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おわりの山のゆうしゃ ほんとうのおくりもの

作者: さかなで

冬が止まらない。春が来ないのだ。それは恐ろしい前触れ。時が止まってしまったのだ。このままだと氷と死に覆いつくされてしまう。若者たちが世界樹に向かう。命を懸けて。そして勇者となるために。


  みすてられの谷  長老会議


「広場にはどれほど集まった?」


最長老のコムサが長いひげを伸ばした長老に聞いた。


「おおよそ百ほどでございます」


長いひげが自慢らしく、顎先からゆっくりと撫でおろすクマ族の長老はミデアといった。


「決して多くはないが、それだけ集まれば、勇者となるべき資格の者もおるやもしれぬ」


最長老のコムサはもったいぶった言い方をした。サル族の長でもあるコムサは、ほかの長老を見回すと、ふとあることに気がつく。


「ジムジは来ておらんのか?」


そう聞くと、集まった長老たちは困ったような顔をした。


「イヌ族の若者たちにさきほどからまれておりました。イヌ族はネコ族が嫌いなようで」


ウサギ族の長老ライサが目を伏せて言った。ウサギ族とて、イヌ族にはからまれたくない。しかし今日の会議は特別なのだ。この世界に生きる七族にとって、未来に関わる重要な問題を話し合う場に、感情や私情を挟むべきではないと思っている。


「最近のイヌ族の横暴には、困ったものがある」


そう言ったのはシカ族の長老のカミユだ。数こそ多いものの、年々領地をイヌ族に狭められているのだ。


「それは言いがかりというもの。クラヤミからお主たちを守ってやっているのはわれらだろう?」


イヌ族の長老、ベヌイットは不満そうに言った。


「自分たちのことも満足に守れないんじゃ、話にならんな」


まったくだ、とシシ族の長老ベンダはうなずいた。


「遅くなりました」


声をかけ、戸口からゆっくりと顔を出したネコ族の長老ジムジは何か所かの噛み傷を受けていた。それでも姿勢を正し、長老たちの席に着いた。


「全員そろったようじゃの。ではエーレンの神に祈りを捧げ、会議を始めるとしよう」


最長老のコムサが長い腕を上に伸ばし、祈りの姿勢をとった後、みなに宣言した。


「今年はもう夏なのに、神々の山々は雪も残り、しかも寒さはいや増してくる。伝承どおり、ついに世界樹の時が止まったようだ。恐らくあと数か月ののち、世界は氷と死が支配するだろう」


「三日前、居留地を捨て、水牛どもが南に逃げました」


シカ族カミユが忌々し気に報告した。


「先ほど報告があった。南に下った者どもは流砂と硝酸の海に阻まれ、飢えと渇きに狂い、そしてクラヤミに呑まれたとのことです」


ベヌイットがそう言うと、長老たちはさらに表情を歪めた。


「おわりの山に向かい、世界樹の時を動かす以外、われわれが生き残る術はない」


最長老のコムサは最早どうにも切羽詰まった顔で長老たちに言った。



この世界、『ケルート』は漆黒の黒曜石の上に、闇と光の神エーレンが七滴の乳をたらして出来上がった。命と成長の元となる世界樹を据えた後、それを硝酸の海に浮かべた。そのとき黒曜石の端がエーレンを傷つけた。滴る血がクラヤミになった。世界樹は森や水を育み、七滴の乳は七つの種族となってケルートは栄えた。気まぐれに襲来するクラヤミの恐怖におびえながらも。しかし何百年かに一度、世界樹の時が止まる。それはケルートの死を意味する。そのために七つの種族は力を合わせ世界樹の時を動かしに行く。苛酷な旅の末、世界樹の時を再び動かす。大きな犠牲を払いながら。それにより、彼らは勇者の称号を与えられる。神エーレンのおくりものとともに。



「広場のものたちに伝えよ。世界樹の時は止まった。ほろびの山に向かい、ふたたび時を動かすのだ、と」


広場にいた百の若者は勇んでほろびの山のある北の山脈に向かって行った。ほとんどが一族ごとにかたまり、周囲を警戒することを怠らないようにして行く。途中、恐ろしい森や沼、そして砂漠を超えていかなければならない。行く手には耐えがたい気候と恐ろしい虫や化け物、そしてクラヤミがいる。


長老たちは若者の無事と成功を祈りながら見送っている。しかし、広場にはまだ残っているものがいた。


身の置き所がなさそうに、広場のあちこちにポツンポツンと立っていて、みなうつむいている。戸惑う様子で最長老のコムサは声をかけた。


「おまえたちはどうしたのじゃ?」


声をかけられた者たちは最長老を見たが、何も言わず、ただ黙り込んでいるだけだった。


「あの者たちはデギたちなのです。仲間がいません」


ネコ族の長老ジムジが言った。少し同情した口ぶりだった。


デギとは一族の中でとくに弱かったり、強くても仲間と馴染めなかったり、そんなさまざまな事情で仲間外れになった者たちを指す言葉だ。


「ふん、どうせ足手まといにしかならぬな。もう帰れと言ってやれ」


そう言って最長老は戻ろうとしたとき、ジムジは意を決したように最長老に言った。


「お待ちください。さきほどイヌ族の若者に囲まれ乱暴を受けていたとき、彼らはわたしを助けてくれたのです」


「なんだと?」


コムサと他の長老は驚いたようにジムジを見た。信じられない、という顔つきだった。ジムジは事の始終を話し始めた。



みすてられの谷の広場にはもうすでに百ほどの若者が集まっていた。みなことの重大さと任務の重さに緊張し、興奮していた。成功すれば世界を救える。そして勇者の称号と、闇と光の神エーレンのおくりものがあると言われている。それは永遠の命だとか並外れた力だとか、ほかにも毎年食べきれないほどの実りや何でも理解でき知らないことのない湧き出でる知恵。


若者たちは蹶起した。そして舞い上がっていた。自分たちが世界を救うのだと。そして神のおくりものを享受するのだと。運悪く、イヌ族の群れに近づいたものがいた。神事の当番だったネコ族の長老ジムジが遅れて、長老会議の行われる議舎に向かって広場を横切ろうとしたときだった。


「おい、なんか遅れて不敬なやつが行くな」

「そうだな」

「不敬だな」


無視しようとしたが、イヌ族の若者たちに前を塞がれた。


「どいてくれ。神事があった。それは知っているだろう?急ぐのだ。道を開けてくれ」


「おんやぁ?われわれイヌ族に命令ですか?いつからネコごときがイヌ族に命令できるようになったんですかねえ?」

「命令などしていない。お願いをしているだけだ」

「お願いだと?それならお願いらしく態度もそれなりにしてくださいよ」


言いがかりをつけて徹底的にいたぶろうというのは目に見えていた。しかし今は世界の危機だ。そんなことを言っている暇はない。


「腹をさらせばいいんだな」


イヌでもネコでもサルでも、およそこの世界の者はルールに従っている。腹をさらすのは服従、叛意がない、無抵抗という意味だ。ジムジはプライドより世界の危機を憂いた。


「へええ、ネコ族の長老さんが俺たちに好きにされたいらしいぜ。こりゃあいい。みんな、牙を使う練習だ。こいつを噛み砕いてやれ」

 

跳ねっかえりのイヌ族の若者は勇んだ。常に強く、ケルートの中でもリーダーシップをとっているイヌ族の、ときたま起こす常軌を逸した行動をことごとく邪魔をするのは決まってこのネコ族だった。ネコ族と言っても大きく種類がある。ヤマネコなどは問題にならないほど弱いが、ヒョウやトラに至ってはイヌ族の猛者が何頭もかかっても一頭にはかなわない。ジムジはクロヒョウだ。


「さすがに長老はまずいだろう」


そう言うイヌ族の若者もいたが、あえて無視をした。


「きっとクラヤミの仕業になるさ」


そうイヌ族の若者のリーダーはうそぶいていた。


「へっへっへ」

「ひゃっひゃっひゃ」


イヌの群れが一頭のクロヒョウに襲いかかる。噛まれると痛そうに牙を向けるが、クロヒョウはそれ以上は抵抗しなかった。


終わりを覚悟したジムジの前に、ひとまわり小さな体のヤマネコが飛び出した。


「何をやっているっ、おまえら気は確かか?この方は長老だぞっ」


毛をさかなでて、威嚇するが、もとより群れをなした犬には通じない。


「こりゃおかしな飛び入りだな。まあ、練習にはなるな」


イヌたちはだんだん気持ちが高揚してきた。いや、荒ぶってきたのだ。囲み、それぞれ牙を出す。ヤマネコはジムジを庇うようにしているが、イヌたちの攻撃は無差別にふたりを襲う。


「やめろっ」


大きな声がしたほうを犬たちは見るが、何もいない。においを嗅ごうにも風下でない分、位置がわからなかった。


「おい、見ろよ」


声の方をイヌたちが一斉に見ると、傷ついた二頭のネコ族の前にウサギ族のちっぽけなからだがあった。


「な、何してんだ、おまえは」


笑いながらイヌ族のリーダーが言った。


「おれはウサギ族の戦士ツィンク。お前らの卑怯さにかつてない怒りを覚えたぞ」


ウサギの言葉にイヌたちは爆笑した。


「おい、聞いたか?戦士さまが怒りを覚えたそうだ」


凶悪な笑いが広場をこだました。ほかの種族はかかわりにならないように、少しづつ離れていくようだった。


「いい加減で止めときなよ。上に知れたらただじゃすまないよ」


そう言って割って入るように体格のいい牝ジカがウサギに寄り添った。


「ふん、何を血迷ったか知らないが、お前たちもついでだ。かみ殺してしまえ」


イヌのリーダーの掛け声で、一斉に襲いかかろうとする。


「やめろおーー」


イヌたちの背後からもの凄い声がした。見ると、小さなクマがいた。クマは震えながらシカとウサギの前へ立つと、両腕を広げた。


イヌたちは警戒した。が、それほど警戒する相手ではないとすぐに見破った。手足は震えているし、なにより目線が定まっていないのだ。


「お前らは何なんだ?」


イヌの若いリーダーは不思議そうに聞いた。こいつらは種が別だ。同種族の連携じゃない。なのになんでだ?なんでかばいあう?なんで強者に立ちふさがる?よくわからないがとにかく脅威だ。脅威の芽ははやく摘むのが大事だ。そう判断したリーダーはいっせいに襲わせる。案の定、クマは弱い。頭を抱えているだけだった。もう、皆殺しだ。余興は終わった。これからはわれわれの時代だ。そう思ってさらに心は高ぶっていた。そんなときだった。


キャン


イヌの誰かが弾かれた。


ギャン


また弾かれた。


暗い影から一頭の大きなイヌが現れた。気がついたイヌたちは一斉にそれから離れた。


「楽しそうだな、兄弟」


そう言う目は誰も見ていない。いや、注意深くすべてを見ていた。その威圧はそこにいるすべてのものを圧倒していた。


「何しに来た。きさまは勝手に出て行ったんだろう」


イヌのリーダーが吠えた。


「出て行くのも、来るのも自由。そう言わなかったか?」

「勝手なこと言うな。大事な任務も放っておいて、この俺以外にクラヤミからだれが守ってきたというんだ?」

「おまえが何から誰を守ってきたかは知らんが、少なくともクラヤミの名は使うな」

「な、なんだと?」

「クラヤミに何かできるほどおまえは強いのか?クラヤミが何の目的でこの世界に来ているか知っているのか?そして、クラヤミとは何か?お前は知っているのか?」


「うるさいっ、兄貴だと思ってがまんしてればこれだ。どれだけ俺の邪魔をすれば気が済むんだよ」


「とにかくこれ以上やるなら何が起きても知らんぜ」


イヌのリーダーに言った言葉はたしかに本当らしかった。イヌたちが一斉にひるみ、すごすごと下がり始めたのだ。


「ちっ、いい気になるなよ。世界樹までは群れがないと行きつけない。お前のようにひとりじゃ、何もできないぜ。せいぜい震えてお留守番でもしていろ」


イヌたちは振り返りながら去って行く。大きなイヌはそれまでの恐ろしいほどの気配を消して、傷ついた者たちに頭を下げた。


「許してくれ。みな大任で高ぶっているのだ」

「わかってる。騒ぎ立てはしない。しかしおぬしは大丈夫なのか?仲間がいなくなるぞ」


ジムジは何か所か噛まれた場所を押さえながら言った。きっと世界樹を目指す、こいつはそう考えているとジムジは感じた。


「ああ。もとからひとりだ。気にはならない」

「世界樹は遠く困難が待ち構えている。ひとりでなどむりだ。いやそれどころかこのみすてられの谷を出たらすぐに死んでしまうぞ」

「覚悟はある」




長老のコムサは黙って聞いていた。聞き終わると広場にポツンとしている者たちを呼んだ。


「そなたたちはどうしたいのじゃ?」


しばらくみな黙っていた。が、意を決したようにネコ族の者が立ち上がった。


「あたしはミリカ。ネコ族だ。世界樹に行きたい。世界樹が見まわしている世界が見たい」


「ほほう?世界を救うのではなく?」

「世界などどうでもいい。だが、みんなが幸せになるなら力は尽くす」


「わたしはみなを救いたい。勇者と呼ばれ、一族を土の巣穴から解放したい」

「お前さんは?」

「ウサギ族のツィンク。一族最強の戦士だ」


「友人のベルーダ。シカ族よ。無茶ばっかりするこの子の保護者よ」

「お、おいらはオホール。クマ族だ。父ちゃんはおいらをクマ族の面汚しって言う。おいらが弱いからだ。ウサギにだって負けてしまう。何でかわからねえが、でも強くなりてえ。だから世界樹に行くんだ」


「イヌ族のミリオンだ。おれは仲間を持たん。それは未来永劫、変らない。世界樹にはひとりで行く。理由などない」


だいたいの意見は出そろった。まあ、意見というか思いというか。最長老は納得したように皆に告げた。


「よくわかった。ジムジの窮地を救ってくれた礼を言う。そして重ねてお願いする。どうか世界樹に行ってくれぬか。ここにいる皆で力を合わせて」


「話はよく分かった。世界樹には行こう。だが一緒はごめんだ」


「一緒には行けぬか。ミリオンと言ったな。イヌ族の戦士よ。では聞く。戦士とはなんだ」


ミリオンは当たり前だという顔をして答える。


「戦う者のことだ」

「なぜ戦う」

「敵がいるからだ」

「敵とはなんだ」

「われに歯向かうものだ」

「なぜそなたに歯向かう」

「われが何かを守っているから、だ」


言ってミリオンはしまったという顔をした。


「そうだな、ミリオン。おぬしに依頼しよう。その者たちを帰らずの森、そして腐れの沼を抜けるまで見てやってほしいのだ。そのあとはお主の好きにしたらいい」


ミリオンは不思議そうに聞き返した。


「なぜ世界樹まで、と言わないんだ?」


最長老はみんなを見まわして言った。


「それはその時わかるだろう」


「おれはそれでもかまわないぜ。なんたっておれは最強戦士だからな。かつてないほど強いんだからな」


ウサギ族の戦士ツィンクが胸を張って言った。


「その壮大なセリフもかつてないわね」


シカ族のベルーダがそう言うとみなが笑った。


「さあ、みな、出かけるがいい。くれぐれも慎重に、無理をせずにな」


最長老の呼びかけに皆がうなずき、そして北をめざして歩きはじめる。



みなが見えなくなると、ジムジは最長老のコムサに尋ねた。


「本当に行かせてよかったんですか?とても世界樹、いや帰らずの森を抜けることすら無理のような気がするんですが」


コムサは神々の山に目をやると、祈るように言った。


「彼らの目を見たとき、わしは感じた。勇者とはこういう目をした者たちのことではないか、とな。困難な道を歩まなくてはならない者たちに、必要な目だということを」


ジムジは最長老の言葉の中に、百の若者たちの困難な行く末を案じた。


ひょう、と北からの風が吹きつけ、神々の山脈は白さを増していくようだった。



  帰らずの森



広大な森だった。森の入り口は細い木が多かったが、進むほど樹齢は千年を優に超えるものばかりになっていった。


ツィンクとベルーダが先頭を歩き、ミリオンが最後尾を行く。


「何か気配がする。変な音が聞こえる」


ツィンクが耳を立てて音のする方向を探った。


「あっちだ」

「まて。嫌なにおいがする。俺が見てくる。みんなじっとしてろ」

「待って、ミリオン。あたしが行く。あんたはここでみんなを守ってて」


そういうとミリカはしなやかに森の奥に消えた。


どれほど時間が経ったろう。みんな心配になってきた。ベルーダが、今度は自分が行くと言おうとしたとき、ミリカが帰ってきた。


「どうだった?」

「何かあった?」


みなが一斉に聞いたがミリカは答えなかった。


「どうやらおまえは見てしまったようだな」


ミリオンは深いため息をついた。


「教えてくれよ。あれは何なんだよ」


ミリカは急にミリオンにくってかかるように言った。がくっと足を折ると、その場にしゃがみ込んだ。


「あれはこの世のものじゃない。シシどもはすべて倒れていた。みな断末魔というほど痙攣していた。サルに似ていたが、あれはサルじゃない。もっとおぞましい何かだ。そいつらがシシを食っていた」


オホールがヒッと喉を鳴らした。誰も何も言えなかった。


「クラヤミだ。やつらに見つかる前に移動する」


ミリオンが先頭に立ってみんなを進ませる。


「ミリカ、歩けるか」

「大丈夫だ。ただ、あの光景が頭から離れない」

「楽しいことを思い浮かべろ。なんでもいい」

「ミリオン」

「なんだ」

「楽しいことなんて今までなかった」

「そうだな」


みんなは黙りこくった。


デギとよばれるものたちは、常に差別されてきた。親のいないもの、掟を破ったもの、弱いもの、仲間になじめないもの、そして何らかの理由で嫌われたもの。


ミリカは正義感が強かった。ちょっとした不正も許せなかった。それは親や兄弟に対してもそうだった。やがて家族や仲間たちからも無視され、疎まれた。ついには群れからも追い出され、ひとり山の洞穴で暮らした。一度デギと呼ばれたら、一生そう呼ばれる。もう仲間と一緒になることはない。


「だったら俺たちが楽しいことを作ってやる」


ツィンクが突然言い出した。


「俺はネコじゃねえが、仲間だろ?」


ツィンクは恐る恐るミリカを見ると、ちょっと嬉しそうにミリカは笑って言った。


「そうだね、仲間だね」

「ほらな」


ツィンクが嬉しそうにベルーダを見ると、ベルーダもニコリと微笑んだ。


「お前ら、そんなのはここを抜けてからやれ。クラヤミから早く離れるんだ」


クラヤミというミリオンの言葉に、ミリカは先ほどの光景がありありと浮かび、体が震えた。


「すまん。せっかく」

「いいんだ。それよりミリオン、お前は知っているのか」

「ああ、何度も見た」

「あたしらは勝てるのか」

「考えるだけ無駄だな」

「そうか」


ミリカはクラヤミがどういう風にシシを倒したかは知らない。が、どいつも恐怖に目を見開き死んでいた。きっと恐ろしいことがあったのだろう。いつかそれが自分に向いたとき、同じように恐怖に目を見開いて死ぬんだと、漠然と思っただけだった。


「臭い」


オホールが叫んだ。


「静かにしろ。除虫草の群生だ。口で息をしろ。鼻がだめになるぞ」


ミリオンが苦しそうに言った。植物にも防衛本能がある。おそらくこの近くに虫の巣でもあるのだろう。


「臭いよ。こんなとこ出ようよ」


オホールがたまらず開けた場所に走って行く。


「ばか、そっちに行くなっ」


ミリオンの言葉も聞かずオホールは開けた場所にどんどんと入って行く。


「お前らはここにいろ。俺はあいつを連れ戻す」


ミリオンは語気を強めて言った。なにかがある、とみんな思った。


木が枯れてできた広場には、白い砂が敷き詰められてあった。オホールはやっと楽に息ができるようになっていた。クマ族は匂いに敏感なのだ。とくに鼻を刺すような刺激臭には弱い。


「周りをよく見ろ、クマ公」


走ってくるミリオンの怒声が広場に響く。


オホールが周りを見渡すと、確かに変だと思った。木は枯れているのではなく、喰われている。白い砂と思ったのは虫に喰われた後の、彼らに消化されずに吐きだされた木の繊維だ。


ぼこぼことそこらじゅうに穴が開き始め、なかから触覚があたりをうかがうようにフルフルと動き出している。


「逃げるぞっ。こいつらの腹んなかに収まりたくなきゃ走れっ」


ミリオンがオホールの尻に体当たりしてオホールを走らせる。穴から次々と巨大な虫たちがはい出てくる。白アリだ。元来、腐った倒木を餌にしているが、これだけ巨大だと何でも食う。


虫の動きが速い。そうミリオンは思った。追いつかれる。オホールをほっとけば助かる。どうするか。こいつはこれからこんな風にみんなの足手まといになる。ここで終わらした方がいいのかも知れない。だがそれじゃ、あいつらと同じだ。俺はあいつらとは違う。俺はデギなのだ。そうミリオンは思った。


「おい、クマ公。もうしてやれることはこんなことくらいしかない。恨むなよ」


そう言うとミリオンはオホールの尻に噛みついた。


「ギャッ」


オホールの走るスピードが増した。しかしはるかに虫のスピードの方が速い。


「やれやれ。こんな奴らを相手にすんのは骨が折れそうだぜ」


向きを変えるとミリオンは四肢を踏ん張り、臨戦態勢に入った。こうなれば一匹でも虫を倒して時間を稼ぐ。それしかあいつらを逃がす方法はない。ミリオンは覚悟を決めた。さあこい。ミリオンは小さく唸った。


虫たちはミリオンの前で起き上がり、襲う姿勢を見せた。


「やるならひとおもいにやってくれよ」


ミリオンは笑っていた。嫌われ者だったが、まあ、最後はこんな感じさ。あいつらは俺を仲間だと思ってくれているのかな。まあどうでもいい。それにしてもオホールの尻は柔らかかった。鍛えなけりゃならないな、ありゃあ。ああ、汚ねえ口だな、虫ころが。


クワッとミリオンを銜えようとしたシロアリの巨体が止まった。


すると何かに逃げるように白アリたちがもとの巣穴に入って行く。見るとミリカが除虫草をくわえて走ってくる。ツィンクとベルーダも除虫草をくわえて来る。


「うえええ。ミリオン、早く」


ミリカが吐きながら言った。あの匂いの酷い除虫草をくわえてミリオンを助けに来たのだ。


「わたしはなかなかいけると思いますよ。んん?うええええ」


得意そうにしていたベルーダが吐いた。


「いけてねえし」


呆れてツィンクが言った。


「あははは。おまえら」


ミリオンは笑った。こいつらに助けられた。誰かに助けられたのは初めてだった。死にそうになったのに、なんだか楽しかった。こんな思いを今までしたことがなかった。


「ひどいよー、ぼくのお尻」


オホールはそう言いながら除虫草をかき集めていた。何かあったら、これを思い浮かべよう。そうミリオンは思った。


深い森はなかなか出口が現れなかった。途中、倒れたものの死体があった。すべてが無残だった。動く植物に体を巻かれたもの。巨大な蜘蛛の巣にかかっていたもの。何かを食べて変色して死んでいるもの。


「百のうち半分はこの森で死んだろうな」


ミリオンは感情なくそう言った。進むうちに困難さは度を増していく。生き残るだけでも難しくなってきているのだ。


「あっちに滝の音、こっちは沢だよ。聞きなれない物音がする。向こうは安全みたいだ」


ツィンクは耳がいい。音の反響で全体も見渡せるようだ。


「でかい洞穴の音はしないか?」


ミリオンはそう聞いた。森を抜ける道は洞窟になっていると聞いたことがある。


「うーん、そんな風の音がする。洞穴に吹き付ける風。だけどそこには何かいるよ。焚き火のようなにおいもする」



森を抜けたところに断崖があり、そこに大きな洞穴が見えた。


「何か見えるか?」


ベルーダは目を凝らす。シカ族は目がいい。他の者は意外に目があまりよくない。イヌ族のミリオンは情けないほど目が悪く、色彩感覚もない。


「イヌ族のやつらね。数は五から六ってとこよ。何してんのかしらね。洞窟の入り口を守るって感じじゃないわね。中から来るやつの警戒みたい」


ベルーダの言葉に、ミリオンは表情を硬くした。


「やつらはきっと向こう側から逃げてきた者たちを追い返そうとしているんだ。あるいは見せしめに殺しているのかもな」

「そんな、ひどい」

「それだけ向こう側は恐ろしいところなのだ。お前たちも今が考え時だぞ。洞窟に入ってしまえば、行くのも戻るのも、待っているのは死、だけだ」


ミリオンの言葉にみなは緊張した。世界を救わなければならないのはわっかっている。だが、自分たちにそれができるのかはわからない。わからないからここまで来た。


「世界を救えるのは、俺たちだけだ」


ツィンクが胸を張って言った。みながツィンクを見た。


「そうだな。その考えだけはなかったな」


ミリオンがそう言うと、みな笑った。そうだ。世界を救えるのはわれわれだけだ。そう思った時、心に熱いものが込み上げてきた。


「とにかく行ってあいつらを何とかしなけりゃ、な」



岩陰から覗くと、いくつかの焚き火があり、イヌたちがうろうろしている。六匹いた。


「どうする?あんなにいたんじゃ敵わないわよ」


ミリカが耳を伏せて言った。少し怯えているようだ。


「これ、使えないかな?」


オホールが背負っていた袋から除虫草を出した。


「おえっ、まだ持ってたのか」


ツィンクが怒って言った。


「だって、また虫とか出たら困ると思って」


オホールが泣きだしそうになっているのを、ミリオンは薄笑いしながらなぜか褒めた。


「でかしたな、クマ公。こいつがあればなんとかなる」


みんなが不思議そうな顔をしている。かまわずミリオンが続けた。


「やつら、焚き火をして虫が近づかないようにしてやがんだ。いいか、そっと焚き火に近づいて、この草を火に投げ入れろ。面白いものが見れるぜ」


さらに不思議そうな顔をみんなはしたが、作戦だということがわかったのですぐ行動に移った。


ツィンクとミリカが除虫草を焚き火にくべるため、そっと近づく。


「いいか、あとは俺と、がたいのいいベルーダとクマ公が体当たりだ。奴らのひるんだすきを突け」

「どうしたらやつらがひるむんだ?」

「見てりゃわかる」


オホールはミリオンがそう言うならそうなんだと、自分に言い聞かせたようだ。キッと目を見開いてイヌたちを見た。


「そろそろだ。おい、ベルーガ。自慢のその角でバカなイヌどもをぶっ飛ばしてやれ」

「あんたもイヌよ。だいいち牡鹿と違ってあたしのは短いし、小さいのよ?」

「硬くてとがってりゃ痛てえよ」


そのうち焚き火から白い煙がもうもうと上がってきた。強烈なにおいだ。火にくべられた除虫草は何倍も強いにおいを放った。鼻のいいイヌたちはひとたまりもなかった。前足で鼻を塞ごうとするもの、吸い込んでしまい七転八倒するものなど、散々だ。


「いいか、口で息をしろ。やっちまえっ」


三匹が襲いかかる。オホールは一匹をはじき倒し、ベルーガも一匹を突き飛ばした。ミリオンは手際よく二匹を倒していたが、殺してはいないようだった。ミリカとツィンクがもう一匹を倒すと、残りは苦しそうにうずくまる一匹となった。


「まってくれ、降参だ。やめてくれ」


鼻からダラダラと鼻水をたらしながらイヌは言った。



「おまえ、ミリオンか。何てことしやがる。イヌのくせに。仲間じゃねえか」

「デギのくせに、だろ?お前らの仲間になった覚えはないな」


「おい、これ見てみろよ」


ミリカの声にミリオンが振り向くと、いくつもの死体があった。ネコやウサギ、クマやシカの死体がゴロゴロとある。


「お前ら、なんてことを」


ミリオンが牙をむく。


「命令だから仕方ねえ。お前の弟のな。へっ、それにこんな弱虫なんざ、生かして帰してもろくなことにはならんからな」

「きさま」

「そう怒るなよ。おれももう鼻も利かない。死んだも同然だ。かまわないで先に行ったらどうだ」

「そうさせてもらう」


「こいつ、まだ生きてるよ」


ミリカが生存者を見つけたようだ。


「しっかり。どこをやられた?」


銀色の毛のサルだ。腕と首から血が出ている。


「う、ううん。大丈夫。助かったのか?傷は、大したことはない。少し痛むが」

「歩けるか?ならば少し休んだら戻ればいい。イヌたちはもう何もできん」


ミリオンの言葉にサルは周りを見回すと、イヌたちは鼻を押さえ、うずくまっていた。


「すげえな。あんたたちがやったのか?」

「まあな。おれと、仲間たちだ」


ツィンクが胸を張って言った。


「ありがとう。おれはサル族のミューリっていう。お前たちは先に進むのか?」


「そうだ」

「この先にあるものは知っているのか?」

「腐れの沼だろ。話しには聞いている。おまえはそこから?」

「ああ。世にも恐ろしいところだった。ずっと濃い霧がかかり、進む方向もわからない。そのうち一人、ひとりと沼に呑み込まれていくのだ。あまりの恐ろしさに逃げ出すものは大勢いたが、みな沼に沈んだ。おれは運がいい。洞窟までたどり着けたんだからな。だが、イヌどもにつかまって。ついてねえ」

「命が助かったんだ。運がいいさ」


ミリオンとミューリの話を聞いていたみなは身震いをした。これから行くところは、そんな恐ろしいところなんだと。


「じゃあ、行くか」


ミリオンが歩き出すと、ミューリが声をかけた。


「待ってくれ。俺も行こう」

「拾った命だ。大切にしろ。お前は戻れ」

「いや、お前たちと行こう。怖さは変わらないが、お前たちとならなんとか行けそうな気がする。それに少しでも道案内ができるだろう」

「勝手にしろ」


ミリオンは突き放したように言った。


「あんなこと言っても、けっこううれしいんだぜ」


ツィンクが遠慮なしに言った。


「なあ、あんたらどういう関係なんだ?」

「仲間だよ」

「だって種族が違うだろう?」

「ああ。でもおれたちはデギなんだ。これしか仲間は知らない」

「そうか。じゃあおれは仲間には入れてもらえないな」

「入りたきゃ入ればいい」

「いいのか?」

「かまわないが、おれがリーダーだぞ。なにしろかつてないほど最強だからな」


ツィンクはますます胸を逸らした。みんなが笑った。


洞窟を抜けると、暗い霧とよどんだような沼が見えた。死の匂いがする。



  腐れの沼



「黒い沼は底なしだ。一度はまり込んだら抜けられず、そのまま呑み込まれる。灰色の沼は硝酸の沼だ。何でも溶かしてしまう」


ミューリはひとつひとつゆびさして教えていく。


「でもなんか浮いているぞ?」


オホールが不思議そうに見ている。同じものがあちこちに落ちているようだ。


「グリルの実だ。ふしぎとそれは溶けないで沼を漂っている。飲み込まれもしないで地表に流れ着いたら根を出すのだ。そこらにあるのは殻だ」

「ふーん」


「あぶないっ」


ベルーダが足を滑らせた。ガッとミリオンとオホールが支えた。


「ありがとう。すまない」

「足元が柔らかい。気をつけて進もう」


ツィンクとミューリの先導でなんとか沼の中央まで来たらしい。


「この先に化け物がいる」


ミューリは身震いしている。恐ろしさが伝わってくる。


「オーブと言って体は大きく、まるで巨大なナメクジだ。そいつらがうじゃうじゃいる」


黒い沼を超えたところで、ぬめぬめした巨体をうごめかしてそれらはいた。黒い沼も平気なようで、その上を滑るように渡っている。


「ここに来たかなりのものがあれに喰われた。いくらかはすり抜けられたようだが、そう多くはいないだろう。ただ、動きは遅いので、本当に運が良ければすり抜けられる」


見ていたのだろう。ミューリは絶望した顔をしている。


「なあ、なんでやつら黒い沼は平気そうだが、灰色の沼には近づかないんだ?」

「そりゃあ、あいつらだって溶けてしまうからだろ」


当たり前のことを、とミューリは思った。


「ねえみんな。さっきのグリルの実の殻を集めて」


ミリカがなにか考えついたようだ。みな一斉にそこらにあるグリルの実の殻を集め出す。ミューリは思った。こいつらに疑問はないのか、と。無条件で仲間の言うことに従える?いや信じれるのだ。


「じゃあ、オホールとミューリ。その中に灰色の沼の水を汲んで」

「はいよ」


オホールのやるとおりミューリも注意深く沼の水を汲んだ。滴った水はジュッと音を立てて地面を溶かす。


「ひーー」

「気をつけて。それじゃ同じグリルの根っこの端っこを切って、それで栓をするのよ」


ミリカはそれをいくつも作らせた。


「さあ、行きましょう」


沼の水を入れたグリルの殻をいくつもかかえてオーブたちのいるところに来ると、ミリカはそれを投げるように言った。


「思いっきりぶつけちゃって」


みなが一斉に投げ始めると、それに気がついたオーブたちが襲ってくる。しかしグリルの殻が割れ、なかの沼の水を浴びると、オーブたちは一斉にもがき始める。溶けているのだ。


「やった」


無傷のオーブたちは黒い沼を伝って逃げ出した。


「すごい。こんなやり方があるなんて」


ミューリがそう言うと、ミリカはふふん、という顔をした。


「まあ、俺も驚いたかな」


ミリオンも呆れたように言った。やがて沼地が切れるところまで来ると霧も晴れてきた。


そしてみんなの目の前に、遥か地平まで荒涼とした砂漠が広がっているのが見えた。



  どくろ沙漠


「最長老との約束はここまでだ」


突然ミリオンは言い出した。たしかに最長老コムサとの約束だった。腐れの沼を抜けるまで、と。


「じゃあ、ほんとにひとりで行ってしまうのか?」

「なんでここまでやってこれたのに」

「いままでずっとうまくやってたじゃないか」

「ミリオンがいないとつまらない」


みな口々に言ったが、ミリオンは聞かない様子だ。


「あの、差し出がましいですが、おれはミリオンさんに賛成です」


ミューリはそう言ってみんなを見た。なんで、という顔をみんなした。


「ミリオンさんがいなくなったらみなさんはあきらめるでしょう?どうやったって、この沙漠はみなさんじゃ超えられないですから。だからミリオンさんはみなさんと行くことをあきらめたのです」


「超えられないって、どうしてわかるの?」


ミリカが言った。ミューリは諭すように言う。


「どくろ沙漠は昼間はもの凄く暑くなります。逆に夜はもの凄く寒い。暑いのに弱いクマ族やウサギ族、そして寒いのに弱いネコ族のあなたたちだからです」


だからみんなは一緒に行けない、とミューリは言うのだ。


「そして水もない。最初に弱って死んでしまうのは小さな体のウサギ族でしょう」


「じゃあ、ミリオンはみんながなんとか行ければ一緒に行ってくれるのかい?」


ツィンクの問いにミリオンは答えなかった。仲間を殺したくないとの強い思いが見て取れた。


「いい思いつきがあるんだけど、聞く?」


ベルーダが大きな体を振りながら言った。


「どうせろくなもんじゃないだろうがな」


ミリオンはぶっきらぼうに言った。さっきまでと少し態度が変わったのは、もしかしてこいつらなら、と思ったったからだ。しかしどう考えても困難さは変わらないのだ。


「夜になって気温が下がったらわたしたち寒さに強いものが歩く。寒さに弱いミリカはあたしの背中に乗って行くの。ツィンクと一緒にいれば暖かいわ。日が昇ったら涼しいところでお昼寝ね。その時はミリカが寝ずの見張り番よ」

「悪くはないが、水はどうする?」

「さっきのグリルの実の殻に、今度は普通の水を詰めてオホールが担いでいけばいいわ」


「ううむ」


ミリオンは考え込んだ。たしかにそれしか方法はないみたいだ。


「まあ、わかったよ。しかしダメだと俺が思ったら直ちに引き返す。いいな?」


「やっほう」


ツィンクが飛び上がった。やれやれ、そんなにうれしがることじゃないのに。だがすぐに気がつくだろう。この先は、地獄だってことを。



本当に地獄だった。昼間は燃えるような暑さ。夜は凍り付く寒さ。みんなはそれでも先を急いだ。飲み水は限られている。早く砂漠を抜けなければ、干上がってしまうのだ。


だいぶ歩いてきた。そろそろ日が昇り始めるころ、岩山が見えてきた。


「今日はあそこで休もう。ちょうどいい日影がある」


ツィンクが先を争って走っていく。みんなが異変を感じたのはその時だった。


ツィンクが走りこんだ日陰で何かが動いたのだ。


「ツィンクっ、おい、返事をしろっ」


ミリオンが大声で呼んだが返事はない。


「くそ、何かいやがる」


ちょうどそこは岩山の岩盤が大きく傘のように張り出したところで、奥にツィンクらしき姿が見えた。


「ツィンク?」

「おおっと、動くなよ。動くとこのウサちゃんの頭がぺしゃんこになるぜ」


よく見ると、大きく真っ黒なクマがツィンクの頭を前足で踏んづけている。


「きさま、何してやがるっ。そのウサギを放せっ」


「なんだ?こいつはお前のペットか?それとも餌か」

「ふざけるな。放さねえなら容赦しないぞ」

「いきがるなよ、若いの。イヌはこれだからな、まったく。こいつの頭がどうにかなっちまうぞ」


ギギギ、とツィンクは変な声を出した。本当につぶす気だ。


「まて、何が欲しいんだ?言ってくれよ」


たまらずにオホールが泣きそうになりながら言った。


「ほほう。クマまでいるのか。変わってるな、お前ら。まあいい。お前らどうやってここまで来たんだ?飲み水はどうした?」

「水を詰めた入れ物を持ってきている」

「なるほどな、考えたな。では取引と行こう。そいつを全部寄こせ。かわりにこいつを放してやる」

「ふざけるなっ。それじゃ俺たちが」

「そうだよ。いやならいいんだ」


ぎゃあああ、とツィンクが断末魔のような声を上げた。


「わかった。もうよせ。水はくれてやる」

「早くそういえばいいものを。こいつも痛い思いをしなくて済んだのに」

「いいから早く放せ」

「水を寄こせよ。それからだ」


「オホール、特上のやつをくれてやれ」

「わかった。特上、だな」


べそをかきながらオホールは背負っていた袋からグリルの実を取り出して大きなクマに投げた。


「ばかやろう、全部と言っただろう」


そう言いながら投げられたグリルの実を手にしたクマは器用に栓を外すと、言った。


「まあ、これを飲んだらこいつを踏みつぶして、あとはお前らを順に殺してやるよ」

「きさま、最初から」

「ああ、そうだとも。取引はなしだ。取引ってえのは対等なやつとしか出来ねえんだよ」


そう言ってクマは一気にグリルの実の殻の中身を胃に流し込んだ。


「ぐげあーーっ!!」


大きく叫んだクマの、あとの方は声にならなかった。クマはそっくり返りながらバタバタと暴れ、しかし体は次第に動かなくなり、痙攣だけが残った。


「欲をかくからだ」


ミリオンは暗い顔をした。


「どうしちゃったの?あのクマは」


ベルーダは驚いて聞いた。ミリオンは暗い顔のままオホールに目を向けた。


「やつに聞きな」


みなが注目する中、べそをかきながらオホールは言った。


「だってミリオンが特上の、っていうからこれ渡したんだ」


オホールはグリルの実を出した。


「それって水が入ってるやつじゃない。特上ってどういうことよ?」

「それとは別に持ってた、沼の水入れたやつだよ。オーブにぶつけて溶かしたやつ」

「なんでそんなものまだ持ってるのよっ」

「またオーブみたいなのがいたら困ると思って」


「あっはははは。まったく、除虫草といい沼の水と言い、クマ公、お前は最高だぜ」


ようやく暗い顔を消したミリオンが笑って言った。


ミューリは、あの短いやり取りの中で、ミリオンとオホールが意思を通い合わせたことに驚いた。


「まあ、いい。あのクマはそこらに埋めて、俺たちはここで休むとしよう」


ミリオンが言うと、みんなは穴を掘り始めた。あんなことをしなくても、水は分けてあげたのに、とみなは思ったが、そんなことを考えている余裕もなかったんだと、無理やり納得した。そうでなければ、いたたまれなかったからだ。


七日七晩かけ、どくろ砂漠を抜けた。



  神々の山


それから幾日も幾日も山を登り続けた。どこまでいっても頂上にはつかない、果てしなく高い山。寒さに弱いミリカとミューリはオホールに身を寄せながら登った。


高さが増すにつれ、吹雪は強く吹き付け、辺りは真っ白になった。ところどころ黒い岩肌が見えるだけで、そこは氷の世界になっていく。ミリカは何度も意識を失いかけた。それでも力を振り絞り氷を乗り越える。


やがて山頂近くなったのか、風が少し納まって来た。ちょっとだけ視界がきくようになった。


「あっ、あそこに誰か倒れている」


ツィンクが気がついた。見ると岩陰にシシが倒れていた。


「まだ生きている」


ベルーダが言うと、オホールが抱き起す。


「どうした?しっかりしろ」

「だれだ」

「みすてられの谷のものだ」

「そうか、われらとおなじ」

「おまえもみすてられの谷から?」

「そうだ。だがわたしでシシ族は終わりだ。もう仲間はいない」

「しっかりしろ。どこかで体を温めなけりゃ」


辺りを見回すと、神殿のようなものがあった。


「とりあえず運び込もう」


ミリオンが言う前に、みながシシを運んでいく。


「まったくお前ら」


ひとがいいな、という言葉は飲み込んだミリオンだった。


神殿のようなところに入ると、とりあえずみなが体を寄せあわせ、シシを温めた。次第にシシの体温が戻ってくるのを感じた。夜が明けるころには、体力も戻ってきたようだった。


「何かあるわ」


神殿の奥は真っ暗だったが、少し明るくなってきたのと、夜目がきくミリカは奥の方に何か発見したようだ。


「ちょっと行ってみるね」

「おい、まて」


制止もきかず行ってしまった。


「俺が追いかける」


ミリオンが後を追った。



誰が作ったのだろう、大きな石の柱と壁はかなり奥まで続いていた。その最奥から明かりが漏れていた。


「ミリカ?」


ミリオンが呼びかけると、神殿最奥の広間のようなところにいたミリカは振り返った。


「見てごらんよ、すごくきれいだよ」


広間の中央に小さな泉のようなものがあり、きれいな水が湧き出していた。その中に小さなクリスタルがあって、それが輝いていた。


目が慣れてくると、周りの壁には絵のようなものと文字のようなものが描かれていた。みすてられの谷では文字は小さいころからみな習うが、ほとんどの者は苦手で、きちんと知るものは少ない。マリオンも少ししか読めなかった。


「エ、エーレンは、星々を、わ、たり、えーと」

「この地を作った。七つの種族を作り、その主としてエーレンの血からヒトを作った」


「ミリカ、字が読めるのか?」

「まあね」

「驚いたな」

「でも、ところどころ読めない。習ってない字が多すぎる。でも、ヒトって何だろう?」


「やがてヒトは互いに憎み、やがて殺しあった。大きな戦は地を荒らし、天を焦がした」


振り返るとミューリが立っていた。


「ミューリ、読めるの?」

「ああ、読める」

「すごい、なんで?」

「俺は最長老コムサの息子なんだ」


今度は二人が驚いた。何でも知っていた。そういうわけだったんだ。


「もっと早く言ってよ」


ミリカが苦情を言う。


「言ったからって何も変わらないよ」

「まあそうだ。もう仲間だからな」


ミューリはうれしそうな顔をした。


「どうやらヒトはお互い争い、神の怒りに触れたらしい。しかし神の血でできているヒトは死なず、魔性を帯び、魔物としてこの地を徘徊することになった、とある。これはきっとクラヤミのことだと思う」


背筋が寒くなった。なんとおぞましいのだろう。われわれはクラヤミから逃れる術があるのだろうか?


「まって、まだ続きがある」

「早く読んで」

「時の止まるとき門が現れる。門が開かれるとき、再び時は動きだす。その鍵となるものこそ聖なる光」

「なんのことだ?」


ミューリは考えた。門を開けなきゃならない。そして開けるには聖なる光って、いったい何だろう?


「ねえ、これのことじゃない?」


ミリカは泉の中にあるクリスタルを指した。


「そうだ、そうだよっ。きっとこれが門を開ける鍵なんだ」


「よし、早いとこそれをいただいて、さっさとおわりの山へ行こう」

「でもなんかおかしい」

「何がだ」

「これを作ったのは恐らくヒトっていうやつらだと思う」

「そうなのか」

「そうだ。だがそうやすやすと手に入れさせてくれるかな?仮にも俺たち七族の主だろ、元は」

「しかしいまは魔物になっちまったんだろ?」

「まあそうだ」

「考えても仕方がない」

「そうだな」


とにかくクリスタルを手に入れないことには話にならない。ミューリは意を決した。


「じゃあ、取る」


クリスタルに近づくと輝きが一層増したように見えた。ミューリはクリスタルをつかむと泉から引っ張り出す。その途端、辺りが急に禍々しくなった。見ると壁という壁から得体のしれないものが抜け出てくるのだ。


「ヤバい、逃げろっ」


言うのが早いか、皆走り出していた。


「走れっ、やつらクラヤミだ。聖なる光で押さえられていたんだ。追っかけてくるぞ」


影のようなものが追いかけてくる。その姿はおぞましい形であった。


入り口付近にシシとオホールとベルーダがいた。ツィンクが奥から叫びながら走ってくるミリオンたちを見ている。


「おまえらっ、何ぼーっとしてんだっ、逃げろっ、クラヤミだっ、走れ」


うわあああ、と全員が外に走っていく。無数のクラヤミが追いかけてくる。



「ちょっと、とまれっ、この先は崖」


ミリオンが叫んだがもう止まらなかった。全員が雪崩となって滑り落ちていく。山が吠えている。大きな崩壊が始まった。


どれくらい時間が経ったろうか。目の前は真っ白だった。身動きが取れないでいた。雪に埋まってしまったのだ。もう助からないな、ミリオンはそうあきらめかけたその時、頭上にボコッと穴が開いた。


「まだ生きているか?」


シシが声をかけてきた。


「ああ、助かった。ええと?」

「ジンバだ」

「ありがとう、ジンバ。他のやつらは?」

「みな無事だ。あんなすごい雪崩だったのにな」


雪上に這い出すと、みながいた。笑っていた。


落ちてきたところを見上げると、そこはなにか黒いうごめくものが降りてくるところだった。


「笑ってる場合じゃねえっ、やつら降りてくるぞ」


全員慌てた。どこまでしつこいんだ、そう思った。


「どうしてしつこく追ってくるんだよ」

「クリスタルのせいだ」

「捨てちまえ、そんなもん」

「鍵なんだぞ。そいつがないと時が動かせない」


とにかく逃げなければ。走らなければ。必死になっていると、突然、目の前に大きな木が生えているのが見えた。


「世界樹だ」


ミューリが叫んだ。


「急げっ、あそこまで走るんだっ」



  ほろびの山の世界樹



世界樹は真っ白いドームのようなものに根を生やしていた。まるでドームを抱え込むように。


「あそこに入り口みたいなのがある」

「とにかくそこへ」


ドームに入り口のようなものがあった。みんながそこへ駆け込むと、中に大きな門があった。


「こいつか。門というのは」


「遅かったな、兄貴」


ミリオンが驚いて振り向くと、段状になった門の台座の上にイヌが立っていた。


「イミリオ、お前なのか?」

「そうだよ、お前の可愛い弟のイミリオさまだ。おい、ジンバ」


ジンバはミューリの持っていたクリスタルを取り上げると、イミリオのところに走って行った。


「ジンバ、貴様」

「はっはっは。悪く思うな。ジンバは俺の手下だったんだ」

「すまん、ミリオン。息子が捕まっているんだ」


「まったくいい気なもんだな、お前ら。まあおかげでクリスタルも手に入れられた。俺様が勇者だ。これで望みは思いのままだぜ」


イミリオは満足げに言うとクリスタルを取った。


門の扉の真ん中に穴が開いてある。どうやらそこが鍵穴らしい。イミリオがクリスタルを穴に差し込もうとすると、クリスタルは輝きだした。


「どうだよ、この輝きは。まったく、美しいって言ったらありゃしねえな」


黙って見ていたミリオンたちにはどうでもよかった。時が動き出し、みんなが幸せに暮らせさえすれば。


イミリオがクリスタルを穴の奥に差し込もうとしたとき、腕に大きな衝撃が走った。


「ぎゃああああああっ」


イミリオの腕が血だらけになって穴から出てきた。穴の中には無数の虫がいたのだ。


「う、腕がああっ」


クリスタルを放り投げてイミリオはもがき苦しんだ。きっと、噛まれただけでなく、毒もあったに違いない。みるみるイミリオの腕は変色して、さらに体に広がっていく。


「あ、兄貴、何とかしてくれっ、助けてくれよっ」

「イミリオっ」


しかし次第に変色は進み、やがて全身に回った時、イミリオは動かなくなってしまった。


「イミリオ」


ミリオンはそれでも弟だったのだ。どんな卑怯な悪いやつでも、弟だったのだ。心から悲しい顔をした。


「ミリオン、気持ちはわかるわ。でも今は門を開けることが大事なの。わかってくれる?」

「あ、ああ。もちろんだ」


ミリカの言葉にわれを取り戻したミリオンはクリスタルを取った。


「まて。やみくもにクリスタルを突っ込んだって、イミリオと同じ運命だ」


ミューリがそう言うと、門の穴を覗き込む。中には無数の虫がうごめいていた。


「虫を何とかしなくちゃ、クリスタルを入れられない」


みんながオホールを見た。そうだよ、こいつがいたんだ。


「おい、クマ公。いや、オホールくん。頼まれてはくれないか」


ミリオンがおどけて言う。


「まかしてくれ」


オホールは背負っていた袋から除虫草を取り出し、穴に詰めた。


「げ、這い出した来た」


ベルーダが気持ち悪そうに言った。


「まだ何かあるよ」


よく見ると、石の蓋のようなものがかぶせてある。それはどうにも取れない。


「無理だ。どうやったってとれないよ」


ミリカは笑って言った。


「取れないなら溶かしちゃえ」


オホールは、おお、と言いながらグリルの特上を出す。栓を外し、静かに中の沼の水を注ぎこむ。硝酸だ。どんなものでも溶かしてしまう。すると、クリスタルと同じ大きさの穴が開いた。オホールは振り返るとクリスタルをツィンクに渡した。


「ツィンク、きみがやれよ」

「え?なんで」

「きみがリーダーなんだから」

「そ、そうか。なんだか、かつてないほどドキドキするぜ」

「そうだ。おまえが勇者だ」


ツィンクがクリスタルを穴に差し込むと、まばゆい光がドーム中に満ち、やがてゆっくりと門が開いていく。門の中は宇宙だった。星や銀河、あらゆるものがあった。生命もだ。みんながそれを目撃した。


門はやがて静かに閉まる。役目を終えたように、だんだんと消えていくのだ。


「門が、消える」


誰ともなくそう言った。


門のあった場所に光が残っていた。



『さあ、勇者たちよ。望みを言え』


光はそう言った。


「えーと、そうだ、勇者はこいつだから。ほら、勇者、なんか言えよ」


ミリオンがツィンクを突き出した。


「ちょっと、俺だけじゃないだろ」

「いいんだよ。みんな望みはかなったんだ」

「え?」


「あたしは世界樹からの眺め。あんまりよく見なかったけど」


ミリカが笑いながら言った。


「おれはなんか強くなった気がする。もう父ちゃんやみんなにバカにされない」


オホールはうれしそうに言った。


「あたしもツィンクの望みがかなったのが望み」


ベルーダが微笑んで言う。


「俺は知識を得た。すばらしい」


ミューリが誇らしげに言った。


「俺は息子が帰って来た。みなには迷惑をかけてしまった。謝る」


ジンバが済まなそうに言った。後ろからひと回り小さなシシがやって来た。


「そんなわけで、こいつの願いをかなえてください」


ミリオンはツィンクの背中を押した。


『よかろう。そなたの望みは何だ』


「えと、みんな穴掘ってそこで暮らしてるんです。もうちょっといい家が欲しいんです」


『聞き届けよう。そなたの一族には家をやろう。さあ、他には』


「もうありません」


『ほう、ないのか』


「いっぱい頂きましたから」


『他に何も与えていない』


「いえ、仲間をいただきました」


『そうか』


「あ、あと一つだけ」


『なんだ』


「帰るのが大変そうなので、ほら、砂漠とか沼とか森とか、あとクラヤミ」


『心配はない。試練は終わった。安心して帰れ』



光はそれで消えた。辺りは元の静けさに戻った。


「心配ないって言ったって、またあの道のりを帰るなんて、もう考えただけで嫌になる」


ツィンクはすごく嫌そうな顔をした。


「まあそう腐るな。安心しろと言うんだから、クラヤミはもういないんだろう」


ミリオンはうれしそうだ。


「さあ、帰ろう」


ミリカが先頭になって歩き出す。みんながぞろぞろとついていく。


ドームから出ると、そこは真っすぐな道があった。まわりを美しい木々が囲い、何種類もの鳥たちが舞っていた。そしてすぐ向こうになつかしい、みすてられの谷が見えていた。


「どうなっているんだ?」


ミリオンが不思議そうに言う。


「神様なんだから当たり前だろ」


ミリカが笑って言う。


「そうだな。帰りは楽そうだ」


「ミリオン、こんど嫌なことがあっても平気だよ」

「なんだ、ミリカ?」

「このことを思い出したら、元気になるから」

「ははは。まあ、俺もだ」



冷たい雪は消え、暖かく心地よい風が、勇者たちを見送っていた。いつまでも。





         ――おわり――

短編の中では、少し長くなりました。冬童話2020の応募作品です。校正が不十分なので、誤字脱字があります。何分ご容赦ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] みんな、頑張りましたね。 1人だけではなし得ないワクワクさせるお話でした。 大冒険を楽しませていただきました。
2023/12/30 14:02 退会済み
管理
[良い点] 素敵な話でした。 また次の作品を楽しみにしています。
[気になる点] 先の感想で夕立さんも指摘されていますが、短篇で2万字よりも連載とし場面ごとに区切る方が良いかなあと思いました。 私は面白ければ字数は気になりませんが、なろうでの好まれやすい字数を意識…
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