1-13 対峙
その後、見かけ上、夜会はスムーズに進行していった。それもそのはず、肝心の主賓のザイアス殿下が消えたからだ。
さて、どこに行ったのか。私は知らぬ存ぜぬの表情を守り抜き、皇女の役目を果たしてさっさと帰り、気持ちよく湯浴みをした。
そんな、翌日の平和な午後。政務もなくのんびりと庭園を散歩し終えた私は、爽やかに宮殿を歩いていた。
夕暮れ前の、日が傾き始めた宮殿の廊下。燦々と西からの日差しが差し込み、その眩しさに柱の陰がくっきりと浮かび上がっている。
「おい」
その声にピタリと足を止める。
それから、そっと振り返った。
西日が照らす廊下の向こうから、不機嫌そうに眉をひそめたザイアス殿下がこちらへ歩いてきていた。
今から無視することもできないだろう。諦めつつ、澄ました顔でザイアス殿下のほうへ体を向ける。
「ごきげんよう、ザイアス殿下。いい天気ですね」
「いい天気、だと?ふざけるな。本当に機嫌が良いとでも思っているのか?」
カツカツと歩いて来たザイアス殿下が、私の腕を掴もうと乱暴に手を伸ばす。それをさっとかわしてザイアス殿下を睨みつけた。
「だから、女性の扱いを――っ、」
ドン!と胸ぐらを掴むように壁に押さえつけられた。痛みに顔を顰めている間に、両手を掴まれ壁に押さえつけられる。
「……これが俺の女の扱いだ」
低く冷たい、高圧的な声。自由を奪うその男を、睨みつけるように見上げる。でも、ザイアス殿下は冷えた視線を見下すように向けるだけで、一切怯まなかった。
「いいか――力があるものが正義だ」
底冷えするような言葉を低く紡ぎながら、ザイアス殿下は冷たい怒りに満ちた顔を近づけた。
「お前がどんなに酒が強かろうと、複雑な舞を完璧に踊ろうと、結局のところ、俺に抗うことは出来ない」
ギリ、と私の手首を掴む手に力が入り、痛みに顔を歪める。
でも、負けじとその顔を睨みつけた。
「――結局は暴力に訴えるしかないのですね……低俗な」
「結局それに抗えていないのがお前だ」
「そうでしょうか。身体の自由は奪えても、わたくしの心までは奪えないと思いますけど」
「さぁ、どうかな――手など幾らでもある」
ぐっと身体が密着し、耳元に吐息がかかる。あまりの近さに、ぞわりと鳥肌が立って、思わず目を瞑った。
「っふ、生娘が、何も知らないのだろう?」
「――っ、何を、」
「黙ってこうして俺に服従すればいい。そうすれば――」
突然、ガッと首にザイアス殿下の片手がかかり、首を締め付けられた。急に息を奪われて、かはっと声にならない声が出る。
「……そうすれば、こんな風に痛い思いをしなくて済む」
苦しい。その手から逃れようとザイアス殿下の手首に自由になった手を添えるが、うまく力が入らない。
ザイアス殿下は変わらず冷たい目で私を見下ろしている。
視界がチカチカしてよく分からない。
――怖い。
胸の中が恐怖のようなもので満たされ、涙が滲む。
霞む視界の向こう。ザイアス殿下がニヤリと笑った。
「いいか――よく覚えておけ」
もうだめだ。そう思ったところで、首にかけられた手の力が緩んだ。咳き込みながら必死で息を吸う。
「痛い目を見るというのは、こういうことだ」
ゆっくりとザイアス殿下の手が首から離れ、残った指先が首筋から下へ降りていく。その仕草に、強い拒否感を覚えたが、うまく動けない。
嗜虐的な笑みを浮かべるザイアス殿下が、息のかかるほど間近でささやく。
「痛い思いをする前に、俺に服従するのが身のためだろう?」
「――へぇ、本当にそんなに乱暴なやり方で服従させていたんだね」
その声にハッとして目を開いた。
西日が照らす、静かな廊下。
ザイアス殿下の向こう側に、王子の姿のアレクが立っていた。
エランティーヌ王国の、王家の紋章が刻まれたペリースマント。正統な王族の衣装を纏ったアレクは、下町で安い酒を飲んでいた男とは思えないほど、高貴で美しい。
だけど、痛いほど静かなその姿には、何かゾッとするような冷たいものが満ちていた。
「……また貴様か」
「やぁ、二日酔いは治った?」
にこやかに笑うアレクの声は、とても穏やかだったけど。
怖い。そう思わせる何かが、冷たい碧い目の向こう側に見えた気がした。
「外野は去れ。これは俺とこの女の問題だ」
「……そんな言い分で去ると思うの?」
アレクの目が、すっと細くなる。ザイアス殿下は苦々しい顔でアレクを睨みつけた。
「むしろお前がこんなに俺たちに干渉する理由などないだろう?」
「……あるよ」
そう静かに答えたアレクの声に、思わず息を呑む。ザイアス殿下はそれを聞いて、愉快に笑い出した。
「はっ、つまりお前らはそういう関係だと、そういうことか?」
にやりと笑うザイアス殿下は、これみよがしに私の頬を撫でた。
「残念だな……もうすぐ、俺のものだ」
その感触に、ゾッとして。アレクに見られるのが嫌で、思わず目をそらす。
静まる廊下。震える私の息遣いが、妙に大きく聞こえた。
「――――西の航路を止めるよ」
アレクは、静かにそう言った。驚いてアレクに再び視線を向ける。
先程とは違う、笑みを消した表情。それは、凪いでいるようで。その裏側に、恐ろしく冷たい怒りを孕んでいた。
「貴様……」
「ついでに東の街道も封鎖しようか」
その言葉に、ぞっと震え上がる。
西の航路。エランティーヌ王国にある大きな運河を含むその航路は、我が国とドメルティス帝国も使う重要な経由地点だ。
そこを閉じられれば、船の航路は大陸を大回りすることになる。時間がかかるだけではない――資金もかかれば、嵐に合い命を失う確率も上がる。そしてこれまで運べていた食材が傷むため、輸入していた一部の食料品が国に入らなくなる。もちろん輸出にも大きな影響が出る。
東の街道も、陸路のため航路に比べると傷は浅いが、それでも通行できなくなれば、重要な物資が手に入りにくくなる。
もしそうなれば、民が飢え始め、発展が止まり、国力がどんどん落ち込んでいく――つまり、かなり大きなダメージを、国で背負うことになるのだ。もちろん税収が減るエランティーヌ王国も痛手を負うが、通過できなくなった国はその比ではない。
ザイアス殿下は苦々しくアレクを睨みつけた。
「たかが一人の女に、そこまでする気か」
「……そうだね。そう思うのなら、今すぐその手を離せ」
「…………っくく、ははははは!」
ザイアス殿下が突如笑い始めた。その顔は嗜虐に歪んでいる。
「これはいい。なおさら、この女を屈服させる楽しみができたな。――いいだろう。約束の日まで、この女には手を出さない。お前も好きにするといい。ただし、俺のものになったら……大人しく指を咥えて見ているんだな、王子様」
ザイアス殿下は私を開放して身体を離すと、興味を無くしたようにさっさとどこかへ行ってしまった。
――助かった。思わず、膝の力が抜ける。
がくりと倒れ込む私を、アレクは何も言わずさっと支えた。
「っ、ごめ、ん……」
声が震える。
怖かった。それが、正直な気持ちだった。
アレクが来てくれなかったら。そう思うと、冷たいものが背中を伝った。
「アレク……ありがとう、たすけに、きてくれ――っ、」
言い終わらないうちに、アレクの腕の中に、強く抱きしめられた。
その暖かさと力強さに、思わず息を止める。
西陽が差し込む静かな廊下。そこで聞こえるのは、私とアレクの、二つの静かな息遣いだけだった。
読んでいただいてありがとうございました!
ガチギレのアレクでした。
「もう殴って良くない!?」と前のめりになって下さった読者様も、
「アレクの嫉妬心振り切れてない?」とワクワクドキドキしてきたあなたも、
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