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1-2 滅ぼそう

「エレナーレ様、お疲れ様でした。その……」


 仕えて長い侍女のマリアが、なんと声をかけようかと悩む様子で私の部屋のドアを開けてくれた。その心優しいマリアに苦笑いを返す。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。元から皇女として生まれ育ってきたのだもの。政略での婚姻なんて、小さい頃から覚悟済みよ」


「ですが……」


「あーもう、そんな顔しないの!」


 マリアの丸いほっぺたをつまんで伸ばす。マリアは大きな丸い目をぱちぱちとして、私を見上げた。


「マリアが元気ないと私まで元気なくなっちゃう。ね?いつもみたいに優しい笑顔みせてよ」


「っ、……はい、そうですね。承知しました、エレナ様」


 涙ぐみながら柔らかな顔で笑うマリアに、ニヤリと笑みを返す。そしてバサリと豪華なドレスを脱いだ。


「っていうことで、気晴らしに出かけてくるわ」


「はい、畏まりました。本日はこの後のご予定もございませんので、安心してお出かけ下さいませ」


「やった!ありがとうマリア!」


 そう言ってくたびれたワンピースに袖を通すと、適当に化粧を落とし、雑然と髪をまとめた。そしていつも通り、棚の上の古びたうさぎのぬいぐるみに、心の中で声をかける。


 ――行ってきます、お母様。


 そして、ひらりとバルコニーから飛び降りた。


 階下のバルコニーの手すり、ガゼボの屋根、手入れされた大きな木の枝を伝って、小屋の屋根の穴から中に入る。そして古びた帽子を被り、使い古した籠を持って裏の城門を出た。


 橙と藍色が西の空に混じり合う、夕暮れの終わり。夕闇が満ち始めた街道沿いには、キラキラと並ぶようにランプの明かりが輝き始めた。笑い声があふれる家々からは、幸せそうな食事の香りが立ち上がる。


 私は知っている。この一つ一つが、泣きたいほどに幸せな、大切な一時なのだ。突然明日には消えて無くなるかもしれない、奇跡のような、幸せ。


 そう、この幸せを守るために、私はいる。


 皇族の血。国と民の為に捧げるこの身。嵐に破壊され、他国に占領されたペリスから失われたこの幸せを――囚われた多くの民と兄の命を取り戻すため、この身を捧げることに、迷う気持ちはない。


 随分と会っていないお兄様だって、きっと助け出されるのを待っていることだろう。ご病気だってあるのだ。私の身一つでその命が助けられるのなら、それでいい。


 ちゃんと、納得している。理解もしている。それは、確かだ。それなのに、どうしても寂しさや悲しさが滲んでくる。


 立ち止まり、胸を抑える。


 知っている。分かっている。だから、今日だけ。


 思い出の場所で、一晩泣かせて欲しい。


 その場で少し呼吸を整える。目を閉じて、絞り出すように滲み出た涙を拭く。それから、亡き母と訪れた懐かしい手芸店の前を通り過ぎて、夜の下町の雑然とした路地裏へと入っていった。


 ごちゃごちゃとした道の片隅。その先に、煌々とランプを灯し、大きな樽をいくつも暗闇に浮かび上がらせた賑やかな飲み屋がある。


 私は気を持ち直したように、元気にその古びたドアを開けた。


「おぅ、エレナ!久しぶりだな!らっしゃい!」


「大将久しぶり〜!ちょっと忙しくて来るの遅くなっちゃった。はいこれ、補修頼まれてたエプロン」


「おぉありがてぇ!これ気に入ってたんだよな!一杯奢るわ。いつものでいいか?」


「やった!ありがとう!」


 満面の笑みで小さな樽でできた器を受け取る。


 なみなみと注がれた安い酒。気安い、顔なじみの常連たち。


 やっぱりここは元気になれるな。そう心のなかで呟いて、ほっと微笑みながら、定位置の長いカウンターの端の席に視線を向けた。


 そして、今日そこにいるはずのない男の姿を見つけて、思わず目を見開いた。


「アレク……」


 下町の場末の酒場で数年前に出会った、私の悪友。


 その男は私の姿を認めると、古びた旅装の帽子の下から、何度見ても美しい碧眼を嬉しそうに細めた。


「やぁエレナ。まさか今日いきなり会えるとは思わなかったよ」


 呆然とその声の主を眺める。アレクは、今日も旅装そのままの地味な格好だった。くたびれた帽子の下には、焦げ茶の髪。そんな姿に似つかわしくない美しい碧眼が私に向けられる。


「ちょっとエレナ、疲れ気味?早く座んなよ」


「うん……」


 促されるまま、いつも通り隣の席に座る。それから、整った唇からごくごくと酒を飲むアレクに視線を戻して、呆けたように口を開いた。


「なんで……今日いるの?来る予定あったっけ?」


「うーん、無かったけど、来ちゃった」


「そんなことしていいの!?」


「どうしてもここで飲みたくて」


「嘘でしょう!?」


「この酒をここで飲むのが旨いんだよ」


 機嫌よく笑う男につられて私も吹き出す。


 そんな気軽に飲みに出ていい人ではないのに。


「確かに大将のツマミを食べながらのこのお酒は最高だけど、その為にわざわざ国境越えたの?」


「まぁ……そういうことになるかな?」


「うそでしょう?」


「ほんと」


「待って、本当に無許可で来たの?」


「まさか。非公式だけどちゃんと上の人には許可取ったよ」


 そう言って笑うアレクは、今日もいつもと変わらない気楽な様子だった。その様子に、なんだかほっとして――同時に、きっともう会うことのできない自分の未来が余計にちらついて、胸が痛んだ。


 せっかく、会えたんだから。今日だけ。今日だけは、最後だから。


 ちゃんと話して、愚痴って泣いて、笑い飛ばして。


 そうして、最後のさよならをしよう。


 元々、結ばれることの無い人だったのだから。


 こっそり涙を飲み込んで酒を煽る。飲んでも酔わないこの体質が、今日ほど憎いと思ったことは無い。


 ――いっそ、酔えたら良かったのにな。


 昔、何かの時にアレクが言った言葉を思い出した。その言葉の背景は分からなかったけれど。きっと、飲んで忘れてしまいたいことでもあったんだろう。


 そう、今の私みたいに。


「エレナ?」


「――っあ、ごめんね?」


「なんだよ、ほんとに疲れてるんじゃない?」


 そう言ってからかうように私の顔を覗き込むアレクを苦笑いしながら見返した。


 うん、もう、一思いに終わらせてしまおう。


 私はそう思って、もう一口――いや、器の半分以上のお酒を飲み干してから、どんとカウンターに器を置いて、からりと笑いながらアレクに言った。


「ほんと、今日はアレクに会えてよかったわ。実は私、もうすぐ結婚するのよ」


「――――は?」


 目を見開き固まるアレクに、あぁ、こんな風にびっくりしてくれて良かったなと思う。こんなアレクの表情は見たことが無かった。私のような跳ねっ返り娘が結婚だなんて、意外だったのだろうか。


 なんだか可笑しくなってきて。私の結婚にこんなにびっくりしてくれたこの愛しい友人の顔をしっかり目に焼き付けて帰ろうと、少し潤みそうになる涙を必死に飲み込んで笑った。


「変な顔。そんなにびっくりした?」


「――――誰?」


「え?」


「相手、誰?」


 私の軽口には答えず、アレクはそのままの呆けたような顔で結婚する相手を問いかけてきた。


 現実を突きつけられるその問いに胸が痛み、思わずアレクから視線をそらす。


 そうしてもう一度酒を煽ってから、周りに聞こえないように静かに答えた。


「……敵国の……ドメルティス帝国の王太子、ザイアス殿下の八番目の側妃よ。側妃といっても、人質同然だから愛される生活は望めないだろうけど。まぁ、殺されはしないから。これで民とお兄様の命が守れるなら、安いものよ」


 そう笑い飛ばしてからアレクを見ると、アレクは真顔で――呆然と何かを考えるように、宙を見ていた。


「……アレク?」


 異常なその様子が心配になって、その顔を覗き込む。アレクは、その綺麗な碧眼を私の方へつ、と向けると、ゆっくりと美しい形の唇を動かした。


「――――滅ぼそう」


「は?」


「その国、滅ぼしてくる」


「え……待って待って、何言ってるのよ」


 アレクが言うと冗談では済まされない。恐ろしい冗談はやめてくれと思いながら慌てて突っ込んだが、慌てる私に対して、アレクは真顔のままだった。そのまま、もう一度綺麗な唇が動く。


「何って?その国が無くなれば君は人質花嫁なんて馬鹿げたものにならなくて済むだろう?」


「もう……何言ってるのよ。貴方が言うと冗談でも怖いから本当にやめて」


 きっと大切な飲み友達である私を励ましているんだろうけど。いくら親しい仲だとしても、冗談が過ぎる。


 まぁ、久しぶりのこの国で気持ちが高まっているのかもねと、無言で酒のおかわりを飲み干す友人の横顔を見た。


 見慣れたこの横顔。そう、三年程前、この悪友と出会ったのもこの場所だった。


 私は、その横顔に懐かしいあの出会いを思い出してしまって。


 何も言わなくなって一人酒を飲み始めた友人を放っておいて、私は懐かしいあの頃に思いを馳せ始めた。

読んでいただいてありがとうございました!


早速国を滅ぼす宣言の友人が現れました!

「何者?早く教えて!」と前のめりになってくださった素敵な神読者様も、

「アレクって!?もしかして!?」と察してくれた稀有で奇特な神読者様も、

いいねブクマご評価ご感想なんでもいいので応援していただけると嬉しいです!

また遊びに来てください!

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