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春の魔物2

竹林の中の花:梅 → 桜に変更しました。

 日曜日の朝。

 快晴の空。朝早くからまばゆい太陽によって自然と目が覚めた。昨日の疲れもすっかり消えていて、気力が充溢しているのを感じた。


「……よしっ」


 気持ちを引き締めてお昼ご飯の最後の準備を終えたところでそろそろ約束の時間が来ようとしていた。


「歩、お重よろしく。揺すったら静璃が悲しむからね」

「……持てばいいんだろ」


 風呂敷で包んだ五段重ねのお重はひどく重く、正直持ち歩きたくない。

 歩は大きな自転車籠にお重を入れ、姉と一緒に向かうなど死んでもごめんだとでもいうように、さっさと一人で漕ぎ出して行ってしまう。


 別に一緒に行きたいと思っていたわけではないけれど、同じ家から出発して同じ目的地に別々に向かうというのはどうなんだろうと思わなくもない。

 なんとなく脳裏をよぎったのは、同じ家に住まう男女がデートの待ち合わせのために時間をずらすというもの。


 私たちが義理の姉弟であればロマンスの香りがあったかもしれないけれど、当然ながら私と歩の間にそんな甘い空気が生まれることは無い。


 恥ずかしがる歩を私が一方的に揶揄えば、甘い空気を作れなくもないかもしれない。

 その場合、歩が一週間からひと月くらい口をきかなくなることを想定すべきだ――以前揶揄いすぎて冷戦状態に突入した時には、それはもうお父さんが狼狽して慌てふためいていたものだ。


 なんて、そんなどうでもいいことは脇に置いて、私もまたペダルを強く踏み込む。

 お父さんとお母さんは、今日は二人で出かけて行った。なんでも、お母さんが好きなウサギのキャラクターの絵画展? コレクション展? だからあるらしく、デートだとお父さんが張り切っていた。


 そういうわけでも今日も私は家族と過ごすのではなく、静璃に振り回されるべく――別に被虐趣味というわけじゃない――梶原さんの家に向かった。


 日曜日の小学校に子どもはいない。

 そんな私の中の当たり前とは相反して、小学校からは野球の少年団らしい集団の掛け声が聞こえてきていた。開け放たれた門をなんとはなしに眺める中、視線は自然と上へと向かう。


 校舎の四階あたり。昨日の未明に見えた動く光は当然ながらそこに見えるはずもなく、ただやや汚れた窓ガラスがあるばかりだった。


 やっぱり、幽霊なんているはずがない。七不思議なんて、ただの噂でしかない。


 昨日と同じあたりに自転車を止め、私は明るい光の中で枝葉を広げる竹の林へと、ためらうことなく一歩を踏み出した。


 小鳥が鳴き、枝がぶつかり合ってざわざわと音を鳴らす。

 明るい竹林を一分くらい歩けば、本日の目的地が見えてくる。


 竹林の中ほど、竹の隙間から見えるそこには、早くも宴会の準備を整えた集団の姿があった。


 集団といっても、歩と梶原さん、近所のご年配の方が数名、後はおばあちゃんの膝の上に座る幼い少女が一人と、桜の木の前に立ってなぜか北国の春を歌っている静璃だけ。


「……何してるの、静璃?」

「北国の~ああ北国のぉはぁるぅ~」


 熱唱が続く。

 手拍子が幾重にも重なる。

 すっかり乗り遅れた様子の歩が、射殺すような目つきで私を睨んできたけれど、勝手に先に行ったのは歩の方だから取り合わないことにした。


 惜しみない拍手を浴びて、静璃はどうもありがとうと会釈を繰り返す。

 そうしてようやく私に視線を向け、ぱちりとウインクを一つ。


「それではただいまより、春の宴を開催します!」


 にこにことほほ笑むおばあさんが手を打ち鳴らす。おじいさんがノリよく「おお!」と声を張る。

 梶原さんもまた、眩しそうに目を細めながら笑っていた。


 歩に合流したところで、静璃も駆けるようにやって来て、靴を放り出して隣に座る。その目はキラキラと輝き、ひどく眩しく視線を逸らせば、視界の端で同じように視線を逸らす歩の姿が見えた。


 レジャーシートの上、持ち寄られた包みが次々と開かれる。


「さぁ歩。御開帳の儀を行いたまえよ!」


 何やら仰々しく告げる静璃に急かされるように、歩がお重の包みを開く。

 そうして現れた茶色い料理には花の女子中学生らしさのかけらも感じられなくて、私はそっと目をそらし――けれど静璃の「わぁっ」という楽しげな歓声に頬が緩む。


「すごいね、水奈! タケノコがいっぱい!」

「静璃がたくさん採ってくれたからね」

「いやはや、とても美味しそうだ」


 照れ隠しから静璃の貢献を告げれば、お重を覗き込む梶原さんやその友人が会話に続く。

 あれよあれよという間に私を口々に褒め称える流れになって、顔がひどく熱くなる。


 うつむきがちになれば、自然とお重が目に入る。やっぱり茶色いけれど、自信作であることに間違いはなく、ぐぅ、とお腹が鳴った。

 ――静璃のお腹が。


 一段目にタケノコご飯。二段目に筑前煮。三段目は揚げ物づくしで、タケノコのてんぷら、素揚げ、かき揚げ、大葉包み揚げ。四段目と五段目はおかず。シナチク風タケノコ炒めに若竹煮、鶏肉とタケノコの煮物、タケノコステーキ、チンジャオロース、タケノコの肉巻き、辛子漬。


 徹頭徹尾タケノコの使用にこだわった、タケノコづくしの料理。

 早速静璃は取り皿に山のようにタケノコご飯を盛ってむさぼり始める。


「美味しい!」

「よかった。でも、最初からそんなペースで大丈夫?」

「だいじょーぶだいじょーぶ。私は今日というこの時のために、昨日の朝から何も食べてないからね」


 そんなことを胸を張って言わないでほしい。

 私が微妙な顔をしていると、歩が何かに気づいたように目を数度瞬かせる。


「……もしかして、今朝までずっと寝てた?」

「正解! よし、歩くんにはご褒美に三つ葉をあげよう」

「静璃ちゃんが好きじゃないだけでしょ」


 言いながらも、歩はまんざらでもなさそうに三つ葉を受け取る。多分静璃に頼られてうれしいんだろうなと分析をしていたら、鋭い目で睨まれた。


「さっさと食べれば?」

「そうだよ、食べなきゃ損だよ!」


 冷徹な声とハイテンションな声。

 めまいがしそうになるほどの落差に苦笑を返しながら、私もまた料理に手を伸ばす。


「……うん。冷めてもしっかり味が染みてる」


 昨日作って味をしみこませておいた煮物は野菜のうまみに満ちている。冷めたら味が落ちてしまわないかと心配だったてんぷらも、しっかりと油を切ったおかげか、あるいはタケノコの触感のおかげか、スナックのような感覚でパリパリと食べられる。


 あるいは、準備のために朝からエネルギーを使っていたことで、空腹というスパイスと環境が一層美味しく感じさせてくれているのかもしれない。


 周りで歓談とともにのんびりと食事が進む中、私たちは奪い合うように夢中で食事を進めた。


 我に返ったのは、視界の端をひらひらと桜の花弁が散っているのに気づいた頃。その時にはすでにたくさんあったお重の中身の大部分が私たちの胃袋に収まっていた。


「幸せだねぇ」


 ソメイヨシノよりも赤みの強い桜を見上げながら、ほう、と静璃がため息を漏らす。

 花より団子な静璃が桜を眺めているというよりは、現実逃避気味に斜め上を見上げているといった様子だった。


 ポッコリと膨らんだお腹が、食べすぎを主張する。

 そういう私もまた、ややお腹が苦しくなるまで食べていた。


 多分、食べ盛り育ちざかりである歩の食べる勢いに影響されたのが原因じゃないかと思う。

 そんな歩はといえば、唯一の保育園児である舌足らずな女の子に連れられ、その言葉の意味を理解しようと首をひねっていた。


「……私も食べ過ぎたよ」

「水奈はあんまり食べてなかったよね?」

「静璃と歩に比べれば、ね。いつもよりかなり食べたと思うよ」

「そうかなぁ?」

「そうだよ。それに、静璃につられて食べ過ぎたんだから、静璃が原因でもあるんだよ?」


 歩の速度と、何よりも静璃があれも美味しいこれも美味しいと歓声を上げながら食べるものだから、うれしくなってついつい私も続いて箸を伸ばしてしまったのだ。


 ――なんて、そんなことを懇切丁寧に説明するなんて自爆でしかなくて、私は苦笑に留めて詳細を問う静璃に首を横に振る。


「大変な食べっぷりだったな」


 すがすがしい、とほほ笑む梶原さん。私に言われても平気そうだった静璃だけれど、梶原さんに食べ過ぎと言われるのは恥ずかしかったのか、だらりと足を延ばして後ろ手に体を支える体勢から姿勢を戻し、遠い目で桜を見上げながらつぶやく。


「……うん、きっと春の魔物の仕業だよ」


 春の魔物――なるほど、暖かくなった解放感だとか新年度の空気の熱量だとか、あるいはタケノコを始めとする春の恵みとか、強い誘惑には中々抗いがたい。


「そのフレーズ、気に入ってるの?」

「わたしは気づいちゃったんだよ。春の魔物のせいってことにしておけば、後悔せずに済むってね!」


 食べ過ぎは後悔すべきことだとか、ついさっきまで後悔していた気がするのだけれどとか、そういう言葉は飲み込んで。


「――それじゃあ、甘味タイムに突入だね!」


 いそいそと鞄をあさりだした静璃が容器を広げる。

 蓋の下から現れたのは、色とりどりの練り切り。


「梶原のオジーちゃんからもらった桜の塩漬けも練りこんであるよ! ほら、これ!」


 ウグイス、桜の花と葉、梅の花。

 美しい花々から漂う甘い香りの中には、なるほど、確かに桜のにおいが混じっていた。


 食べ過ぎたと話をしておいてすぐにこれか、と。

 早速一つ目に手を伸ばす静璃を横目に、私は梶原さんと顔を見合わせて肩をすくめる。


 いつの間にか戻って来ていた歩が手を伸ばし、私もまた、食べそびれないようにと一つ手に取る。


 白あんに桜の塩漬けのみじん切りを練りこんであるらしい桜の花を模した練り切りは、ほどよい甘味と塩味が満腹を忘れさせてくる。


「……なるほど。春の魔物、か」


 ざわざわと風に揺れる桜を見上げながら、桜餡の練り切りを手に梶原さんは感慨深くつぶやいた。


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