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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第玖幕 月丸
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百鬼夜行 玖

 極力、背を揺らさぬように月丸は駆けた。少しでも師を休ませてやりたかった。もっと早く駆けることも出来たが、今朝方の倒れた師の姿を思い出すだけでも、涙が浮かぶ。


 そんな月丸を見たからか、呉葉も慌てるそぶりは見せない。唯一。


「こりゃ月丸。怠けずに走らんか。今日中に追いつかねばならぬのじゃぞ。」


 背中から聞こえる師の声。吉房から命じられても、月丸は揺らさぬように走った。少なくとも、今、吉房を失うことはしたくない。月丸にあるのはその一念であった。


 吉房に負担をかけぬように走っても、人のそれよりは遥かに早い。それでも日が沈み切るまでには辿り着けなかった。

 月丸と呉葉は山小屋を見つけると、吉房を休ませた。

 吉房を休め、月丸は一晩、分身の目から百鬼夜行を見張り続けた。そこで目にしたのは、山村を襲う百鬼夜行の姿であった。

 普通の者には百鬼夜行の姿は見えない。人々は突然狂ったように逃げ回る。月丸の目からみれば、百鬼夜行の瘴気に当てられ、恐怖が心を支配しているのであろうことはわかる。そして、家の外に出てみれば、百鬼夜行の鬼がばくりと人を食いちぎる。村の人から見れば、突然目の前の者の上半身が消え失せるのだ。更なる恐怖に包まれるであろう。深い恐怖の中、百鬼夜行の鬼どもに喰われてゆく。


 月丸は何とも言えぬ悔しさと怒り、何もできぬ無力を感じながらも、その光景を見続けた。

そして、ふと気付く。


 この景色を知っている。


 月明かりが照らす阿鼻叫喚の景色は、落ち着いてみれば違うものが見える。


 あの旅籠。


 あの大きな庄屋の屋敷。


 あの角の家は酒屋だったはず。


 その記憶は月丸の背筋を凍らせた。


 以前、吉房と共に訪れた村であった。飯を食わせてくれたり、宿を与えてくれたり。遊んでもらったり。そんな記憶が月丸の頭を埋める。


 その村への百鬼夜行の蹂躙は半刻も掛からなかった。村から生が消えると、百鬼夜行は再び歩き出した。

 この村の周辺には小さな農村が点在していたはず。

 分身つきまるは駆けた。辺りの村を周り、大声で叫んだ。


「百鬼夜行が西から来る。東か北へ逃げろ!」


 だが、月丸の悲痛な叫びを真に受けるものは居ない。当然であろう。人には百鬼夜行は見えぬのだから。だが、全ての村に知らせるため、警告を終えた分身つきまるは次の村へ駆けた。


 辺りには百鬼夜行の瘴気が満ちている。半分は西で封じたため、規模は小さくなっているが、このまま辺りの村も飲まれては、いずれ大きな夜行となる。


 次の村に辿り着いた時。


 大声で百鬼夜行の襲来を告げるが、人の気配が少ない。分身を通して見ていたため、気付きにくかった。改めて落ち着き、集中すると、既に百鬼夜行の呪いが辺りを満たしている。耳をすませば、家々から人々の呻き声が聞こえる。


 百鬼夜行の病が振り撒かれているのであろう。百鬼夜行の居る山村からここまで、人の足でも半日もかからない距離である。その程度の距離にも影響を及ぼし始めている。


「なんて事だ。」


 分身つきまるは慌てて百鬼夜行の元へ戻り、百鬼夜行の行方を見る。そして驚く。百鬼夜行は人の気配を察しているのか、最も近い農村に真っ直ぐ進んでいた。


 やがて月丸の警告も虚しく、幾つかの農村が餌食となった。その他の農村も、おそらく瘴気でやられてしまったであろう。


「お師様!」


 月丸はかっと目を開き、山小屋に向かう。小屋の前で休んでいた呉葉が驚き留める。


「月丸さん。吉房様はまだお休みですよ。起こしては…。」


 百鬼夜行の凄惨な所業を見ていない呉葉は落ち着き月丸を止めた。

 吉房が回復しなければ百鬼夜行を結界に止めることは出来ないであろう。なればこそ、呉葉の言葉が正しい。しかし、月丸は分身を通して百鬼夜行に飲み込まれる人々を見た。見たからこそ、正気ではいられない。


「呉葉さん。百鬼夜行が大きな村と、その近くにある幾つかの小さな村を飲み込んだ。早くしないともっとたくさんの人が死んでしまう。」


 呉葉は月丸が分身を通して、今遠くで起こった惨状を見たのだとすぐに察してくれた。

 だが、呉葉は月丸をぎゅっと抱き留めた。


「月丸さん。悲しい光景をたくさん見たのね。でも、我慢してちょうだい。吉房様が居なければ百鬼夜行を止める手立てがなくなります。犠牲は出ますが、今は吉房様のご回復が優先されるべきかと…。」


 呉葉が正しい。それは月丸にもわかる。だが、自分が知り合った者も犠牲になった。さらに東には、吉房に連れられ見知った村も多い。ならば、封じることができなくても今、あの場で百鬼夜行の足を止める。

 そう思い至った。


「呉葉さん。俺は先に行って、百鬼夜行の動きを止める。止め続けるから、お師様と後から来てくれ。」


 月丸の突然の提案に、慌てる呉葉を置いて、月丸は東に駆けた。分身があるので場所はすぐに判る。真っ直ぐに向かった。

 しかし、その途中、幾つかの小さな農村が犠牲になっていることも分かった。


「これ以上進めさせない。」


 月丸はぼそりと誓うように呟いた。



 月丸はその晩のうちに百鬼夜行の先頭まで辿り着いた。分身を戻し、おうおうと叫ぶ百鬼夜行を見下ろす。後数刻で日が昇る。まずは今、ここで足止めすることにした。

 

 討てば力を付ける百鬼夜行。


 ならば討たずに留める。


 月丸は昨晩、師と呉葉とともに行った結界を使うことにした。だが、百鬼夜行全てを包むには、月丸の妖気を持ってしても難しい。


 ならば、進めぬようにすれば良い。それが月丸の答えであった。


 月丸は陰陽の術、妖霊の術、知る力を全て使って、自らの結界を厚くした。百鬼夜行に取り込ませぬためである。

 そうして、山の上から飛ぶと、百鬼夜行の目の前に降り立った。


 百鬼夜行を目の前にして心は騒つくが、理性はある。結界は有効なようである。


 月丸は懐から符を取り出すと目の前に置き、百鬼夜行に向かって両手を広げた。そして、小声で呪を唱える。呪を唱えると、地面に置いた符はふわりと宙に浮くと、月丸の目の高さで止まった。


 刹那


 月丸と百鬼夜行の間。符を中心に光る壁が現れた。昨晩、一山を包み込んだあの結界である。昨晩と異なるのは、一面のみで符より離れればその力は弱く、容易く超えられるであろう。だが、道を行く百鬼夜行。道なき場所で迂回するほどの頭は持たないであろう。それが月丸の考えであった。


 だが、その考えは概ね正しかったようで、


「光っておる。」


「光る壁がある。」


 百鬼夜行からそのような声が聞こえるものの、やはり月丸に向かって進んできた。

 万全を期すために、月丸は妖気を結界に集中する。


「子供がおる。肉がある。」


 百鬼夜行の先頭が月丸を見つけると、嬉々とした声をあげて向かってきた。それに夜行も続く。月丸を喰らおうと大口を開けて向かってくる鬼。しかし結界に阻まれ月丸には届かない。


「壁がある。」


「光る壁がある。」


「通れぬ。」


「ならば打ち砕け。」


 結界に食らい付き、爪を立て、殴り、持つ太刀で斬りかかる。


 月丸の目の前で百鬼夜行が結界を破ろうと様々な手で襲い掛かるが、結界は破れない。やがて、黒い頭巾を被り、体は腐っているようだが、山伏の姿をした鬼が叫ぶ。


「あの符ぞ。あの符を破れ。」


 月丸はその姿には見覚えがあった。百鬼夜行を放ち、百鬼夜行に知を与えるために自ら贄になったあの陰陽師達。


 百鬼夜行の鬼々はその声に符を狙って仕掛けるようになったが、それでも結界は壊せない。


 だが、結界が打たれる度、月丸の気力が奪われた。日が昇り、結界を解く頃には、ばたりと倒れ込むほどであった。


 このまま夕刻まで眠れば、今晩も耐えられるであろうと、そのまま眠りについた。



 吉房も呉葉も、月丸も知らなかったことであるが、人の世では妖霊が暴れているとの話題になっていた。

 そもそも、存在するだけで命を奪い、病を振り撒き、国を滅ぼす。そう言う伝説が残る妖霊。そして百鬼夜行の所為ではあるが、現に流行病によって京から東の多くの村が死に絶えた。そしていくつかの村は謎の惨殺が起こる。これを妖霊の仕業として、朝廷は幕府と息のかかる武士に妖霊退治を命じていた。これも百鬼夜行を放たんとする陰陽師達の策であったが、自らの領地の村が滅んだ武士や、旅の行商により滅んだ村の噂が広がり、妖霊の存在が現実であろうと言うことになり、遂には妖霊退治のまでに幾つかの武士が兵を従え進軍を開始していた。



 まだ日のあるうちに月丸は目覚めた。疲れは残っているが、結界を張る気力は戻っている。


「吉房が来るまでは、一人で留めなければ。」


 月丸は呟くと、ふらふらと立ち上がり、道の横に掘られた用水路に向かい、水を飲もうと手を伸ばすと、すぐに手を戻した。


「何だこれ…。瘴気が溶け込んでるのか?」


 一晩、多くの鬼をここに留めたため、水に百鬼夜行の瘴気が溶け込んでいた。月丸は辺りを見回す。田や畑が広がる。遠くには僅かに家が見えるが、もう誰も居ないであろう。


「百鬼夜行を留めおけば、土地も死ぬか。ならば死した地を封印の地とした方が良いな。」


 月丸はここを封印の土地と選んだ。いつかは浄化されるであろうが、水ですら百鬼夜行の瘴気を含んでいる。飲めば毒となるだろう。そのような地に人も生き物も暮らせない。逆に言えば封印する地としては問題ない。そう考えた。


「何とな。儂の道が封じられるかよ。しかし、百鬼夜行であればやむを得ぬかな。」


 唐突に月丸の背後から声が聞こえた。驚き月丸も振り返る。そこには気配もなく、妖気もなく、ただ、痩せた老人が立っていた。


「誰だ?」


 月丸の問いに老人は笑って答える。


「ほれ、そこの地蔵に収まる道祖の神よ。この道を封じると聞いてな。最後に話しておこうと思って出てきた。」


 老人に促され、月丸が見ると、昨晩は気づかなかったが、小さな地蔵があった。綺麗に磨かれ、握り飯が置かれている。村の者から大事にされていたのであろう。


「神か?」


「左様。」


「ふうん。初めて見た。」


 驚きまじまじと眺める月丸に、老人は言う。


「昨晩は助かった。お主が結界を張ってくれたおかげで、儂は取り込まれずに済んだ。あれ程大きくなった百鬼夜行など初めて見るわい。」


 礼を言い、頭を下げた老人は、頭を上げると言葉を続ける。


百鬼夜行あれの怨は今まで在った百鬼夜行とは比べ物にならぬな。どうか、主が言うた通り、封じてくれる様、願っておるぞ。」


 月丸は頷くと、言葉を返す。


「お師様が来るまでは、奴らを留めるだけだ。まだ時間はかかる。今日はもうすぐ日が落ちるから、明日にでも地蔵を安全なところに運んでやるよ。」


 月丸の言葉に、老人は笑う。


「ほほ。この道を護る神に他へ移れと言うか。それは無理な相談じゃ。儂はこの道と共にある。儂も共に封じられようぞ。最後の日まで、話し相手になってくれれば、それで良い。また明日、話そう。間も無く日が暮れる。」


 そう言うと、老人は姿を消した。


 その晩も、月丸は耐え続けた。

 昨晩は符を破ろうと群がっていた百鬼夜行だが、ある者が月丸の存在に気付くと、喰らおうと襲いかかってきた。無論、結界に阻まれるが。しかし餌を見つけた百鬼夜行の攻撃は昨晩以上に激しいものとなった。


 日が昇り、百鬼夜行が姿を消すと、再び月丸は眠りについた。

 

 ふと、眠りから覚めて目を開く。昨日の老人、道祖神が月丸の胸に手を当てていた。


「おお。起きたか?済まぬな。お主の霊気、きや、妖気か。すっかり小さくなっていたのでな。勝手と思ったが、儂の霊力を分け与えた。どうじゃ?昨日より体が軽かろうて。」


 そう言われて身を起こすと、立ち上がり、ぴょんぴょんと跳ねてみる。確かに疲れも残っていない。


「凄いな。体も軽くなった。神の術か?」


 喜ぶ月丸に、老人も和かな笑みで頷いた。


「儂は癒す術は知っておっても、戦う術など知らんのでな。せめて、これくらいは役に立って見せよう。」


「ありがとう。えっと、まだ名前を知らないな。」


月丸は礼を言おうとして、老人の名を知らぬのを思い出した。


「名はない。儂はこの道を行く者達が安心して歩ける様、護るべきものとして生まれた神。まぁ、そもそも名を持つ神の方が少ないくらいじゃ。何とでも呼ぶが良い。」


 月丸は少し悩むと、にっと笑った。


「じゃあ、爺ちゃんって呼ぶよ。ありがとうな。爺ちゃん。」


 月丸の言葉に、老人も笑った。

 老人は月丸に呪いの掛かっていない水と、自らに供えられた乾飯を渡した。

 それを口に入れながら月丸が訊ねる。


「爺ちゃんは神様なのに百鬼夜行に取り込まれるのか?」


 月丸の問いに老人は頷く。


「儂は道行く者を護るためだけに在る。百鬼夜行への抗い方など知らぬよ。今はこの道におるお前さんを守る事で精一杯じゃ。」


 どうやらこの二日間、月丸の結界を維持するのに、道祖神も手を貸してくれていたのだと、月丸は察した。


「なあ、爺ちゃん。俺のお師様は凄い人でな。八百万の神の力を受けているんだ。きっと、あの百鬼夜行も封じてくれる。爺ちゃんを別の場所に移してやることもきっとできると思うよ。だから、別の場所に行こうよ。」


 老人は和やかに顔を崩すと、そうか、とだけ呟くと、遠く離れた北の山を見る。


「お前さんは、妖霊じゃな?」


 老人の言葉に月丸は頷く。


「儂は道の神。道行く者の言葉を聞いておった。十年ほど前か。京に妖霊が現れ、いくつかの村を滅ぼしたそうじゃ。そして最近、また暴れ出したとかでな。いくつかの村が滅ぼされたそうじゃ。」


 老人の言葉に月丸が反論する。


「そんな。十年前って、俺はそんなことしてないぞ。今だって、百鬼夜行を封じるためにこうして…。」


 月丸の言葉を笑みを浮かべ老人は聞く。


「わかっておるよ。噂を流したのは欲を持つ人の仕業であろう。こうして頑張ってくれておるお前さんを見ていれば分かる。分からんのは、人も滅ぼすであろう百鬼夜行を、何故人が放ちたがるか。」


 そう言うと、先程目を向けていた北の山を指さす。月丸も促されて目をやる。


 遠く離れているため分かりづらいが、人が集まっている。武士だ。如何やら陣を構えている様であった。


「百鬼夜行退治?」


 月丸の言葉に老人は首を横に振った。


「妖霊退治じゃそうな。愚かにも、百鬼夜行の呪いは妖霊の仕業となっておるのであろう。疫病も、禍も、妖霊を討てば止まると聞いた。愚かなことじゃ。」


 人の目から見れば、おそらく一日程度は歩かなければならないほど離れている。だが、月丸達からは見えている事はあの陣の者誰一人思っていないだろう。だが、こちらの場所も気付いているからこそ、あの場に陣をとったとも考えられる。

 北の山を見据える月丸に、老人が言う。


「儂は取り込まれるが、お前さんはここから離れた方が良い。師と共に、改めて出向いた方が良い。そうでなければ、百鬼夜行と人の兵を相手にすることになるぞ。」


 月丸の身を案じてくれていることが分かる。だが、この優しい神を月丸は助けてやりたい。そう思えた。


「大丈夫。百鬼夜行は此処から先には進ませないし、あいつらにも手は出させないよ。」


 老人を安心させようと笑みを作るが、月丸にはまだ策が思いつかなかった。

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