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1-6 孤児院

待てない作者の本日の連投六話目!

「エレナーレ様!!!」


 数日後。慌てたように私の所へやってきた士官と共に訪れた孤児院では、悲壮感でいっぱいの院長が、薄くなった白髪を更に白くしてしまったかのような表情で私を迎え入れてくれた。


 王都の孤児院にはたくさんの子どもたちがいる。数年前に流行病で親を亡くした者も多く、成長に伴って昨年拡張工事をしたばかりの建屋は、今日も子どもたちの明るい笑顔に満ちているけれど。


 院長に通された応接間は、それとは真逆に深く悲しみに沈んでいた。


「……昨日、突然ロメリア様がいらっしゃって、孤児院への支援を打ち切ると……」


「…………理由は何と言っていましたか」


「手足があるのだから、子供も老人も働いて税を収めよと」


「…………」


 院長は顔を歪めながら、痩せた手をぐっと握りしめた。


「やっと……やっと、エレナーレ様のご尽力で算術と文字の教育を全ての子どもたちへ施せるようになったのです。学びはこの子達の将来に直結します。今児童労働をさせれば、この子達の未来は暗いままだ。それが――なぜ、ご理解頂けないのか」


「院長……」


「私は、悔しいです。エレナーレ様を、彼の国へ差し出すなど……」


 血の滲むほど握りしめられたその手に、そっと手をのせる。ガサついた手。この手で、今までどれほどの苦労をしてきたのだろう。


「――数カ月分は、わたくしの私財で補填します。まずは、それでつなぎましょう。この先のことは……なにかできないか動いてみます。無駄かもしれませんが……」


「な、エレナーレ様の私財とは、」


「いいのです、貴方はまずはこの子達のために何ができるのかを考えて」


 そう伝えて微笑むと、院長は涙を浮かべて頷いた。それでいい。貴方が不安な顔をしていると、子供たちも不安に思うだろう。


 今戦うべきなのは貴方じゃない。私はさっとその場を後にし――父である皇帝の執務室へと赴いた。


「失礼します」


 重厚な扉の向こう。皇帝トラディスは大きな椅子にゆったりと腰掛け、上質な羽ペンを握っていた。


「お父様――いえ、陛下。王都の孤児院への支援が打ち切られておりますが、本当に宜しいのですか」


 父トラディスは、私に瓜二つの深い青色の目を私に向けた。その海の底のような瞳の中の感情を読み取れきれず、ごくりとつばを飲み込む。


 お父様は少し目を伏せて静かに息を吐き出すと、もう一度私の方にその青い目を向けた。


「――必要なことだ」


「必要な、こと?」


「お前は何もせず、見守っていたらいい」


 その言葉に目の前が真っ暗になるようだった。


 私の役目は、もうこの国では無い。そういう事なのだろう。


 手を握りしめ、父親の顔を睨みつける。耐えられない。そんな黒い思いが、私の心を満たしていくようだった。


「――少し、休め」


「これが休んでいられますか!」


 思わず声を荒らげた。なぜ、どうして。お父様はどうしてここまで変わってしまったのか。


 ――お母様が生きていた時。私達の距離は、もっと、近かったのに。


 怒りで震える息を吐き出す。それから、深々と頭を下げた。


「……大きな声を出し申し訳ございません。…………失礼します」


 もうこれ以上話すことは無い。そう、私はもう売られる身だ。それに、これ以上ここにいたら、父親に殴りかかりそうだった。


 くるりと背を向け、ドアノブに手をかける。


「エレナ」


 その声に、開きかけた扉が、ピタリと止まった。


 エレナ。そう呼ぶときは、皇帝ではなく、父親の時。そう、教えられてきた。


 ここは、公の場である、皇帝の執務室だ。初めて公の場所で呼ばれた父親からの愛称での呼びかけに、ほんの少し振り返る。


 少しの沈黙が、その場に流れた。


「……いや、…………悪かった」


 その声に父親の顔を見るが、その表情は既に皇帝のそれに戻っていて、さらさらとペンを動かしていた。


 引き止めて悪かった、そういう意味なのだろう。


 私は諦めるようにもう一度頭を下げ、静かに部屋を出た。



 何もするな。そう言われてしまえば、もう私にできる事は何もない。


 ここ何週間も必死でやってきた災害の復興支援も、海外の来賓への対応も、孤児院の支援も、新しい政策への取り組みも。積み上げてきたものはすべて、この手を離れた。きっと社交界やお茶会へだって行けないだろう。


 いつもは背筋を伸ばして颯爽と歩く王宮の廊下。今日はそこに満ちる空気が重く感じて、歩みが進まない。


 ――分かっていたじゃないか。私は、国のために、民のために、この身を捧げるために、今生きている。


 この身でペリスの民とお兄様の命が救われるのなら、それでいいのだ。


「輿入れの準備は整いましたか、お姉様」


 その鈴の鳴るような軽やかな声に、歩みが止まった。


 廊下の先。今日も天女のように美しく着飾ったロメリアが、こちらに歩いてきていた。いつも一緒に政務をしていた女官が、青い顔でロメリアの後ろに控えている。女官に大丈夫、何も言うなと視線で訴えながら、ロメリアに向き直った。


「ごきげんよう。えぇ、お陰様でとても時間がありますからね。順調ですわ」


 本当は、何も手がつかなくて輿入れの準備など何一つできていないのだけど。ここで弱みを見せたら喜ばせるだけだと毅然とした態度で対応する。そんな私の様子に苛立ったのか、ロメリアは眉をピクリと動かすと、私をじっと見た。そんなロメリアを私もじっと見返す。


「……ロメリアこそ、私から引き継いだ仕事はどうですか?」


「……もちろん順調ですわ」


「そう…………」


 後ろの女官の様子を伺う。この雰囲気だと、恐らく今までとは異なる判断に、何かしら影響が出ているのだろう。私は心の中でため息を吐きながら、もう一度口を開いた。


「王都孤児院の支援を打ち切ったのはなぜですか?」


「税金を食うだけの下賤な者たちに施しを与える理由など無いでしょう」


 その言葉に思わずロメリアを睨みつける。ロメリアは感情を露わにした私に嬉しそうに微笑むと、勝ち誇ったように滑らかな頬に手を置いた。


「そのように弱い者に手を差し伸べてばかりだから、お姉様は蹴落とされるのですわ」


 クスクスと笑うその表情は、昼の日差しの中で天使のように愛らしいけれど。ロメリアが私に送る視線に、相容れないものを感じた。


「ねぇ、なぜ側妃の娘の――第二皇女の私が愛されて、第一皇女のお姉様は愛されないのかしら」


 ――愛されない。その言葉が、胸をえぐる。


 美しいロメリア。冷たい印象の、つまらない私。それは、子供の頃からずっと、変わらない。


「愛されるように振る舞うこと。美しくあること。己の身を立たせること。お姉様は、どうしてそれをしないの?」


 カツカツと硬質な靴の音を立てて私に近づいたロメリアは、私の耳元でそっと囁いた。


「だから、お姉様は敵国に売られるのよ。――アレクシス殿下からも、きっともう連絡は来ないわ」


 その言葉にハッとして真横にあったロメリアの顔を見た。


 ロメリアは、美しい表情で微笑んだ。


「エランティーヌ王国へ宛てた正式なお手紙で、きちんと知らせておいたわ。お姉様はもう、敵国のドメルティス帝国へ嫁ぐって。だから――『お相手』が必要でしたら、わたくしにご連絡をと、そう伝えています」


「コ……コンラートは、どうしたの?」


「まぁ」


 クスクスと笑うロメリアは、やはりとても愛らしいけれど。きっとロメリアの返答は受け入れられない。その直感だけがあった。


 ロメリアは、軽やかに鈴のような声で答えた。


「わたくしはより高みへ登る。当たり前でしょう?」


 クスクスと笑う声が、昼下がりの穏やかな空気を汚すように溶けていく。私は、耳を塞ぎたくなる思いで、ロメリアの声を聞いた。


「大丈夫、このままアレクシス殿下がわたくしを求めてくださるなら――今度こそ、わたくしが嫁ぎますわ」


 そう言うと、ロメリアはふわりと美しいレースのドレスの生地をゆらめかせ、妖精が舞うようにその場から立ち去っていった。


 誰もいなくなった廊下で、思わず口を塞ぐ。何かを体が拒絶しているようだった。身体が怒りや悲しみに似た感情で震える。


 チャリ、と胸元で音がした。


 はっとして、胸元を抑える。


 ――僕が君をもらうよ


 その言葉が不意に頭をよぎり、思わず服の中のペンダントトップを握りしめた。


「――アレ、ク」


 小さく呟いた私の声はあまりにも弱々しくて。気持ち悪いほどに穏やかな昼下がりの日差しの中で、ぬるい紅茶の湯気のように儚く消えていった。

読んでいただいてありがとうございました!


エレナがもっとしょぼんとしてしまった……

「アレクがロメリアに陥落するわけないだろう!!!」と拳を握りしめてくださった優しい読者様も、

「お父様……?」と首を傾げてくださった深読み派のあなたも、

いいねブクマご評価ご感想なんでもいいので応援していただけると嬉しいです!

また遊びに来てください!

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