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去る年 来たる年  作者: 雪月 音弥
15/18

霜月

 十一月十二日、二十二時四十分。

 先月までの暑さが嘘のように、寒く凍える夜。朝からシトシトと降り続いている冷たい雨は、夜中のうちに雪に変わるかもしれない。そうなると異常に早い初雪だ。

 野分様は十一月に入ってもなお、何度か台風として各地に大雨と強風をもたらし、毎日のようにそのニュースが流れた。地球温暖化による異常気象、というのが専門家の意見。だけど、オレと父さんは知っている。春雷の君と五柱の厄病神達のために野分様が駆けずり回っていたことを。

 それだけでなく、立冬の前日、節分の日に、彼女は再び我が家へやって来て、波のように押し寄せる大勢の疫病神をその大雨と強風でことごとく退け、天に帰っていった。立冬を過ぎて、今は冬神達が天から降りてきている。野分様がもたらした温かく湿った空気を急速に冷やし、冬へと足早に季節が進んでいく。

「……まもなく、お越しになるはずですが」

 歳神様が蔵の入り口の方へちらりと目をやった。彼女はもう六十代後半くらいの年寄りへと姿を変えていた。以前は黒くツヤツヤしていた髪も、今では完全に白髪になって少しパサつき、ツヤがあってふっくらしていた白い肌も、弛んでシミがたくさん出来ている。シワの数は数えようにもキリがない。ただ、雰囲気だけは以前のまま、凛として品があり、いつもピンと気を張っている。

「えっと、冬告神様って、どんな感じの方ですか?」

 冬の神様だから、物静かな感じなのかな。なんとなく、冬って静かで厳しいっていうイメージ。

「お会いになればおわかりになられますよ」

 鼻歌でも歌いだすんじゃないかというくらい、今日の歳神様は機嫌が良い。こんな歳神様は見たことがない。よほど冬告神様に会えるのが嬉しいみたいだ。

「……本当に、このような粗末な供物で良いのですか? やはりお食事などご用意いたしましょうか」

 対照的に、ソワソワして不安げな父さん。昨日歳神様から冬告神様が来ると聞いて、それからずっとこの調子だ。酒の他に供物はいらないと言われていたものの、もっときちんとしたものを揃えてお迎えしたいらしい。今日も朝から掃除だなんだとずっとバタバタしている。

「そんなにご心配なさらずとも大丈夫ですよ。神々にとって、高橋家の神酒といえばそれはもう大変人気のご馳走なのですから」

 そうは仰られても、と父さんが少し困ったように言いかけた時、急に辺りの空気がひんやりと冷たくなった。と、すぐに入口からより冷えた風がヒュウ、と音を立てて入ってくる。

 来られました、と歳神様の弾んだ声。風はひらりと冷たい粒を運んでくる。

 雪? と思う間もなく、風は雪混じりになって、白く冷たい空気が激しく舞い踊る。辺りの空気に含まれていた水分が凍りつき、霜のように祠に張り付いた。体中を寒気が覆い、その冷たさに慌てて上着の襟元を寄せる。肌が総毛立ち、ガタガタと震えが走っていく。

 さらに風が強くなって、目が開けられなくなる。ぎゅっと体を縮こませて、片腕で目元を覆い、もう片方の腕で自分の体を抱きかかえる。

 寒い……! 冬告神様が来るとわかった時点で、ある程度予想はしていたけれど、思っていた以上に寒い。それになんだか痛い。皮膚の表面から出てくる目に見えない水分さえ凍らせて、それが肌をより冷やしていく。

 やがて雪の嵐がおさまって、ゆっくり目を開けてみた。すると、祠の前に若い男が一人立っていた。肩の上に人形のような、小さな小さな女の子を一人乗せて。

 男は、二十代半ばくらい。とても色素が薄くて白い肌をしている。灰色がかった、クルクルした猫っ毛。細い眉も、人好きのする優しい穏やかな瞳も、やはり灰色がかっている。薄い灰色の着物姿で、藍色の糸で斜線の模様が刺繍されている。裾には銀色の、雪の結晶のような文様。

 女の子は、年齢は十五、六歳くらいに見える。男と同じように雪のような白い肌。肩より少し上できれいに切り揃えられた髪は、白っぽい灰色。ほんのり薄くピンク色に彩られた唇がなんだかかわいらしい。どんぐりみたいに大きな瞳。青みがかったそれは、どこか不満げに見える。白い布地に大きく雪の結晶と梅の花、月が刺繍された着物は、光を受けてキラキラと輝いていて、とても綺麗だ。

「……着いたよ」

 男がにこやかに笑った。少し低めの甘くて柔らかい響きの声。

 女の子はまだ不満げに眉間にシワを寄せてオレを睨みつけていた。……オレ、何かしたっけ? と戸惑っていたら、歳神様に呼び掛けられて、彼女の表情は一変。

「あねさま、あにさま、よくお越しくださいました」

「歳神! 久しぶりね!」

 今までが嘘みたいに満面の笑みを浮かべて歳神様に手を振る。男がそっと手のひらの上に乗せて、歳神様の祠の前へと彼女を運んだ。

 二人はとてもはしゃいで、嬉しそうに抱き合ったり手をつないだりしている。あねさま、と言うからには、歳神様のお姉さんなのだろう。そして、この背の高い男はお兄さん。……その割には、あんまり似ていない。

「ふふ、二人ともとても嬉しそうだね」

 男も嬉しそうに目を細めている。優しく愛情のこもった眼差し。とてもかわいらしい小さなものを見ているという風に。

「ええ、ええ、とても!」

「私もあねさまにお会い出来て、とても嬉しいです」

「ご機嫌なのはすごく良いことだね」

 三人ともとてもニコニコしている。父さんがおずおずとタイミングを見計らうようにして話し掛けた。

「本日は当家にお越しいただき、誠にありがとうございます。主の高橋浩介と申します」

 息子の尚樹です、と父さんが少しオレの背中を押しながら言った。慌てて頭を下げる。

「やあ、はじめまして。当主殿にお会い出来て光栄だよ。尚樹、君のことも太郎君からいろいろ聞いてるよ」

 順番に父さんとオレの手を取って握手してくれた。その手はひんやりと氷のように冷たい。太郎君からいろいろ……って、何を聞いたのかすごく気になる。

「僕は氷雨ひさめ。そしてこの小さい姫君は深雪みゆき。僕の愛する奥様だよ。よろしくね」

 深雪と紹介された姫神様は、また表情を大きく変えて、オレ達に険しい顔を向けた。

「わたくしは冬告の長です。人間に気安く呼ばれたくないわ」

 歳神様に対するのとは別人のように冷たく厳しい口調でそう言って、ふん、と顔を横に向けた。ははは、と氷雨様の苦笑い。

「そんな風に言うのはどうかな、深雪。彼らとは初対面だし、大事な子が世話になってるんだから」

「当然でしょう。この子がどれほど辛い思いをしているのかわからないの? 見なさいよ、手だってこんなにカサカサになって、髪だってあんなに美しかったのに以前の名残もないわ。これほど苦労して面倒を見てあげてるんだから、世話をするのは当たり前よ!」

 ねえ? と痛ましげに歳神様を見遣る彼女に、オレ達はぐうの音も出ない。

「あねさま、見た目が変わるのは歳神の常です。私、さほど辛いとも嫌だとも思っておりません」

「まあ、そんなはずがないわ。あなたのことですもの、目の前に人間がいたら気を遣って本当のことを言えるはずがないわね。わたくしとしたことが、こんなことにも気づいてあげられなかっただなんて」

 本当にかわいそう、ごめんなさい。ごめんなさいね、だから歳神の役目なんて反対だったのよ、とブツブツ言いながら、またぎゅっと固く歳神様を抱きしめて、大事そうに髪をなでてやっている。これは、もしかして、もしかしなくても、極度のシスコン……?

「はいはい、もうよしなさい。二人っきりでたくさん話したいこともあるだろう。後はゆっくり祠の中で。ね?」

 促すように氷雨様が二人の背中をそっと祠の方に押す。

「まあ、ですがあにさま、宜しいのですか? 私も皆様とのお話に同席させていただいた方が……」

「あら、いいのよ、歳神。あなたはそんなこと気にしなくて。難しいことは氷雨に全部やらせておけばいいのよ」

「ふふ、そうだね、僕もその方が何かと都合が良いんだ。君が深雪の相手をしてくれるととても助かるよ」

 歳神様はオレ達と氷雨様の顔を交互に見つめた。心配そうに瞳が揺れている。父さんが軽くうなずくのを見て、本当に大丈夫ですか? と目で問いかけるようにして様子を伺っていたが、やがて、では……と遠慮がちにそう言って。

 再びはしゃぎだした深雪様と祠の内側へ、歳神様は姿を消した。祠の扉が重く軋んだ音を立てて閉まる。

 氷雨様はその様子を静かに見守った後、父さんの方に向き直って軽く頭を下げた。

「妻が失礼なことを言って申し訳なかったね」

「いえ、ご指摘はもっともなことでございます」

 父さんに目配せされて、オレは用意していた日本酒を杯に注ぎ、氷雨様に差し出した。寒さで指先がかじかむ。

「僕も妻も、歳神とは本当のきょうだいじゃないんだ。けれど、年の離れた妹みたいに、生まれた時からかわいがっていてね。深雪はそれはもう酷い甘やかしようで、天でもよく揶揄われる。まあ、そういう僕も、妻を甘やかしてばかりだから、他人事ではないんだけれど」

 一口飲んだ氷雨様は、とても満足そうに深い溜息を吐いた。しげしげと杯の中を眺め、今度は一気に飲み干し、また深く息を吐き出す。

「深雪は天に置いてくるつもりだったんだけど、どうしても歳神に会いたい、自分もついていくと言って聞かなくて。地上の者には早すぎる雪になってしまった」

 顔に浮かべた笑みがぎこちなく強張ってしまう。今も寒くて震えが止まらない。もっと防寒着をしっかり着込んでくれば良かったかも。

「深雪が祠の中に入ったから、少しは寒いのもおさまると思うよ」

 ごめんね、と言って、彼は再び注がれた杯を口元に運ぶ。父さんが氷雨様の言葉を受けて繋いだ。

「歳神様も大変嬉しそうにしておいででした。ですが、あにさま、あねさまと呼ばれるほど歳神様と親しい方が当家にいらっしゃったことは、過去になかったかと……」

「そうだね。天に帰ったら、多分お叱りが待っているのだろうけど、仕方ないよね」

 さも仕方なくなさそうな満面の笑顔で、オレに向かってにっこり微笑んだ。なんとなくつられてオレも笑ってしまった。うーん、この神様、物腰はやわらかいけど、多分、やり手だな。

「冬告神はね、さっき深雪が言ったとおり、長は彼女なんだよ。でも、事務的なことにはさっぱり向いていなくて。それで、まあ、僕がそういうことを一手に引き受けてるんだけどね」

 ことり、と杯を祭壇の手近なところに置く。

「今日、僕がここへ来たのは、尚樹の話を直接聞きたくて」

「オレ……?」

「うん。まあ、太郎君にも必ず会って欲しい、他の季節の告神は皆、一度は会っているからって言われてね」

 本当はもっと早く来るつもりだったんだけど、と今度は祠をじっくりと丹念に見つめている。細部の装飾や細かい作りになっているところも、隅々まで目をこらすようにして。

「……うん。これはきちんと手入れが行き届いているね。歳神を大事に祀ってくれているのがわかって、僕も安心したよ」

 うんうん、と首を縦に振る彼に、父さんはありがとうございます、と軽く頭を下げた。

 氷雨様はそっと祠の屋根に手を乗せ、そのままゆっくり撫でている。愛おしげに、優しく。その様はとても心が込められていて丁寧で。どれほど歳神様を大切に思っているか、見ているだけでも強く伝わってくる。

「……だからこそ、今回のことは頭痛の種だ。歳神は春雷に思いを寄せているようだけど、僕としては、早く忘れてほしいと思ってる」

「……え?」

「春雷を天に帰らせることには僕は同意出来ない。妻も同じ意見だ」

 てっきり、春雷の君を好意的に捉えていると思っていたのに。真逆のことを言われて、頭の中が思考停止する。

「君達とは意見が合わないようだね。春雷も厄病神も助けたい、天に帰してあげたいとか言っているそうだけど」

 決して爆発するような激しさではなく、ただ淡々と、静かに落ち着いた声。それが殊更、氷雨様の怒りの強さを現しているように感じられた。

「……何故、いけないのでしょうか?」

「何故? わかってるでしょ、君達も」

 やっとの思いで口にした質問も、にべもなく冷たく返された。

「春雷の穢れは、人間に対する恨みだ。歳神だった彼ではなく、貧乏神達を選んだ人間への。

 この家で春の雷の神として祀られて、禊も受けた。随分と気持ちが和らいで、君達にはすごく感謝しているみたいだ。もう一度、人間を信じてみよう、そう思ったってね。でも、かつて人間から受けた仕打ちを忘れることは出来ない、とも言っている」

 父さんが先を促すように酒を注ぐ。澄んだ透明な酒はパリパリと乾いた音を立てながらすぐに凍りついてしまった。氷雨様の周囲からどんどん空気が冷やされていく。ひんやりとした風が意志を持っているようにすうっと彼の方から流れてきて、オレ達の身体に纏わりついてくる。

「表面上は元に戻ったように見えるかもしれない。けれど、胸の奥では人間への恨みが垢のようにこびりついて取れないんだ。深く根を張った恨みはやがて再び増幅して、身体中に広がるだろう。春雷だけが穢れに塗れるのなら、それは自業自得だし仕方がない。でも、いずれそれは周囲に伝染する。その危険が最も高いのは、他ならない歳神だよ。

 彼を救けたはずが、彼によって穢れに侵されて、あの子が疫病神になってしまったら、僕達はどうすればいい?」

 困惑気味に掠れた声で彼が尋ねるのを、ただ黙って聞くしかなかった。彼の色白の顔がさらに青みを帯びる。

「歳神はね、僕達にとって、本当に大切な、大切な子だ。春雷はすでに疫病神に身を落としているから、僕にはどうでもいい。でも歳神は違う。あの子はまだ清くて美しい。もし穢れを受けるようなことがあったら……僕も、妻も、あの子を喪うことには耐えられないよ」

 最後の方はほとんど呟くような、消え入りそうな声で。彼は緩くふるふると頭を振って、それからそっと杯に息を吹きかけた。凍っていた酒が元の液体に戻る。そのまま静かに唇をつけ、コクン、と静かに喉を鳴らした。形の美しい喉仏がくい、と下がる。

「他の五柱は、より質が悪い。彼等は僕達神々を憎んでいる。住まっていた家を滅ぼした春雷を怨んでいる。何故あのままにしてくれなかったのか? ただ人間の側に居ることの何が悪い? 人間自身も望んだことをどうして邪魔したのか、とね。だから春雷を自分達の側に引きずり落とした。あちこちの家に行っては、その祠を襲撃して乗っ取り、歳神達を道連れにした。野分や秋神達がどれだけ働きかけても穢れを洗い流せない。あまりに怨みが強すぎる。

 君達はそういうことをきちんと理解しているの? ただ同情して天に帰したいと言うのは無責任だと思わない?」

 そう言われると、返す言葉がない。オレには、穢れを祓う方法がわからないし、具体的に何が出来るのかもわからない。

 それに、と氷雨様は続ける。

「穢れが祓われていない彼等を天に帰らせるという、たった一度の甘い判断が、次に同じ状況になった時の『基準』になる。先例になってしまう。そんな重大な決定を、ただ一度の神議かみはかりで決めることは僕には出来ない」

 君の意見を是非聞きたい、そのために来たんだと彼は真っ直ぐオレをその瞳で捕らえた。

 どうしよう。どうしたらいい? 貧乏神には天に帰る方法があるのに、疫病神達にはないということがおかしいと思う。ただそれだけだ。春雷の君や疫病神達に機会が与えられたって良いじゃないかって。

 多分、氷雨様が言っていることは正しいんだと思う。歳神様や他の神様達が危険に晒されるのなら、今まで通り、何も変えずに済ませてしまう方が良いんだろう。

 でも、と納得出来ない自分がいるのも確かで。

 躊躇って口籠っていると、尚樹、と父さんがオレの肩に手を置いた。黙ったまま、じっと見つめているその眼差しが、言うなら今だぞ、と告げている。肩に置かれた手からじんわりと伝わる熱。

 やるだけやってみるしかない。大きく息を吸い込む。氷雨様の真っ直ぐな視線を正面から受け止めて。

「……氷雨様が仰ることは、わかります。オレだって、歳神様のことは大事だし。

 春雷の君だって、歳神様のこと、大事にしてると思います。夏に、オレと春雷の君だけで話をしたことがあって。その時も、すごく気に掛けてたし。歳神様が危なくなったら助けようとしてたし。自分のことより、歳神様がちゃんと天に帰れるようにって、そう言ってました」

 普段はあまり喋らない春雷の君。彼がもっと尊大な態度でいたなら、多分、オレも力を貸してやりたいなんて思わなかっただろう。でも、春雷の君ははっきりとは声にしなくても、その行動の一つ一つに歳神様を守りたいっていう気持ちが表れていて。それは、オレが思うより、ずっとずっと強くて。

 そして、そんな彼を、誰よりも案じている歳神様がいる。ずっと探し続けて、やっと見つけた大切な人が穢れで天には帰れないとわかっても、それでも側にいたい、力になりたいと、そう強く思ってる。そんな思いを他の誰にも邪魔させたくない……!

「春雷の君が歳神様を傷つけるようなこと、するなんて考えられません。歳神様だって、また春雷の君から離れて暮らすなんて望んでません。あの二人が一緒にいられる方法を考えてやるのが、周りにいるオレ達がやるべきことなんじゃないですか? 歳神様が大事なら、もっと歳神様の気持ちを汲んであげてください!」

 それに、とオレは言葉を続ける。

「今までどおり、疫病神達のことを放ったらかしにしても、何の解決にもなりません。疫病神達が、天にいる神様達のことを憎んでいるなら、天から降りてくる歳神様達だって憎いはずですよね? これから先、何度も何度も、この家だけじゃなく、他の家の歳神様だって襲い続けるんでしょう? それじゃあ、歳神になってもいいって言ってくれる神様はいなくなるんじゃありませんか? 歳神としてやって来た神様が途中で嫌気が差して、家を捨てて出て行ったら、その家はどうなるんですか?」

「……歳神がいないのなら、疫病神や貧乏神達が押し寄せて来て、彼等のやりたい放題になるだろうね」

「そんなの、困ります……! 

 だいたい、人間の側に居たいって思う気持ちが、そんなに悪いことのようには思えません。

 オレ達人間は、祀り事もあまりしなくなって、神様達の姿も見えないし、声も聞こえなくなってしまいました。オレも、今、こうして話してるけど、一年前は何も知らなかったし、神様なんていないと思ってました。そんな人間ばっかりだったから、ちゃんと話も出来て、姿も見える人間に会えたら、凄く嬉しいんだろうなぁ、もっと一緒に遊んだりしたいって思ったんじゃないかなって、そう思うんです」

 きっと、今、オレが歳神様に対して感じているのと同じように。

「そういう神様達を救けてやらないのは、オレ達にとっては、今まで守ってきた神様との関係を否定することになるんじゃないかって」

 父さんが守ってきたもの。じいさんやひいじいさんが守ってきたもの。この家がずっと守ってきたものを。

「もし、何か出来ることがあるなら、してあげたいと思うことが、そんなにおかしいことですか?」

 いつの間にか、拳をぎゅっと握っていた。

「今、疫病神達を見捨ててしまったら、余計に溝が深まりませんか? やっぱり、天にいる神様達は疫病神になった神様を救ける気持ちはないんだ、自分達はもう必要とされてないんだって。そう思うようになったら、もっと他の神様達を憎く思うようになって、穢れを祓いたくてもどうにも出来なくなってしまうと思います」

 そうしたら、疫病神達はいつまでも天に帰れない。ボロボロの服を着て、膿やかさぶただらけの体で、親しかった神様達のことを怨みながら、ずっと地上を彷徨って。安らぎの場所はどこにもなく。

 そんなのーーそんなの、嫌だ。

 はあ、と氷雨様は溜息を吐く。話にもならない、という風に。

 でも、オレは間違ってない、と思う。穢れを祓う方法さえわかれば。そうすれば、きっと救けてやれるのに。ちくしょう……!

「……当主殿。貴方はどう考えますか?」

 氷雨様に水を向けられた父さんの方を振り向くと、しっかりと目が合った。気迫が漲った、力強い真っ直ぐ射るような目線。オレに向かって一度頷いてから、そのまま父さんはゆっくりと氷雨様に顔を向けて、堂々と向かい合う。

「……確かに、私達は、天にいらっしゃる方々のことに口を挟みすぎている。そう感じることもままありますが……」

 静かに話し始める父さんの声には迷いがない。

「当主の役目とは、この家を如何に繁栄させていくかではなく、次の世代へーー子や孫、さらにその孫へと家を引き継いでいくために、家内を管理することと理解しております。そのために、毎年新たな歳神様をお迎えし、お祀りし、そしてお送りする。天から降りてきて下さった方が家をお守りくださることに、感謝を込めて御礼を申し上げることが日々の祀り事でございます。

 この流れから外れてしまった方がその罪穢れを負い、貧乏神となられても、過去の行いを省みられ、私達が一年をかけてお祀りすることで天へとお戻りになることが許される。

 さらに流れから外れ、疫病神となった方々も、あのように哀れなお姿になられたことで、その罪穢れを十分に負われているのではないでしょうか。長い時間をかけ、反省し、悔い改められたなら、再び元の流れに戻られる。それが筋違いであるとは私には思えません。また、そのために私達人間がお力添え出来ることがあるのなら、微力ながらお応えしたいと考えることも、ごく自然なことかと」

 うん、とオレは大きく頷いた。そうだよ。それで良いじゃないか。疫病神達が怨みを捨てて、バカなことをしたなぁって思えるようになったら、その時は天に帰る。時間がかかっても良い。今すぐじゃなくても、いつかその時がやってくるまで、怨みと向き合う。少しずつ少しずつ心を癒して、準備を整えるんだ。

「……やれやれ。子が子なら、親も親だね。僕達はこの先、千年、二千年とこの世界を守っていかなきゃならない。そんな考えでは到底無理だよ」

 呆れた、と言わんばかりに大きな溜息を漏らした氷雨様は、がしがしと頭を掻き回した。猫っ毛がぐしゃぐしゃに乱れる。

「残念ながら君達とは意見が合わないようだ。太郎君がどうしてもと言うから来たけど、僕の考えを変えるほどのものではなかった。……とは言え、僕も、君達も、目指すところは同じだねーー僕達神々と、君達人間が、共に在ること」

 氷雨様がスッと杯を差し出してきた。再び杯を一杯に満たす。コポコポと音を立てて入れられたそれを、彼は一息に飲み干して。

「今日は良い酒をご馳走になったよ。どうもありがとう。……さあ、深雪。そろそろ天に戻ろう。皆がお待ちかねだ」

 そう言って、歳神様の祠をコンコンと軽くノックした。ぎい、と扉がゆっくり開かれて、中から出て来た深雪様は、少し目が潤んでいるように見える。

「……な、なによ。人間のくせに生意気よ。出来もしないことを言って」

 着物の袖で、ぐい、と目尻を拭いながら言い放つ。少し情けない声で、父さんが申し訳ありませんと応じた。氷雨様が深雪様を自分の肩の上へと運ぶ。

「慌ただしくて申し訳ないのだけれど、神議りの真っ最中でね。すぐに戻らないといけないんだ。今日は貴重な時間をありがとう。君達の意見は参考として、天にいる皆に伝えるよ」

 それではね、と言う氷雨様の声が聞こえるやいなや、ビュウと雪混じりの凍えた風が蔵の中を吹き荒ぶ。突然吹いたその風の強さに、一瞬、身体が持っていかれそうになる。

 でもそれはほんの一瞬で。風が止んで目を開けると、二人の姿はもう跡形もなかった。

「お二人とも、ありがとうございました」

 歳神様がとても丁寧に腰を折る。

「……あれで、良かったのかな」

 氷雨様は納得していないみたいだったけれど、と続けたオレに、彼女は十分ですと微笑んだ。

「あにさまにご理解いただけなかったことは残念ですが……あにさまの仰ることは確かにそのとおり、否定のしようがありませんので」

 寂しそうに眉を寄せて、歳神様は天を見上げた。

「そうだとしても、春雷の君を諦めろなんてひどいよ」

「致し方ありません。これまで、天にいる者達は皆、そうしてきたのです。疫病神になったなら、親、子、愛する者であろうとも、すべて。それが、疫病神を増やさないために必要でしたから」

「そんなの……そんなの、寂しすぎるよ。こういうの、やめられないのかな、どうしても……?」

 それは……と言い淀む彼女の顔には、困惑だけでなく、哀しみの色が浮かんでいる。

 せめて、今回のことがきっかけになれば。愛する人が苦しんでいるとわかっていて、それでも見捨てるなんてことがないように。穢れが移らなくてすむ方法が何か見つかればいいのに。万が一穢れが移ってしまっても、すぐにキレイに祓える方法があれば。

「……なあ、父さん。何かないの? 疫病神の穢れが他の神様に移らないようにする方法」

「何か、と言われても……」

「ほら、疫病神が祠を乗っ取った時に、そのままなら祠にいる歳神様にも穢れが移るんだろ? それをちょっとでも遅らせる方法とかさぁ……」

 父さんは、うん……? と首を傾げてしばらく考え込んでから、調べてくる、と足早に蔵を出て行った。

「わ、私も祠の中にある記録を調べて参ります。古い家ですから、何か見つかるかもしれません……!」

 歳神様も慌てて祠の中に駆け入る。いつもと違って勢いよく閉まる扉。

 こうしてはいられない。オレも手伝わなきゃ……! 父さんの後を急いで追いかけた。

 父さんは、昔じいさんが使っていた和室の押し入れから段ボール箱を次々に引っ張り出していた。

「……ねぇ、ほんとに何か良い方法あるの? っていうか、なんで今まで思いつかなかったんだよ?」

「仕方ないだろう。貧乏神を出すな、疫病神は必ず追い返せっておじいさんから散々言われたけど、疫病神に住み着かれたらどうするかなんてことは聞いていないんだから。

 ああ、もう、どの箱だったか……」

 近くにあった段ボール箱を手当たり次第に開けてみる。丁寧に和紙と紐で装丁された古い本が詰まっていた。表紙を開くと、ミミズがのたうったような、筆で書かれた文字。

「……やばい、読めない……」

「ああ、もう、お前はいいから」

 あっちへ行ってなさい、とピシャリと言われて、スゴスゴと部屋から下がった。……とりあえず、習字でも勉強するべきかな、とか見当違いだとわかりつつもつまらないことが頭をよぎる。

 ひとまずここは、父さんと歳神様に頑張ってもらうしかない。オレは大きく一つ、息を吐いた。

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