20話「これから先もずっとこんな二人でいたいです」
それぞれの両親への挨拶も済み、晴れて婚約者同士となった私とフリッツ。
かつての悪い記憶は時の流れと共に遠ざかってゆく。
傷ついた日は確かにあった。
悲しい経験もしたし、泣き出してしまいそうな夜もあった。
ただ、それでも、その日々があってこそその先に今があるのだと思えるのだから――あれらの出来事も十割悪いことではなかったのだ、と、いつからかそんな風に思えるようになった。
傷ついて強くなる。
辛い思いをして優しさを得る。
人間とはそういう生き物なのだろう。
……もちろん嫌なことはなるべく少ない方が良いというのも事実ではあるが。
しかし、嫌なことがあってもその先に幸福が待っていると信じられたなら、少しは生きる勇気が湧いてくるものだろう。
「フリッツ、これ、クッキー焼いてみたの」
「え!」
「もし良かったら食べてみてほしいのだけれど……構わない?」
「もちろん! 貰うよ。ありがとう」
とある日の昼下がり。
先日ふと思い立って手作りしたクッキーをフリッツに味見してもらうことに。
クッキーを焼いたのはほぼ初めての経験と言っても過言ではなくて。ゆえに誰かにそれを食べてもらうには勇気が必要で。自分で軽く味見はしてみたし、特に問題なく美味しく食べられそうな感じではあったのだけれど、やはり自分の味覚だけを信頼しきるのも問題かと思って。それで、親族を除けば一番近しい人である彼に、一度味見してもらうことにしたのだ。
「ここで食べていいのかな」
「ええ」
「じゃあ貰うね」
「ドキドキするわ……」
フリッツがクッキーを口へ運ぶ。
「美味しい!」
そしてやがて感想を発した。
「ほどよい甘さで食べやすくて美味しいよ! カリカリした感じも心地よいし」
「本当に!?」
「うん! とってもいい感じ! クッキー焼くの上手だね」
「ああ、良かった……安心したわ」
良い評価を得られて安堵する。
「実はどんな感じだろうって……緊張していたのよ」
「そうなの?」
「美味しくなかったら、とか、他にも色々、考えてしまって」
「自信持ってよ。凄く美味しいんだから」
「貴方にそう言ってもらえるとそんな気になってくるわ」
「本当だよ、とっても美味しい」
満面の笑みの彼に「また作ってほしいなぁ」なんて言われて、つい頬が緩んでしまいそうになる。
……いや、実際、にやけてしまっていたと思う。
「オリヴィエさんって意外と器用だね」
「あら、意外?」
「ご、ごめん! 変な意味じゃないんだ! えと……その、勝手なイメージで変なこと言って……ごめん」
「ああいえべつに本気で怒っているわけではないのよ」
「失礼なこと言っちゃった……」
想像していたよりしゅんとするフリッツに「冗談よ」と言葉をかける。
「褒めてもらえて嬉しいわ」
意外? なんて言ったのは、彼を責めるためではない。
あくまでちょっとした遊び心みたいなものが働いただけだ。
叱るとか、怒るとか、そんな深刻な負の心情は今の私には欠片ほども存在していない。
「ごめん」
「もう。いいのよ。何度も謝らないでちょうだい」
「……う、うん」
「味見してもらえて助かったわ。気が向いたらまた作るわね。その時には、よければまた食べてもらえると嬉しいわ」
「それはもちろん! 美味しくいただくよ!」
これから先も、ずっと、こうやって穏やかに二人でいたい。




