春のメッセージ
お隣さんが回覧板を持ってきてくれた。
「それでね、玄関前に、生ゴミをまかれたんだって!」
回覧板はとんでもないご近所トラブルのお知らせであった。
「なにそれ、怖~いッ!」
「む~にゃんっ、うにゃ、にゃ!」
玄関先で、わたしと並んでちんと猫座りしている〈むぎちゃネコ〉(推定一歳くらいの雄のよく煮出した麦茶色っぽい茶トラ)は同時に感想をもらした。
このご町内の端っこには、有名なゴミ屋敷がある。
我が家からは遠すぎて見えないけどね。
そのゴミ屋敷の隣人たる向こう三軒両隣の方々が、あまりのひどい環境に耐えかね、ゴミ屋敷の主人にゴミの撤去を求めたそうだ。
するとゴミ屋敷の主人は大激怒。せっせと集めた大切な資源にして宝物をゴミ扱いするとはなんたる無礼と、大ゲンカに発展した。
そうしたら、よりにもよって燃えるゴミ収集日早朝、大量のゴミを各家の前にぶちまけられたという。
「ふだんでも雨の日や夏なんかは十軒先からでもわかるほどひどかったのに、そりゃもうえげつなくて、その界隈には鼻が曲がりそうな悪臭がたちこめてね、朝から警察が来るわ、市役所の人たちも来るわの大騒ぎだったわ。もう町内の努力だけじゃ埒があかないから、先月、両隣の人が市役所へ相談して、まずは指導・勧告してもらったわけ。でもあんのじょう拒否されちゃってね。片付ける意思なんてぜんぜん無いのが丸わかりよ。話し合いでは解決できないから、連絡をとれる親族もいないし、けっきょく市役所のほうで特殊清掃の業者を手配して、一週間後に強制撤去することになったんだって!」
回覧板に描いてある内容はすべてお隣さんが一息でしゃべってくれた。おかげで内容はすっかり頭に入った。
「なるほどー。この前、パトカーの音が何台もしていたのはそれだったんですね」
わたしは回覧板にうちのハンコを押して、そのまま次のお隣へ持って行ってもらった。
きっとそこでも回覧板は手渡されるついでに、その内容は一〇分弱でついでの世間話を交えながら、わかりやすく口頭説明されるであろう。
こういうのも、ご近所づきあいの醍醐味だよね。
「いややわあ、すっかり話し込んじゃって。じゃあね~、むぎちゃんも、最近は逃げずに顔を見せてくれるからうれしいわあ。ほな、どうも!」
「どうも~、ありがとうございました」
「むにゃ~おー」
一人と一匹でお隣さんを見送った、そんなありふれた日常の翌日。
我が家の玄関先に生ゴミがぶちまかれるなんて、誰が想像しただろう。
「ひどいなあ……」
でも、今日はゴミ収集日だ。
電信柱や近所の屋根上にはカラスがたくさん群れている。道の真ん中でひらひらしているものは引き裂かれてボロボロになったビニール袋だし……。
「これはカラスの仕業でまちがいないわね」
運が悪かったと思って掃除をした。
なのに、その次の日。
玄関先にカマキリの死骸が転がっていた。
ついでにカメムシ三匹も。
カメムシは臭い。
うちのむぎちゃも、ときどきお庭にいるカメムシをつんつん触っては臭くなり、「どうしよう、前足が臭うんだけど、なんで? なんとかして」とわたしに訴えてくる。
そのたびにお風呂へたたき込んで丸洗いしている。もう三回やった。これはもはや我が家の春の風物詩となるに違いない。猫だからしょーがないけど。
「やだな、どう見てもカマキリだ。やだやだ、こんなところで死なないでよ~」
ゴミ拾いに重宝している金属製のゴミ拾い用トングで潰さないようにそうっと挟み、玄関横に設置した外用ゴミ箱へ。
ここまではいい。
たまにはこんな偶然もあるだろう。
ところが、玄関先のゴミはそれで終わらなかったのである。
次の日、玄関先には大きなバッタの死骸が二匹転がっていた。その一歩前の道路には、ゴミが入っていたらしい破れたビニール袋と、台所のゴミとおぼしき野菜クズや食品の包装なんかの生ゴミが散乱していた。
「なんで?」
もしかして、これが噂に聞くご近所トラブルのいやがらせ?
バッタなんて……小学生のいたずらじゃあるまいし。
そもそもいまどきの小学生が、バッタなんて捕るかしら?
いやまあ、わたしでも子どもの頃はチョウチョやトンボとか、虫取りしたもんね。
よし、そういうことにしておこいう。
そうやって、なんとか自分を納得させた次の日……。
「とかげ……? いや、ヤモリか」
こんどは尻尾のちぎれたヤモリが転がっていた。
まあ、外にはいろいろいるものだし。
でもね、毎日出かけようとするたび、虫や爬虫類なんかの死骸がかならず玄関前に落ちているなんて、気持ちいいものじゃないんだよ~。
「これこれ、そこのむぎちゃくんや」
わたしは我が家の自宅警備員を呼んだ。
最近はすっかり野生を失い、家猫になりはてた元保護猫むぎちゃは、ときどき庭へ散歩に出る以外は、ず~~~~~~~…………と、家の中のパトロールと昼寝で忙しく過ごしている。
呼んでも来ないのがこの自宅警備員の特徴なので、こちらから彼の前へいく。
似たような状況の猫あるあるに、「ボールを取ってこい」の遊びがある。
あれは猫視点では「人間にボールを投げさせ、それをまた猫の前へ拾って持ってこさせるのを、猫が人間に躾る遊び」なので、わたしはときどきしかやらないようにしている。
「最近、玄関先に誰かが嫌がらせをしてるみたいなんだけど。きみ、カラスとかが来たら追い払えないの?」
カラスが犯人とも限らないが、むぎちゃはわたしよりはなわばりの環境に詳しいはず。
「うにゃ」
ちょっと首を傾げてわたしを見上げるむぎちゃネコ。
あーもー、かわいすぎて何も言えなくなるんだよな~。
「まあ、わかんないよね、猫なんだから」
気にしちゃダメだと、サラッと流しておいた、その翌日。
「なんなの、これは。ひどい……」
血だらけの土鳩の死骸が一羽、玄関先に転がっていた。首のところが変な角度にひん曲がっている。玄関横の前庭には、引き裂かれた濃灰色の羽がふわふわと散らばっていた。
さすがにどうしていいのかわからないので市役所へ連絡した。
すると、こういった小動物の死骸は、個人で燃えるゴミに出してくださいとの回答だった。その際は感染症の危険があるため、マスクや手袋をして、死骸には直接触らないようにしてくださいと。
市役所が引き取ってくれるのは、主に道路上で発見された野良の犬猫やそれ以上の大型動物の死体だけなんだそう。ハトやらスズメやらの野生動物は、引き取り対象外だそうである。
うちの自宅警備猫様は血だらけの土鳩を見ても動かなかった。
調理された餌に慣れた猫だからか、土鳩の死骸は食用に見えないらしい。
わたしの隣で土鳩の死骸を見下ろしながら、何がうれしいのか「うにゃ!」と目をキラキラさせ、わたしの顔を見上げるばかり。
まあ、喜び勇んで食べられても困るけど。野生生物は、病気の感染やら寄生虫の問題があるからねー。その一方で、野生の本能がここまで無くなっちゃったら、猫としてだいじょうぶなのだろうか、とも思う。
そして、スプラッタで哀れな土鳩を片付けて、やれやれと安心した午後。
夕食の買い物に行こうと玄関を出たとたん、足が止まった。
玄関先に白っぽい紐状の物体が!?
「でっかいミミズ――?」
よく見たら、ミミズじゃない。
「小さい蛇やん……」
この辺りだって自然が残る場所はあるから蛇がいたってちっともおかしくないんだが、
「なんで蛇が……」
うちの玄関先で死んでいるのか。
全体的にうろこが青味がかっているからアオダイショウという蛇かもしれない。
いや、問題は蛇の種類ではない。
毎日、違う種類のゴミが玄関に――もとい、小さな生き物の死骸が、必ずあるなんて偶然は、そうあるもんじゃないわよね……。
そして今朝は、白い子ネズミの死骸が三匹。
もう悲鳴は出ない。なんなら驚きすらしないよ。
「そろそろ警察に言うべきか……」
毎日、我が家の前には何かの死骸が置かれているんです……と。でも、こんなの対処してもらえるかなあ。
「うーん、ご近所トラブルなんて身に覚えが無いんだけど……」
その日一日もやもやした気持ちを抱えつつ過ごした翌日。
こんどは薄茶色の毛皮をした長い胴体の生き物が転がっていた。小柄な猫並みの大きさだ。
「これって、イタチだよね……?」
イタチが口から血を吐いてご臨終していたのである。
さすがに驚いて、速攻で保健所へ連絡したら、イタチはすんなり引き取ってもらえた。
なんか置かれるサイズがだんだん大きくなっているような……。
そして本日は、ぷよんとした黒い塊。
よく見たらそれは三つで、一つ一つに小っちゃい手足が付いている。昨日のイタチよりも小さな動物三匹だ!
「え、なにこれ、きもちわる……」
とはいえ、玄関先にあるから逃げ出すわけにもいかず、スマホで写真を撮って写真検索してみたら……。
「モグラ? これ、モグラなの?」
うわあ、初めて本物を見た!
こんなに小っちゃいなんて驚きだ。
この近所には広めの庭とか畑もあるから、どっかにモグラがいても不思議はないけど。
わたしのイメージ的にモグラは、もっと大きな生き物という感じで……そう、その辺をほっつき歩いているふつうの飼い猫くらいの大きさだと思い込んでいた。
いや、問題はそこじゃない。と、自分で自分に突っ込みをいれるわたし。
「モグラが三匹、どうしてうちの玄関先で死んでるのよ~!?」
イタチより小さいモグラは、引き取ってもらえるかと市役所へ連絡してみたら、うちの自治区では引き取ってもらえるとのこと。
しょっちゅう連絡するもんだから、すっかりなじみになった市役所の職員さんに来てもらい、昇天済みのモグラを無事引き取ってもらった。
「あの、猫を飼われているんですよね?」
帰りぎわに職員さんは、わたしの横におとなしくたたずんでいるむぎちゃへ、ちらと視線を走らせた。
「その猫が狩りで獲ってきた獲物の可能性はありませんか? 猫は飼い主に獲物をプレゼントすることがあるそうですから」
そういや、そんな話をどこかで聞いたことがあったような。
たしか、猫が狩りの獲物のネズミを飼い主の枕元へ運んできて、飼い主は毎朝のように恐怖の悲鳴と共に目覚めるというなかなかホラーテイストなエピソードだった気がする。
「でも、この子、すでに野生が無いので、狩りはしないと思うんですよね。それに、この獲物が玄関に置かれていた時間帯って、わたしと一緒に寝ていたアリバイがあるんです」
そう、猫の狩りの獲物っぽいことは、わたしもうすうす気づいていた。
どう見たって、死骸の殺され方に動物同士の争いのあとが見えるもんね。
しかし、むぎちゃは容疑者からはずれているのだ。
深夜から早朝にかけて、むぎちゃは外出していない。夕方にはしっかり戸締まりをした。
むぎちゃは翌朝まで家の中に居た。
我が家の玄関扉と勝手口は用心のため、外へ直接出られる猫用ドアは付けていないのだ。むぎちゃはわたしが扉を開閉できる時間帯でしか、外へは出られないのである。
「ねえねえむぎちゃや。犯人はどこのどいつなのか、わからんかね?」
「にゃ」
むぎちゃはおざなりな返事を残し、ルーティンの昼寝をするため猫ベッドへ移動した。
「ちょっとちょっと、うちの警備隊長さん。なんのための毎日のパトロールなの? 朝は玄関先の鉢植えの裏側に始まり、二階へあがってベランダの柵の隙間から庭を見下ろし、さらに寝室の押し入れの奥までかかさずパトロールしてんのに、家の周りをウロつく怪しいやつにはぜんぜん気づかなかったの?」
そんなもの知りませんがな、とでもいいたげに尻尾が揺れている。
「むにゃ!?」
いきなりむぎちゃが頭を上げた。
窓の外に他所の猫が来ている。
顔が小さい。ほう、雌のキジトラ猫だな。
そういえばときどき庭に来るね。
そのたびにむぎちゃは「うにゃ、むにゃ、むにゃにゃにゃ~」と低い声を出していたな。
ガラス越しにアタックしてくるキジトラ猫に、むぎちゃも負けずにアタックし返してるし。
おかげで掃き出し窓のガラスは、内側も外側も、肉球模様の泥汚れがペタペタ付いて掃除がたいへんなんだよ。
「むぅ~……」
ふつうにニャーと言えないのがうちのむぎちゃの特徴だ。
わたしへ向いてもう一度「うにゃっ」って。何を言ってるのかな。縄張り争いのケンカの加勢を頼んでいるわけじゃないよね。対面して穏やかにおしゃべりしているし、じつは君たち、仲良しなんでしょ?
「にゃ」
キジトラ猫はガラス越しだけど、わたしへ何かを訴えているような……。
「う~ん、わかんないなあ。君たちはいったい何を言いたいのかな?」
真面目に話しかけていたら、ほんとに話が通じていると思われたのだろうか。
「にゃ!」
期待を込めたまなざしでわたしを見上げるキジトラ猫の後ろから、そろそろと小っこいキジトラ子猫が現れた。
うん、さっきからなんかいるなー、とは思っていたよ。
子猫は口になにかを咥えている。
ぽと。
小鳥が一羽、掃き出し窓の外へ置かれた。
顔が白っぽくてクチバシが黒い小さな鳥。
これはムクドリだな。
ムクドリを置いた子猫が下がり、つぎの子猫が進み出る。
ポト。
ぐったり伸びたスズメ一羽。
そして、最後の三匹目の子猫が置いたのは――
真っ白い、ネズミが一匹。
うわ、見た目が可愛い。でも、ネズミは猫の獲物だから仕方ないか。
親のキジトラが「にゃっ!」と短く鳴いた。
「え? 何を言いたいのだ、君は?」
キジトラ猫は獲物三匹を見て、私の顔を見上げた。
これってまさか――――わたしへの、おみやげなの!?
わたしは開いた口が塞がらなかった。
「まさか、嫌がらせだと思っていた真犯人は、君たちだったのか?」
猫たちはつぶらな目でじっと見ている。
見られている。
見つめている!
あかん、四匹の目力に負けそうだ。(むぎちゃは目をつむっており、参加していなかった。さすがに飼い猫としての最低限のわきまえはあったようだ……)
「そんな目で見ないでよ~~~~」
で、どうしたかというと。
幼気な子猫から、貢ぎ物までもらっては致し方ない。
その場でキジトラの親猫と子猫三匹を保護した。――というか、わたしがにらめっこに負けた時点で掃き出し窓を開けたら、母子は堂々たる足取りで家の中へ入ってきた。
うちの猫になる気満々である。
それならそれでかまわないから、急いで純水仕様のウェットティッシュで足を拭かせてもらったけど。
こうして、むぎちゃとキジトラ猫たちは同じ家の猫となった。
毎日毎日、仲良くよりそい、昼間は昼寝を、夜はぐっすり眠っている。
子猫たちはむぎちゃの子ではないと思う。やんちゃざかりの子猫たちは生後五ヶ月くらいだ。むぎちゃがNPOに保護されて去勢手術を受けたのはそれより前だったはずだから。
それにしても――――……。
どうしてむぎちゃが我が家の庭で、子猫たちに狩りを教えているのだろう。
あ、べつにむぎちゃが子猫たちに狩りの仕方を教えるのはかまわないんだよ。
バッタ、クモ、トカゲ、ネズミ。
みんな、獲るのがすごく上手だね。
でも、クモとヤモリが獲れても、わたしの膝元まで持って来なくて良いからね。
――……そうだよね。生後半年足らずの子猫が土鳩やイタチなんて大物を狩れるわけがないんだ。モグラだって、誰かが教えないと土の中にいるんだもの。
じゃあ、お母さん猫かな。
あの獲物たちがかなりグチャグチャになっていたのは、母猫が獲ってきた獲物を子猫たちに与えて、狩りの練習をさせたあとだったから?……と、思いたいけど、こうして見ていると、お母さん猫は狩りが下手だわ。
ほら、またスズメを逃がした。
むぎちゃはまた成功したね。
わたしは今日の今日まで、きみが狩りの名人だなんてまったく知らなかったよ。
だってむぎちゃは、獲物を持って帰ってきたことなんて、無かったもの。
いつか一度だけ、お庭でふり向いたときハトの羽が口元に付いていたことがあったけど……。現物は庭のどこにも無かったし、たまたまそこらに落ちていた羽が一本、お口に付いただけだと………………。
「そうか、むぎちゃだったのか」
わたしは声に出して呟いていた。だからって、どうするわけでもないけど……。
でも、これ以上狩りで獲物を増やされても後始末に困る。
そろそろ皆、庭から呼び戻そう。
わたしは台所へ、とびっきりの猫用おやつを取りにいった。
〈了〉