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夜の共演

 濃密な植物のにおい。踏みしめる足元から香る土のにおい。それらは深い森を思わせる。

 かさかさとこすれる竹の葉の音は止むことを知らない。

 視界は暗く、手元の懐中電灯一つではとてもではないけれど見通せない闇が周りに広がっていた。


 振り向けば、そこにもやっぱり闇がある。自分がどこから進んできたかもわからない。

 ざわざわと揺れる竹の音は、私をせせら笑っているよう。

 何より、ついさっき学校の方に見えた人魂のような光を思い出してしまって、懐中電灯に照らし出される枯れ葉の山や竹やタケノコ――に今は構ってられない――が作り出すいくつもの影が手の震えによって揺れ、こちらに迫っているような、私を呼んでいるような気がする。


 ようこそ、闇へ――


「べ、別に幽霊とかそんなのいないって。ここには竹林しか――」

「わたしもいるよ?」

「~~~~~ッ!?」


 ゆ、ユーレイ!?

 足がもつれるように前に転がりながら、現れた幽霊に向かって懐中電灯を突きつける。

 なんて頼りない。武器にもなりはしない。

 でもその光は確かに、相手の存在を闇の中に浮かび上がらせる。


 幽霊の正体見たり枯れ尾花。


「……静璃」

「びっくりしたぁー、いきなり大声出してどうしたの?」

「どうしたのはこっちのセリフだしそもそもどこから現れたの!?」

「どこからって、水奈の後ろから?」


 こんな時に限って常識人めいた返事なんていらない。

 涙目でにらめば、静璃は不思議そうな顔をしながら私に向かって手を伸ばす。


 つかんだその手は、土だらけの軍手に包まれていて、ひどくざらざらしていた。

 もっとも、地面に倒れた拍子に手をついて、私も手も汚れていたからお互い様なのだけれど。


「もう、脅かさないでよね」

「おどろかさないように声をかけたんだよ?」

「後ろから忍び足で近づいておいて? 懐中電灯も持っていなかったでしょ」

「へへ、実は電池が切れちゃったの。だから転ばないようにゆっくり歩いてたら光を見つけたんだよね」


 静璃は手の中に在る懐中電灯を振る。中で電池か何かがカタカタと音を立てる。

 ボタンを押してもそれは光らず、静璃は「やれやれだぜ」とでも言いたげに肩をすくめて鞄に懐中電灯をしまう。


 仕方ない。仕方ないと思おう。

 明かりが無ければ確かに慎重に歩くだろうし、目の前にちらつく光を前に、警戒しながら近づいてきてもおかしくは無い。


「よかったよ、水奈が来てくれて。どっちに行けば竹林から出られるかわからなかったもん。……でも、どうして来てくれたの?」

「……なんとなくだけど?」


 学校に見えた人魂のような光が怖くて逃げるように来たなんて恥ずかしくて言えない。光も無しに林をさまよっていた静璃に比べて、情けなさすぎる。結果的に静璃の役に立てたとしてもそれはそれ――


「あれ?」

「ん?」


 何かに気づいたらしい静璃が、竹林の先を見つめる。闇の中、懐中電灯の頼りない光に浮かび上がる竹。その先に、何か見えたのだろうか?

 光の届かない闇の先。そこを見通すことなんてできないし、だから静璃の勘違いのはず。


「猫でもいると思った? こんな暗闇じゃ何も見えないでしょ」

「ううん、見えたの……光が」


 光――脳裏をよぎったのは、さっき見た動く光。

 学校に見えたあれはたぶんと言うか間違いなく見回りの人の懐中電灯か何かだ。こんな深夜に人が学校の中を見まわっているとかわけがわからないしそんなことないと思うんだけど、多分間違いないと言うかそのはずであってほしいというか。


「き、気のせいじゃない?」

「そうかなぁ……確かに見えた気がするけどなぁ」


 あからさまに震える声に静璃がツッコミを入れてくることは無かった。ただ、確かに見たはずなのにと、目を皿にして闇の奥を見つめる。


 ざわざわと竹林が揺れる。葉が、枝がぶつかり、音がいくつにも重なる。

 笑っている。嘲笑っている。せせら笑っている。

 闇が迫る。懐中電灯の光がカタカタと揺れる。体が震える。


 ガサ――大きく枯れ葉が音を立てる。

 振り向いた先――竹林の先、一条の光が空間を走り抜けた。


「ひゃ!?」

「わ!? 水奈、苦しいよ」


 頼みの綱の懐中電灯さえ放り出して、私は静璃に抱き着く。ふわふわの体。確かなぬくもり。

 その肩口に顔をうずめれば、恐怖も不安も少しずつ和らいでいく。

 今のはきっと目の錯覚だ。懐中電灯が照らしている場所から真っ暗なところに視線を動かして、その明暗の落差に目が錯覚を起こしたんだきっとそうだ――


「採れたかい?」


 静璃の声じゃない。低い声。この場で聞こえるはずのない声――幽霊!


「ぎゃあああああああッ」

「耳!!?」


 喉が張り裂けるほどに悲鳴を上げれば、腕の中の静璃がおかしな声を漏らした。





「うー、まだ耳がキーンってするよぉ」

「もう、ごめんって」


 耳元で叫ばれた静璃が頭を振り振り、片耳を押さえてふらふらとややおぼつかない足取りで竹林を進む。


「すまなかったなぁ。まさかあれほど驚かれるとは」


 私たちの後ろ、おじいちゃんがペチンと額を叩く。


「梶原のオジーちゃん、イメチェンした?」

「ちょ、静璃!?」


 強力なライトを手にした幽霊――ではなくこの竹林の所有者である梶原さんに、まるで往年の友人のように静璃は声をかける。

 そう、当たり前というかなんと言うか、深夜の竹林の中で私たちに声をかけてきたのは梶原さんだった。

 何でも悲鳴が聞こえて様子を見に来たのだとか……ってそれもしかしなくても私の悲鳴ですよね心肺かけて本当申し訳ないですでもできれば聞こえなかったことにしていただけると嬉しかったというか恥ずかしくなかったというか……。


 コンプレックスにつながりそうな言及を慌てて止めようとしてももう遅い。

 けれど幸いというか、梶原さんは怒った様子もなく、どこか楽し気にニィと笑う。なんだかその笑みは、いたずらを思いついた時の静璃の笑みに似ている気がした。


「おう。髪の後退が気になって、いっその事剃ってみたぞ。こいつは良いぞ。ハゲではなくスキンヘッドだと胸を張って宣言できる」


 昔はそこそこ髪があった気がする梶原さんは髪の毛をきれいに剃り上げていて、だからこそ最初に見たときに梶原さんに見えなかったしむしろ怖い人にしか見えなくてさらに悲鳴を上げかけた。


「なるほどスキンヘッドはおしゃれなんだね」

「おう、俺はおしゃれさんになったのさ」


 なぜだか意気投合した様子の二人はスキンヘッドについて語りだす。すっかり話についていけず、手持無沙汰のままにとりあえず近くの地面を足でガシガシと踏みしだく。

 何しろ私たちは今日、タケノコ掘りに来ているのだから。


「ねぇ水奈ぁー、わたしもスキンヘッドにしようかな?」

「絶対やめてってていうか何を考えたらそんな発想になるの!?」


 スキンヘッドの静璃――私の天使が髪をそり上げ、胸を張って「スキンヘッドだぜ」と宣言する――どうしよう、噴き出す未来しか想像できない。


「……笑いそうだからやめて」

「えー、カッコイイかと思ったのに」

「笑いそうなモンなのか? やっぱりハゲのコンプレックス隠しにスキンヘッドにしたのは間違いだったのかいやだが少ない前髪でどうにか生え際をごまかそうと格闘することに比べればこうすがすがしさというか老いに逆らわずにありのままをさらけ出す自然さこそがいいと言うか……」

「あ、梶原さんは似合ってますよ!? ただその、静璃が髪を剃っている姿を想像したら笑えてきて……」


 頬を膨らませた静璃がぽかぽかと叩いてくる。

 笑いながら静璃に謝っている間に、梶原さんも心を落ち着けたようでどこか眩しそうに目を細めて私たちを見ていた。


「変わらず仲がいいんだな。静璃ちゃん、彼女を大事にしなよ。何しろ深夜のタケノコ掘りに付き合ってくれる、まさに竹馬の友なわけだからな」


 うまいこと言った、というどや顔はさておき、確かに私以外にここまで付き合いのいい友人はいないだろう。つまり私たちはまあ、いわゆる親友という関係といえるのだろう。


「まあ、深夜に突撃してきた静璃と一緒にいきなりのタケノコ掘りにつきあうのは私くらいでしょうね」

「ん? ……もしかして、当日いきなり?」

「はい、つい一時間前くらい? に知りました」


 それはまた、と絶句したというか、心なしか引いているように見える梶原さんの反応が痛い。別に可哀そうじゃないですよ? 静璃だからとあきらめてはいますけど、こう、静璃に振り回されるのもそれはそれで悪くないというか自分だけだったら絶対にできなかったであろう経験ができるからこれはこれで楽しいんですから。


「もしかして、メーワクだった?」

「深夜に突撃してくるのはやめてほしいかな。おかげですっごく眠いし」

「……わかった、これからは朝に突撃するね」


 突撃はやめないのかとか朝って絶対に私が想定しているより数時間は早いよねとかいろいろ言いたいことはあったけれど、珍しく反省しているらしい静璃をこれ以上責めるのもどうかと思って言わないでおいた。

 多分こうして私が甘やかすから静璃の天然猪突猛進さが改善されないのかもしれないけれど、それもまた静璃らしさだからこれでいいのかもしれない。


「……そういえば、梶原のオジーちゃんはどうしてここにいるの?」

「多分私の悲鳴が聞こえた……んですよね?」

「んー、でも、そんなに聞こえるかなぁ? そもそも悲鳴がしてからオジーちゃんが来るまでが速すぎる気がするんだよね」


 過ぎたことを蒸し返さないでほしい。

 とはいえ静璃の疑問もまた気になるところではあった。静璃が後ろから声をかけてきて私が悲鳴を上げてから、梶原さんが来るまでに多分数分程度。

 悲鳴に気づいて起きて、駆け付けたにしては息が荒くなってもいないし、ツナギ姿というのは違和感がある。


「ああ……そろそろかな」


 そう言って、梶原さんはついてきなさいと告げると、返事を聞くよりも早く竹林の奥へと歩き出した。


 何が待っているのか、わくわくした様子で静璃が進む。そのさらに後ろで、私は梶原さんの懐中電灯を羨ましく思いながら見つめていた。

 強力な光は軽く五メートルほどの空間を明るく照らし出す。私の手元とは大違い。

 やや砂っぽい空気であるせいか、空気中で反射した懐中電灯の光が尾のように伸びて見える。それが、静璃が竹林の中で見た光の正体。


「ついたよ」


 梶原さんの足が止まる。わ、と静璃が歓声を上げる。

 私もまた、懐中電灯に照らされて闇の中に浮かび上がるそれを、息を飲んで見つめる。


 竹林の中にぽっかりと開いた空間。そこに、美しい桜が花開いていた。

 ざわざわと竹が揺れる。

 ひらりひらり。竹林を花弁が舞う。

 竹と桜の共演。そして、そんな両者に呼ばれたように、遥かな空で月が雲間から顔を見せる。


 梶原さんが、懐中電灯の明かりを消す。私もまた、闇の怖さも忘れて、自然と指がスイッチに伸びた。


 月と桜と竹。

 月光の中で踊る桜の花弁と竹の葉。照らし出された赤い花のかすかな香りが風に乗って運ばれてくる。


「……妻が好きな光景でね。これを見るために、この時間に来ていたんだよ」


 なるほど、惚れこむのもわかる美しい景色だった。

 数年前に亡くなったという梶原さんの奥さん。記憶にある彼女は、私たちや続く世代がサツマイモと獲得している様を、梶原さんと並んで眩しそうに眺めていた。


 ――二人はお子さんを望めなくて、だからこそ少しでも子どもたちのために何かを残したいと考えているそうなのよ。


 いつかのお母さんの言葉が、ふっと耳の奥によみがえる。

 子どもを持てなかった二人は、何を思いながら私たちを見ていたんだろう。何を思いながら、この桜と竹と月の共演を眺めていたのだろう。


 わかるのはただ、こうして肩を並べて、寄り添いながら見上げていただろうということ。

 そして奥さんが亡くなってからは、一人で――


 まさか。


 ちらと横を見る。

 梶原さんの横顔の手前。低い位置にある静璃の横顔は、ただきれいな光景を前に目を輝かせていた。

 花より団子な側面が強い静璃にも、この景色の美しさは何も手がつかなくなるくらいには響いているらしい。少なくとも、あれだけたくさん採ると宣言していたタケノコ掘りを再開しないくらいには。


 この神聖さすら感じる空気を壊さないように、心の中で問いかける。


 ――静璃は、この光景を梶原さんと一緒に見るために、今日ここへ来たの?


 でも、だったら私が居なくても。

 なんて、静璃はたぶん無邪気に「水奈にも見せたかったから」なんて言うのだろう。


 いつだって静璃は、彼女が見つけたいろいろな素晴らしいものを、私に共有してくれてきたから。


 月がかげる。ほう、と誰かが惜しむように、あるいは緊張の糸が切れたようにため息を漏らす。


「……うん、満足!」


 ずっこけそうになった。

 神聖さとか儚さとか、この場にあったあらゆる空気を吹き飛ばす静璃の元気さに、私と梶原さんは顔を見合わせて笑った。


「そうだね、静璃ちゃんたちは今日はタケノコを掘りに来たんだものな」

「たくさん掘るよ! そしてタケノコパーティーをするんだから」

「そりゃあいい。桜は過ぎてしまったけれど、桜の花の眺めながらたくさん食べないとな」

「花よりタケノコだもん!」


 さぁ行くぞ、と腕まくりをする静璃。

 俺も手伝おう、と懐中電灯を点け、けれど今一度何かを思い出すように桜の木を照らし出して眺める梶原さん。

 強力な明かりが長く空中に尾を引き、桜の枝の隙間を抜けて遥かな先へ――


「あ」

「水奈、どうしたの?」

「……何でもない」


 幽霊の正体見たり枯れ尾花。

 空中を泳ぐ光の筋。それは空の先、黒々とそびえる校舎の四階あたりまで伸びていた。

 そして多分、その窓に反射した光が――


 やっぱり幽霊なんていなかった。

 よし、と気合を入れて、私もまた勝負だと訴える静璃に負けないように、がさごそと枯れ葉を踏みしだき、タケノコを探して深夜の竹林の中をさまよいだした。


2024/6/11修正

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