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去る年 来たる年  作者: 雪月 音弥
16/18

挿話:朔風払葉《きたかぜこのはをはらう》

 天は荒れに荒れ、揺れに揺れた。

 春雷を始めとする、すべての貧乏神、疫病神を天に帰らせると主張する者。

 すべて帰らせるべきではないと主張する者。

 春雷だけはその役目の大きさゆえに戻らせるべきと言う者。

 春雷だけはその罪の深さゆえに戻らせてはならぬと言う者。

 これではいつまで経っても神諮りは終わらない。野分は嘆息した。

 結論は出ているのだ。それなのに、いつまでも言い争っているのは、怖いからだ。

 穢れに触れたくない。身を堕としたくない。なにより、己が何者なのかを見失うのが怖いーー。

 然りとて、このままでは春神はどんどん姿を消していくだろう。歳神として地上に降りたが最後、戻れなくなる。

 かつては神が人間を天へと攫い、人間はそれを神隠しと呼んだ。

 今では、神が人間によって隠される。隠された神は、天へ戻れず、神々はそれを神隠しと呼ぶようになった。

 神隠しの家は増える一方。歳神という役目は、もう続けられないのは明白。

 しかし人間との間に交わされた古い契約は、相手方が当に忘れ去っていても、いまだに神々を縛りつける。

「ーー難儀だねぇ」

 そう、野分が独り言ちたとき、高いところから眩い光が二つ、降りてきた。金と銀の光。神々でさえ、直視すれば目が灼かれるほどの眩さ。

 やがて光は形を成した。その場にいる者は全て首を垂れた。おそらくは誰もその形を見ることは叶わない。

「……やれわれ、月照よ。やはり神諮りは始まっておる」

「しかし日照よ。誰も我らを呼びには来なんだ」

「ならば月照よ。我らが遅れたはやむを得まい」

「そうだな日照よ。我らに非はない」

 チッ、と誰かの舌打ちが聞こえた。こがらしめ。あれほど厳しく言い付けたのに。

 この二柱は機嫌を損ねると、何を言い出すかわからない。

「さて、雷よ。そちに尋ねる。神諮りにて決まったことは?」

「決まったことは何か。申してみよ」

 呼ばれた雷の長は、二柱の前で縮こまらせていた大きなその身をさらに縮こませる。

「……日照殿、月照殿よ。何一つ、決まっておらぬ」

「……何も? 祀ろわぬ者の処分も?」

「来たる年の歳神達も? その派遣先も?」

「人間達の縁結びも、何もかも?」

「何もかも、決まっておらぬと?」

「左様。何もかも、決まっておらぬ」

 苦虫を噛み潰したように、絞り出された声は力なく弱々しかった。

「聞いたか、月照よ」

「聞いたぞ、日照よ。何も決まっておらぬとは」

「神諮りが始まってもう何日も経つというのに」

神等去出からさでまでもう何日もないというのに」

「どうする、月照よ」

「どうも何もない、日照よ」

「そうとも、時間がない」

「我らで決めようぞ」

「さて、何から決める?」

「容易いものが良かろう」

「左様。容易いものが良かろう」

「ならば、祀ろわぬ者がよい」

「そうとも。祀ろわぬ者がよい」

 ざわざわ、ひそひそと驚嘆や畏れの声が上がる。何より時間を掛けて、それでも決められなかったことが容易いとは。

 否、答えは決まっているのだ。誰にもその覚悟が無いだけで。

「さて、どうする、月照よ」

「さて、どうする、日照よ」

 二柱はそんなことは何でもないとばかりに軽やかに話を進めていく。

「祀ろわぬ者の中には、不可抗力であった者もいよう」

「自ら進んでそうなった者もある」

「では線引きを致そう」

「不可抗力だった者には情けをかけよう。いずれ我らも祀ろわぬ者になろうから」

「自ら進んでそうなった者の罪は深し。罰を与えよう。いずれ我らが祀ろわぬ者になれば、その罪穢れは祓い難し」

「では、不可抗力だった者には、たとえ名を覚えておらずとも、天に昇らせ、すべての神々の力で穢れを祓い清めよう。優しく、丁寧に」

「では、自ら進んでそうなった者は、たとえ名を取り戻していようとも、地上に留まらせ、四季の告神によって穢れを祓い清めよう。荒々しく、しかし丁寧に」

「それが良かろう。それで良かろう」

「決まったな、月照よ」

「決まったぞ、日照よ」

「春の雷は疾く天に昇れ」

「五柱の者共は地上に留まれ」

「他の祀ろわぬ者も同様に」

「雷よ、疾く触れよ」

「ーー委細承知仕りまする」

 雷の長は深々と首を垂れた。他の者も同様に。二柱を除いて。

「畏れ多くも申し上げます。日照様。月照様。私は得心がまいりません」

「氷雨か。そちは融通が利かぬなぁ」

「しかしそれが好ましくもある」

「深雪も得心がまいりません。祀ろわぬ者は捨て置く。それが習い。何故此度は違うのでしょうか」

 深雪と氷雨は目を上げられない。それは目前の眩き二柱の光が一層燦然と輝いたからだ。しかし、それゆえに身の内は冷ややかに凄然としていなければならない。二柱の決断は早い。気を抜けば置いていかれ、いつの間にかはぐらかされる。

「私たちは、穢れから己が身を守るため、祀ろわぬ者は避け、穢らわしいと身を振り払い、たとえ親兄弟と言えども泣きながら追い払ったのです」

 今更救ってどうなる。彼らは自分達から受けた仕打ちを、人間から受けた仕打ちと同等に、あるいはそれ以上に恨み辛み、決して忘れはしないのに。

「そのとおり」

「左様、そのとおり」

「誠に正しい」

「しかしそれは過ちだった」

「祀ろわぬ者を作り出したのは人間だけではない」

「我らもまた、祀ろわぬ者を作り出したのだ」

「我らの行いが、祀ろわぬ者の穢れの元」

「全ての穢れは我らの内にあると識った」

「内にある穢れはどう足掻いても祓うこと叶わず」

「叶わぬならば、全てを受け入れるしかない」

 光はゆらゆらと揺れた。躊躇うような、戸惑っているような、不安定な揺らぎ。

「我も人間に祀られたいと思うておるぞ、月照よ」

「我も人間に崇められたいと思うておるぞ、日照よ」

「祀ろわぬ者と変わらぬぞ、月照よ」

「変わらぬぞ、日照よ。いつか、我も祀ろわぬ者になるであろう」

「我もだ、月照。ならば祀ろわぬ者を赦さねばならぬ」

「赦さねば、我らもまた赦されぬ」

 赦しを与えることで、己もまた、赦しを与えられる。乞うばかりでは何も得られない。

「さもしい、浅ましいと思うは、そこに己を見出すからだ」

「醜い、穢らわしいと思うは、祀ろわぬ者ではなく、己自身なのだ」

「触れ難し、近寄り難しは、己の内の穢れ」

「我らはそれを祀ろわぬ者の中に見ているにすぎぬ」

 小さく被りを振って、深雪は息を吐く。氷雨の眉間には深い皺が刻まれた。認めたくはない。認めたくはないが、否定出来ない。

「冬告神よ。そちらが祀ろわぬ者に厳しく当たるは、羨ましいからだ」

「嫉妬しているのだ。何故なら、彼らは一度、人間から歳神として尊崇されたからだ」

「歳神として、大切に祀られた。そちらには決して得られぬものを、あれらは手にした」

「春神でさえあれば、どんなに力小さき者でも歳神になれる」

「あるいは、野の神、山の神であれば」

「そちらは冬神であるがゆえに、どんなに強い力があっても歳神にはなれぬ」

「歳神にはなれぬゆえに、歳神として祀られ、役目を終えた後もなお、人間に祀られたいと彷徨うあれらを妬み、嫉み、恨んでいるのだ」

 冬告神は大きく被りを振った。全身が総毛立つ。悪寒が走る。ぐらぐらと目の前が揺れる。

 羨ましい? 妬ましい? あの悪しく穢らわしき者達が?

 そんなことは考えたことがない。

 否、考えたことはないはずだった。

 けれども違うと言葉にすることは出来ない。

 冬神は人間から忌み嫌われる。寒く凍える季節は人間には厳しすぎる。

 春神は、春だというだけで人間に受け入れられる。

 それだけでも、春神たちが羨ましいのだ。狂おしくなるほどに。

 ましてや、春の雷は。

「春雷は、どうなのですか」

 深雪はギリギリと声を絞り出した。驚くほど乾燥し、しわがれた声だった。

「あれは、家を滅ぼしたのです。歳神として守るはずだった家を」

「人間を恨む気持ちは消えないと申していました。この罪深き者でさえも、天に昇れと仰せとは」

 やはり得心がいきませぬと氷雨が続けた。額から流れる汗が止まらない。息が詰まる。

「春の雷は、ただ、五柱の者共が羨ましかったのだ」

「歳神よりも人間から崇められる五柱の者共が」

「人間から忌み嫌われるはずの貧乏神が、歳神よりも慕われる」

「人間から慕われるはずの己が、人間から忌み嫌われる」

「本当は、人間を恨んではいない。ただ妬ましかったのだ。悪しく穢らわしき者達が」

「ゆえに、名を呼ばれた刹那に、全てを滅ぼし、無かったことにした」

「歳神よりも悪しく穢らわしき者を崇める人間を」

「歳神よりも慕われる貧乏神を」

「貧乏神を妬み嫉む己を」

「全て無かったことにしたのだ」

 光が、ほう、と溜息を吐くかのように揺れた。

「春の雷にはその自覚がない」

「受け入れることを拒否することで、かろうじて存在し続けることが出来た」

「今なら、事実を受け入れられる」

「人間が、疫病神ではなく、春の雷として祀ったから」

「貧乏神が天へと昇るその道を、春の雷は進み始めた」

「ならば、我らはあれを赦そう」

「事実を受け入れたならば、穢れも薄れる。清くはならぬかもしれぬが」

「清くはならぬかもしれぬが、穢れを無闇に撒き散らすこともすまい」

 そんなことは。

 そんなことが。

 ーー赦される?

 全身を震えが走る。腹の奥底がグツグツと煮えたぎる。体の内を燻っていた昏い炎が大きくなる。

 瞬間、轟音と共に紫の稲妻が冬告神の目前を走った。戒めの稲妻。

 見ると、迅雷の指先が深雪と氷雨に向いている。指先から散る、紫の火花。

「大丈夫かよ、お前ら」

 春の一番風が心配げに顔を覗き込んでくる。

「こんなところで、疫病神にならないでおくれよ」

 何でもなかったように、ケラケラと笑う野分がいる。

「詰まるところ、皆、同じなのだ」

「何処に居ようと、何と呼ばれようと、穢れに身を焦がされようと」

「ただ、かつての人間との絆が忘れられぬのだ」

「忘れられぬから、辛いのだ」

「ならば、皆で傷を舐め合おうではないか」

「赦しを乞い、赦しを与えるのだ」

 それでよいではないか、と日照と月照は声を揃える。

 ふふ、と深雪の顔から笑みが溢れる。

 仕方がない、と氷雨が呟く。

 だから言ったろ、と春の一番風が口笛を吹き。

 そうだったか? と迅雷が嘯く。

 今日は良い酒開けようか、と野分が辺りに通り渡る声で言って。

 神諮りの場は、喜びに満ち溢れた。

 やんややんやと祭り騒ぎを始めた一同を前に、二つの光が心地よさげにさわさわと揺れる。

「さて、あとは何を決めるのだったか、月照よ」

「さて、何だったか、日照よ」

 大きな雷が、これもまた笑顔で応える。

「来たる年の歳神と、その派遣先。人間達の縁結びにござりまする」

「ふむ。……ところで月照よ、我は飽いてしまった」

「ふむ。日照よ、我も飽いてしまった。もう戻っても良いのではないか?」

 にこにことした大雷の笑顔が固まる。

「……いえ、まだ、むしろ、ここからが大事なところで……特に人間の縁結びなどは……」

 嫌な予感が走る大雷を置いて、二柱はどんどんと話を進める。

「歳神の派遣先やら、人間の縁結びやら、細々したことは面倒だ、月照よ」

「面倒だ、日照よ。大まかなことなら容易いが、細々したことはどうにもいかん」

「もう休んでよいか、雷よ」

「雷よ、休んでよいか」

 慌てて大きな両腕を、大きく大きくふりまわした。

「お、お待ちくだされ、日照殿、月照殿。まだ神諮りは終わっておりませぬ!」

「然りとて、皆、騒ぎとうて騒ぎとうて、神諮りどころではないぞ」

「神諮りどころではない。後はそちの一任に任せる」

「は? ……は??」

「ではもう休む。頼んだぞ」

「ではもう休む。頼んだぞ」

 目を白黒させる大雷の向こう、どんちゃん騒ぎの賑やかさに顔を緩ませたように、二つの光が眩く輝いた。


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