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去る年 来たる年  作者: 雪月 音弥
14/18

神無月

 十月十四日、十一時二十五分。

 明日に控えた秋の祀り事のために、父さんと二人、朝から取り掛かっていた準備がおおよそ終わって一休憩。

 もう秋だというのに、今年は暑い。夜はさすがに気温も下がってきて、虫の声が静かに響いているけれど、昼間は真夏並みの日もある。

 その上、十月に入ってから何度か台風の上陸があり、日本各地で暴風雨による被害が出ていた。

 台風の神様である野分様が、春雷の君や五柱の疫病神達のために忙しく働いているから、というのが歳神様の話。穢れを落とすには大量の清い水が必要で、野分様が運んでくる水分は多くの雨を降らせる。なるべく地上への被害を抑えるように天から指示が出されてはいるが、秋告神である野分様の力は強大で、ピンポイントでどうにかすることは難しいようだ。

 歳神様の祭壇に彩りを添えているのは、かわいらしい小さな花をたくさんつけた萩。残りの供物を祀り事の直前に並べれば、準備は完了だ。

「お二人とも、お疲れ様でした」

 歳神様のにこやかな声。しかしその顔にはどこか寂しそうな翳りが見え隠れする。

 春雷の君が野分様と一緒にこの蔵を去って一ヶ月。彼が今、どこでどうしているのかはわからない。

「良い酒が届いております。明日、お召し上がりいただきます」

 十月の祀り事は収穫祭も兼ねているらしい。いつも酒を注文している山形の酒蔵、高垣酒造から、今年刈り入れた稲穂が酒瓶と一緒に送られてきた。父さんの言葉に、満足そうな笑みを浮かべて歳神様は頷く。

 そういえば、なぜわざわざ山形から酒を取り寄せているんだろう。近所の酒屋で買っても良さそうなのに。

 父さんに尋ねると、おじいさんから何も聞いてないのか、と返ってきた。

「うちは元々、山形で夏は稲作、冬は酒造りをしていたんだ」

「そうなの?」

「おじいさんが十四、五歳の頃にここへ引っ越した。その時に酒造りは高垣酒造に譲った。あそこは遠い親戚なんだ」

 おじいさんの、そのまたおじいさんの妹の嫁ぎ先だったかな、と言う父さんに、へえ、と適当な相槌を打つ。

「お前はおじいさんに懐いていたから、知っているものだと思っていた」

「初めて聞いたよ。じゃあ、わざわざ山形から酒を取り寄せていたのは……」

「歳神様用の酒造りを続けてもらうことを条件に、酒造りの技術を譲り渡したらしい」

「そうなんだ。でも、なんで譲り渡すことに?」

 何気なく尋ねたら、父さんは気まずい様子で顔をしかめた。チラッと歳神様に目を遣る。

「その時にお迎えしていた歳神様が、年を越しても天に帰らずに留まられて、貧乏神になったからだ」

「貧乏神? うちの家に?」

 嘘だろ、と声を上げそうになったところへ、私も存じています、と歳神様の静かな声が耳に入った。

「当時、天でも騒ぎになりました。高橋家では長い間、貧乏神を出すことなく、適切に祀り事を行っていましたから」

「……どうしてそんなことに?」

 歳神が貧乏神になるのは、家が滅びた時と、年末年始に行われる歳神の交代の儀式に失敗した時だ。まだ家は続いているから、交代の儀式に失敗したということなんだろうか。

 父さんは、苦虫を噛み潰したようなしかめっ面で、ボソッと呟く。

「……おじいさんだ」

「……?」

「おじいさんが、天に帰ろうとする歳神様を呼び止めた」

 え、と声がノドからこぼれ落ちる。

「でも、じいさんが十四、五歳の時なんだろ? うちの家の決まりじゃ、その年で祀り事には関われないじゃん」

 オレだって、祀り事に関わるようになるまでは歳神様のことなんて知らなかったのに。

 歳神様は懐かしむように、どこか遠くを見つめ、口元に優しい笑みを浮かべている。

「尚樹殿のお祖父様、彦一郎殿は生まれた時から私達の姿を見、声を聞くことが出来たのですよ。古い時代の人間と同じように」

「覚えていないか? おじいさんは縁側で庭を眺めるのが好きだったこと。おじいさんが縁側にいると、自然と小鳥や野良猫や小さな生き物が集まってきていたことを」

 覚えている。今でもすぐに脳裏に浮かんでくる。

 それは、まるで穏やかな春の日のような、温もりのある光景。まだ小さかったオレは、皆で日向ぼっこをしていると思っていた。どこか不思議なところのある、優しい人だった。

 小学生の時に亡くなったじいさん。それほど多くは記憶に残ってはいない。でも、不意に思い出すことがある。あの時、にこやかに笑いながらじいさんは、確か……。

「おじいさんは、どこにでも神様がいらっしゃって、いつでも私達を見守ってくださっているとよく言っていた」

 そう。そう言っていた。尚樹には見えなくても、じいちゃんにはちゃんと見える、とも。

「多くの神々が彦一郎殿と話をしたり、遊んだりしていました。久しぶりに自分達と自由に言葉を交わす者が現れたと」

「歳神様も?」

「私はお姿を何度かお見かけしただけです。春雷の君や太郎君も」

 そうでしたか、と父さんが彼女の言葉を引き継ぐ。

「おじいさんは生まれた時から神々の姿を見たり言葉を交わすことが出来た。しかし、この家の決まりで祀り事に加わることは許されていなかった。だから、物陰からこっそり様子を眺めていたらしい。

 おじいさんが数えで十四歳になる年、とても美しい女の神様が歳神としていらっしゃった。おじいさんは女の神様に一目惚れしたそうだ。

 その後、何度もこっそり会いに行って、親しくなった。その年の終わり、歳神の交代の儀式が始まって別れの時が近付いた時、女の神様はこの家に居たいと呟いた。物陰から儀式を覗いていたおじいさんは飛び出していって、帰らないでくれと叫んだ。女の神様はそれに応じて祠に戻り、貧乏神になった」

 深く溜息を吐いた父さん。いつになく疲れたように、視線が下を向いている。話づらそうにしながら、それでも淡々と言葉を紡いでいく。

「おじいさんはすぐに蔵から連れ出されて、蔵にはそれ以降、人が近付かないように監視がついた。

 そして当主だったひいおじいさんは、貧乏神がいる以上、いずれすべての財産を失うことになるからと全部人に譲ることに決めた。

 特に酒造りは、周辺の人達にとって冬場の稼ぎとして必要だったから、廃業する訳にはいかない。そこで一応は血縁関係があって、一緒に酒造りに関わっていた高垣家に、住んでいた家や酒蔵ごと譲ることにした。代わりに、この場所に高垣家所有の家を用意してもらって、いずれその費用は払うという約束で」

「祠は? 歳神様や貧乏神になった女の神様が住んでいた祠はどうしたんだ?」

「そのままここへ移したそうだ。高橋家は祠の他にはすべての財産を手放し、借金だけが残った。

 高垣家が支援してくれたものの、家は貧しく、生活は苦しかった。それでもなんとか一年間祀り事をして、女の神様は天にお帰りになった。その頃には食べるものにも着るものにも困る生活で、おじいさんの小さい弟や妹は栄養失調で亡くなった。ひいおじいさんも、女の神様が天に帰られてすぐに亡くなって、おじいさんは生き残った家族からは冷たく当たられた。家が貧しくなって家族が死んだのはおじいさんのせいだと」

 水面を波打つ波紋のように、頭の中を一つの考えが占めていく。

 やっとわかった。これが理由なんだ。

 父さんが何度も歳神様とは距離を取るように言っていた理由。

 春雷の君を受け入れると決めた時、絶対に貧乏神を出すわけにはいかないと言っていた理由。

 歳神様に一目惚れして引き止めてしまったことで、財産も、住む場所も、家族も失ったじいさん。

 今、この家にあるものは、そんなじいさんがなんとか残したものだけなんだ。

 次に貧乏神を出してしまった時、オレと父さんの二人でこの家を守ることが出来るかと言えば、それはわからない。

「……だが、この話には続きがある」

 沈黙を破って話し始めた父さんの顔には、普段見せることのない、いたずらっ子のような笑い顔。

「貧乏神になった女の神様が天にお帰りになる際、言い残していった言葉があるんだ」

「言葉……?」

「悪いのは彦一郎ではなく、祠に戻ってしまった自分自身。高橋家が失ったものは余りに多く、それを償うことは出来ない。その代わり、高橋家に困難が再び訪れた際には、必ず助けよう。我が名は桜花である、と」

 最後はゆっくり、一音ずつ区切るようにしながら、父さんは歳神様を見つめてそう言った。

「オウカって……もしかして、春にやってきた、桜の神様? あの、しわくちゃの、真っ白い顔した……?」

 枝を思わせる様な、筋張った手。扇を口元に当てながら笑っていた、あのばあさん……?

 歳神様は困ったように眉を寄せて笑った。

「……そうです。桜花の宮様が、この家で貧乏神になった歳神です。春に花鎮はなしずめをしてくださったのも、太郎君に言われたからだけではなく、その時の約束を果たすためだと思います」

「でも、あのばあさ……桜花の宮様って、こんなことを言ったらあれだけど、年を取ってしわくちゃで、美人とは……」

「歳神として地上に降りられた際には、十四、五歳の娘の姿だったはず。天でもその美しさが讃えられていました。ですがこの家でのことがあってからは、ずっと老婆の姿のままなのです」

 貧乏神になってしまった桜花の宮も、この家のことをずっと気に掛けていた。じいさんが十代の時なら、もう五十年ほど前の話になる。

 人だけではなく、神様でさえも苦しい思いをさせてしまうから、父さんは多分、歳神様と距離を置くことにした。

 そうすることで、家族も、歳神様も守ることが出来るように。

 少なくとも父さんはそれが最良の方法だと判断したんだろう。

「宮様がいらっしゃった時、浩介殿は気付いておられたのですか?」

 彼女の問い掛けに、父さんは首を横に振る。

「もしかしたら、とは思いましたが、確信はありませんでした」

 そうですか、と彼女は淡い微笑みを浮かべて頷いた。労わるような、穏やかな声。

「貧乏神になってしまった歳神が天に帰るには、一年間、歳神だった時と同じように人に祀り事をしてもらうしかありません。これは容易いことではありません。一年の間に家が滅んでしまうこともありますから。

 宮様が戻られた時には皆が喜びました。ですがそれも、高橋家の皆様のお陰なのです。多くのものを失ったのに、それでも宮様に変わらず接してくださったから」

 すべてを手放してでも、神様だけは変わらず祀ると決めた。それがオレのひいじいさん。

 ひいじいさんの跡継ぎとして、他の家族に過去を責められても祀り事を続けてきた、じいさん。

 さらにその跡を継いで、そのまま変わらずに祀り事を行っている父さん。

 そして、毎年交代しながら、歳神としてこの家を見守り続けてきた、たくさんの神様達。

 神様と人が繋がっている家。

 それが、オレの家なんだ。

 若かったじいさんにとっては、神様がいつも周りにいるのが普通で、多分、人と接する時とそれほど違いを感じなかったんだろう。桜花の宮とのことがあって、それではダメなんだと理解した。

 オレは今まで、春雷の君や疫病神達の話を聞いて、少しでも彼らの力になってやれたらいいなと思っていた。人間との交流がなくなって、寂しいと感じている神様達のことを知って、それなら歳神様やこの家にやってくる神様達と仲良く出来ればいいとも思っていた。

 でも、そう思うだけじゃダメなのかもしれない。

 神様達には神様達の、オレ達人間には人間の決まりがある。

 神様達が必要以上に人間の世界に関わらないように、人間も必要以上に神様の世界には関わらない。

 そうすることで、お互いを守ってきたのなら、オレもそれに従うべきなんだろう。

 でも、それなら、春雷の君や疫病神達はどうなるんだろう。

 歳神ではない彼らと、オレ達人間にとって、ちょうど良い距離ってどれくらいの距離なんだろう。

 家を失い、天にも帰ることが出来ず、人と共に居たいと願う疫病神は、人と共に居ることによって病気や死をもたらす。どうやっても相容れない彼らを、オレ達は遠ざけることしか出来ないんだろうか。

 貧乏神が元の姿に戻って天に帰ることが出来るなら、疫病神にもそういう方法が何かあればいいのに。

「……尚樹殿? どうかされましたか?」

 不意に声を掛けられて我に返る。

「えっと……その、貧乏神が元の姿に戻って天に帰ることが出来るのなら、疫病神も出来ないのかなって……」

 歳神様の顔が困惑で曇るのを見て、慌てて付け足す。

「難しいってことは、もちろんわかってるよ。神議かみはかりで、処分が下されるんだろ? 結果次第では、この世界に存在することすら許されなくなる。

 でも、貧乏神だって家を滅ぼすことがあるんなら、疫病神と同じじゃないか。貧乏神なら許されるのに、疫病神はダメっていうのが、どうも納得出来ないというか………」

 空気がだんだん重く感じられて、声を出すのが躊躇われる。

 神様達が決めたことには口出し出来ない。オレがあれこれ言っても、歳神様には多分どうすることも出来ない。

 それはわかっているけれど。でも、やっぱり。

 神様と共に在るというなら、そこには貧乏神や疫病神も含まれるんじゃないか。

 少なくともこの家は、貧乏神が一年を過ごし、疫病神になってしまった春雷の君が二ヶ月ほどを過ごした。じいさんは大変な思いをし、父さんだって春雷の君が居た間はピリピリしていた。

 それでも、なんとかなった。まだこの家は続いている。

 彼らが処分されるのは避けられないとしても、天に帰る方法は本当にないんだろうか。

 歳神様が姿勢を正してオレに向き直る。曇りのない瞳が、オレをまっすぐ正面から捉える。オレの心を射抜くように。

「尚樹殿は、どうしてでも、あの疫病神達を救けてやりたいと、そう思っておられるのですか?」

「それが可能なら、そうしたいです」

 声は少ししわがれて、ノドを引っ掻いていく。聞き取りにくかったかもしれない。でも、オレの目が、きっと歳神様に自分の気持ちを伝えているはずだ。

 そして、彼女なら、きっと理解してくれる。

 しばらく黙ってじっとオレを見つめていた歳神様は、やがて、にっこりと晴れやかな笑みを浮かべ、ゆっくり大きく頷いた。言外に、仕方ない人、と呆れているようにも見えるけれど、それでも彼女は告げた。

「……わかりました。天にはその旨、私が伝えましょう。人がそう望んでいると」

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