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去る年 来たる年  作者: 雪月 音弥
2/18

睦月

 十二月三十一日、二十三時四十五分。

 父さんと一緒に入った蔵の中は、父さんが持っているロウソクの炎の微かな明かりだけが頼りである。

 蔵は普段、物置として使われていて、奥には神様を祀った小さな祠がある。毎日朝と夜の二回、父さんが祀り事をやっていることは知っているが、具体的に何をしているのかはよく知らない。

 父さんが毎年、新年を迎える前後十五分ずつ、合計三十分を蔵の中で過ごすのも祀り事の一つだ。じいさんが生きていた頃は、じいさんと二人でやっていたらしい。父さんが言うには、現当主と、その後継ぎが祀り事をしなければならず、年が明けたら数えで二十歳になるオレも後継ぎとして、この年末年始の祀り事から加わるようにと言われた。

 だが、そう言われても、何をやったらいいのかわからない。嫌だと言ったら、居るだけで良いと言われた。本当にそれだけか? と聞いたら、何か聞かれたら思ったことを答えれば良いと返事が返された。

「何か聞かれたらって、誰に、何を聞かれるわけ?」

 暗い蔵の中で、父さんと二人しかいないのに? と思ったら急に背筋がぞくっとして怖くなった。父さんは何も答えてはくれなかった。

 そしてとうとうこの時間を迎えてしまった。

 父さんは祠の両隣に立っている三脚燭台に火を灯し、手に持っていたロウソクを近くの壁にある燭台に置いた。古びた木造の祠が闇の中でぼんやりと浮かび上がっている。正直に言って、薄気味悪い。

 父さんがやっているのを真似して、二礼二拍手一礼する。

「まもなく刻限となりますので最後のご挨拶に伺いました。おいでませ」

 父さんがそう言うと、ギィー……という音と共に、祠の扉がゆっくりと開いた。

「ちょっ……何これ?」

 中から出て来たのは、小さな小さな老人だった。

「もうそんな時間かのう、早いのう〜……ウィック!」

 足元がふらつき、顔は赤くなっている。どうやら酔っ払っているらしい。片手には小さな小さな瓢箪、もう片手にはこれまた小さな小さな欠け茶碗を持っている。

 父さんが手を差し出すと、小さな小さな老人は父さんの手のひらの上にひょい、と飛び乗ってきた。父さんはそのままオレにもよく見えるように、顔の位置にまで手を上げる。

「浩介には世話になったのう。今日の神饌も酒も、ほんに旨かったぞ〜……ヒック!」

 老人はかなり機嫌よく酔っ払っている。大きさを除けば、そこらにいる普通の老人と違いはない。

「父さん、これ、何?」

「なんじゃ浩介。尚樹に話しておらんのか」

「何? なんでオレの名前まで知ってんの?」

「尚樹、口を慎みなさい。こちらは歳神様だ」

「トシガミ……?」

「今年一年、我が家に幸福をもたらして下さったありがたい神様だ」

 この小さい爺さんが?

「聞こえとるぞ〜尚樹。小さいは余計じゃ」

 思っていたことを言い当てられてギョッとする。どうやら心の中まで読めるらしい。

「ワシは神様じゃからな。なーんでもわかる。今年の夏に、尚樹がれぽーとを出し忘れて、学問の成績が良くなかったことも知っておる」

 ヒッヒッヒッと笑う老人の向こう側には、父さんの険しい顔。

「学問を真面目にやらんのはいかんのう〜。しかし浩介がいつも美味い物をワシにくれるからのう。なんとか機会を与えてもらえるように、尚樹の先生のところにおる歳神に頼んでおいたぞい」

 そういえば、教授がレポート再提出を特別に認めてくれたっけ。

 父さんが深々と頭を下げる。

「申し訳ございません」

「良い良い。浩介が今日ワシのために 用意してくれた神饌と酒をぜーんぶ持って帰って、その時の歳神を接待するのがワシの最後の仕事になったが、これも縁というものじゃろう。相手の歳神も楽しみにしておるようじゃ」

 爺さんはカラカラと笑った。

「さて、刻限まであとどれくらいじゃ?」

「十分程です」

 ふむ、と爺さんは言うと、着崩れしていた着物を正し、父さんの手のひらの上で正座をした。

「高橋浩介よ。この一年、誠に世話になった。改めて感謝致す」

「私共の方こそ、大変お世話になりました。ありがとうございました」

「準備がある故、これにて失礼致す。来たる年も、幸多き年であるよう祈念申す」

 深々と頭を下げる爺さんに、父さんも頭を下げるのを見て、オレもよくわからないなりに頭を下げた。

 父さんは爺さんを乗せた手のひらをそっと祠の扉の前に伸ばした。爺さんは手のひらから降りると、そこで振り返って再び深々と礼をし、中に入って扉をパタンと閉めた。

「尚樹、準備があるからお前も手伝いなさい」

 父さんは祠の前に置いてある皿や杯を全部オレに持たせて、代わりに新しい皿や杯を置き始めた。オレは父さんに指示されながら、どけた皿や杯を近くに置いていた水瓶の水で洗い、父さんが準備していた白い布で拭いて、水瓶の隣にある白木の台に乗せた。

「ここからが大事だからよく聞きなさい。

 この後、日付が変わる時間に合わせて、歳神様の交代の儀式が始まる」

「交代?」

「今居られる歳神様は天にお帰りになる。そして新しい歳神様が天からここへいらっしゃる。儀式が始まったら、終わるまで一切声を出してはいけない。それから、今居られる歳神様がお帰りになるときは、決して後ろ姿を見送ってはいけない」

「見送ったらどうなるんだ?」

「歳神様は家への愛着心がとても強い神様だ。天にお帰りになるのを止めてしまう。その時点で歳神様は歳神ではなくなり、貧乏神としてこの家に留まってしまう」

 それは確かに嫌だ。神様っていうのはまだ少し信じ難いけど、爺さんが陽気で良いヤツだっていうのは少し話しただけでもなんとなくわかった。でも貧乏神は勘弁してもらいたい。

「儀式が終わったかどうかって、どうやったらわかるんだ?」

「見ていればわかる。もう始まるから黙っていなさい」

 いや、だから、説明が少ないんですけど……。

 仕方なく祠をじっと眺めていると、祠にフワッと橙色の灯りが一つ灯った。灯りの数は二つ、三つと数を増やし、祠全体が橙色の灯りで包まれた。祠も、さっきまで古びて小汚い印象だったのに、まるで新しく作られたばかりのように美しい木目が浮かび、金銀の細工が施された美しい祠になっている。

 祠の扉へ向かって、天からアーチ状の橋がいくつも連なって、すーっと伸びてきた。シャラン、シャラン、と鈴の音が鳴り響くと同時に、橋を一人の少女がゆっくりと渡ってきた。長い黒髪をゆるく結い上げ、紅い着物を着ている。十四、五歳くらいの美しい、小さな小さな少女。

 少女が橋を渡り終わり、祠の扉をこん、こん、こん、と三度叩いた。扉がスッと開き、中からさっきの爺さんが紋付き袴姿で出て来た。

「来たる年の歳神にございます。去る年の歳神殿におかれましては、お役目ご苦労様でございました」

「うむ。来たる年の歳神殿におかれましては、引き続き高橋家に幸福をもたらされますよう、去る年の歳神よりお願い申し上げる」

「承知いたしました」

 二人は深々と礼をし、少女はそのまま祠の中へ、爺さんは背に荷物を背負い、橋を渡り始める。祠の扉がすーっと閉まった。

「……荷物が重いのう……」

 橋を渡りながら、爺さんがボソボソと話し始める。

「……浩介の酒は旨かったのう……。……居心地の良い家じゃったのう……」

 父さんを横目でチラッと見ると、父さんは片手で祠を指し、もう片手は人差し指を立てて唇に当てている。ーー声を出すな。見送りをするな。祠だけを見ろ。

「……この家から離れるのは寂しいのう……のう、浩介、どう思う……?」

「…………」

 父さんは答えない。目線も合わせようとはしない。

「……浩介? もうワシの声が聞こえんのか……? 尚樹はどうじゃ……?」

 オレはなんだか恐ろしくなって、ギュッと固く目を閉じた。

「……ワシの声はもう誰にも届かなくなってしもうたようじゃ。寂しいのう……寂しいのう……」

 爺さんの声は段々と小さくなっていき、最後には聞こえなくなった。天から伸びていた橋は祠の入口側からすーっと消えて行った。祠に灯っていた橙色の灯りは一つ、また一つと消え、真新しく美しく見えた祠も、少しずつ元の古びた祠に戻っていく。どうやら交代の儀式は終わったらしい。

 父さんがさっき新しく並べた皿や杯に米や酒、塩、水などを載せていく。すべて載せ終わると、祠の前に立ち、オレを手振りで呼び寄せた。

 二礼二拍手一礼をし始めたので、オレも慌てて動作を合わせた。

「刻限となりましたので最初の挨拶に伺いました。おいでませ」

 扉がギーっと開き、中からは先ほどの少女が姿を現した。

「高橋家当主、高橋浩介でございます。控えておりますは、今年数えで二十歳を迎えた息子、尚樹にございます。若輩者である故、ご迷惑をおかけすることもあるかと存じますが、誠心誠意お祀りさせていただきますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます」

「去る年の歳神殿より新しくこの家をお預りした歳神である。当主の意向に添えるよう、誠心誠意励む所存故、宜しく頼む」

 二人は深々と頭を下げた。オレも慌てて頭を下げる。

「どうぞ楽になさってください」

 少女がニコッと笑って言った。

「まずは、無事に交代の儀式が終わったこと、先の歳神に成り代わり、感謝を申し上げます。あの方は無事、天にお帰りになられました」

 父さんもオレも、ホッと息をついた。

「尚樹殿は初めてでしたのでしょう? やはり緊張されたのではないですか?」

 父さんの方をチラッと見る。父さんは少女の方を向いたまま、思ったことを答えなさい、とだけ言った。

「えーと……少し怖かった、です」

 少女はクスッと笑って、気楽に話して下さって良いですよ、と言った。

「先の歳神様はどちらかと言えば、あまり長居せずにお帰りになられました。過去にはギリギリまで粘って、何度も何度も呼びかけられたこともありました」

 父さんの言葉に、少女が頷く。

「私も、その時がきたら、先の歳神殿を見習わなければなりませんね。

 さて、私はまだこれから祠の中でやらねばならないことがあります。お二人もお疲れでしょうから、どうぞゆるりとお休みになってください。ご苦労様でした」

 そういうと、少女は祠の中に入り、扉をパタン、と閉めてしまった。

 オレは思わず深いため息を吐き出した。父さんはスタスタと蔵の外へと向かって行く。もう慣れてしまってなんとも思ってないのか、と思いながら後を追いかけた。

 蔵の外に出てから、半分愚痴混じりの問いかけをする。

「毎年こんなのやるの?」

「そうだ。それだけじゃなく、これからは朝と夜のお祀りも、お前がやるんだぞ」

「え? マジで? 聞いてないし」

「しばらくは父さんも一緒にやるが、お前がきちんとお祀りしなければ歳神様は十分にお力を発揮出来ないからな。

 それから、歳神様は、人間に換算すると一月に五歳程、年老いて行く。新しい歳神様も、六月頃には四十歳、年末には先の歳神様同様に老齢の神になっておられるだろうから、そのつもりでお世話をするように」

「じゃあ、さっきの爺さんも……」

「初めておいでになった時は、十四、五の若者だった」

 ということは、あの美しい少女も、年末にはシワシワの婆さんに……複雑な気分だ。

「お世話をするからといって、あまり親しくなり過ぎると別れが惜しくなる。適度に距離を保つように心がけなさい」

 それはまた、非常に難しいなぁ……と独り言ちながら、オレは新しい年を迎えたのだった。

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