ひとつの悪
「悪魔! 悪魔ッ!」とその老女は拳を固く握り締めた細い両腕を振り上げて言った。「あんたァアア、悪魔、悪魔だよッ! 出てけ出てけ、出てっとくれッ!」憎悪と愼恚と悲嘆と恐怖と威嚇と、敗北者の持ち得る様々なぎらついた激情が皺だらけの老いた顔面を歪ませ、その大きさを不安定に狂わせた。振り上げられた拳は、私が半ば反射的に後ずさって避けた為に私の胸には届かなかったが、尚も執拗に私を責め立てる老女の剣幕に押されて、私は止むを得ず彼女を宥めるのを断念し、せめてもの矜持としてこちらから暇を告げねばならなかった。
バタンと乱暴に閉められた扉の前からその場の出来事を強引に振り払う様に私は大股で歩き去ったが、何処に足を向けるでもなく、こんなにもいい天気で、折角久し振りに訪れたケルンの町だと云うのに、町の中を巡り歩いてみる気にもなれず、不気味な黙考で頭を一杯にした儘、足に歩みを任せた。暫くは私は混乱の直中に囚われていたが、やがて後悔と同情と義憤と反発と、そして様々な疑念と自己正当化が、重苦しく暗い色彩を描いて私の中で入り乱れて渦を巻き始めた。あの老女に真実を教えたのは、幾ら向こうから促されたとは謂え、或いはひょっとしたら誤りだったかも知れない。母親にしてみれば、「戦死」した息子が後ろ指を差されることの無い立派な男であったと信じたいのは当然のことなのだし、今更あの母親ひとりが真実を知ったところで、犠牲者達が生き返る訳でもなければ傷が癒える訳でもない。私が行ったのは単に、息子を喪ったとは謂えそれなりに納得されていた円満な老女の人生に瑕疵を付けることに他ならかなったのではないだろうか? 彼女の人生にとって、私は単なる破壊者としてしか現れなかったのではないだろうか? 老い先短い孤独な老人の悲しみを絶望へと変えさせる一体どんな権利が、私にあったと云うのだろう?
いやしかし、彼女の息子に破壊された人々の人生はどうなるのだろう? 私が彼女の人生を破壊したとすれば、彼女の息子はそれよりも更にもっと酷く悪辣な破壊をやってのけたのだ。その蛮行の愚かしさを赦すか赦さないかは、何時、誰が、どの様な状況下で行うのかが問題である、だが少なくともその愚かしさを忘れてしまう権利、忘却の彼方へと追い遣って顧みない権利、記憶を抹殺し過去を亡きものとし、意識の奥底へ仕舞い匿して風化させてしまう権利は、誰にも無い筈なのだし、無論私にも無い筈なのだ。私は単なる伝達者でしかない、だが私が伝達者である限り、伝達せられるべきことは確実に伝達されなければならないのだ。彼女の今の有様を考えれば、彼女が欲していた様な耳当たりの良い報告をすることも出来たかも知れない。だがその捏ち上げられた真実が何を犠牲にして築き上げられるものなのか、そのことを私は考えずにはおれないのだ。状況に拠依っては、人を思い遣って嘘を吐く場合もあろう、だがその嘘が隠蔽し黙らせてしまう真実の陰で涙を流し、呪っている人々のことはどう考えたら良いと云うのか?
悪魔、と彼女は私を呼んだ。確かに彼女にしてみれば、自らの生を善に、正に規定しようとする人の性からして、彼女の生に対する私は悪であり、彼女の生の完全さを損ない、嘲笑うものに他ならない。だがそれを言うならば彼女の息子もまた幾つもの人間の生の完全性を損ない、そして間接的にその周囲に居る人々、家族や友人や同じ共同体の人々の生の完全性を損なったのであり、消極的にであれ積極的にであれ、それを是として成り立つ生の完全性と云うものは、損なわれた方から見れば立派に一個の悪なのだ。悪として見られることが当人からしてみれば悪であり、悪として見ることがその相手から悪として見られることでもあるならば、この連鎖は延々と続くのであり、人々が互いに向ける眼差しがどれもそれぞれ己が独自の領域を持った相異なったものである以上、そうした悪の対立、それぞれの完全性同士の衝突は避けられぬものなのだ。それは突き詰めれば浅ましいエゴ同士のぶつかり合いに過ぎないのかも知れない、最終的に一義的な解答が用意されている訳でもなく、どうしたらそこに合意と対話が成り立つのか、その答えは簡単に出せるものではない、私の手に余る闘いが複雑に絡まり合い、不透明な気色の悪い背景を成して、即答を峻拒しているのだ。だがそれでも私にはどうしても我慢の出来ぬことがひとつだけある、どんな考えが出て来ようとも、その対立を先ず明らかにする努力を怠ってはいけない、と云うことだ。薄暗い湿った無言の了解の中でじわりじわりと朽ち果てて行くよりは、明晰な崩壊の中でその様を確と目に焼き付けていたい、そいしなければ気が済まないと云う止み難い衝動が義務感と成って私の行動を監視し、厳しく律しているのだ。これも私のエゴかと言われれば、成る程確かにそうかも知れない。だが我々の時代を暗く覆い尽くしたあの全体主義の萌芽や土壌と云ったものは翻ってみれば日常生活のあらゆる場面で普遍的に見受けられるものなのであり、それが時にどんな帰結を齎すことがあるのか、我々は既に歴史と云う名の教師によって嫌と云う程学んで来た筈なのだ。そしてその歴史を作り上げているのは我々人類が手にした最大にして最善の武器、言葉と文字なのであり、自らの思考や感性や行動に対する明確な自覚に他ならない。我々は後ろめたさに圧されてそれらを勝手に手放してはならないし、それらを有意義に活用する術を立ち止まらずに模索して行くより他に無いのだ。確かに、世界は闘争の場である。だがそれは入手可能な最大限に正確で余す所の無い事実に基付いた、最も耐え易いものでなくてはならない。そして我々は無知で傲岸な独裁者であるよりは、不平だらけの立法家であることを目指さなければならない。私は或る視点から見れば間違ったことをしたのかも知れない。だがそれは少なくとも私が私の人間としての良心と人類の一員としての責務を前にして取り得る、最善の選択肢だったのだ。これもやはり傲慢だろうか………。神の目から見れば、世界は完全なのかも知れない。だが我々人間は神ではないので、是として受け入れることの出来るものには自ずと限度がある。そしてそこから零れ落ちた数知れぬ余剰には羽根が生えて堕天使と、悪魔と成り、人間の目からは掬い切れなかったより広大な測り知れぬ神の暗い領域を飛び回り続ける。とすれば悪の発生は、全方位から見て十全に完全ならざる我々の世界の成立に伴う必然的な事態なのだろうか? そこから生じる闘争それ自体が、神の目から見れば予め計画された調和の裡に留まるものなのだろうか………?
取り留めも無く無数の想念達がそこまで流れた辺りで、気が付いてみると私は教会前の小さな広場に出ているのだった。冷たい風は吹いていたが昼前の日差しが暖かく、混雑する程ではないが人出はあって、その殆どが談笑したり日向ぼっこをしたりしていて、穏やかな賑やかさがあった。角の方の日溜まりの中に丁度御誂え向きのベンチがひとつ空いていたので、私は近くの屋台で場所を取られない内にと思って急いでハンバーガーをひとつ買うと、そこに腰を下ろした。ハンバーガーは固くパサついていて、具に入っていた小エビがやけに塩辛く、呑み込むまでに少々の努力を必要としたが、元々余り食欲の無かった私には、何故かそうして時間を掛けてゆっくりと噛み難い安物のハンバーガーをぱくついていることが、今の自分に似つかわしいことの様に思われた。何か飲み物が欲しかったな、と思ったが、日光の感触から離れるのがどうにも億劫になってしまって、私はそこでもしゃしゃと粗末な昼食を食べ続けた。口の中で唾液と混じり合って粘土の様に重くなったパンを転がし続けていると、今日私が真実を明かしたことで、また新たに、愚かで醜くみみっちい小悲劇が生み出されて行くかも知れないと云う想像が、具体的な幾つかの可能性と成って脳裏に渦巻いた。幾ら正当化によって自らを説得しようとしてもやはり澱の様に残ってしまう後悔と懐疑の念が、冷たい春の風に吹き流されもせずに、口の中にじっとりと残り続けた。
ふと動きがあったので手元に視線を落としてみると、食べ掛けのハンバーガーの上に、何処から遣って来たのか、蟻が一匹ちょこんと乗っかっていた。それはちょこまかと動く訳でもなく凝っとその場に足を留めた儘、上半身だけを忙しくあちこちへと動かしていたが、日の光を全身に一杯に浴びて動くその様は、神の造型の美事さを思い起こさせた。世界はこんなにも美しいのに、と私は、声に出さずに呟いた。美しい蟻はそんなことは知らぬ気に、元気一杯に高々と持ち上げた頭をきょろきょろと巡らせていた。