺は苦笑混じりの表情を浮かべた。

「匠くん、どうしたの?」

 椀子が心配そうに顔を窺ってくる。

 もはや、何が何だか分からない。間違いなく言えるのは、現在犬耳を生やした椀子が俺の部屋にいるということだけか。少し前の不安げな様から察するに、ただ見せに来たわけじゃないはずだ。

 ……椀子は、俺の反応を確認したかったんだろうな。

 俺は自分のすべきことを理解した。

「よく分からんが、それは椀子が変化できるくらいに成長した証拠ってことなんだろうな。良かったじゃないか」

 椀子がほっとしたように柔和な笑みを浮かべる。

「そうかな?」

「きっとな」

 頭を撫でてやろうと、俺は椀子の頭にそっと手を伸ばしてみる。

 しかし、椀子は俺の手が伸びた瞬間体を強張らせた上に、目をぎゅっと瞑った。

「…………」

 俺は中途半端に伸ばした手を止めて、また思考停止気味になって硬直。

 仲が良いはずの幼馴染で、しかも女子に拒絶の意思を示された。そんな男子のショック、計り知れなくて当然……だよな?

 さっきのキツイ言い方に対する天罰だろうか。ごめんなさい、すみません。

「あ、今のはね、嫌だったからじゃないよ? まだ慣れてないからね、自分で触れてもくすぐったいの」

 椀子が両手を振りつつ理由を述べてくれて、俺は安堵して息をついた。

「そ、そうだったか。まあ、俺が早まったみたいだからな。悪かった」

 微苦笑した俺に合わせて、椀子はにっこりと笑ってくれた。

 よくよく考えてみれば、椀子が正直な反応を示してくれて良かったな。不用意に撫でて、妙な感情が掻き立てられるような声を上げられても困惑していた。

 俺も男として色々とアレだからな。変な誤解を招かずに済んで助かったか……。

 そう思いながら、俺はもう一度息をついた。



 改めて、俺は椀子の様子を窺ってみる。ようやく本当に余裕が出てきたらしい。

「不便そうにも見えるが、その耳はずっと出たままなのか?」

「えっとね、まだ不安定な変化状態なの。時間が経てば一度消えるんだって。それにちゃんと出せるようになったら、そんなにくすぐったくなくなるみたい」

「そういうカラクリか」

 どうりで犬耳があるのに、人間の耳も存在しているわけだ。

 この犬耳が完全に顕現すると、人間の耳はどうなるんだろうか。興味が沸かないこともない。

「あ」

 椀子が小さな声を漏らして、さっきと同じように目を瞑った。

「ん?」

 犬耳が一瞬にして引っ込んだ。それは俺が椀子の異変に気づくと同時だった。もう犬耳が頭のどこから生えていたか判別できそうにない。

 感覚で位置を覚えているらしく、椀子は確認するように髪を整え始めた。

「……戻ったみたいだな。痛かったりはしないのか?」

「うん。生えてきた時と一緒で、くすぐったかっただけだよ」

 犬耳の戻っていく瞬間、椀子が浮かべた表情を思い返してみる。

 頬を紅潮させて、必死に我慢するような所作……。そこはかとなく、扇情的な感じだったかもしれない。

 つい俯く、俺。そして独り言を呟いてしまった。

「何を考えてんだか」

「何か考えてたの?」

 椀子に問い掛けられてしまい、俺は目を泳がせた。それでも体裁を取り繕ってみる。

「気にするな」

「そっか」

 あくまで無邪気な椀子が微笑む。少しでも勘の鋭い奴なら、怪しく思われていたはずだ。

 相手が椀子で助かったな。だが少々罪悪感が……。

「これで、もういつでも出せるよ」

 椀子は自慢げに、柴犬の耳を出現させた。スムーズに、柔らかそうな髪の間からひょっこりと。練習がてらにしては早業だったな。

「もうくすぐったくないから、触ってみる?」

「遠慮しておく」

 今し方したばかりの同じ過ちを、舌の根も乾かぬ内から繰り返して堪るか。三歩歩くと忘れるなんて言われるような鳥頭じゃあるまいし。

 しかし、椀子は凄く残念そうに見つめてきた。撫でて欲しいという、無言の圧力をかけてくるみたいな眼差しだ。

 ……究極の選択かよ。

 それでも、ここは誤魔化し通そう、そうしよう。適当な発言だけはしないぞ。妥当なことを言ってみるまでだ。

「それより、おばさん達に戻ったことを報告しなくていいのか? 心配はしてないだろうが、お前が自在に耳を出せるようになるのを待っているかもしれないだろ」

「あ、そうだね。それじゃあ、バイバイ」

 椀子が幼げな笑顔を浮かべて、部屋を出ていこうとする。

 いや……すっかり忘れている、何かがあるような気がするぞ。

「あ、待て」

 一旦、椀子を引き止める。

「え?」

 椀子は不思議そうに踵を返した。

 視線を向けてくる椀子を尻目に、俺は押入れから大きな袋を出す。そして椀子の前に歩み寄って、押し付けるように差し出した。

「今日は誕生日だろ? 持ってけ……」

「ありがとう、匠くん」

 椀子は遠慮なく受け取ってくれた。躊躇や拒否は、まず有り得なかっただろうけどな。

「開けていい?」

 椀子がねだるような声調で訊いてきて、俺は視線を合わせずに無言を貫いた。どうせ俺の顔は照れの色を隠せていないと思う。椀子がそれを感じ取ってくれると甘えた上での沈黙だ。

 椀子は椀子で、俺の意図を汲み取ってくれたらしい。子供みたいに覚束無い手つきで、袋を開け始めた。

 中は言わずと知れず、子犬のぬいぐるみだ。等身大のパピヨンで、真っ白な毛並というのは珍しいかもしれない。抱っこ仕様というポーズも、母性をくすぐりそうだな。

 パピヨンぬいぐるみを抱えながら、椀子は満面の笑みを湛えてきた。

「えへへ」

 天使のような笑顔――か。そう称しても安い比喩だと思えるくらい、輝かしい破顔だ。

「また、明日ね」

 今度こそ、椀子は俺の部屋を出ていった。

 階段を下りる椀子の足音が徐々に小さくなっていく。そして足音が止んだ後、挨拶する椀子と母さんの話し声が微かに聞こえてきた。会話は上手く聞き取れない。だが母さんの声は、耳に届いた。主に、俺を揶揄する意が込められているような笑い声だ。

 ……無視しよう。俺は、何も聞いちゃいない。

 俺は雑念を払うように首を振った。

「疲れたな」

 思えば、椀子の名前が『わんこ』たる由縁は、犬に変化できるからなんだろうな。だがいくら犬に変化可能だからといって……。犬を連想させるような名前にしなくてもいいんじゃないか?

 今日にして、月見一族の真実が色々と発覚した。精神的に疲労しても、目を瞑ってほしいところだ。

 俺は一人でひっそりと嘆息して、カレンダーに目をやった。

「明日……か」

 現在、夏休みの真っ只中。今日も明日も、その先も当分は休日だ。

 嫌な予感がしたのは、言うまでもない。

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