毒を盛る微笑(ほほえみ)
その日、祥子は自分の家のキッチンで、親友の真由美が淹れてくれた紅茶を啜りながら、ふと思った。
「ねえ、真由美。私たち、もう二十年の付き合いになるのね」
真由美は、いつもの穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。
「そうね。小学校の入学式で、隣の席になってからずっと。祥子のことは、私が世界で一番よく知っているつもりよ」
その言葉に嘘はないはずだった。祥子が失恋して泣き明かした夜も、転職活動に失敗して自暴自棄になった時も、真由美は常に隣にいてくれた。親よりも、数年前に離婚した元夫よりも、真由美は祥子の良き理解者だった。
だが、その日の祥子の胸には、名状しがたい薄気味悪さが澱のように溜まっていた。きっかけは、一週間前にクローゼットの奥で見つけた、小さな紙袋だった。
中には、祥子が三年前になくしたはずの、真珠のピアスが入っていた。元夫から結婚記念日に贈られた、大切なものだった。家じゅうをひっくり返して探し、最後には諦めて「自分の不注意だ」と自分を責め続けたあのピアス。
なぜ、それが今になって、覚えのない場所に現れたのか。
祥子は、湯気の向こう側で自分を見つめる真由美の瞳を盗み見た。真由美の視線は、優しく、慈愛に満ちている。だが、その奥にあるものが、今までとは違って見えた。
「真由美、あのピアス……見つかったのよ。クローゼットの、冬物のコートのポケットに入ってた」
祥子が小さな嘘を混ぜて切り出すと、真由美の眉がわずかに動いた。
「あら、よかったじゃない。ずっと気に病んでいたものね。やっぱり、祥子はおっちょこちょいなんだから」
真由美は笑った。その笑い声は、いつも通り鈴を転がすような、心地よい響きだった。
だが、祥子は知っている。そのコートは、ピアスをなくした後に買ったものだ。そこにピアスが入っているはずがない。
背筋を、冷たい指で撫でられたような戦慄が走った。
真由美は、祥子が絶望している姿を見るのが好きだったのではないか。祥子が自分の不甲斐なさを嘆き、真由美に縋り付く瞬間の、あの優越感を。
そう思って振り返れば、これまでの出来事すべてに新しい意味が生まれてしまう。真由美がかけてくれた「慰めの言葉」は、実は祥子の傷口をさらに広げるための「毒」だったのではないか。真由美が勧めてくれた転職先がブラック企業だったのも、元夫との不仲を相談した時に「あんな男、別れたほうがいい」と断言したのも。
真由美は、祥子の人生を、自分の手の中で転がすミニチュアのように愛でていたのではないか。
「祥子、どうしたの? 顔色が悪いわよ。また、何か悩み事?」
真由美が身を乗り出し、祥子の手を握った。その手のひらは温かい。あまりにも温かくて、祥子は吐き気を覚えた。
「……ううん、なんでもない。ただ、少し疲れているだけ」
祥子は、精一杯の笑顔を作った。今、この女を敵に回してはいけない。真由美は祥子の弱点を、隠しておきたい秘密を、すべて握っているのだから。
一番怖いのは、見知らぬ悪意ではない。
自分のすべてを許し、受け入れているふりをして、隣で静かに微笑んでいる「善意」という名の監獄なのだ。
「また明日も来るわね。祥子には、私がいなきゃダメなんだから」
玄関で手を振る真由美の背中を見送りながら、祥子は鍵を三重にかけた。だが、この家のスペアキーを真由美に渡していたことを、彼女はすぐに思い出した。




