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「上からの命令だったもので」
「平和のために戦っていただき、ありがとうございました。感謝しています」
あ、いい人なんだ。
もしかしたら、俺が戦場で彼に損傷を与えたかもしれないのに。
「失礼だが、ゲニム博士は、何のために戦場に?」
「あまり大きな声では言えないんですが、ルキシア王国とは戦争前から交流があったんです。それに、僕は魔法の扱いに長けています。戦争を終わらせられるかも……なんて思って、バカみたいに走っていたんです」
いい人すぎるだろ。
こういう人間が魔導省の管理職に就いてるってんだから、将来は安泰だな。
俺は彼の小柄な背中を見つめながら、長い廊下を通り、研究室の一室に入る。
土足のままでいいらしい。プラスチックみたいな床に、天井には蛍光灯。何とも言えない薬品のにおいが漂い、複数の試験管が商品のようにずらりと並び、フラスコの中の緑色の液体が、アルコールランプに熱せられてコポコポと泡立っている。
「タウルスの件はご存じなんですか」
「ここに来たのもその件絡みだ。最近、身の回りで異変の変調を感じたりはしないか?」
「うーん、僕のほうは特にないかなぁ」
まぁ、あるわけないよな。
こっちの収穫は期待していない。
彼の頭脳を利用したいだけだ。
「じゃ、不躾で申し訳ないんだけど、魔法についても聞いていいか?」
「魔法? もちろんだよ! なんでも聞いてくれ」
「脳を消す魔法って、ある?」
「生きている人間の脳かい?」
「ああ」
「それは、頭部ごと? それとも中身だけ?」
「中身だけだ」
「中身だけ……脳を……? 空間転移……いや、分解か?」
俺の話を聞いて、ゲニム博士はブツブツと呟きながら、そのあたりをうろうろと歩き始めた。
「もしや、タウルスさんもその魔法で?」
「おそらく。しかし、激しく交戦した跡があったそうだ」
「ということは、やはり無条件で消せるわけではないか……」
その極めて冷静な考察に、俺は自分の思考が停止していたことに気づいた。
俺はどうやら、世界最強の魔法使いが殺された事実を受け止めるだけで精一杯だったようだ。
そうだよな、ゲニム博士の考察通りだ。
問答無用で脳みそを消す魔法を持っているなら、わざわざ世界最強のタウルスに交戦する間を与える必要はない。
そうなると、発動に条件があるはずだ。
ゲニム博士にもっと考察させるべきだ。彼は、答えに歩み寄れる、知識と言う名の足がある。
「もう一個、情報を追加させてくれ。タウルスがやられより前に、シデラ作戦に賛同していた調査員がひとり同様の手口でやられている。そいつは自宅で見つかったが、争った形跡はなかった」
「なら、交流していた形跡は。精神的な接触が、魔法発動の鍵になることもある」
俺はその言葉に、事件当時の部屋の様子を思い出す。
確かあの部屋には、カップが……。
「カップが、ふたつ、あった」