1-4 悪友
それ以来、私達は時々下町で会うようになった。特に約束をしているわけじゃないけれど、この国にアレクシス殿下が来ると分かった時には、なんとなく下町のあの飲み屋に行くようになった。
アレクに会えるかなと思って飲み屋へ行くと、毎回アレクはカウンターの隅の席にいて、先に樽の器でお酒を飲んでいた。そして、私に気づくと、王子スマイルとは違う気の抜けた笑顔で笑って、やぁ、と挨拶をするように軽く酒の器を上げた。
一緒に常連客に混じりながら安い酒を飲み交わし、何でもないような会話をする。夜も更けてみんなが酔い潰れて寝てしまった後は、小さな声で難しい話もした。二番目の王子であるアレクだが、その知識や人間性の深さは、王の資質があるように感じる。そう褒めたこともあった。
だけど、アレクは、僕は王にはならないよと言った。自分の結婚相手は、おそらくこの後新しく見つかる聖女になる。第二王子であるアレクには、既に政略のため、その未来の相手は決まっているのだ。
まだ見ぬ聖女との婚姻。そして、聖女は王妃にはなれない。だから、王にはならず、聖女と国を繋ぐ役割――いわば、飾り物となるのが自分の役割だ。
アレクはこの話をする度に、面倒くさいなぁ、まぁ、しょうがないよねと呟いて、諦めたように笑い飛ばしながら、ぐいっとお酒を飲み干すのだった。
政略結婚。王家に生まれた私達に待ち受ける未来は、国のためにある。
そんな事、ずっと小さい頃から知っている。
そう言って、ほんと、しょうがないわよねぇとアレクと同じように笑い飛ばすと、アレクは空っぽになった酒瓶を転がしながら、ぽつりと言った。
「――いっそ、酒に酔えたら良かったのにな」
「ふふ、なにそれ?」
「少しの粗相ぐらい許されるかもしれないだろ」
「うーん、貴方の場合致命的なんじゃない?」
「……そうだね」
そう言ったアレクは、ちょっと寂しそうに笑いながら、隣に座る私の方を見た。
その碧い目が、あんまりにも綺麗で。
私はいつも、そっと視線を外すのだった。
騒がしい下町の酒場。安い酒。油っぽい料理と、無精髭を生やした男どもの、混ざりあった匂い。美しくない服を着て、砕けた物言いをするこの場所は、私達にとって自由に息をできる場所だったけれど。
私達の間には、高い壁がある。いつしかそれを、痛いほど感じるようになっていた。
「――そろそろ帰ろうか。もう朝だ」
「そうだね、またやっちゃったわね」
「じゃあ、また城で」
そう言うと、アレクはいつものように眠った大将の腕の下に札束を挟んで、キラキラの王子様に戻るために店を出ていくのだった。
分かってる。私達の未来は、国のため。それぞれの責務を果たさねばならない。アレクは、第二王子として、まだ見ぬ聖女と国を繋げるために。そして私は、第一皇女として、国のためになる方に、この身を捧げねばならない。
その日、再び夜会で会ったアレクと踊りながら、私は『とんだ悪友ね』と、アレクのことを悪友呼ばわりした。
悪友。そう、私達は友人だ。
それは、私が自分自身に言い聞かせるために選んだ言葉だったのかもしれない。
アレクを友と呼んだ私に、アレクは何故か困ったような、少し寂しそうな笑顔を向けて小さく呟いた。
――ほんと、困った友人だよ。
そうしていつも通り行儀よくお辞儀をして再び顔を上げたアレクの表情は、いつも通り、綺麗な第二王子の顔だった。
下町に入り浸る王子。きっとアレクも、がんじがらめの王族であることに、窮屈な思いを持っているのだろう。
だから、下町に入り浸る。
私達は、似た者同士の悪友だ。
それでも、きちんと王子としての役目を果たすアレクは、やっぱりちゃんとした王子だと思った。
そんな私達は、表向きは本当にただの国同士の親睦を深めるだけの間柄だった。
一年の感謝を送り合う、形式的なクリスマスカード。冬になると手元に届くそれは、どれも似たりよったりの内容で、上質な紙の上に貴族らしい挨拶と感謝の文字が並ぶ。
エランティーヌ王国の、柔らかで優しげな紙の上。アレクの少し硬そうな、でも綺麗な文字が、皆と同じような形式的な挨拶を形取っている。カードの最後に書かれたアレクのサインは美しく流れるようで、何度も政務で書いている姿が思い浮かぶような滑らかさだった。
そのクリスマスカードの中に、飲み屋でやり取りするような気安さは無い。私はその内容を一瞥すると、もう一度封筒に戻し、他のクリスマスカードと一緒に束ねて、いつも通り保管用の箱にしまうのだった。
そうして、汚い飲み屋での友人として関わってきたけれど。
敵国の花嫁になる前に、もう一度だけ会いたかった。
今夜、奇跡的にその願いが叶った。だから、最後に、楽しく終わりたい。
私はもう一本、美味しそうな葡萄酒の瓶を開けると、ダバダバとコップに注ぎ、にこやかにアレクに差し出した。
「こうして一緒に飲めるのも、今日で最後かもしれないわね。ありがとう、アレク。楽しかったわ」
「……君は、それでいいの?」
「いいかって……しょうがないじゃない。それが皇族として生まれた私の務めよ」
「…………じゃあ、敵国の花嫁になるよりも、君の国のためになる相手であれば、そっちに嫁いでもいいよね」
「え?えぇ……まぁ、そういうことにはなるかもしれないけど……」
この状況で、突然そんな縁談が湧いて出てくるとは思えない。それに、敵国との問題――ペリスの民とお兄様の命運もあるのだ。彼らの尊い命を犠牲にする事はできない。
でも、もし、そんな縁談があるのなら。もし――貴方がその相手だったなら。
そんな夢物語のようなことが頭に浮かんだ。
そんな事、考えても辛いだけなのに。今日で最後だからと、少し感傷的になっているのかもしれない。
私はぐっと気持ちを飲み込んで、無理やり笑顔を作って葡萄酒の入ったコップを持ち上げた。
「――そういう事が、あったらいいわよね」
そうしてアレクの方に器を差し出した。
いつもなら、ここでカツンと二人の器が合さり、一緒にお酒を飲み干すのだけど。
アレクはその私が持ち上げた器を一瞥した後、自分の器ではなく、アレクの手を私の器にそっと添えた。
「アレク……?」
アレクは何も言わずに、私の手から酒の入った器を抜き取った。そして、何もなくなった私の手を、その綺麗な手でゆっくりと握った。
「――僕が君をもらうよ」
「…………え?」
「君がこのまま敵国の人質花嫁になるよりも、ずっといいだろう?国にもメリットがあるはずだ」
「え……待って、何言ってるの?」
うまく話が飲み込めず、困惑の表情でアレクを見返す。そんな上手い話が転がっているわけがない。そう警告する私の理性が、現実を見ろと頭の中で大暴れしている。
それなのに、アレクは、じっと私の目を真剣な眼差しで見つめた。
「僕は本気だ」
「ま、待ってよ、そんなことある?だって……」
「聖女のこと?聖女はもう他の男と結婚させたから大丈夫だよ」
「えっ……!?いや、でも」
「ペリスの民も、ドメルティス帝国も僕がなんとかするから安心して」
「なんとかするって……あなたにも立場っていうものがあるでしょう?そんな簡単なことじゃ、」
「簡単なことじゃない、でも不可能じゃない」
見たこともないほどの強さを孕んだ碧い瞳が、私を射抜くように見つめている。
まさか、本気だろうか。混乱と握られた手の温もりに、うまく思考がまとまらない。
ここで頷いたらどうなってしまうのだろう。アレクの国。私の国。それぞれの国に対して、私達がどれほどの影響力を持っているのか、アレクは分かっているはずだ。
――それに、私達は友人同士だ。
これは、友情の域を超えている。
私は淡い期待を掻き消すように、ぐっと息を飲み込んで俯いてから、ぽつりと言った。
「分かってる?私を貰うって、それって結婚するってことよ。――こんな悪友同士で、そんな気持ち起きないでしょう?」
「――――…………」
ぐ、と私の手を握るアレクの手に、力が入ったのが分かった。
図星、だろうか。それはそうだ、こんな汚い飲み屋に入り浸る、可愛らしさのない、お転婆だけが取り柄の、強くて頑丈な鉄の女。友にはなれても、そんな気は起きないだろう。
政略結婚であればいい。だけど、これは、違うのだ。あえてこんなに大きなリスクをアレクが背負う必要はないのだ。
「……エレナ」
もう一度きゅっと手を握られて息を飲む。顔をあげると、アレクは綺麗な碧い瞳で、私を見つめていた。
「――君がその気になってくれたら、なんの問題もないんだ」
「え?」
意図がわからず首を傾げると、アレクは何かをぐっと押し黙るように考えてから、もう一度強い視線で私を見た。
「……正直に答えて。敵国の人質花嫁になるのと、僕の妻になるの、どちらがいい?」
「そ、れは……」
ゴクリとつばを飲み込み視線を逸らす。そんなの、分かりきっているけれど。でも、言葉に出すのが怖かった。
――言葉に出してしまえば、自分の望みがはっきりと分かってしまう。それが、恐ろしかった。
「エレナ」
そのしっかりと通るような声に、はっと顔を上げる。
真面目な――いや、王の威厳を漂わせるような強い視線が、私を射抜いていた。
「――――答えて、エレナ」
「――っ、そんなの、アレクのほうがいいに決まってるでしょ!」
あまりの圧に思わず本音でそう答えてしまった。その自分の声が、胸をえぐるようだった。
「――分かった」
手を離したアレクは、ガタリと立ち上がった。慌てて自分も立ち上がる。
「っ待って、何する気!?」
「そうだね……どうしようかな」
アレクはまるで明日の予定を立てるように、爽やかな笑顔で首を傾げた。
「とりあえず、これ持ってて。無くすなよ」
「え?」
「じゃあ、そういうことで」
握らされた何かに気を取られてしまって。
は、と顔をあげると、そこにはもうアレクはいなかった。
「……なんなの……」
随分と早いお帰りに唖然としながら、再び手の中に視線を戻した。
そこには、ものすごく……ものすごーーーく美しい、エランティーヌ王国の王家の紋章が刻まれた、立派なネックレスが光り輝いていた。
「――――っはあぁぁぁ!???」
待て。待て待て待て待て待て待て!!!
これは!とても!!大事なやつ!!!
慌ててポケットにしまおうとして、いや、だめだ落としたら大変だと、オロオロしながら首にかけ、服の中に入れた。これなら万が一、いや億が一落としても絶対に絶対に絶対に気づくはず。いや私が安易に身に付けて良いものではないのだけど。背に腹は代えられない。
私は青くなりながら呆然と残りのお酒を飲み干し、きっちりとお会計をして、逃げるように城へ帰った。
「えっ早いお帰りですねエレナーレ様」
「マママリア、大変なの」
「どうなさいました!?そんなに慌てて……」
「こ、これ見て……」
マリアに立派なネックレスを見せると、マリアは目をパチパチとしたあと、ぱぁぁ、と顔を輝かせた。
「まぁ!素敵ですね!」
「いや、素敵とかじゃなくて!」
「頂いたのですか?」
「…………」
貰ったのか?いや、「持っていて」だった。
そう、アレクは『贈る』という意味で渡したんじゃないのだろう。危うく勘違いするところだった。そもそも本来これは――婚約者の女性へ、婚約の証として贈るものなのだから。
そう、今決めた事なのに、私の為に準備しているわけがないのだ。
きっと、なにかの為に持っていて、そして私に急遽渡してくれたのだろう。もしかしから、本来結婚するはずだった聖女のために既に準備されていた物かもしれない。
浮かれていた心が少し沈んで。なんとなく、紋章が輝くペンダントトップをキュッと握りしめた。
そんな私を静かに見守っていたマリアは、私を着替えさせながらいつものように優しく諭すように言った。
「既にエレナーレ様もお気づきの通り、そちらは恐らく紛失したら大変なものでございます。いずれにせよ、どこかへしまったりするよりも、こうして肌見放さず身に付けてらっしゃるのが一番だと思いますわ」
「えぇ……そうね。その方が、会った時にすぐお返しできるでしょうし」
そう言うと、マリアはキョトンとした顔をした。
「え、返されるのですか?」
「だ、だって!こんな影響力が大きすぎる物を私が持ち続けていたらだめでしょう!」
王家の紋章。それは、王家に名を連ねる者だけが扱うことを許されたものだ。特に貴金属や服飾のような身につけるものは、書類のような物と違って他人が持っていて良いものではない。この紋章を見せるだけで、エランティーヌ王国の名を使い、王子に準じた権力でかなりのことができてしまうのだから。
きらりと光るエランティーヌ王国の紋章を見つめる。冷静に働き始めた頭が、アレクに会って浮ついていた気持ちを、段々と落ち着かせていく。
アレクは、ドメルティス帝国の人質花嫁になる私を励まそうと渡してくれたのだろうけど。でも、どう考えても、『国を滅ぼす』というのは現実的ではなかった。
政略結婚。それは、本人の意志など関係が無い。ましてや、国を滅ぼすなど、そんなことが簡単にできるわけが無かった。
友人が人質花嫁になるのだ。アレクは、この悲惨な状況に、国を滅ぼすなどと言ってしまうぐらい怒ってくれたのだろう。本気で国を滅ぼそうとするはずがない。
ドメルティス帝国へ輿入れするのは、きっちり三週間後。すぐにこれを返すときが来る。それ以外に考えられなかった。
――僕が君をもらうよ
幻のようなアレクの声が、頭の中に甘く痺れるように響く。夢のようなそれは、きっと、夢なのだ。
「…………きちんとお返しできるように、大切に持っているわ」
そう微笑んだ私に、マリアは私を優しく見つめ、静かな笑みを返した。
「どちらにしろエレナーレ様がお持ちの間は身に付けておく以外にないでしょうから。とにかく大切に、ずっと身に付けていてくださいね」
そうして着替えた私の服を整え、胸元の服の中に首から下げたネックレスをしまわさせると、ニコリと笑った。
「さ、お疲れでしょう、お茶をお持ちしますね」
「えぇ、ありがとう……」
そのいつもと変わらぬ優しさに、なんだかホッとして。そして、色々あった今日の疲れが急にどっと押し寄せてきて。私はマリアがお茶を淹れる優しい音を聞きながら、微睡みの中に溶けるように目を閉じた。
読んでいただいてありがとうございました!
僕は本気らしいです。
「酔ったらどうしたかったのかしらねぇ」とニヤついたお友達になれそうな読者様も、
「えっまじでどうする気なの!?」とこの後の展開にドキドキして下さった素敵なあなたも、
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