その婚約破棄、後悔しても取り消せません
王立学園の大講堂は、異様なざわめきに包まれていた。
その中心に立たされているのは、私──シルエッタ・クロフォード。
「シルエッタ・クロフォード。君との婚約を、ここに破棄する」
そう高らかに宣言したのは、第一王子アルベルト殿下だった。
一瞬、頭が真っ白になる。
けれど、周囲の視線と、ひそひそとした囁き声が、現実を否応なく突きつけてきた。
「やっぱりね……」
「平民出身だもの」
「殿下には釣り合わないって言われてたじゃない」
私の家は没落貴族。
形式だけ残った爵位と、かろうじて学園に通える程度の財力。
そんな私が王子の婚約者だったこと自体、最初から“仮”だったのだろう。
──けれど。
出会った頃の殿下は、今とは違っていた。
学園に入学したばかりの頃、私は貴族令嬢たちの輪に馴染めず、図書室で一人過ごすことが多かった。
そんな私に、殿下は気さくに声をかけてくれたのだ。
「無理に笑わなくていい。君は、そのままでいい」
誰もが私を値踏みする中で、殿下だけが、私の話を静かに聞いてくれた。
魔力が弱くても、派手さがなくても、目の前のことに誠実に向き合う姿勢を「美徳だ」と言ってくれた。
「君は、強くはないが──実直だ。王家には、そういう人間が必要だと思う」
その言葉に、私は救われた気がした。
そして殿下もまた、私の不器用な優しさと、決して嘘をつかないところに、確かに心を寄せてくれていた。
だからこそ、婚約の話が出たとき、私は信じてしまったのだ。
この人となら、共に歩めるのだと。
「理由はお分かりだろう?」
現実へ引き戻すように、アルベルト殿下は私を見下ろすように微笑む。
「君は無能だ。魔力も才能も乏しく、王妃の器ではない。それに──」
そこまで言うと殿下は目を細め、冷え切った眼差しで言い放った。
「地味だな。見栄えがしない」
かつて「実直だ」と言ってくれた人の口から出た言葉とは思えなかった。
「それに──」
殿下は背後を振り返り、金色の髪の少女を手招きした。
「僕には、真に愛する女性ができた」
少女は恥じらうように微笑み、殿下の腕に絡みつく。
子爵令嬢、セシリア・フォン・ルーク。
最近になって殿下と急速に距離を縮めたと、華やかに噂されていた相手だった。
二人の距離が縮まったきっかけは、半年前の舞踏会。
殿下が人混みで転びかけたところを、セシリアが咄嗟に支えたのだという。
「殿下をお守りできて光栄ですわ」
潤んだ瞳でそう告げる彼女に、殿下は一目で心を奪われたらしい。
それ以来、彼女は“殿下の理解者”として、私の代わりに隣に立つようになっていった。
「シルエッタ様、ごめんなさい。でも……殿下と真実の愛で結ばれてしまったの」
同情を装ったその言葉に、胸の奥が冷たくなる。
──なるほど。
これが、私の役目の終わり。
「異論はないな?」
殿下の問いかけに、講堂の全員が私の返事を待っていた。
私は、静かに一礼した。
「……はい。承知いたしました」
どよめきが走る。
泣き縋るでも、抗議するでもない私の態度は、彼らにとって意外だったのだろう。
「ただし」
顔を上げ、殿下をまっすぐに見据える。
「一つだけ、確認させてくださいませ」
「何だ?」
「これは──王子殿下ご自身の意思による、正式な婚約破棄。いかなる理由があろうと、後日取り消すことはできません。……よろしいですね?」
殿下は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに嘲るように笑った。
「当然だ。君に縋られることなど、二度とない」
「かしこまりました」
私は深く頭を下げ、その場を後にした。
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婚約破棄から半年。
王都は、かつてない混乱に陥っていた。
魔獣の異常発生。
交易路の崩壊。
王宮魔術師団の結界が、次々と破綻していく。
「なぜだ……なぜ修復できない!?」
玉座の間で、アルベルト殿下は苛立ちを露わにしていた。
「殿下……」
恐る恐る、一人の老臣が進み出る。
「北門の結界ですが、応急修復を三度試みましたが、すべて失敗しております。魔力量は足りているはずなのに、循環が噛み合わず……以前のように安定しないのです」
「魔力量が足りぬなら、増員すればよいだろう!」
「いえ……問題は量ではなく“調整”です。結界全体を見渡し、歪みを均す者が……今の王宮には、おりません」
その言葉に、殿下の指が玉座の肘掛けを強く掴んだ。
「殿下……以前は、結界の調整をすべてシルエッタ様が……」
側近の言葉に、殿下は顔を歪める。
「馬鹿な。あんな女が、王宮魔術を担っていたなど――」
だが事実だった。
私の魔力は、派手さこそない。
けれど“調整”と“維持”に特化した、極めて希少な資質を持っていた。
王宮結界、貴族街の魔力循環、交易路の安定化。
それらはすべて、私が裏で支えていたものだ。
婚約者という立場だからこそ、私は名もなく、評価もなく、ただ責務を果たしていただけ。
「殿下!」
今度は、交易を管轄する若い官僚が、声を張り上げた。
「南方交易路の魔力結節点が崩れています。このままでは、今月中に物流が完全に止まる恐れが……! 以前は、シルエッタ様が定期的に微調整を行ってくださっていたからこそ、持ちこたえていたのです!」
「……それを、なぜもっと早く言わぬ」
「申し上げておりました……ですが殿下は、『無能な女の仕事など、誰にでもできる』と……」
その言葉は、玉座の間に重く落ちた。
そして今──それを担う者は、誰もいない。
「シルエッタを……呼び戻せ」
殿下は、絞り出すように言った。
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王宮からの使者が訪れたのは、その翌日だった。
「シルエッタ・クロフォード様。王子殿下が、面会を──」
「お断りします」
私は、即答した。
今の私は、辺境伯領で魔術顧問として働いている。
正式な契約、正当な報酬、そして──必要とされる場所。
辺境伯は、私の仕事に一切の口出しをしない。
提示されるのは“目的“だけで、手段はすべて私に委ねられていた。
結界の安定化が成れば、成果として記録され、名も正しく残る。
それだけで、胸が驚くほど軽くなった。
また、街を巡回すれば、商人や兵士たちが自然に声をかけてくる。
「シルエッタ様のおかげで、夜も安心して眠れます」
「結界の揺らぎが消えて、交易が戻りました」
誰かの役に立っていると、はっきり言葉にしてもらえる日々。
それは、かつて王宮で味わうことのなかった、確かな満足だった。
「ですが……」
使者は一歩踏み込み、声音を落とした。
「殿下は、今回に限り、条件を大幅に改めると仰せです」
私は、視線だけを向ける。
「王宮魔術師団の最高顧問の地位。専属の補佐官と研究予算。身辺警護の強化と、貴族たちからの一切の干渉を遮断する勅命」
一瞬の沈黙。
「そして──」
使者は、息を整えるようにして続けた。
「改めて、正式な婚約を。今度こそ、対等な立場で迎えたいと……殿下は」
私は、しばらく黙っていた。
条件の重さを量っていたわけではない。
もう答えは、とっくに決まっていたからだ。
「後悔、ですか」
窓の外には、安定した魔力の流れに守られた街が広がっている。
「申し上げたはずです。その婚約破棄、後悔しても取り消せません、と」
私は振り返り、静かに告げた。
「殿下が手放したのは、婚約者ではありません。王国を支える要でした」
一拍置いてから、私は言葉を選ぶように続ける。
「それから……」
使者が、わずかに身を強張らせたのが分かった。
「殿下には、こうお伝えください」
私は、穏やかに微笑んだ。
「可愛くて可憐で、実直なセシリア嬢と──どうか、お幸せに」
その一言で、使者の顔色がはっきりと変わった。
それが“拒絶”であり、“祝福”であり、そして完全な決別であると理解したのだろう。
「……承知いたしました」
深く頭を下げ、使者は退室した。
私は、もう一度だけ窓の外を見る。
辺境の街は、今日も安定した魔力に包まれている。
後悔するのは、選んだ者の自由。
けれど、選ばれなかった私は──もう、前に進んでいるのだから。
〜〜〜fin〜〜〜
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シリーズ『異世界恋愛の短編集!』の中の作品も、合わせてお楽しみください。




