1-22 陽だまりの庭
「ごきげんよう、お姉様」
穏やかな日差しが明るく照らす、昼下がりの皇族専用の庭園。瑞々しい緑と芳しい花々に囲まれたテーブルには、今日も天女のように美しいロメリアが微笑んでいた。
「招待ありがとう、ロメリア」
なんとも言えない気持ちを作り笑いの裏に隠し、にこやかに礼を言う。が、ロメリアの隣に寄り添う男にとっては、どんなに取り繕っても無意味なようだった。
「もう明日にはこの国を離れるというのに、随分な態度だな。君と最後の別れをしたいというロメリアの気持ちがわからないのか?」
なぜか偉そうに皇族の庭に居座るコンラートは、ロメリアの手を握ったまま、私に鋭い視線を投げかけた。
とにかく私を悪者に仕立てあげたいらしい。さっきの態度の何が悪かったのだろうか。心の中でため息を吐きつつ、外行きの笑顔を貼り付けたまま答える。
「ですから、明日はもう出国だというのにこうして茶会へと足を運んだのです。コンラートと会えるのも今日で最後で寂しいですわ。本当は、コンラートの婚約解消まで見届けたかったのですが」
「なっ――、」
「婚約?君はそこのロメリア姫と婚約者同士だったか?何故婚約を解消するんだ」
私の隣に座るザイアス殿下が、不思議そうに二人を見た。コンラートはハッと慌てたように握っていたロメリアの手を離した。
――何も言えないわよね。
ほとんど婚約解消の手続きは済んでいるものの、コンラートにはまだロメリアではない婚約者がいる状態だ。そもそも婚約解消の理由は、目の前のザイアス殿下とロメリアの政略結婚を避けるために犯した一夜の過ちだ。
ちらりとザイアス殿下を見る。可笑しそうにふたりを眺めている様子からすると、これは知っていてやっているようだった。やはり性格が悪いと思いつつ、今回はいいぞもっとやれと心の中で拳を振り上げる。
「ご無礼を申し訳ございません、ザイアス殿下」
うろたえるように青ざめていたエリザベス様が、小さな声でザイアス殿下に謝罪した。エリザベス様は、最近少しお痩せになったかもしれない。お年を召しても衰えないその儚い美しさに逆に心配になりつつ、ロメリアに視線を戻した。
ロメリアは少し悲しげに長いまつ毛に彩られた目を伏せた。
「わたくしに嫁ぐ資格が無く申し訳ございません。ただ、お姉様はこの国のことをよくご存知ですから、きっとドメルティス帝国と我が国との架け橋になってくださるはずですわ」
「なるほどな」
五名が囲む庭園の円卓に、ザイアス殿下の穏やかなようでいて、傲慢さを含む声が響く。
そっと視線を向けると、ザイアス殿下は私を横目で見てクク、と笑った。
「政に利用価値を見出すか、女として飼い殺しにするか、どちらともか。まだ悩んでいるが、どちらにしろ可愛がってやるよ」
「…………」
静かにザイアス殿下から視線を外す。
ドメルティス帝国の側妃は、基本的には後宮で皇帝を待ち、喜ばせるだけの存在だ。政治利用も匂わせているが、どちらにしろ妃の自由意志はない。そういうことだろう。
ドメルティス帝国へ行くのであれば、祖国のことを思い耐え忍びながら、この男に付き合うことになる。
「愛想のないエレナーレですが、きっとザイアス殿下の元であれば、教育しなおせるでしょうね」
にこやかに答えるコンラートは、またロメリアの手を握った。ロメリアは自分のもの。そう主張しているようだった。
その危うい行動に、私はもう一度ザイアス殿下の様子を窺った。
ザイアス殿下はニヤリと笑ってコンラートとロメリアを舐めるように見た。
「ロメリアは政への利用価値は無さそうだが、飼うには楽しいだろうな」
「え?えぇ……まぁ、そう、ですね……?」
「まぁ、好きにするといい」
混乱するコンラートを前に、尊大な態度のザイアス殿下の様子に違和感を覚える。
まるで、ロメリアをいつか手に入れるような、そんな言い方に聞こえた。
「……良いことでもありましたか、ザイアス殿下」
探るようにザイアス殿下に語りかける。ザイアス殿下は私のその言葉に一瞬目を瞬かせると、私の方に愉快だと言わんばかりの視線を向けた。
「そうだな。明日にはこの国の中枢を担ってきた女を手に入れられるんだ。女としての面白さがあるかは怪しいが、情報源としての価値と屈服させる面白さが味わえるのなら、機嫌が良くなっても仕方がないだろう?」
「わたくしが機密情報を全て話すと?」
「あぁ、抵抗しても、すぐに話すようになるさ――教えただろう?手段など幾らでもある」
嗜虐的に目を細めたザイアス殿下は、足を組み替えると薄笑いを浮かべて私を見た。
「お前も、覚悟を決めておいたほうがいいぞ。この間のように痛い思いをする前に、気持ちのよい段階で俺に服従したほうが身のためだ」
「…………」
「明日にはお前を貰い受ける約束だ。滞りなく準備をしておけよ」
その言葉を、何も言い返せずただ受け止める。
その未来は、もう明日だった。
「――レミエーナ様の墓前には、お別れをお伝えできましたか」
その声にハッと顔を向けた。
向かいの席に座るエリザベス様が、伏せ目がちに静かに私に問いかけていた。
「ならず者に墓前で襲われたと聞きました。……ゆっくりお別れできなかったのではと、心配していました」
か細い弱々しい声。その消え入そうな姿に、心を痛める。
お母様とエリザベス様の仲は、当時それなりに良かったはずだった。側妃と正妃という立場は、嫉妬や立場の強弱に翻弄され、関係性が悪くなることが多い。ただ、明るいお母様と控えめなエリザベス様の場合は、子供目線でだが、うまくいっていたように見えていた。
懐かしいあの頃を思い出しながら、エリザベス様に答える。
「ありがとうございます。一通りお祈りはできましたし、大丈夫です」
「そうですか……もう少し落ち着いてお別れができたら良かったのですが」
「お母様はもう随分前に亡くなっていますし。きっとどこへ行っても空から見守ってくださいますわ」
そう答えると、エリザベス様は穏やかな笑みを浮かべた。
「そうですね……きっとずっと見守ってくださるでしょう」
「下町まで足を伸ばす方だったようですし、本当にどこまでも見守ってくれそうですよね」
穏やかなエリザベス様の言葉に被せるように、ロメリアが棘のある言葉を私に投げかけてきた。
少しイラッとしながらも、口ごもる。
――余計なことを言えば、また命を狙われる可能性がある。
お母様を殺した犯人が誰かわからない今、誰から情報が漏れるか分からない。それに、目の前にはザイアス殿下もいる。
迂闊なことはできない。何が地雷なのかすら、分からないのだから。
「どうした、エレナーレ」
言い淀んだ私に、ザイアス殿下が問いかけた。その心の内を探るような声にひやりとする。
よく考えたら、私はお母様が『殺された』というのは知らなかったはすだ。今何も言わなかったことで、私がお母様が病死ではないと知っていることが、それを知る人には分かったかもしれない。
下手なことは言えないが、何も言わないわけにもいかない。背中に冷たい汗が滲む。
「あまりにも本当のこと過ぎて何言えないんでしょうね、エレナーレ様は」
言い淀んだ私に、嘲笑うような声が向けられた。その声の主のコンラートが、私を見下すようにニヤついている。
「大丈夫ですよ、エレナーレ様。卑しくも男より賢くあろうとし、常に男を見下すエレナーレ様は、この国では愛されなかったが――ドメルティス帝国では可愛がってもらえるようだ」
「…………」
「ザイアス殿下に感謝したほうがいいのでは?」
にやつくコンラートを、じっと見返す。
――助かった。
核心からずれた話題の展開に、ほっと胸をなでおろし、コンラートにツンとして強気な言葉を返す。
「感謝するにはまだ早いかもしれませんよ?ご承知の通り、わたくしの行いはすぐには正されないでしょうし、簡単には愛されませんから」
「……だから君は駄目なんだ」
コンラートが顔を歪ませる。
「何故俺たちの影に下がり、男を立てない?君が言い負かすから、周囲の男たちの威厳が傷つくのだ。男を立てるのも女の大事な仕事だろう」
そういえば、コンラートはこういう男だった。極端な男尊女卑。学園時代、同じ生徒会だった頃に、嫌というほど味わってきた。残念な過去を思いだしながら、静かに答える。
「……間違っていることは間違っていますし、女性の仕事は男性を立てることでもお飾りでもございません」
「そんなのではこの世はスムーズには回らないんだよ?」
「その根拠はどこに?」
「人の世として明らかだ」
意味がわからない。話題の転換には感謝するが、本当に苛立ってきて、コンラートに冷ややかな視線を送る。
四大貴族の子息コンラート。この人は本当にこのまま爵位を継ぐつもりなのだろうか。うんざりした気持ちが心を満たす。
「くく、この国はなかなかに愉快だな」
ザイアス殿下が可笑しそうに笑った。何が面白いのかと白けた視線をそちらへ向けようとして――それより前に、顎をつかまれグイッとザイアス殿下の方を向かされる。
近い距離で、ザイアス殿下が冷笑を私に向けていた。
「だが、覚悟しておけ。俺は女にも甘くはない」
「――っ、離し、」
「ドメルティス帝国では、女は『モノ』だ」
その酷く人を踏みにじるような言葉に、ザイアス殿下を睨みつける。
ザイアス殿下はそんな私を冷たく見下ろしながら、顎を掴む手に更に力を入れた。
「何度も言うが、お前は明日から俺の『モノ』だ。言うことを聞かなければ物理的にも痛い思いもさせる。犬のように躾はしてやるが、『モノ』らしく振る舞えるように今から心の準備をしておけ――その方が、結果的に幸せだろう?」
「……たとえ貴方の妻になったとしても、わたくしは人であることを諦めませんわ」
「諦めない、じゃない。諦める権利すらないんだ、お前には」
ザイアス殿下は暗い瞳に嗜虐をにじませ、すっとそれを細めた。
「犬のように主である俺に服従しろ。お前の人生は、明日から俺の『モノ』としての人生だ――」
「ちょっと、お待ち下さい」
ふざけないでと言おうとした時、ロメリアが不快だと言わんばかりの声を上げた。驚いて視界の端で呆然とロメリアを見る。
「お姉様は犬でもモノでもありませんよ?」
「……例えの話だ」
「例えだとしても意味がわかりません。ザイアス殿下はこのお姉様との婚姻に対して、『女としての喜びを躾けてやる』とおっしゃいましたよね?」
目の前でザイアス殿下の温度がぐんぐん下がっていくのが見える。鋭い視線がロメリアに注がれるが――ロメリアはまるでそんな視線などないように、呆れたように美しい顔を傾けた。
「お姉様はこれまで面白みのない政務ばかりの鉄の皇女として人生を歩んでまいりました。下手にどこかの国で使い捨てられ過労で倒れるより、ドメルティス帝国の側妃のほうが女性としての楽しみも覚えられると思ったのです。それを、奴隷のように犬やモノ扱いするとは、流石に我が国も黙っていませんわよ」
「……貴様、ペリスの民と第一皇子がどうなっても良いと言うのか」
「あら、寧ろザイアス殿下のお約束が違うのではなくて?わたくしたちはお姉様を妃として差し出しますが、『犬』や『奴隷』、ましてや『モノ』としてお渡しするわけじゃありませんよ?」
「ロ、ロメリア、ちょっと……」
慌てたようにロメリアに縋るコンラートに、ロメリアはうんざりした表情を向けた。
「コンラート様もですわ。お姉様を見下しておいて、結局ご自分は婚約解消すらままならず、爵位継承すら怪しいではないですか。本当に、口先ばかりで……これでは貴方に抱かれた意味がなくなってしまいますわ」
「なっ……」
「何を驚いているのです。浮気相手にどこまでの愛をお求めだったのですか?」
「な、何を、言って……」
「さっさと婚約解消して誠意を見せて頂けたら、この先のことももっと真剣に考えましたのに」
「っえ……え!?」
「とにかく」
ロメリアは美しい顔にいつもの強気な表情をのせて、真っ直ぐに立ち上がった。
「――お姉様は『妃』として嫁ぐ約束です。我が国としてはそれ相応の対応を求めますわ」
「…………」
「流石に我が国との関係まで反故にするわけにはいかないでしょう?」
毅然とした態度でロメリアが言い放った。驚きすぎて唖然としてロメリアを見上げる。
しばらくの沈黙。次いで、ザイアス殿下が突然笑い出した。
「なんですの、いきなり……」
「いや、悪い。あまりにも可笑しくてな」
一通り笑ったザイアス殿下は、上機嫌な笑みを浮かべながら、私とロメリアを交互に見た。
「とにかく、明日は約束の日だ。心の準備をしておくんだな」
そう言い放ったザイアス殿下は、変わらず機嫌が良くて。その笑みに、なにか背中にぞくりとした冷たさが走り抜けるように感じた。
読んでいただいてありがとうございました!
まさかのロメリアの反撃でした。
「なんか我が強すぎるけど微妙にいい奴なのか!?」とびっくりしてくれた素敵な読者様も、
「ちょっと待って」と読み返して鳥肌を立てた勘のいいあなたも、
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