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去る年 来たる年  作者: 雪月 音弥
3/18

如月

 二月三日、十六時〇〇分。

 オレは父さんと二人、蔵の中にある祠の前で神饌の準備に執りかかっている。歳神様は祠の扉の前に正座して、興味深そうにその様子を眺めている。

 年末から年始にかけてこの家にやって来た歳神様は、その時、十五歳くらいの少女の姿をしていた。一ヶ月が経過して、今では二十歳前後の美人さんになった。

 長い髪をゆるく結い上げ、紅い着物がとても良く似合う。くるりとした目、細くて高い鼻、桜のような色をした小さな唇。実は結構酒飲みで、神饌を毎日二回お供えしているが、酒の入った徳利だけはいつも空だ。あと、割と話好き。大きさは人間よりとても小さい。幼い女の子が好きな、おもちゃの人形くらいのサイズ。そんな歳神様を甲斐甲斐しく世話している父さんやオレの姿は、何も知らない人にはある種の変態に見えるかもしれない。

 そういうオレの懸念を余所に、父さんは懸命に歳神様の世話に取りかかっている。オレに「年中行事のある日はバイトを全て休むように」と言ってきたが、都合良く休めるわけがない、と反論すると「そんなバイトは辞めてしまえ」とまで言った。かなりムッとしたが、結局、歳神様の物珍しさの方が勝ってしまった。

 今日の神饌の準備はいつもと違って豪勢だ。普段の米、酒、水、塩に加えて、鯛、昆布、大根、林檎と蜜柑、それに煎った大豆。

「節分ですね。なんだか緊張してきました」

 歳神様はどこか落ち着きがなくソワソワしている。普段は少しおっとりした感じなのに、珍しい。

「なぜ?」

「私も皆様と同じように大切なお役目がある日ですから」

「お役目?」

「この家を守る大切なお役目です。浩介殿も、尚樹殿も、どうか私にお力をお貸し下さいね」

 あれ? もしかして年末年始と同じ流れ……?

「父さん、オレ、何にも聞いてないけど……」

「特段難しいことは何も無い」

 いや、だから、何か儀式があるなら説明求む。

「尚樹殿、今日は節分です。節分というと、何が思い浮かびますか?」

「えーと、豆まき?」

「そうですね、豆まきです」

 歳神様は良く出来ました、とにっこり笑った。

「では、なぜ豆まきを行うのでしょうか?」

「え? そりゃあ……悪い鬼を追い払うためだろ?」

 ……あれ? そうすると、もしかして、今日の行事は……なんだか嫌な予感。

「そうです。悪い鬼を追い払う行事です。但し、今日やって来るのは、疫病神という神です」

「ヤクビョウガミ?」

「この神が住み着くと、家内に病人が出ます。場合によっては死に至ることもあります。

 普段は隙を狙いながら一柱ずつ別々に蠢いていますが、季節の変わり目である節分には複数でやって来るのです。ここにも間もなく訪れるでしょうから、追い返すために『鬼やらい』を執り行わなければなりません」

「年末年始みたいな儀式をやるってこと?」

「あれは皆様にとっては神送り・神迎えの儀式です。今回は追い払わなければなりませんから、前回より大変です」

 ああ、悪い予感的中。先の歳神の爺さんが天に帰る際、話しかけられたあの時でさえ何だか恐ろしくて思わず目を瞑ってしまったのに、追い払うなんてとても自分には出来そうにない……。

「心配は無用です。この家は、私がきっと守ってみせますから」

 歳神様が着物の袂から、薄いピンクの巾着袋を取り出した。袋から掴んで取り出した物を手のひらに乗せてオレに差し出す。あまりに小さくて、オレには黒い点々にしか見えない。

「それは?」

「桃の種を砕いたものです。先の歳神殿がご用意下さったものに、私の神力を込めました。

 疫病神がやって来たら、私がこの種を投げ付けます。その時に私が『鬼は外、福は内』と言いますから、尚樹殿はその後に続けて『鬼は外、福は内』と大きな声で言って下さい」

「鬼はァ外ォ、福はァ内ィ。こんな感じ?」

「もっと大きな声で」

「鬼はァァ外ォォ、福はァァ内ィィ。こんなもん?」

 先程よりかなり大きな声で言ったつもりだったが、歳神様は首を横に振った。オレは腹の底から声を出して叫んだ。

「鬼はァァァ外ォォォ! 福はァァァ内ィィィ!」

 どうよ? と歳神様の方を向くと、耳を押さえながら苦笑気味にそんな感じでお願いします、と返ってきた。

「浩介殿、桃の弓の準備は出来ていますか?」

「万端整っております」

 背後の壁に立て掛けられた弓を父さんが手で指し示す。

「では、私は祠に戻ります。

 尚樹殿、私が『鬼は外、福は内』と言った時以外は、決して一言も声を出してはいけません。貴方がそこにいることに気付かれて、疫病神に取り憑かれてしまいますからね」

「『鬼は外、福は内』は言っても大丈夫?」

「それは疫病神を追い払うためのまじないですから、一生懸命、大声でお願いします」

 それでは、と歳神様は深々と礼をして、祠の扉の向こう側に消えた。

「……儀式は、前と同じように祠に灯りが灯ってから、消えるまでだ。その間は静かにな」

 父さんにそう教えられて、はいよ、とオレが頷いた時、フワッと橙色の灯りが一つ灯った。灯りの数は二つ、三つと増え、やがて祠全体が橙色の灯りに包まれる。薄汚れて小汚かった祠は美しい木目が浮かび上がり、金銀細工が施された真新しいものになった。

 ギャアギャア、ギイギイという耳障りな音と共に、祠の左前方から小さな何かが姿を現した。ボロボロのみすぼらしい着物には、ところどころに黄と黒のトラ柄模様。角のような物が頭から一本、もしくは二本生えている。目は釣り上がり、口は大きく裂けていて、黄色っぽく汚れた歯が覗いている。ボサボサの髪、ゴワゴワとして出来物があちこちにある肌。片手には金棒を持っていて、大きく振り回したり肩に担いだりしている。

 祠の前まで来たところでピタリと足を止めた。赤、青、緑、黄、黒、白の肌をしたそれらは、しわがれて喉に何か引っかかったようなガラガラの声で話し始めた。

「太郎兄者、祠ガアルゾ」

「祠ガアルゾ。歳神ガ居ル」

「歳神ガ居ル。キット居ル」

「キット居ル。ココニ住ミタイ」

「ココニ住ミタイ。歳神ヲ追イ出セ」

「歳神ヲ追イ出セ。歳神ヲ追イ出セ!」

 白い疫病神が片手に持っていた金棒で祠の扉をガンガン叩き出した。それを見て、他の疫病神も勢いよく扉を叩き始める。まずい、と思わず疫病神に手を伸ばそうとして、父さんにその手を掴まれた。ダメだ、と首を左右に振る父さんに、それどころじゃないと言いかけた時、祠の扉がスーッと開いて歳神様が姿を現した。

 歳神様はたすき掛けをし、片手には杖と巾着袋を持っている。背筋をピンと伸ばし、真っ直ぐに疫病神達を睨みつけた。声が蔵中に朗々と響き渡る。

「高橋家の歳神より、穢らわしく悪しき疫病をもたらす神々に申し上げる。

 この祠は、既に歳神の住まうところであり、高橋家の者はそなた達がこの祠に住まうことを望んでおらぬ。それ故、直ちに立ち去っていただきたくお願い申し上げる。この申し出を聞き入れていただけるならば、美しい宝物や海山の幸を差し上げても良い」

 歳神様は声高らかに告げると、杖で床をドンドン、と二度打ち付けた。疫病神がギャアギャアと不満気に騒ぎ始めたのを遮り、さらに言葉を続ける。

「速やかに立ち去れ! この祠を己が物にせんとすることは決して赦さぬ。どのような理由があろうとも、必ずやそなた達を滅ぼしてくれようぞ!」

 凄まじい、気迫のこもった強い口調。再び床をドンドンッ、と強く打ち付けた。

「太郎兄者、ドウスル?」

「ドウスル? 宝物、欲シイ」

「ドウスル? 海ノ幸、欲シイ」

「ドウスル? 山ノ幸、欲シイ」

「全部欲シイ。祠モ、欲シイ」

「全部、全部、欲シイ。歳神ヲ追イ出セ」

 白い疫病神が金棒を振り上げた。

「歳神ヲ追イ出セ! 太郎兄者二続ケ!」

 他の疫病神達も金棒を振り上げ、歳神様に迫り詰め寄って行く。

 危ない! と思った、その時。

「鬼はァァァ外ォォォ!」

 歳神様の澄んだ声が鳴り響いた。巾着袋から桃の種を掴み、疫病神目掛けて投げ付ける。

「ギャアアア!」

 不意を突かれた疫病神達は顔を手で押さえながら激しい苦痛にのたうち回った。

「福はァァァ内ィィィ!」

 さらに桃の種を投げ付けた。疫病神達は叫びながら苦しみもがいて転がりまわる。父さんが桃の弓の弦を弾くビィン、ビィン、という音で、ハッと我に返ったオレも大声を上げた。

「鬼はァァァ外ォォォ! 福はァァァ内ィィィ!」

 歳神様と目が合う。その調子です、と言うかのように大きく頷いた歳神様は、再び種を掴んでまじないを唱える。

「鬼はァァァ外ォォォ! 福はァァァ内ィィィ!」

 種が体に当たる度、疫病神達の姿が変化していく。角は少しずつ小さくなり、ボサボサの髪が一房、また一房と抜けた。肌の出来物が薄れていき、色も人間と同じ様な肌色に近づいていく。金棒はだんだんと細くなっていった。

 まじないと種を投げ付けること、四回。疫病神達の姿は、小さな小さな老爺や老婆の姿になった。白髪は乱れてはいるが結い上げられて、角も肌の出来物もなくなった。ボロボロの着物のところどころにあったトラ柄の模様がなくなり、代わりにつぎはぎが施されている。釣り上がっていた目は垂れ下がり、裂けていた口は小さくなって、目尻や目の下、額、口元に深い皺が刻まれた。腰は折れ曲がり、金棒から変化した木の杖を付きつつ、右へ左へと泣きながらヨロヨロと逃げ惑う。

 だが、太郎兄者と呼ばれた白い疫病神だけは違った。黒髪の短髪で腰は曲がっておらず、金棒は木の杖ではなく剣に変化した。ボロボロのみすぼらしかった着物は、上等そうな淡い緑色の布地で、背中に金糸で直線の渦巻き模様がワンポイントのように描かれた着物になった。身を震わせて慟哭しているが、顔は手で覆ったまま、見ることが出来ない。悲嘆の声はまだ若い男のそれだった。

「太郎兄者、痛い、痛いよぅ」

「痛いよぅ、歳神、強い」

「歳神、強い、勝てない」

「勝てない、宝物、諦めよう」

「勝てない、海山の幸、諦めよう」

 老爺達に囲まれた太郎兄者は涙にくれた顔を上げる。落ち窪んだ瞳。口元には無精髭が生えている。げっそりと痩せ細り、病人のように青白い顔。年齢はやはり若い。人間ならまだ三十歳くらいか?

「……勝てない、祠、諦めよう」

 疫病神達は、項垂れ、来た方へ向かってノロノロと歩き始めた。

「……シュンライノキミ!」

 歳神様の声に、太郎兄者がゆっくりと振り返った。青ざめ、困惑に満ちた顔の歳神様が再びシュンライノキミ、と今度は小さな声で呼び掛ける。

 太郎兄者は不思議そうな顔をして歳神様を見つめた後、何事もなかったかのようにまた前を向き、老爺達を引き連れてゆっくりと去って行く。その姿が少しずつ薄れ、消えてなくなってしまうまで、歳神様はその姿を見送った。瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

 やがて歳神様も祠の中へと戻り、スーッと扉が閉まった。祠に灯っていた灯りが一つ、また一つと消えていき、やがてすべての灯りが消えた。真新しく美しかった祠は、元の古びて小汚い祠に戻った。

 弓を近くの壁に立て掛けた父さんが、歳神様、と祠に呼び掛けるが返事はない。祠の扉をコン、コン、コン、と叩き、再度呼び掛けると、暫くしてギィ……と扉が開いた。

 歳神様は袖で目元を押さえ、声も上げずに泣いていた。

「大丈夫ですか?」

 父さんの問い掛けにこくん、と頷く。

「水、飲める?」

 オレは祠に供えていた水玉を差し出す。

「……ありがとう、ございます」

 こういう時、男二人だとおろおろするばかりで、どうしていいのかよくわからない。狼狽えているオレ達を見て、歳神様の表情が緩み、クスッと笑みがこぼれた。

「……申し訳ありません。ご心配をおかけして」

「いや、それはいいんだけど……大丈夫?」

 すみません、とか細く小さな声。

「太郎兄者という疫病神をシュンライノキミ、と呼んでいらっしゃったようでしたが……?」

「春の雷を司る神、春雷の君です」

「雷の神様? 疫病神じゃないの?」

「春雷の君は、ある事情により、二年前に歳神として天から降りられたのです。でも、その年の春に行方がわからなくなりました。

 新しい年になっても天に戻られませんでしたので、私は貧乏神になってしまわれたのだと思っていました。まさか疫病神になってしまわれていたとは……」

 止まっていた涙がまた溢れ落ちる。父さんが近くに置いてあった白い布を歳神様に差し出した。

「……取り乱してしまい申し訳ありません。私は歳神ですから、どのような事情があろうと、歳神としての役目を果たさなくてはなりませんね。

 すぐに豆を言祝ぎます。終わりましたら、家中に撒いて下さい」

 歳神様は煎った大豆の入った升に向かって何かを呟いた。小さな小さな声だったので、何と言ったのかは聞き取れなかった。

「後のことは浩介殿に任せます。私は少し疲れましたので、先に休ませていただきますね」

 それでは失礼します、と歳神様は深々と頭を下げ、祠の中へ姿を消した。扉は音もなくゆっくりと閉じられた。

 オレはハァ……と深い溜息を一つ吐いた。急にどっと疲れた感じがする。なんとなく感じたことを口にした。

「父さん、歳神様と春雷の君って、恋人同士だったのかな……?」

「わからない。……それより尚樹、お前は歳神様に対して馴れ馴れしいぞ。態度を改めろ」

 ゴツン、と一発拳骨を食らった。数年ぶりに食らった拳骨はズキズキ激しく痛む。

「いってーな! 殴らなくてもいいだろ」

「親しくなるのはいいが、近づき過ぎてはいけない。年末の別れが惜しくなる。先の歳神様がお帰りになられた時のことをもう忘れたのか?」

 さあもう行くぞ、と父さんは升を持ってスタスタと蔵の入り口に向かって行ってしまった。オレは祠に目を向ける。

「……歳神様。オレ、頼りないだろうけど……もし何か出来ることがあれば、言ってくれよな」

 それだけ言って、オレは父さんの後を追いかけた。

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