第二話 ヒューマンファックテスト 1
「・・・ロンッ」
カチャリ。
絵空ちゃんがまた牌を倒した。
「え?」
牌を捨てたステルスが凍りつく。
「ホンイツ、トイトイ、三暗、ダブ東で倍満。・・・と、ステルスさんはもう持ち点2000だから、楽勝でぶっ飛びだね!」
絵空ちゃんはそれはもうニコニコ顔だった。
「・・・なんだまた絵空ちゃんが一位か」
バララ・・・僕も牌を崩した。
そして雀卓の中央にある穴に牌を落としていく。
「しかし、強いですね木下さん」
本条君は、少し名残惜しそうに牌を後ろに倒した。
そんなに良い手だったのだろうか?
少しだけ気になった。
「いやぁ、そんな事無いよぉー・・・」
と照れながらも、何だかその表情は誇らしげだった。
「しかしこれで・・・」
僕は立ち上がり、近くに置いたホワイトボードに、
キュッキュッ・・・
「・・・ステルスの四連敗、と」
ちなみに一位はずっと絵空ちゃんだ。
・・・・・・・・・
この放課後の仁義なき戦い。
彼女が親家になった途端、ロン、ツモ、ツモ、ロン・・・と、鬼のようにあがっていた。
ていうか怒涛の追い詰めでステルスを集中狙いしていた。
何故か分からないが、絵空ちゃんがツモる時は大概ステルスが親だった。
結果この四戦で、絵空ちゃんは四連勝、ステルスが四連敗という極端な戦績しか残らなかった。
ちなみに僕と本条君は二位とか三位を行ったり来たり、至極つまらん戦いになってしまった、という訳さ。
「ていうか所長ッ!」
ステルスがついに私に噛みついてきた。
「いい加減私にも麻雀のルールを教えて下さいよ!このままじゃ私、何も分からないままパシリに使われる事にっ・・・」
その訴えは至極真っ当で、かつ悲痛な叫びだった。
彼曰く、
・・・え?麻雀ですか?いや、全然解らないですけど・・・まぁ良いですよ、ルールはやりながら覚えますんで・・・え?罰ゲームも・・・そ、そうですか・・・いえ、良いでしょう、受けて立ちますッ!
最初はそう意気込んでいたが、
「・・・え~と、所長?これは捨てて良いんですか?」
ちらちらと上家の僕に、赤い点が五つ付いた牌を見せてくる。
赤ドラのウーピン。
本条君に聞いた所、なかなか五月蠅い牌らしい。
何が五月蠅いのか僕にはサッパリだったけど、とにかく相手にロンされ易く、かつその時相手に支払う点数も大きくなる危険性があるらしい。
序盤なら良いが、この牌をステルスが僕に見せてきた時は、十五順目。
どこの手牌も、良い感じに役が出来あがってきている場面だ。
普通なら、気安く捨てられる牌では無い。
でも、
「え?・・・うん、良いんじゃないか?捨てろよ」
僕は、悪魔だから。
「そ、そうですか・・・そうですよね!」
僕の了承を得て、何だか安堵した表情の男が居た。
カチャ。
迷うことなくステルスはその赤ドラのウーピンを切った。
当然。
「あ、それロン」
カチャリ。
絵空ちゃんが牌を倒した。
「タンピン三色、ドラ2で跳ねです」
「え・・・」
ウソだろ・・・みたいな顔をこっちに向けるな!
僕のせいみたいじゃないか。
まぁ・・・僕のせいだけど。
・・・・・・・・・
そんな感じで怒涛の四連敗の男。
「・・・・・・・・・」
ズーン・・・と、その背中に黒いオーラが漂っている。
「とりあえず、僕はコーラな」
「私はお茶で」
「あ、あたしはイチゴメロンをお願いします」
僕らは勝手に注文を言った。
それが僕らが決めた罰ゲームだった。パシリ麻雀ってとこかな。
だってここは神聖なる学園の図書室だぜ?
そんな場所でお金を賭ける訳にもいかないだろ?
だから、負けたら罰ゲームでパシリに行ってくる、というかわいらしい約束の下で僕らは麻雀を楽しんでいたんだ。
まぁ、楽しんだのは主に絵空ちゃんだけだったんだけどね。
・・・・・・・・・
初心者の僕と完全素人のステルスの為に、最初の三戦は練習で、さっきの四戦目が本番だったんだ。
で、結果、予想通りというか予定調和というか何と言うか・・・
何のひねりも無くステルスが負けた。
というか超ぶっ飛んだ。
それで彼は僕らの為にジュースをパシらされる事になったのだ。
勿論、僕らも鬼では無いのでお金はちゃんとステルスに渡したさ。
これで買って来い・・・って感じで、本条君がお札を渡していたよ。
お札をね。
そのお札を手に取って、何故かステルスが怪訝な表情になった。
「・・・えーと、少し足り過ぎるんですけど・・・」
恐る恐るステルスがその受け取った紙幣を僕に見せてくる。
「ん?」
あぁ、確かに。
諭吉さんだ。
どんなに高価なジュースを三本分買っても、絶対にお釣りがくる。
ていうか万札使える自販機があるのか?
それとも暗に購買部に行けと言っているのだろうか。
自販機ならともかく、購買までは少し距離があるんだけどね。
自販機はこの校舎の昇降口にあるからそこまで遠くはないけど、放課後以降も開いている購買部は職員棟の購買部しか無い。
距離にして、およそ一キロ弱。
そして僕らが遊んでいた図書室が校舎の四階だから、その昇り降りも考慮すると、その道程は体力的に結構キツイものになるだろう。
たかがジュースのパシリの為に。
勿論、この校舎にも購買部はあるのだけど、もう閉まっている頃だろう。
だって生徒が少なくなった校舎で営業していてもあまり意味が無いからね。
逆に職員棟の購買部は、夜遅くまで仕事をしている教師の為に、結構遅くまで開いているらしいけど。食堂で飯を食った後や、寝る前などにどうしても何かを食べたいと思った生徒は、寮からその職員棟まで足を運んでいるらしい。
まぁ、僕は利用した事無いんだけどね。
というか、あまり職員棟に近寄らないし。
ま、そんな諸々の事情は置いといて。
とにかく、各校舎に設けられている購買部はきっちり午後六時半までしか営業しないんだ。
そして現在、午後六時四十五分。
うん、閉まっているだろうね。
だから彼が、
「・・・解りました、下の自販機で買ってきます」
と言って、一万円札を本条君に返したのは当然の結果だった。
「お金は良いのか?」
僕が訊くと、
「ええ・・・それも含めて罰ゲームです」
と、何だか妙に潔かった。
立ち上がり、図書室のドアの所まで歩いて行く。
「・・・・・・」
しかし。
「えーと、すみません」
そう言ってステルスが振り返った。
「・・・?」
「所長のコーラと、本条様のお茶は分かるんですが・・・」
彼が言い淀む。
てか、今こいつ本条様とか言わなかったか?
何で本条君だけ様付けなんだろう・・・
何でだろう?
「その・・・イチゴメロンって何ですか?」
・・・・・・・・・
うん。
まぁ・・・ステルスの言いたい事は分かるよ。
さっきはあえて、それをスルーしたんだけどね。
僕も・・・何それ?って思ったさ。
思ったけど口には出さなかったんだ。
それがどういう飲み物で、普通に自販機で売っているのかも分からない。
だけど、なんだかんだでステルスはその謎の飲み物を買って来てくれる、と僕はそこはかとなく信じていたから。
ステルスは何となく裏稼業っぽい雰囲気を持っているから、その手の情報網でそんな不思議ドリンクの所在など一発で判るんじゃないかと期待していたんだ。
けど、どうやら、それは僕の過大評価だったらしい。
ステルスは、
「・・・?」
いやぁ~まったく存じ上げませんが。何か?
みたいなふてぶてしい態度を取っていた。
「・・・え!知らないの?」
と声を上げたのは、もちろん絵空ちゃん。
「最近話題の〝炭酸移植フルーツ〟の第五弾だよっ」
「・・・いしょくふるーつ?」
何それ?
気持ち悪い名前だなぁ。
僕がそんな風に思っていると、
「アレを知らないなんて・・・信じられない」
と、口元を押さえて驚愕していた。
そして、
「・・・あの混ざり合う筈が無い二つの果実の出会い・・・そして融合・・・」
絵空ちゃんが語り始めた。
僕と本条君はもちろん、扉の前で立ち止まったステルスまでもがボーゼンとなる。そんな僕らをよそに、彼女は胸に手を当て必死で訴えていた。
「その味は、まさに奇跡っ」
バッ、と彼女が手を広げた。
まるで喜劇の主人公のように、その一つ一つの動作がいちいち大げさだった。
「初めはミカンとスイカという、妥当な移植から始まりました。そして、ナシとナス・・・更にはパイナップルとほうれん草と奇抜なアイディアをためらう事無く実践し、失敗・・・」
「え?失敗したの?」
喜劇の途中、思わず口を挟んでしまう。
その僕の一言に、絵空ちゃんが遠い目をして、
「ええ、やはり野菜と果物にも相性という物があってですね・・・」
悲しそうにそう呟いた。
何で悲しそうに目を伏せたのか、僕には全然分からない。
むしろ、そりゃそうだ・・・としか思えなかった。
つーか、ナスとナシって・・・もう名前が似てるからとかそんな理由しか浮かんでこない。それ以外、その二つに接点が見つからないよ。
組み合わせれば、実は味が飛躍的に良くなる・・・とか、絶対に無いからな。
ていうか単品でも不味いだろう。ナスのジュースとか。
考えただけでも気持ち悪くなる。
「それで、開発者はまた安易な融合を始めたのです」
「それが・・・」
イチゴメロンか。
う、う~ん・・・
確かに、ナスとナシとか、パイナップルほうれん草とかに比べると幾分か飲めそうな雰囲気の名前だけど・・・それでも、何故混ぜたんだ?としか思えない。
混ぜる必要がどこにあったんだろう。
まぁ、あったんだから、こうして飲んでる奴が居るんだけど。
「・・・ていうか、普通に売ってるよ?下の自販機で」
と、絵空ちゃんが事も無さげにそう言った。
「え?そうなんだ」
初耳。
僕はあまり自販機を使わないから気付かなかっただけかも知れないけど、そんな飲み物なんてあったかなぁ?
まったく記憶に無い。
「・・・知ってた?」
本条君に話を振る。
「いえ、存じ上げません」
彼女は予想通り首を横に振った。
「えー・・・ちゃんと置いてあるよぉ」
絵空ちゃんが少し不機嫌そうに頬を膨らませた。
そんな彼女の顔が、また可愛らしかった。
それを見ているだけで、
「・・・へへ」
にやにや。
顔が綻んでしまう。
「絵空ちゃんがそんなに言うんだったら・・・僕もそれにしようかな、イチゴメロンに」
にやにやしたまま、ステルスにそう指示する。
「了解です」
彼が短く頷いた。
「・・・」
ちらちら。
僕の注文変更を受けて、ステルスがしきりに本条君の方を見ていた。
「・・・・・・・・・」
本条君はその視線を、無言で押し殺した。
お茶でいい・・・
その視線はそう言っているように見えた。
「・・・す、すみません。出過ぎた真似を・・・」
そう言って、ステルスが彼女に深々と頭を下げた。
「という訳だから、ステルス・・・お茶とイチゴメロンを二つ、頼むよ」
話をまとめる。
もうステルスは半分部屋から出ようとしていた。
「了解。五分で戻ってきます」
そう言い残して、シュバッと物凄い速さで僕らの視界から消えて行った。
彼が去った後、数瞬の沈黙があった。
しかし僕はそんな沈黙が好きではない。
「・・・それじゃ、次の勝負の準備でもしとくか」
僕は卓に座り直した。
そして、まだ卓の上に残っていた牌を全部、中央の穴の中に落としていく。
全てを落とし終えた後、ポチッ、と卓の端にあるボタンの一つを押した。
すると、ウィーン・・・ジャラジャラ、ガチャン・・・とテーブルの中から牌を混ぜる音が鳴り始める。そして何秒も経たない内に、ガシャンッ、と勢い良く牌がテーブルの上に飛び出した。
一糸乱れぬ、綺麗な並びだ。
さすが全自動。
これが自動雀卓の良い所だ。
普通だと色々手間のかかる麻雀だけど、全自動だと牌を並べたりする手間が省けるんだ。
もちろん、これも僕らの私物だ。
僕らの・・・というか本条君のね。
彼女がこの図書室に持ち込んだものだ。
「・・・しかし、彼があのままじゃ勝負になりません」
と、その本条君が苦言を呈してきた。
「こんな一方的な試合・・・木下さんだって面白くないはずです」
「・・・ふぇ?」
え?あたし?と、彼女が自分の顔を指差している。
「あたしは別にいーけど・・・だって、あんなカモ・・・そうそう居ないしね」
あはは、絵空ちゃんが軽快な笑い声を上げた。
・・・・・・・・・
今、僕らと絵空ちゃんがこうして笑いながら遊んでいられるのは、こう言って良いのか分からないけど・・・ついこの間の盗難事件のおかげだ。
その事件の被害者である木下絵空。
そして、その事件を解決へと導いた僕。・・・と愉快な仲間達。
あの事件をきっかけに、僕らと彼女の接点が出来たのだ。
それこそ、涙と背脂にまみれた凄惨な事件だったけどね。
しかしそれを乗り越えた後に僕らが得たものは、とても大切なものだった。
それは、ささやかな笑顔だった。
そう笑顔。
だけどその笑顔までの道のりは、決して容易なモノでは無かったよ。
険しい道のりだったさ。
それもちゃんと達成出来ているのか、今でも不安で一杯なんだけどね。
本当に、今彼女は笑えているんだろうか、と。
「・・・・・・・・・」
僕は目の前で笑っている少女を見て、ふとそんな事を思った。
あの後、何かと僕は絵空ちゃんを遊びに誘ったんだ。
・・・うん、もちろん最初はバッサリ断られたさ。
つーか無視された。
それは、かつての僕の態度や行動を鑑みれば当然の事なんだけど、それ以上に、彼女は僕の事を避けていたように見えた。
しかし、それでも僕は諦めなかった。
それこそ、しつこく行ったらまた嫌われてしまうかも知れないのに、懲りずに何度も何度も彼女のクラスに足を運んで、
「・・・おい、遊ぼーぜ」
「・・・うざい帰れ」
その繰り返し。
それが一週間くらい続いたのかな?
もうそろそろ限界かな、と思っていたよ。
そんなある日。
突然、
「・・・あぁ、また来たんだ」
彼女の方から口を開いた。
「君も懲りないよね・・・」
呆れたように絵空ちゃんがそう言った。
「まだ絵空ちゃんの笑った所、見てないからね」
僕はそう言い切った。
そう、それが目的だから。
それが、彼女に誓った僕の約束だから。
君の笑顔が見てみたい。その一心で、あの変態を捕まえたんだ。
だからこうして、何度も何度も彼女の下に足を運んでいた。
「・・・はぁ」
彼女が何だか鬱屈そうに溜息を吐いていた。
しかしその顔は、不思議と・・・薄く笑っているようにも見えたんだ。
「じゃあ、あたしの言う事何でも聞く?」
彼女がその顔のまま、僕に尋ねた。
当然、
「うん、聞くよ」
即答だった。
「・・・」
少しだけ、彼女は考えるように押し黙った。
「・・・・・・・・・」
僕は彼女の答えを待った。
それは、彼女がようやく見せてくれたリアクションだったから。
それまでの門前払いとは違う、何かを考えている仕草。
それが僕の心を躍らせた。
「・・・あ、そうだ」
彼女がパッと顔を上げる。
何かを思いついたように。
「ねぇ、麻雀できる?」
「・・・は?」
突然の彼女の申し出に、最初は何を言っているのか分からなかった。
しかし、彼女はそんな困惑した僕の事なんか気にもせずに、
「久々にしたいなぁ。だってこの学校・・・ルール知ってる人いないんだもん」
と、可笑しそうに笑っていた。
「・・・で、君は出来るんでしょ?神乃君」
その時、
「え」
彼女が初めて、僕の名前を呼んでくれた。
「こんだけあたしの事誘ってきたんだから、出来ないなんて言わないよね?」
それは・・・多分、僕の求めていた物だったんだろう。
僕が出来ないと分かっていながらも、そう訊く彼女の心境。
そんな天の邪鬼な彼女は、悪戯っぽく笑っていた。
それが、とても可愛かったんだ。
「あ、うん。もちろん・・・」
そう答えるしかなかった。
麻雀が出来ようが出来まいが関係ない。
つーか彼女が何故、麻雀がしたい・・・なんて言いだしたのか良く分らないけど、そんな事をさ・・・ここで論じる必要があるかな?
うん。
無いよね。
「じゃ、約束。明日の放課後、君達の所に行くから面子用意しといてね」
絵空ちゃんはそう言うと、ひらひらと手を振って自分の席に戻っていった。
「・・・・・・」
ひらひら。
呆然と、僕もその背中に手を振っていたよ。
突然の彼女との約束に、僕の心は茫然自失さ。
ちなみに、僕はいつも昼休みの時間に彼女の教室に行ってたから、彼女のクラスメートの注目の的だったさ。
毎回昼休みに、クラスのアイドルに会いに来るチビが居る・・・てね。
衆目に晒されるとはまさにこの事。
けどその時は、そんな事気にもならなかった。
だって一週間だぜ?
彼女を誘い続けて、もう一週間だ。
そろそろ、あぁ・・・もう無理なんじゃないかなぁ・・・とかそんな事思いかけてた矢先の出来事さ。
・・・約束、今度君の所に行くから・・・
だってよ。
笑。
そりゃあもう、僕は心穏やかでは無かったよ。
今まであんなに素っ気なかったあの絵空ちゃんと、図書室で麻雀・・・
ムフフ・・・あわよくば・・・へへ。
と、そこまで考えて、ハッとする。
「・・・ッ!麻雀・・・」
やばい。
まったく分からないぞ。
知らない。
ルールなんか知る訳が無い。
「本条君ッ!」
バッ、と後ろを振り返る。
そこには僕と同じく、衆目に晒された本条君が立っていた。
「今すぐ麻雀を覚えるぞ。時間は無い・・・午後の授業はキャンセルだ」
僕がそう言うと、
「あ、いえ・・・私、麻雀できます」
ぼそり、恥ずかしそうに彼女が答えた。
「え?」
固まった。
「たしなむ程度ですが、一応うてます」
「な・・・んだと?」
僕はあからさまにうろたえてしまった。
狼狽。
しかし彼女は笑顔のまま、
「ですがご心配なさらず。今から覚えれば、明日の放課後までには十分間に合います」
と言って、何やら携帯を取り出し、
「・・・ええ、そうです。雀卓です。それと雀牌もお願いします。・・・ええ、はい。今日の夕方までには届くように・・・え?理由ですか?・・・単なる暇つぶしです」
電話で誰かと話していた。
一体誰と通話しているのか、そこは考えないでおこう。
勘ぐると、色んな暗部に触れてしまいそうだから。
「えぇ、はい・・・それでは、お願いします」
パタン。
彼女の電話が終わったようだ。
「それでは所長、行きましょうか」
そう言うと、彼女はもう歩きだしていた。
「え?あ・・・うん」
僕は少し呆気に取られていたが、まぁいつもの事なのでそこまで気にしなかった。
彼女の行動力は、その財力と権力によって裏付けされているのだから。
電話一本で、大概の事は叶えてしまう。
それこそ、あー麻雀がしたいなぁ・・・と思えば、直ぐにでもそれが出来る環境を整えてしまう。
というか、その程度の事など、ほんの一部に過ぎない。
彼女にってはその程度、ほんのお遊びなのだ。
彼女が本気でそう願ったら、この星城学園が一瞬で本条学園になってしまう事だろう。・・・そのくらいのお金持ちなんだ。
それが本条捺芽。
僕の助手の力だ。
・・・・・・・・・
とまぁ、そんな訳で、急きょ僕らの図書室が雀荘になったって訳さ。
その日僕らが図書室に出向いた時には既に、狭い部屋の中央に雀卓が丁寧に用意されていた。
それから僕と本条君の楽しい楽しい麻雀講座が始まったのだ。
まぁ、時間は一日しか無かった訳だから、僕もそこまで詳しく麻雀について理解した訳じゃないけど、それでも基本的なルールぐらいは覚えたよ。
点数とか翻数とか小難しい事は全部本条君任せだけどね。
そして今日を迎えたんだ。
もちろん、カモのステルス君も誘ってね。
僕らは三人で、彼女が来るのを待っていた。
内心ドキドキ。
それは僕だけかもしれないが、他のみんなも幾分か緊張しているように見えた。
そして。
・・・・・・・・・
彼女の最初の一言は、そんな僕の予想を、やはり大きく覆すものだった。
ガララ。
「・・・ッ!」
扉の開く音。
みんなの視線がその扉に集中していた。
僕と本条君とステルスはその時、卓を囲んでダラダラと他愛も無い話に華を咲かせていたよ。
けど彼女の来訪で、そんな僕らの空気は一変した。
・・・せざるを得なかったんだ。
「やっほー遊びに来たよー・・・て、あれ?」
「・・・・・・(僕)」
「・・・(本条君)」
「アナ・・・るッ?」
みんな固まった。
満面の笑みで手を振り部屋に入ってきた彼女。
・・・とそれを見て固まる僕ら。
「ありゃ部屋間違えたかな?」
彼女がそう言って、静かに部屋を去ろうと・・・
「い、いや!待って!間違えてないっ」
僕は慌てて立ち上がった。
ガコンッ。
勢いで椅子までも倒れてしまう。
「ん?」
絵空ちゃんはそんな慌てふためいた僕を見て、
「あはは、何やってんの・・・」
面白そうに僕を見ていた。
「・・・あ、はは」
可笑しそうに、でも笑いを堪えながら、
「・・・ごめんね、神乃君」
何故か、そう謝罪を述べた。
「・・・・・・・・・」
僕はその、ごめんね、にどう応えて良いのか分からなかった。
何が、ごめん、なんだろう。
何に、ごめん、なんだろう?
・・・・・・・・・
分からないけど、分からないままでも良いのかな、とその時は思えたんだ。
だって、
「・・・うん。・・・じゃ、麻雀しよ」
にこっ。
次の瞬間には、彼女の顔はこれまでに見た事が無いくらい、綺麗な笑顔だったから。
・・・だから、
「・・・あ、うん」
僕が深く追求する必要は無かったんだ。
そう、思う事にした。
「・・・ち、あいつ何やってんだ」
僕はイライラしながら、壁の時計を見ていた。
「あぁーもぅダメ・・・早くイチゴメロン飲まなきゃ死んじゃうー・・・」
絵空ちゃんは卓に突っ伏して、ブツブツと何かを吐いていた。
時折、その細い脚をバタバタとさせている。
バタバタする度、卓がギシギシ揺れた。
「・・・・・・」
本条君も少し心配そうに腕時計を見ている。
彼がこの部屋を飛び出してから、もう二十分くらいは経っている。
ハッキリ言って、僕は気の長い方じゃないんだ。
だから、五分を過ぎた辺りから、大変立腹しているのだよ。
イライラ・・・
ステルスの言葉を借りるが、この四階の図書室から一階の昇降口まで走って往復すれば、確かに五分くらいで帰って来れる。
しかしそれは、結構な体力を使う昇り降りだ。全力疾走が前提だしね。
・・・まぁ、だからこその罰ゲームなんだけど。多少の辛さはあって然りさ。
仮に走ったりせず、ゆっくり歩いて買いに行ったとしても、十分はかからない。
それこそ休み時間で買いに行ける距離なんだから。
だから、その二十分という時間は、僕らにとって少しばかり長すぎるんじゃないかと思い始める時間だった。
というか、十分の時点で僕と絵空ちゃんはピリピリしだした。
くそっあの野郎、帰ってきたらダダじゃおかねぇ・・・てね。
だから、彼に何かあったんじゃないか、とかは考えなかった。
あいつの心配なんかする必要が無いから。
それよりも何よりも、早く帰って来い、という気持ちの方が強かった。
別にそこまで喉が渇いている訳でもないが、あいつが帰って来ないと何も始まらないからね。勝負の続きも出来ないし、イチゴメロンの味も分からない。
というか、絵空ちゃんが地味にイラついているのが目に見えて分かるんだ。
それが僕にとって一番の問題だった。
「あー無理。待てない」
そう言って絵空ちゃんがおもむろに立ち上がる。
「自分で買いに行ってくる」
彼女はそのまま踵を返し、図書室の入口の方へと進んで行く。
そうまでして絵空ちゃんはイチゴメロンが飲みたいのだろうか・・・
彼女の足取りは、何か力強いものに突き動かされているように見えた。
「・・・・・・」
その後ろ姿を僕は黙って見ていた。
もうちょい待てよ、と言いそうになったが、それを飲み込んだ。
だって、これ以上待っていても奴が帰って来ない気がしたから。
だったら好きにしなよ、て感じで彼女の背中を見送っていたんだ。
あわよくば、僕の分のイチゴメロンも宜しくね。
そんな望み薄な事も思っていたよ。
「・・・・・・・・・」
彼女が開け放たれていた扉から出ようとしていた。
その時、
バッ!
「所長っ!」
突然、大声と共に絵空ちゃんの目の前に痩身の男が現れた。
扉の死角から飛び出したその男と絵空ちゃんの顔がぶつかりそうになる。
「きゃッ」
急に横から出てきた謎の男に短い悲鳴を上げる絵空ちゃん。
間一髪の所で互いに顔を引いていた。
「なに?もぅ・・・びっくりしたー・・・」
絵空ちゃんが少しうわずった声で、その男から距離を取っていた。
一方の彼・・・ステルスは何やら慌てた様子で、
「はぁ、はぁ・・・ん、しょ、所長・・・はぁ・・・大変です」
荒い息を弾ませながら、しきりに僕の事を呼んでいる。
膝に手をついて肩を大きく上下させている所を見ると、相当に急いで走ってきたようだ。
しかし、僕にとってはそんな慌てた様子のステルスの事など、至極どうでも良かった。
「遅い・・・何やってたんだステルス」
五分で戻ると言った彼の約束。
その刻限を守れなかった事の方が重要だった。
そのせいで僕らがどれほどイライラした事か・・・
そんな非難めいた僕の語気を読み取ったのか、
「う・・・そ、それは・・・」
少したじろいた様子で、
「・・・申し訳ありません。それに関しては、言い訳するつもりはありません」
深々と頭を下げていた。
そして彼は、その下げた頭をそのままに、
「ですが所長・・・・・・一つ、報告しなければならない事が・・・」
そう言って、ステルスは顔を上げた。
「・・・何だ」
そのステルスの神妙な面持ちに、少しだけ場の空気が変わった気がした。
「・・・人徳テスト?」
僕は訝しげにその単語を口にした。
「ええ、そうです」
不審がっている僕の事を気にしているのか、ステルスが慎重に口を動かしている。
「・・・先程、皆さんのジュースを買いに一階まで行って昇降口に向かったんですが、そこで張り紙を張っている教師を見かけまして・・・・・・不審に思ってその教員の動向を影から観察していたのですが・・・」
と、そこまで言って彼が一枚の紙を取り出した。
「どうやらこれを張って回っていたようです」
その紙が卓の中央に広げられる。
僕と本条君と絵空ちゃんはその広げられた一枚の紙をマジマジと覗き込んでいた。
‐緊急連絡‐
明日、高等部の全生徒に対し、人徳テストを実施する。
テスト実施に伴い、当日の授業は全て試験の為の臨時の時間割を適用する。
登校時間は平常通り。
従って、遅刻の無いように注意する事。
以後の通達事項は、明日の試験当日に発表する。
事前準備の必要は無し。
万全の状態で試験に臨む事。
以上。
学生指導部及び風紀委員会。
「・・・あぁ、これか」
と最初に口を開いたのは意外にも絵空ちゃんだった。
その表情が実に憂鬱そうなのは、気のせいじゃなさそうだ。
「またアレやるんだ・・・」
・・・はぁ。
やっぱり憂鬱そうに溜息を吐く彼女。
その隣で、じっとその紙を見つめていた本条君も、
「・・・・・・そう言えばありましたね。・・・こんなモノ」
何やら複雑そうな表情で、そう呟いていた。
その二人の口ぶりから、どうも彼女達はその人徳テストなる物が何なのかを知っているようだった。
「・・・一体何なんだ?その人徳テストって」
この中で僕だけが、その言葉に聞き覚えが無い様だ。
不思議そうな顔を浮かべていたのは僕だけで、彼女らは何かを思い出す様に伏し目がちにその紙を見つめていた。
あのステルスにしたってそうだ。
奴に至っては、その紙を見て尋常じゃ無い顔になっていたしね。
何か思い出があるのだろう。
時折、
「・・・ぅ・・・・・・ぅあああッ」
ビクビクビクゥッ!
震えながら頭を抱えていた。
フラッシュバック。
相当に過激な思い出らしい。
・・・まぁ、そんなキモイ男の事は放っといて、
「・・・で、結局なんなのさ」
同じ質問を繰り返す。
二人のどちらが答えても良かったので、僕は本条君と絵空ちゃんを交互に見た。
「まぁ、なんていうか・・・道徳的な、アレ・・・だよね?」
と絵空ちゃんが隣の本条君に同意を求めた。
「ええ、まぁ・・・道徳的なアレです」
本条君は少し首を捻りながらも、彼女のその問いに頷いていた。
しかし、何とも曖昧な答えだった。
道徳的な、アレ。
うん。
だから、何?
アレってなんなのさ?
「要するに、私達生徒の道徳・・・つまり、善悪の区別がちゃんとついているのか、それを調べる試験だよ」
「善悪の区別?」
「ええ、例えば・・・人の物は盗ってはいけない、とか。・・・誰かが困っています・・・あなたはその人に何をしますか?とか。・・・そんな感じの問題が出題されるテストです」
本条君はそう説明しながらも、面倒な事になった・・・みたいな顔をしていた。
彼女が何故そんな表情を浮かべたのか、僕にはサッパリだったけどね。
「うん、そういうテストだって事は、人徳って名前からもだいたい想像出来るんだけど・・・」
そう言って僕は卓の下で震えている男を指差した。
「それって、そんなに大変なテストなのか?」
だってステルスの怯え方が尋常じゃないんだよ。
見てるこっちが気持ち悪くなるくらいにね。
「・・・えーと」
「それは・・・」
二人の少女は、それぞれ口ごもっていた。
しかし、本条君が直ぐに口を開く。
「・・・実際、そのテスト自体、どうという事はありません。内容も初等部で学ぶレベルの物がほとんどです・・・・・・ですが」
と、そこで彼女は一つ息を吐いた。
少し間を置いて、
「例外的な記述問題と・・・・・・その試験で一定基準を下回った生徒に対する・・・指導が・・・あるのです」
「・・・何だ、その例外的な問題って?」
「・・・・・・」
沈黙。
その時の本条君の顔ときたら、まるで生理的に受け付けない嫌な物でも見ているかのような、渋い表情だった。
絵空ちゃんも同様。
同じように何とも言えない不快感を露わにした雰囲気が漂っていた。
「・・・去年は、こんな問題が出ました・・・」
本条君が重い口を開く。
「・・・〟全裸の中年男性が二人、目の前で男子中学生を襲っています。しかし、その行為は既に終わっていて、彼らはその場から立ち去ってしまいました。そこであなたに質問です。その後、一人取り残されたその男子中学生にあなたがしてあげるべき行動とは何でしょう?・・・五十字以内で記述しなさい〝・・・こんな問題が、この後十題ほど続きます」
本条君は言い終わると、心底嫌そうな顔を僕に向けた。
沈黙が、図書室を埋め尽くしていた。
それ以上、誰も口を開こうとしない。
長い・・・沈黙だった。
それでも、永遠では無かった。
「・・・所長なら」
「やめろ」
何かを言いかけた本条君を手で止めた。
考えたくない。
想像しただけで気持ち悪さ全開だよ。
もう、その男の子にかける言葉なんか見つからないよ。
可哀そうとか、気持ち悪ッ・・・とかそんなレベルじゃ無くて、もはやこの国の未来はどうなってしまうんだろう・・・とか、そんな事を真剣に悩んでしまうレベルだよ。ていうか、やっぱ気持ち悪いよ。
良くそんな問題を考えついたな、この学園の教師達は。
しかもそれを全生徒、あ・・・いや、高等部の生徒へ向けて、試験として出題するなんて・・・流石の僕でも、どうかと思ってしまうぞ?
「・・・まだ、他にも」
「もう良い分かった」
やはり何かを言おうとしていた本条君を、僕は真剣に止めた。
これ以上は、聞く耳持たんよ。
「・・・とにかく。そんな人間のモラルを試すような問題が、沢山あるんだろ?・・・その人徳テストってやつには」
「・・・うん」
そう頷いたのは絵空ちゃんだった。
やはり、その表情は優れないようだ。
彼女のそんな暗い表情を見ると、僕の気分まで落ち込んでしまう。
彼女の記憶の中にそういう気分の悪くなる問題があるのだ、という事を嫌でも想像してしまう。
「・・・けど、何でこんな急に試験を実施するんだ?」
それも僕の率直な疑問だった。
・・・・・・・・・
僕は高校生になってまだ日が浅い。それこそ中学生気分が未だに抜けきらないくらいにね。だから僕は、そういった高等部の試験や行事などの予備知識をほとんど持っていなかった。
だからこそ、そんな急に、明日実施します、なんて言われても何をすれば良いのかも分からないでいるのだ。
けれど、彼女達は違う。
少なくとも本条君と絵空ちゃんは高等部二年で僕の一年先輩だからだ。
あぁ、ちなみに・・・
彼の事は良く分らない。
このステルスに関しては、僕よりは年上なのだろうという認識しかない。
背丈や顔立ちも、僕や周りの学生達よりかなり年上に見えた。
それこそ本当に高校生なのか?と疑ってしまうくらいに。
良い意味で大人っぽい雰囲気。悪く言えば老け顔。
・・・・・・・・・
まぁどっちでも変わらないけどね。
とにかく、そんな僕よりも先輩である筈の彼女達は、その人徳テストについて何らかの情報と経験値を持っている筈なのだ。
「・・・そうですね。確かに、去年の人徳テストはこの時期ではありませんでした」
本条君は自分の記憶を手繰るように目を伏せて、
「確か秋頃・・・だった筈です」
その言葉を聞いて、絵空ちゃんがハッと顔を上げた。
「あ、そう!そうだよ」
何かを思い出したようにうんうんと力強く頷いている。
「確かその時も、前日に連絡があったんだよね」
「はい、そうです」
本条君と絵空ちゃんが頷き合って、お互いの認識を確かめていた。
そんな彼女達を見ていても、僕は腑に落ちない気分だった。
「・・・それって、何か理由があるのか?テストの実施を生徒に伏せる必要とかさ」
正直、そこに深い理由なんて無いと思った。
抜き打ち的なテストなんだろうけど、これは道徳テストだぜ?
それを抜き打ちにする必要があるのだろうか・・・
「さぁ、そこまでは私にも・・・」
彼女が首を横に振った。
そんな彼女の様子を特に気にもせず、
「・・・ん、まぁいい」
僕は適当に納得し、
「それで、その指導ってのは、一体何をされるんだ?」
第二の疑問を口にした。
その瞬間。
「ひっ」
引き攣った悲鳴が卓の下から聞こえてきた。
「・・・ぅぅぅ」
ぶるぶる。
ステルスの震えが一段と増したようだ。
「・・・・・・・・・」
それを見て、僕は少しだけ心配になってきた。
「さぁ、私は指導を受けていないので分かりませんが・・・」
「あたしも」
二人の少女には身に覚えのない事だったようだ。
二人とも、道徳的にはちゃんとしていたって事だったのだろう。
逆に、ちゃんとしていなかったのが・・・
「・・・ぁああああ・・・ん、ぅわぁっ!」
・・・このキモイ男だったのか。
ステルスは、道徳的に難ありの生徒だったらしい。
ていうか、こいつはどこでその人徳テストを受けたのだろうか?
むしろ、こいつうちの生徒だったのか・・・?
どの学年のどのクラスに在籍しているのだろうか?
僕には、指導の事よりもそっちの方が気になった。
「まぁ、とにかく。普通に答えていれば、指導を受ける事は無いと思います」
本条君はそう締めくくり、卓に置かれたペットボトルのお茶に手を伸ばしていた。
キュッ、とキャップを開け、喋り続きで渇いた喉にそのお茶を流し込んでいる。
一口、二口とお茶を飲んだ後、
ほぅ。
と小さく息を吐いた。
「その男は恐らく私欲にまみれた答えを書いたんでしょう・・・当然の報いです」
言い捨て、冷めた視線をステルスに向けていた。
「・・・そうか」
僕はまだ納得してはいなかったけど、とりあえず明日そんな感じのテストがあるって事だけは理解した。
僕も、卓に並べられた缶ジュースに手を伸ばす。
「・・・ふむ。これが例のイチゴメロンか」
それを手に取り、パッケージをぐるりと見まわした。
ショッキングピンクに緑の斑点を散りばめたその奇抜な模様。
それを見ての、僕の率直な感想なんだけど・・・スゲー不快な気分になったよ。
正直、この彩色は失敗じゃないか?
見た目でめちゃくちゃ不安になるんだけど。
まぁ、中身がまともである事を祈るしかない、か。
・・・・・・・・・
この卓の下で奇妙に震えているステルスの事なんだけど、彼は一応ちゃんと罰ゲームをこなして帰って来ていたのだ。
時間に遅れたとはいえ、ちゃんと約束の物は入手していた。
本条君のお茶と、僕と絵空ちゃんのイチゴメロン。
絵空ちゃんも、ようやく、といった感じでその缶ジュースを手に取った。
第一印象で僕を不快のどん底に突き落とした、その奇抜な模様の飲み物をね。
「いただきまーす」
それまでの陰鬱そうな表情が嘘のように、そのジュースを手に取った彼女の表情はとてもイキイキしていた。
ていうか、すごく美味しそうにそれを飲んでいる。
「・・・ごく・・・ごく」
その小さな口で、何とも美味しそうにジュースを飲んでいる。
その姿がまた、可愛い事カワイイ事・・・
自然と、僕の顔もにへら・・・となってしまう。
「・・・おいしい?」
彼女に尋ねる。
「・・・・・・」
コクコク。
目を細めて満面の笑みを浮かべる絵空ちゃん。
それだけでも、今日こうしてみんなで遊んで良かったな、とそう思えた。
とても、温かいひと時だった。
「じゃ、僕も飲むか・・・」
彼女の反応に、僕は完全にそれが美味しい飲み物だと認識していた。
・・・いや。
認識してしまっていた。
「・・・・・・ん」
飲み口を唇にあて、その液体を口内に招き入れる。
その瞬間、ピンクとグリーンの鮮やかな液体がチラリと垣間見えた。
というか鮮やか過ぎる液体。めちゃくちゃ体に悪そう。
それが舌の上を通り過ぎていく。
「・・・ぅッ!」
ビリッ。
微弱な電流が舌の上を駆け抜けた。
そして条件反射で、その液体を、
ごくん。
喉に通してしまう。
「・・・・・・・・・」
次の瞬間、巻き起るであろう胃の中の戦争を、僕は静かに予感していた。
胃酸と、謎の液体Xとの戦い。
それがもたらす、負の遺産。不快な胃のもたれ。
どちらが勝利するかなんて、明白だった。
・・・・・・・・・
嗚呼。
なんてこった。
僕は何でこんなモノを飲んでいるんだろう?
どうしようもない後悔の念が僕の腹の底から湧き上がってきた。
「・・・ゲロ不味いな」
自然と、口が滑ってしまった。
「・・・ぇ?」
絵空ちゃんの表情が凍りつく。
何言ってるの・・・?みたいな顔が、その時だけは信じられなかった。
何言ってるの?は絵空ちゃん、君の方だよ。
ていうか、何飲んでるんだよ!
これ、相当不味いぞ。
イチゴメロンとか甘くてフルーティーな名前からは想像も出来ないほどの刺激的な刺激物質が入ってるよねぇ?これ?
スゲー舌がビリビリするんだけど。
つーか、全く甘く無かったよ。むしろ苦みが強かったくらいだ。
イチゴのどこの部分が分からない酸っぱさと、メロンの皮のような切ない薄味な何かと、それを覆い隠す程の強過ぎる炭酸。というか炭酸。
炭酸の味しかしなかったよ。
口の中に入れた瞬間、
ビリィッ!
苦ッ!
ドロォオ・・・
胸焼け。
・・・・・・・・・
「うぇ、ほんとに不味ぃ・・・」
ボタッと僕の唇の端から謎の液体が零れ落ちる。
汚いしみっともないのは分かっている。
だけど口から吐き出すのを止められない。胃がその液体を受け付けないんだ。
ボタボタボタァ・・・
あぁ・・・絵空ちゃんが見てる前で僕は何て汚い事を・・・
でも仕方無いよね?
マジで不味いもん。
「ええー・・・」
何でー?みたいな顔の絵空ちゃん。
「絶対おいしいけどなぁ・・・」
ちぅちぅ・・・
そうやって可愛く飲んだって、その液体は絶対に美味しくはないからな。
断言する。
それは、まさしく、
「・・・失敗作だ」
僕はその飲み物?を無言で本条君に手渡した。
「・・・・・・・・・」
彼女にしては珍しく、その僕が手渡した缶ジュースを、
「申し訳ありません。受け取れません」
つい、と顔を逸らしてしまう。
「・・・なん・・・だと」
僕の手が震えだす。
あぁ、やばい。やっぱ体に良くない物が入っていたんだ。
スゲー気持ち悪くなってきやがった。
くそぅ。
このままじゃ、死んでしまう。
「・・・ぅ」
ここでただ死ぬのは、本当に悔しい。
誰か・・・誰かッ!僕と一緒に・・・
「・・・はっ」
気付いた。
「・・・ぅぅうう」
卓の下でまだ震えていた彼に、僕は目を向けた。
「・・・・・・」
この男しか居ない。
僕は直ぐにそう決めた。
こいつしか居ない。
ステルスしか、僕と一緒に地獄に堕ちてくれる人間は居ない・・・と。
よろよろとした動作で、テーブルの下に頭を入れる。
「ス・・・ステル・・・スぅ」
もう限界のようだ。
言葉が上手く出てこない。
僕はそれでも、彼に何かを伝えたくて必死で口を動かした。
「こ、これ・・・ぅおぇ」
ガクン。
膝が崩れる。
ヤバい、マジで死ぬ。
「・・・しょ、ちょう?」
ステルスがようやく僕に気付いた。
潤んだその瞳を僕に向けている。
「・・・・・・・・・」
僕は必死で笑顔を作った。
だって机の下のステルスは、まるで人間に虐められた野良犬のような目をしていたから。何も信じられない、そんな弱った小動物のようなつぶらな瞳。
だから僕は笑いかけたんだ。
心配無いよ。
僕は君の・・・とも、
「・・・悪い、お前も一緒に死んでくれ」
ステルスが油断して僕に近付いてきた所に、
ガッ!
「・・・ボヒュッ!?」
渾身の勢いで、イチゴメロンを投入した。
「ンー・・・ッグゴッ・・・グ」
ステルスがジタバタ暴れ出す。
ガンッゴスッ!
頭を卓の裏側に何度もぶつけながら、必死でその液体から逃れようとしていた。
「わッ」
「・・・な」
絵空ちゃんと本条君が何事かとびっくりしているようだが、今は関係ない。
「ンー・・・ンー・・・・・・ーゥゥ」
暴れ狂うステルスを何とか抑えつけながら、ようやく残りの液体を全て流し込んだ。
「ゥゥ・・・ンーッ!!・・・!!ッ??」
ビクンッ!ビクンッ!
彼の体が不自然に痙攣しだした。
そして、ビクビクと小刻みに震えだした後、
「・・・・・・・・・」
完全に停止した。
先程まで元気に暴れていた手足も、今はダランと床に伸びている。
口元からは、鮮やかなピンクとグリーンの混ざった液体が零れ出ていた。
・・・・・・死んだ。
彼はその時、確実に死んでいた。
ピクリとも動かないその体。
彼を殺してしまった実感。それがじわじわと僕の足元から這い上がって来る。
そのステルスの死体を見て、僕は何か取り返しのつかない事をしてしまったんじゃないかと、先程とは別の後悔の念が込み上げてきた。
しかし、それも束の間。
グハッ。
胃の中身を吐きだした。
「・・・ぼ、僕も・・・すぐそっちに・・・・・・逝く・・・ぞ」
ブルブルと手足が震える。
もはや限界だった。
狭い卓の下、僕の体がゆっくりと床に沈んでいく。
バタリ。
僕の体は、先に逝ってしまった彼に覆いかぶさるように静かに倒れていった。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・」
二つの死体。
僕とステルス。
そんな哀れな二人の男を、
「・・・・・・あ、はは」
中腰になって覗いている少女が居た。
「狭い卓の下で・・・何やってんの?」
あはは、と笑う彼女の、スカートの中が、
「・・・・・・」
ピンクだった。
ピンクの縞々模様。
薄暗くてよく見えないけど、彼女のスカートの奥深くに僕は一筋の光を見たんだ。それはスパッツや短パンなどという無粋なモノを排除した、神聖なる世界だった。
僕は死体でありながら、その何とも言えぬ幸福感に満たされていた。
「・・・・・・・・・」
幸福に満たされていたのは僕だけでは無かった。
先に逝った彼も、幸せそうな死に顔を浮かべている。
そいつは冥土の土産とばかりに、
チキキ・・・
制服の袖のボタンを僅かに捻っていた。
しかし、彼女はそれに気付かない。
「あはは、バカみたい」
のんきに笑っている絵空ちゃんは、完全に油断していた。
死体のステルスを、甘く見ていたのだ。彼の盗撮技術を。
僕らは死体のまま、
「・・・ふ、ふふ」
「・・・(にや)」
静かに、お互いの健闘をたたえ合っていた。